小谷 進 鞍美台へ
日差しが眩しい。さっきまでとはまるで別世界だ。
健は今頃何をしているのだろうか。遊び相手が見つからず部屋にこもっているのかな。守はどうかな?アイツは友達が多いから心配はないか。哲は?確か一緒の高校に行く約束をしたような。約束…守れなかったなあ。
日の光りを遮る大きなビル、日当たりを嫌うように物陰に逃げる人々、新生活を盛り上げるように街中に響くBGMさえ、いつの間にかなくなってしまった。さっきまでの風景からは想像できないだろう。風に揺れている雑草が互いの体をぶつけ合い、カサカサと乾いた音を奏でている。空にはまるで大きく円を描くように追いかけ合う鳥たちの姿があった。ピーピーと甲高い声で鳴く声が聞こえてくる。前を飛んでいるのは、雌だろうか、雄だろうか。そんなどうでもいい事を考えながら車窓から見える風景を眺めていた。同じ日本なのに、こんなにも差があるなんて。辺りを緑一色の田んぼに囲まれた開発の進んでいない未舗装の道の上を、風景に浮き彫りにされたかのように白いセダン車が車体を揺らせながら、両親と僕を知らない世界へと運んでいく。
「自然に恵まれた良い所じゃない。」
「そうだな。いかにも、って感じだな。」
沈黙に耐えかねたのか母親が口を開いた。それに乗っかるように父親が相づちを打つ。全く冗談じゃない。都会の暮らしにどっぷりと浸かった人間にとって、こんな変境地で生活ができるとは思えない。喉が乾いた時にはどうするのだろうか。自販機が一つもないじゃないか。お腹が空いたらどうする。コンビニだって一つも見当たらない。ゲームセンターだって…。必死に心の中で、否定の言葉を並べ続けていた。
「ねぇ進、良いところだと思わない?」
ふいに同意を求められ思わず一言。
「…そうだね。」
気のない返事をしてしまった。父親の仕事の都合により、家族全員の引っ越しが決まってしまった。もちろん文句は言えない。独りで残って生活していくというのは、まだ中学生の僕には無理だろう。そこそこ仲良くやってきた友達とも別れ、新しい輪の中で、また一からのスタートになる。多少の期待もあるが、不安のほうが当然勝っている。深くため息をつき、まぁどうにかなるだろう、と努力してそう思うようにしてはみたが、正直全く先は見えない。まさにお先真っ暗な状態だ。
「ここを好きになるわよ。きっと。」
「そうだぞ。ずっと居るわけじゃないんだ。生活に慣れて離れる頃には、また寂しくなるぞ。」
沈んでいた気持ちを悟ったかのように、少し意地悪く父親が言った。そうなることを願うよ、心の中で呟いた。後部座席の間からフロントガラスいっぱいに広がる田舎な風景に視線を移す。次の瞬間、車がガタンと大きく揺さぶられ、急に目の前が暗くなった。どうやらトンネルに入ったようだ。
「ここを抜けたら
「楽しみね。どんなところなんでしょう。」
落ち着いた父親の声が車内に響いた。相変わらず軽い気持ちの母親の声もそれに答える。しばらく進むと、先のほうが明るく照されてきた。中途半端に長いトンネルを抜けると、緑を掻き分けるように道が続き、その周りにはいくつかの集落が広がっていた。トンネルを抜けた道の両端は小高い丘で、その丘にはいくつかの地蔵がこちらに視線を向けている。左側に三体、右側に二体が並ぶ。通りすぎる時、冷たい視線を注ぐ地蔵達と目があったようで少し悪寒を感じたが、父親の言葉で気持ちはすぐに別の方向へと向けられた。
「ほら、そろそろ着くぞ。あそこの家だ。」
指で示された場所へと視線を移す。まさかこんな田舎に豪邸はさすがにないだろう。期待はもちろんしていなかった。玄関先の少し空いたスペースに車を止める。木製の一軒家で、家庭菜園が少しばかりできそうな小さな庭があった。庭先には自転車が一台置いてあるが、少し錆び付いている。家のまわりには誰も住んでいないはずなのに、雑草も刈り取られ、綺麗な平地になっていた。
「外観は思っていたより悪くないわね。」
同意見だった。勝手な想像から
「よし、とりあえず中に入ってみよう。」
父親の声につられて、僕達も中へと足を踏み入れることにする。ポケットから出した鍵を差しこみ、右へ回す。
「あら。結構綺麗にしてるわね。ちゃんと電気も点くわ。」
「そうだな。借家にしては立派なものだ。」
電気も使えない、水もないとなると人は住めないだろう。さすがに生活できるだけの設備は整っていた。さらに、目立つ汚れもなく、しっかりと手入れがされている。一畳ほどの玄関を入ると目の前に階段があり、その左には奥へと続く通路があった。進んでみるとピカピカに磨かれた台所や家族揃って食事を囲めるほどの机があるリビング、さらに奥にはタイル張りの風呂場と洋式のトイレがあった。どれもまだ新しい。玄関からリビングへ続く通路の途中には左右に部屋があり、右側には畳の香る和室、左側には小さな机が一つある書斎のような空間が現れた。踏み込むたびに軋む階段を上がってみると、そこにも小さな部屋があった。窓を開けると春の心地よい風が部屋中に行き渡り、どんよりとした空気を一気に変える。入念に手入れがされているのか、埃すら落ちていない。こんな
「こんにちは。お忙しい中、すみません。」
早速誰かが訪ねてきた。歳は40代くらいだろうか。がっちりとした体格で作業服姿の男。短髪の頭をポリポリとかきながら笑顔を浮かべていた。
「私は、この村の役所に勤めている者で浅野と言います。今日から御入居されるとお聞きいたしまして。ご挨拶にと。」
「まあ、ご丁寧に。小谷と申します。」
母親が丁寧に対応していた。その会話を階段の上からこっそり見守る。
「何かありましたら、こちらにご連絡ください。何ゆえ田舎なものですから、何事も助け合いです。村の人々も穏やかな人ばかり、皆で団結して生活しています。こちらの家もリフォームしたんですよ。村人達で。」
綺麗なはずだ。リフォームした後は誰も住んでいないらしい。住む人が見つかるまで、定期的に浅野が手入れをしていたという。
「なるほど。綺麗なはずだわ。私達が最初なんてなんか悪いわね。都会の暮らしが長くて、困り事も多くあるかと思います。浅野さんのお言葉に甘えて助けてもらおうかしら。」
「是非とも。今後とも末永く、よろしくお願いします。では私は見回りがありますので。」
「あら。村のパトロールもしてらっしゃるの?」
「村には警官が居ませんからね。真似事ですよ。まあ、この村では犯罪はおきませんけど。」
そう言い残すと敬礼の真似をして、その場を去っていった。その姿は町の平和を守る勇敢な警官のようだった。
「平和なところなのね。浅野さんもいい人だったわ。」
階段の上の僕を見ながら母親は答えた。聞き耳を立てていたことが見つかりドキッとしたが、母親はそんな姿なんか気にせずに奥に入っていく。
部屋に戻ると、開けた窓から入り込んだ風が僕の頬を
鞍美台。今まで聞いたこともない小さな村だけど、なかなか良い所なかもしれない。明日は少し散歩してみようか。
「進。ちょっとは手伝いなさい。」
「はーい。」
僕は勢いよく、階段を駆け下りた。
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