【書籍化記念SS】ジャンの受難
暗殺未遂の一件から二週間。
コレットは事後処理や報告書等の提出で久々に城に赴いていた。
「お、コレット! そんなところで何してるんだ?」
そう声をかけられたのは、城の敷地内にある騎士団の事務棟前だった。ちょうど用事を終えて事務棟から出てきた彼女はその声に振り返る。
そこにいたのは元同僚のジャンだった。額に汗しているところから見て、ちょうど訓練中だったのだろう。鼻の頭についた泥を腕で乱暴に拭いながら、彼はコレットに駆け寄った。
「私は仕事で借りてた騎士服とか、その他諸々の返還と書類の提出でね。そっちは訓練だったの? ……っていう
か、機嫌良いわね」
いつになくニコニコとしている彼にコレットは首を傾げた。ジャンが陽気なのは割といつものことだが、こんなにも嬉しそうに頬を緩めているのを見るのは珍しい。
すると、彼は少し気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「そ、そうか……?」
「何かあったの? 今日、誕生日だっけ?」
「誕生日ごときで喜ぶような歳じゃねぇだろ。俺もう十九だぞ? ガキじゃねぇんだから!」
馬鹿にされたと思ったのだろう。彼は頬を染めながらも眉を顰めた。
「誕生日を祝ったり喜んだりするのは年齢関係ないと思うけど。で、どうしたの? 誕生日じゃなかったら、何か良いことでもあったの?」
「良いことって言うか……。まぁ、憂いがなくなったって言うか……」
「憂い? まどろっこしいわね。私そういう言い方されても察することとかできないからね」
「いや、まぁ……。ほら、第二王子のことで……」
ジャンの零した言葉に、コレットは眉を上げた。
「あぁ、ヴィクトルのことで? 何かあったの?」
笑顔でそう聞いてくるコレットに、笑顔だったジャンは一転して苦々しい顔つきになる。
「『ヴィクトル』って、相変わらず仲いいんだな……」
「へ? 何か言った?」
「いいや! 何も! ……で、その第二王子が今度結婚することが決まっただろう? 相手はまだ伏せられてるみたいだけど、めでたいなぁって、な! それだけ」
その瞬間、コレットは遠い目をして「あー……」と声を漏らした。そして、眉間の皺を揉みながら難しい顔をする。
そんな彼女の様子に気付くことなく、ジャンはバシバシとコレットの肩を叩きながら、明るい声を出した。
「俺はてっきり、お前とあの第二王子が良い仲なんだと思ってたわ!」
「いや、あれはヴィクトルが勝手に言ってるだけだし、私は少しも了承してないんだけど……」
「なんでお前の了承がいるんだよ! まぁ、めでたいことだから祝ってやろうぜ!」
コレットはジャンの言葉に顔を陰らせた。そして、肺の空気を全て吐き出すような深い溜息をつく。
そんな彼女の様子に、さすがのジャンも何かを察したようだった。
コレットの陰る顔と半分諦めたような笑みを見ながら、はっと息を飲む。
「もしかして、お前あの王子に弄ばれて……」
目を見開いたまま、彼はそう呟いた。口元に手を置いたまま数歩コレットから距離をとる。
「確かに、お前騙しやすそうだしな……。脳天気でお気楽で、恋愛なんて少しも興味がなさそうだし。散々遊んだ上に、捨てられたとかだったら……もう……」
その声はコレットに全く届いていないようだった。彼女は何かを思い出すかのように遠くを見つめたまま、気の抜けたような顔をしている。
その表情をどうとったのか、ジャンはコレットの両肩を掴むと、前後に強く揺さぶった。
「なんか、辛いことを思い出させたようで悪かった! 本当に悪かった! 許してくれ! 知らなかったんだ!!」
「は? アンタ関係ないでしょ?」
「今日は飲もう! 奢ってやる!」
「はい?」
コレットが素っ頓狂な声を出したその時だった。コレットの肩を掴んでいたジャンの手を、彼女の後ろから延びてきた手が引き剥がす。
そして、延びてきた腕はそのままコレットの首元に回った。
「コレット。久しぶり」
後ろから抱き締められるような形になったコレットは、その抱き締めてきた相手を見上げて半眼になった。
「ヴィクトル、普通に登場できないの? あんまり気配を消して近づいてくると、投げ飛ばしちゃうかもしれないから危ないって、前から……」
