『彩ーイロドリー』

美依

第1話 『線ーラインー』

 甘えたかったでけなの。

 自分を見つけてほしかっただけ。


 ただ赤ん坊のように、当たり前の愛情を

 どんな形でも。



「それは気の毒ですね」

 まだ学生のはずの柏木くんは、同じフロアにあるコーヒーショップでテイクアウトしたコーヒーをすすり、脚を組み替えた。最近、左右の差をなくすため、片方だけ偏って足を組むことを辞めたらしい。

「毎週毎週聞き飽きた?」

 仕事の休憩時間が週に一度、一緒になる柏木颯太くん。名前はとても爽やかだけど、目は鋭くて小鼻で、唇も薄い。どちらかというとドラマではヒーローのライバル的な存在になりそうなビジュアルだ。

 私たちが働くマッサージ店は、この辺では大きなショッピングモールの中に入っている。マッサージ店と言うより、アロマを焚き海の音を流すなどのリラックス空間を売りにし、手や顔をマッサージしにくる方が殆どだ。客層も20代後半から上の女性ばかり。希望をすれば個室も用意できるので、少しお喋りに来た、という既にリタイヤをし時間とお金を持て余している熟女さんも来店する。

 スタッフの殆どが女性だが、お客様のターゲットが年配女性ということもあり、中世的で清潔感のある男の子を雇うこともある。

 深い理由なんてない。単純に、若くて可愛い男の子と少しだけ接したいという女性が多いからだ。

 柏木くんの目つきは決して甘くはないが、アッサリとした薄顔と穏やかな物腰はとても魅力的だ。その上、しっかりと教育を受け接客するので、年配の女性の方々が彼に魅了されるのはわかる気がする。

 そんな彼とこうして休憩の一時間、私の愚痴を話すようになって、早くも3か月になっただろか。

 お疲れですか?と、柏木くんが声をかけてくれたことがキッカケだった。

「愛梨さんの話は愚痴っていうか、ドラマかなんかを見てるようで面白いから飽きないですよ。夫婦ってそんな一週間に色々あるもんなのかなぁって今から少し怖いくらいです」

「結婚は悪いもんじゃないよ。って、今の私が言っても説得力ないけど」

 いえ、そんなことないですよ、と、柏木くんは立ち上がると、レンジで温めていたおにぎりを取り出した。さっきチンっという音がしたが、話の途中だったので放置してくれたのだろ。もしくは猫舌なのである程度冷めるまで待っていたのか、そこまで深く柏木くんの行動を注意して見ているなど、口が裂けても言えない。

「愛梨さんのは愚痴って感じはしません。そこに愛を感じますから、本当に、どうかしたいけどできないもどかしさ、みたいな、健気さがいじらしいです」

「お、今のはバカにしたな?」

「ははは、わかります?」

 普段は大人びた顔立ちで接客している彼が、無邪気に笑う。わざとらしく何かを言うときは決まって、私をからかいにきているときだ。健気、いじらしい。そんな言葉、20歳そこそこの男子学生が使うわけがない。

 しかし、そういう言葉に、封印していた胸の奥の熱が、時々蘇ろうとする。

 もちろん、それがいい熱で、高くしていいわけがないことは、左手に光るプラチナが教えてくれる。

 それでも彼とのこんな時間が、今の私には必要なのだと思う。

 何かが生まれたり、何かに繋がったり、何かが咲くことはない。その必要はない。

 うちの店にくるお客様と一緒で、ただ、この時間に癒しを感じているのだ。

 何も望まず、何も求めず。

「今日のご飯はなんですか?」

「何がいいかね?」

「肉っすね。ハンバーグ?」

「先週も肉だったじゃんっ!」

 こんな会話一つで、仕事で疲れた後の家事も、乗り切れる。意味なんてない。ただ、彩りが増えるだけ。

「晩御飯の話するとお腹すきますねー」

 おいぎりをかじり、もぐもぐと口を動かす。こういう姿はまだ、社会に出たことのない学生だなと感じる。可愛いな、何度もそう心の中で呟いた。

「おにぎり食べながらお腹すくってボケだよね?」

「ボケだったけど、愛梨さん突っ込まないから」

「わかりにくいんだって」

「鈍いんだって」

 んん?とわざとらしく怒ってみせた。その顔を見て、柏木くんはケラケラ笑う。あどけない、20代の青年の顔だ。

 去年まで同じ「20代」で「独身」だったのに、今は、どこまでも遠い。

 見えない太い線が、ビーッと引かれた。

 その線を寂しいと思っては、きっといけない。


 いけないこと。



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