「ヴィクトルなんか嫌いっ! 大っ嫌いっ!」

「だから、ごめんって言っているじゃないか」

「その『ごめん』って言う態度が、少しも謝っていないのが問題だって言っているのよ!」

 謁見用にと用意された部屋で、コレットはそう声を荒げた。

 服装は以前の謁見時に使ったオレンジ色のドレス。髪の毛は丁寧に編み込まれたハーフアップにレースのリボンという装いだ。化粧は薄いが、それが幼さの残る彼女にとてもよく似合っている。

 いつもより着飾っている彼女は、そのおしとやかな雰囲気とは対照的に、パンプスの踵を床に叩きつけるようにしながら怒っていた。

 言うまでもなく、その怒りは隣に立つヴィクトルへと向けられている。

「本当に悪いと思っているよ。さすがに一時間はやりすぎた。三十分にしとくべきだったね」

「騙した時間の話をしているんじゃないのよ! こっちはっ!!」

 ガツン、とコレットの踵が大理石を打つ。怒りに任せたその一撃は、本当に床石を割ってしまいそうなほどだった。

 部屋の中には二人の他に人はおらず、言い争う様子は誰にも見られていない。

「そもそも、こういうことをしないでって言っているの!! いい加減にしないと、私だって怒るからね!」

「そう言いながら、もう怒っているじゃないか」

「さらに怒るって言ってるのよ! 私の怒りの限界を見たいの⁉ アンタは⁉」

 暖簾に腕押し。ヌカに釘。豆腐にかすがい。

 ヴィクトルの飄々とした態度に、コレットは我慢ならんと肩を怒らせた。

「というか、普通時計までいじって騙そうとする⁉ 用意周到過ぎない⁉」

「あぁ、別にあれはコレットのことを騙そうと思って準備していたものじゃないよ。ああいう小道具は、普段から持ち歩いているんだ」

 ヴィクトルは懐から全く同じデザインの金時計を二つ取り出すと、コレットの前に掲げてみせる。

「こっちが通常の時間を示す時計で、こっちが弄る用の時計だね。切羽詰まった状況になればなるほど、案外こういうのには気づかないものだよ。まぁ、一時間もずらして気が付かない人は珍しいけれどね」

「馬鹿にしてる?」

「可愛いなって思っているよ」

 寸分の隙も無い完璧な笑顔に、コレットはこめかみをひくつかせる。しかし、彼の捕えどころのない態度にももう慣れてしまったのか、彼女は一つため息を吐いただけで怒りの矛を収めてしまった。もう、諦めの境地である。

「ほら。でも、そのおかげで謁見の時間には間に合っただろう? 髪の毛も編む余裕があったみたいだし」

 ヴィクトルは慣れた手つきでコレットの髪を触る。彼の指先から落ちた髪の毛が頬に当たり、なぜか頬が少しだけ温かくなった。

「それはそうだけど……」

 彼が自分を騙したことを正当化する気はさらさらないのだが、確かにあの時急いだからこんなに余裕をもって準備ができたのだ。しかも彼は、コレットが到着する時間を見計らって侍女を彼女の部屋に差し向けてくれていた。コレット一人では、ドレスを着ることは出来ても、髪型までは何ともならなかっただろう。

 何から何まで計算づくというのは大変腹立たしいが、侍女を向けてくれた一点に関してはやはり感謝をするべきだろう。

 コレットは自分の髪の毛を片手で弄びだした彼の気配に、気恥ずかしさで顔を逸らした。

 自分でも気づいていないのかもしれないが、ヴィクトルはコレットの髪の毛を触るのが好きなようだった。気が付けば、まるで癖のように彼女の髪の毛で遊んでいる。

 まるでその手触りを楽しむかのように触られて、コレットの方もどうすればいいのかわからなくなってしまう。

「一つ聞いてみるんだけど。もしかして、普段からそういう時計みたいな小道具仕込んで過ごしているわけ?」

 恥ずかしさをごまかすために、コレットはそう聞いた。ヴィクトルは髪を弄ぶ手を止めないまま、一つ頷いてみせる。

「まぁね。前にも言っただろう。色々あって、俺は身内にも敵が多いんだ。備えあれば憂いなし、ってね。いざという時のために、結構いろいろ仕込んでいるよ。前に見せた銃もその一つかな?」

 彼はそのまま銃が入っているだろう胸元を軽く叩いた。それは暗殺未遂事件の時に活躍したあの片手で打てる銃だ。コレットも長い間騎士団として働いていたが、あんな小さな銃など見たことがなかった。最初に会った時に外交を取り仕切っていると言っていたし、銃を最初に取り出した時も外国で手に入れたものだと言っていたから、もしかしたらこの国でその銃を持っているのは彼だけなのかもしれなかった。

「もし、コレットが他の『備え』を見たいっていうなら、いつか見せてあげるよ。……今日みたいにね」

「遠慮しますっ!」

 コレットがそうすっぱりと切り捨てた時だった。高座に通じる右の扉が開いたのだ。

 その扉の向こうから、国王が部屋に入ってくる。その後ろに付き従うのは宰相だ。

 二人はその場で頭を下げた。

 以前よりさらに痩せただろうか。王の足取りは重く、椅子に座るのも億劫そうだった。

 王は椅子に座り一息つくと、目じりを掘り下げ柔和な表情を浮かべる。

「二人とも、正式な場ではないのだからそんなに畏まらなくもいい。顔を上げてくれ」

 その言葉に二人は顔を上げた。さすがに先ほどまでの和気あいあいとした雰囲気はなくなり、場はピリッとした緊張感に包まれている。

「突然呼び出してすまないな。戦姫よ、元気にしていたか?」

「はい。お心遣い感謝します」

「ヴィクトルも、アルベールの穴を埋めようと奔走してくれているようだな。感謝している」

「はい」

 ねぎらいの言葉にヴィクトルは短く返す。

 王は低い位置にある二人を見下ろし、思慮深げな顔で顎を摩った。

「今回、二人を呼び出したのは、折り入って頼みがあったからだ。しかも、その頼みは戦姫にしか頼めないのもでな」

「私にしか頼めない……?」

 コレットはその言葉に眉を寄せる。コレットは確かにかつての戦争で国を救った英雄だが、彼女自身は何の変哲もない十八歳の少女だ。騎士としての修練は積んでいるが、それだけだ。《神の加護》がなければ特別でもなんでもない。

 そんな自分に用があるということは、何か血なまぐさい事でもやらされるのだろうか。それともまた誰かを護衛するという案件なのだろうか。

 そんなコレットの不安をよそに国王は宰相に目くばせをした。

 宰相はその視線に一つ頷き、先ほど自分たちが入ってきた扉に向かって声をかけた。

「ルトラス様。どうぞお入りになってください」

 その言葉に顔を覗かせたのは茶色い髪の青年だった。優しげに垂れた目じりは可愛らしく、服装は白いシャツに茶色いズボンという、そこに居る誰よりも庶民めいた出で立ちだった。彼はまるで怯えた子犬のように下を向いたままおずおずと部屋に入ってくる。

 そのまま王の隣に並ぶと自信なさげな顔を上げた。

 その瞬間、コレットは息を飲んだ。なぜなら、コレットはその青年を知っていたからだ。

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