第12話 説明会

「おはようございます……」

あちこちで挨拶を交わす声がする。

 マンションのロビーは、いつになく大勢の人が集まっている。


 ひょっとすると、年に一度開かれる総会よりも人がいるかもしれない。

 やはり、住民の皆さんはマンション計画に関心があるのだ。


「あ、晴美さん……」

103号室の三田さんが私に声をかけてくる。


 三田さんは五十代で独り暮らし。

 五年前に連れ合いを亡くされている。


「あの……。ちょっと聞いても宜しいですか?」

「はい?」

「私のところには業者さんが日照の件で来たんですけど、三田さんはどうですか?」

「業者さん? ウチには来てないと思うわ。……と言うか、私は病院勤めだからほとんど家にいないのよね。だから、来たとしても分からないわ」

そうだった。

 三田さんはかなり大きい病院の婦長さんなのを忘れていた。

 相当お忙しいようで、ほとんどお宅にはおられない。

 きっと、今日は特別なのだろう。


 特別と言えば、今日は裕太も特別に保育所に預かってもらった。

 説明会は午前中だけなので連れてこようかとも思ったのだが、万一にでも、迷惑をかけるといけないので……。


「日照で何か問題があるの?」

「あ、いえ……。何でも隣にマンションが出来ると、最悪のときには一日に二時間しか日照がなくなるらしくて」

「そうなの? ああ、晴美さんはまだ裕太ちゃんが小さいから、なるべく日照はあった方がいいわよね」

「そうなんです。でも、あまり我が儘ばかりは言えないので、ご近所の皆さんがどう思っているかを知りたくて……」

そうは言ったものの、私はまだご近所の誰ともこの件を相談していない。

 いや、していないのではなく、出来なかったのだ。


 101号室の木原さんは、ずっと不在のようであった。

 もしかすると帰ってきてはいるのかもしれないが、私が尋ねるときには常に不在……

 103号室の三田さんも同じような感じなので、私は相談しようにも出来なかったのだ。


 相談と言えば、市民相談室にもまだ行けてはいない。

 これは、予約した日が明後日の月曜日だったからだ。


 本当はこの説明会の前に専門的な話を聞きたかったのだが、私の仕事の都合と市民相談室の予約の空きがどうしても合わず、仕方なくこうなってしまっている。





「資料をお配りいたします」

パイプ椅子を並べたロビーで、忙しそうに立ち働いている田所が見える。

 他にも作業着を着た業者と思しき人が数人と、スーツ姿の男性が数人いる。

 スーツ姿の人はデベロッパーの人なのだろうか?

 だとすると、作業着の人は、工事を請け負う業者さんなのかもしれない。


 まだ、説明会が始まるまでには十分ほどある。

 長谷川さんは来ているが、他の住民の方々と話し込んでいるので、私が話しかけるような隙はなさそうだ。


「ウチは、日照には拘らないわ」

「……、……」

他の方と挨拶を交わしていた三田さんが、一通りそれが終わったのか私にささやいてくる。


「私一人の世帯だから……。それに、息子からは何れ同居しようと言われているの。だから、申し訳ないけどここの日照については、あまり拘りがないのよね」

「そうですか……」

まあ、そう言うだろうとは思っていた。

 三田さんは忙しい人だし、息子さんと同居するような話は前から聞いていたから。


「でも、もし晴美さんがお困りなら、何でも言ってね。仕事が忙しいからあまり時間はとれないけど、業者と交渉するときに必要だったら、103号室も同じように思っていると言ってもらって構わないわ」

「すいません……。お気遣いいただいて」

「ごめんなさいね。私ではこのくらいしかお役に立てなくて」

「いえ……」

三田さんに役に立ってもらおうとは思っていなかったので、気遣ってもらっただけで十分であった。

 とりあえず独りじゃないだけでも心強い。


 ただ、そうは思うものの、私の力で何が出来るかも分からない状態に変わりはない。


「随分大きな建物が建つのね。郵政省の寮と階数は同じだけど、幅が随分ありそうだわ」

「そうなんですか? 私は郵政省の寮を知らないもので……」

「そうだったわね。晴美さんが越して来たときには、もうなかったから。そうそう……、小百合さんはお元気? たまにはお遇いしたいわ」

「はい、元気にしております。月初めの日曜日には、必ず裕太に会いに来ます」

「そう……。じゃあ、一度その日を狙ってお宅に伺おうかしら? 迷惑ではない?」

「ええ……、義母も喜びます」

義母……、と言った瞬間に、小百合の渋い表情が思い浮かんだが、またもそれで押し通した。

 まあ、三田さんは私と直人が離婚したことを知っているので、敢えてそこをほじくるようなことはしないだろうし。


 三田さんは初めて図面を看たのか、話ながら熱心に資料のページを捲っている。





「あら、この点線の四角は何かしら?」

「……?」

えっ?

 私の見ている図面には、そんな四角い点線はない。


「何処ですか? 私のには書いてないみたいですが」

「あら、変ね……。あ、晴美さんの見ているのは7階の図面だわ。これ、各階ごとに図面が違うのよ」

「本当だ……。三田さんのは1階の図面ですね。あれ? この点線、1階から3階までにしかないわ」

「何だか分からないけど、三階建ての建物ってことかしら?」

「……、……」

「それに、これ、位置的に102号室と101号室の目の前じゃない?」

マンション本体以外に、三階建ての建物?

 そんなの私は聞いてないけど……。





 裕太ママ晴美の一言メモ

「三階建ての建物が目の前に出来るなんて……。図面、分からないなりに、もっとちゃんと看ておかなければいけなかったわ」

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