「抱き締めているところには言及せずに、そういうこと言っちゃうわけだ。うん。なんだか愛を感じちゃうね」
「勝手に感じるな! そんなものあるわけないでしょうが!」
そうコレットが怒鳴っても、ヴィクトルはニコニコしているだけで、後ろから抱き締めている腕を一向に外そうとはしない。
そんな彼の態度にもうなれてしまったのか、コレットも肩を落とすだけで、下手に抵抗はしなかった。
「今日、こっちに来るって言ってたから待ってたよ。すれ違いにならなくて良かった」
「こんなところにいて大丈夫なの? 仕事は? ラビさん怒っちゃうわよ」
「仕事は、もう昨日のうちに終わらせたらからね。今日一日はコレットのために使おうと思ってるよ」
蕩けるほどの甘いマスクで、自国の第二王子にそう話かけられているにも拘わらず、コレットはそんなものには興味がないとばかりに気のない声を出した。
「時間作って貰ったのはありがたいけど、私付き合えないわよ。昨日からうちの孤児院雨漏りがするのよ。そろそろ嵐が来る季節だからちゃんと補修しとかないと……」
「それなら、俺も手伝おうか? 生憎、大工仕事はしたことはないんだけど、男手があったら助かることも多いだろう?」
その言葉に一部始終を見守っていたジャンが頬を引き攣らせた。
「いや、さすがにそれは……」
一国の王子様が大工仕事を手伝うなんて聞いたことがない。そもそもそんなことで喜ぶ女性はいないというのが彼の考えだった。
しかし、それを否定するかのようにコレットの顔は、ぱぁっと明るくなる。
「ほんと!? 助かる! それなら、帰りに端材貰いに大工のエディさんのところに行こうと思ってたの! 端材運ぶの手伝ってもらえる?」
「ん。じゃぁ、汚れてもいい服に着替えてこないとね」
「悪いわね。でも、一人じゃ端材運べないと思ってたの! 助かるわ! ありがとう!」
満面の笑みでお礼を言うコレットにジャンは頬を引き攣らせた。今まで一緒にいて、彼は彼女のこんな嬉しそうな顔を見たことがなかった。
彼女はもともと表情豊かな方だ。しかし、こんなに嬉しそうに声を上げるだなんてジャンは知らなかった。
それが悔しかったのだろうか、彼はコレットとヴィクトルの間に割り込むと、彼から彼女を引き剥がした。
「あんたまだコレットを弄ぶ気なのか!? 結婚決まったんだろう! 違う女にちょっかいかけてて、相手に悪いとか思わないのかよ!」
自国の王子だと言うことを忘れて、彼はそう言った。その言葉にヴィクトルはきょとんと固まってしまう。
一方のコレットは呆れたような顔をジャンに向けている。
「は? 何言ってんの?」
「ふーん。あぁ。ま、そういう人もいるよね」
二、三度頷いた後、ヴィクトルは顎をさすりながら不敵な笑みを浮かべた。
「アンタは何納得してるのよ。っていうか、私、弄ばれてるの?」
「俺は常に本気だよ。弄ぶ時も本気で弄んでいるから安心して」
「安心できないわよ!」
そう叫ぶコレットの手を取って、ヴィクトルはジャンに顔を近づける。そして、ゆっくりと目を細めた。
「それと、君。確かジャンって言ったよね?」
「どうして俺の名前を……?」
「一応、城で働いて貰っている人の名前と顔は覚えてるんだ。……ジャン。忠告どうもありがとう」
人畜無害の笑顔でヴィクトルはそう言う。お得意のきらきらの王子様スマイルだ。
そしてそのままジャンの耳元に顔を近づけて、囁いた。
「俺が羨ましいなら、君も早く好きな女の子を弄ぶだけの技量をつけたら良いよ。その時にまた相手をしてあげる。……でも、勝てるとは思わないでね」
「――っ!」
耳を押さえながら飛び退くジャンと、不敵に笑うヴィクトルを交互に見て、コレットは眉をひそませた。
「なに? 喧嘩しないでよ」
「喧嘩なんかしてないよ。それじゃ。行こうかコレット」
ヴィクトルは握っていたコレットの手を引く。そして、すかさず引き寄せた彼女の腰に手を回した。
「ちょっと! 腰はやめてよ!」
「それなら、腕を組む?」
「腕も組みません!」
「コレットってば、本当に可愛いね」
そんな夫婦漫才を繰り広げる背中を見送りながら、ジャンはブルリと身を震わせた。
「……こ、こわぁ……」
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