2.5章 アドバンス・ラブズ

Episode36 ~それでも彼女は覆い隠す①~

 温かい陽光が差し込む昼時。

 グラーテ魔術学園二年次の教室では昼休憩の生徒達が、がやがやと騒いでいた。

 といっても、昼休憩に教室に残るほうが珍しいので、生徒はそれほど多くはない。


 その教室の扉付近にて。

 張り付くように扉の窓から顔をのぞかせる少女がいた。

 瑠璃色の髪は両端で小さく縛り、真朱の瞳をいつもとは違い不満げに細めている。

 隣で教室に行き交う生徒たちの視線にも気に留めず、ノアは食い入るように教室の一角を見ていた。


 そこには、鮮やかな紅髪をなびかせるアンリとカイの姿がある。

 アンリが何を話しており、それをカイは頬杖を付きながら聴いている。

 基本真顔で話しているが、たまにアンリが笑い、それに答えるようにカイが微笑み返す。傍から見ても、仲睦まじい二人である。

 その様子に、ノアは形容しがたい違和感を抱いた。


(何か……急に仲良くなった……?)


 もちろん、事あるごとに言い争いをしていた頃と比べれば、全然いい。

 しかしこうも急だと、不安になるものだ。

 ──理由は分かっている。

 恐らく、以前の魔術強化合宿だ。

 そこでカイは全治三週間の重傷を負い、その場面にアンリもいた。


 責任感が強い彼女のことだから、カイに重傷を負わせてしまった事に負い目を感じているはずのだろう。

 過保護に接しているし、あれ以降目立った喧嘩もない。

 しかし──だ。

 ただ負い目を感じているから即ち、お互いに感謝しあっているからと言って、ここまで仲良くなるものだろうか? と、ノアは唸った。


 二人に何かあったに違いない。

 自分には秘密にしている何かが──。

 ノアがそう思考を巡らせていた時、アンリとカイが突然動いた。

 何やら二人とも真剣な表情で、扉の方に向かってきている。


 まずっ──! と、ノアは扉から離れ突き当りまで後退する。

 咄嗟に身を隠した所で、二人が教室から出てきた。

 どうやら隠し見ていたノアに気付いたわけではないらしいと悟り、ほっと息を吐く。

 背後にノアが居ることもつゆ知らず、二人はノアとは逆方向に歩を進めた。


(あっちって確か……東校舎の方……?)


 東校舎の施設は基本生徒たち入り禁止のはず。

 廊下までは入れるが、立ち入り禁止の部屋に入ろうとすると警報が鳴るため、好んで近づく生徒はいない。


 まさか、隠れて侵入でもしようとしているのではないかという疑いがノアの頭によぎるが、さすがにアンリが付いていてそれはないだろう。

 なら何で……? という疑問はぬぐえない。

 真相を確かめるべく、ノアは廊下を行き交う生徒達にまぎれながら、二人を尾行した。




 東校舎に入り、しばらく歩くとアンリはとある階段下のスペースに入った。それにカイも続く。

 距離を置いて付いてきたノアは、なるほどと思った。

 何故ならノアは、東校舎の階段下にカイがよく通っていたことは、以前聞いていたからだ。


 二人にばれないよう、ひゅっと階段下のスペースを抜けて、音を殺しながら階段を上る。

 見上げると、踊り場に少し光がさしており、そこから折り返して階段が続いているのが見えた。

 初めて訪れた場所に肝を冷やしながら、ノアは手すりから顔を少し出して二人を見守る。

 しかし、二人がかなり奥に潜っていることもあってか、この場所では二人の姿も声も感じ取れない。


 うぬ、と頭を悩ませてから、小さな声で囁く。


「──《クルヴォイト》──」


 無属性・初等呪文【千里眼】を起動。壁越しに二人の姿がはっきりと見えるようになる。

 続いて聴覚拡張の魔術を起動させると、遠くから微かに聞こえていた声が、徐々に鮮明になっていく。

 瞬間、思いもよらない一言が聞こえてきた。


「──だから、付き合ってほしいの」


「──ッ⁉」


 ドクン、と心臓が脈打つ音がした。

 一瞬で頭が真っ白になる。

 今、二人が何の会話をしているのか、何も考えられなくなる。

 だが確かに分かるのは、これ以上聞かないほうがいいということだけ──。


「まあ構わないけど……以外だな。

 アンリはそういうタイプじゃないと思ってたんだがな」


「何よ、悪い? 今まではそういう人もいなかったし……初めての事だから良く分からないのよ」


 これ以上聞いていちゃいけない。

 今なら、まだ勘違いで済ませられる。

 二人を微笑みあう姿も、見ずに済む。

 そう分かっているのに──ノアは魔術を解除できない。

 唇が震える。解除の呪文が唱えなれない。

 ノアの意思に反して、遠くから声が耳に飛び込んでくる。


「まあ、それもそうか。じゃあ日程は、次の安息日でいいか?」


「それで構わないわよ。……そろそろ戻りましょう。ノアにバレたら元も子もないし……」


 そう言いながら、カイとアンリは階段下のスペースから廊下へ出た。

 足音が遠ざかる。

 ノアはその二人の背中に、目を向けることができなかった。


 暫くして、辺りに静寂が訪れた。

 少しの物音もしない、まるで世界に一人取り残されたような感覚に陥る。

 だから、ノアは今まで秘めていた感情の氷が解けていくのを感じた。


(ああ……やっぱり私……こんなにも、カイの事が好きだったんだ……)


 ぽとぽと、抱え込んだ膝に涙が滴った。

 ノアがこの気持ちに気付いたのは、カイと花畑で出会った時だった。

 記憶はないはずなのに、赤の他人同然の自分を、懸命に救おうとしてくれた姿に心を打たれたのだろう。


 だが──この気持ちは

 何故あの日、カイと共に花畑で倒れていたのか。

 恐らく、記憶を失う前の自分が『この人』となら大丈夫だと思っていたのではないだろうか。

 たとえ記憶を失って過去を捨てたとしても、やっていけると。


 きっと記憶を失う前の自分も、カイの事が好きだっただろう。

 対してカイも同様に、過去の彼女ノアと共に記憶を失うという選択をした。

 だからこそ二人はあの日、あの花畑で出会ったのだ。


 この気持ちは『記憶を失う前のノア』のものであって『今のノア』のものではない──。

 そう思って、今までこの気持ちを抑え込んできた。

 だから……これでいい。

 自分が彼を横取りしてしまうのはあまりに卑怯だ。

 過去を失った『何者でもない自分』がこの気持ちの答えを得てしまうのは間違っている。


 ──なのに、なんでだろう。

 ──こんなにも胸を締め付けられるのは。

 ──涙が止まらないのは。


 どちらにしろ、今更後悔するには何もかもが遅すぎた。

 それでもこれでいいんだ、これでいいんだと。

 あふれ出る涙を両手で拭いながら、ノアは自分に言い聞かせるのであった。

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