第16話「洛中洛外図は平和の証?」

 なるべく家族四人で食事を取ることになっている。

 今日は茶々のバイトが休みなので、四人揃っての食卓であった。


洛中洛外図らくちゅうらくがいずってなんだっけ?」


 僕がそう発すると、姪っ子三人の箸が同時に止まった。

 これは想定済みの反応である。

 あえて聞かなければならないことがあっての発言だったのだ。

 というのも、再び差出人不明の封筒が届いていたのである。今回も便せんが一枚。「洛中洛外図は平和の証?」とだけ書かれていた。おそらく兄のイタズラなのだろう。

 相変わらず意図は分からないが、もしかすると、この手紙で何か伝えたいものがあるのかもしれないと思い、わざわざ兄の目論みに乗ってやったのである。


「本気で言ってるの?」


 冷たく言い放つのは三女の江。


「こら、そんな言い方ないでしょ」


 江を注意するのは長女の茶々。


「洛中洛外図ってのは、ずばり絵だね!」


 とりあえず大雑把な説明をするのは初。


「絵? どういう絵なんだっけ?」


 日本史の授業で覚えたような気がする。ゴロがいいので名前だけは記憶していたが、何の絵かは思い出せない。


屏風びょうぶに書かれた絵です。洛中は京都のこと、洛外は京都郊外を指しています。特定の一枚の絵を言うのではなくて、当時の日本の首都である京都を華やかに描いた様式をそう呼んでいます」


 茶々の解説には隙がない。概要が一気に明らかになる。


「当時の人がどんなことをしていたか、どんな建物が建っていたか分かる貴重な絵だねー。見ててけっこう飽きないから、暇つぶしにオススメ!」


 ちょっと変わった視点を持っているのが初。


「一番有名なのは、狩野永徳かのうえいとく(※1)が描いた上杉本と言われるものだし。国宝にもなってる。13代将軍・足利義輝あしかがよしてる(※2)が上杉謙信に送るために書かせたといわれ、のちに上洛した信長が改めて謙信に送ってるわ」


 淡々としているが、しっかり詳細を教えてくれるのが江である。


「へえ、信長が謙信にプレゼントしてるんだ? 仲悪かったんじゃないの?」


 大勢力を誇った大名同士、互いにしのぎを削り合っていたイメージしかない。


「もともとは仲良かったんだよー。お互いに他に敵がいたから、利害関係が一致して、互いにプレゼント送り合ったりしてた。信長が、謙信と信玄の仲を取り持ったこともあるようだし」

「意外だなあ。その三人ってそういう関係なんだ? 謙信と信玄が仲悪くて戦ってたのはよく聞くけど」

「ま、信玄が死んで武田が弱体化すると、謙信の敵がいなくなるから、信長と謙信は戦うことになるんだけどねー」


 そこが歴史の面白いところ、という感じで初は言う。


「信長と信玄も、もとはいい関係だったんですよ」

「え? そうなの? ゲームでは、めっちゃ攻められた気がするけど」……


 織田と武田の領地は接していて、気を抜いていると武田の騎馬隊に織田領が蹂躙されてしまうのだ。


「信長が尾張おわりを統一して、美濃みのの斎藤家と対立すると、信玄に接触するようになります。同時に相手はできないので、片方とは関係をよくする必要があるんですね。姪の龍勝院りゅうしょういん(遠山夫人)を信玄の子・勝頼かつよりに嫁がせます。これは武田にとっても大きな意味があって、桶狭間の戦い後、弱体化した今川との縁を切り、織田に乗り換るという方針転換を行ったんです」

「今川義元が信長に逆転負けしたんだよな。格下にボスがやられちゃうんだから、信玄が見放しても仕方ないか……」

「でも、龍勝院は子を産んだあとに亡くなってしまったので、今度は信玄の娘・松姫を、信長の嫡男・信忠のぶただに嫁がせようとします」

「ほー、交換しあうって、相当の仲良しなんだな、織田と武田は」

「はい。信長はいろんな勢力と戦ってどんどん滅ぼしているイメージがあるかもしれませんが、とても外交上手なんですよ」

「その縁はすぐに切れちゃうけど」


 江が話に切り込んでくる。


「信長は京都に上洛して、政治の中枢を支配するようになるんだけど、15代将軍・足利義昭あしかがよしあきが、全国の大名に信長を倒せって手紙を送りつけるの」

「あれ? 義昭って信長が京都に送り届けて、将軍になれたんじゃなかったっけ?」

「うん。信長は義昭を奉じて上洛し、三好家など政治を独占してる連中を追い出して、義昭を将軍にさせてあげたわ。でも、信長は義昭のことをないがしろにしたから、怒った義昭はこっそり自分の代わりに信長を殺してくれる大名を探したってわけね」

「ああ……なんか可哀想な将軍だな……」


 家臣が自分のために働いてくれると思ったら、いつの間にか立場が逆転し、言うことを聞いてくれなくなったようだ。


「それで、信玄が動くわけ。信長を京都から追い出し、自分こそが将軍を支えてやろうって。織田と武田の同盟は消滅し、信忠と松姫の婚約も保護になるわ」

「信玄は上洛するため、まずは徳川家康を攻撃! 三方ヶ原みかたがはらの戦いで完膚なきまでに家康を叩きのめしちゃうの! 武田騎馬隊のあまりの恐ろしさに、もらしてしまったのは有名よね!」


 下品な話を挟み込んできた初を茶々が叱る。


「信玄は家康を倒し、このまま信長と対決するかと思われたのですが、急に自分の領地へ引き返していきます」

「え、なんで? 勝ってたんだろ?」

「信玄が病死したんです。死因は結核だと言われています。今では治る病気ですが、当時は亡くなる人が多かったそうですよ。竹中半兵衛、片桐且元かたぎりかつもと(※3)、幕末だと沖田総司おきたそうじが有名ですね。でも、信玄は自分の死を隠していました。遺言で、三年は死んでないことにし、その後、諏訪湖すわこに沈めてくれと残したそうです」

「義元が死んだときみたいに、武田も大名が急に亡くなったら急に周りから攻められたりするんだろうな」

「はい。だから死を隠すように言い、上杉謙信と手を結ぶように言いました」


 川中島の戦いで何度も戦い、犬猿の仲であった武田と上杉が同盟を組むとは、ビックリである。


「さすがに遺体は諏訪湖に沈めなかったみたいだけど、ほんとに三年隠したみたいだよー」

「お館様にそんな無礼なことできないし。そのあとは、武田が信長に長篠の戦いで負け、上杉が手取川の戦いで信長を破るの。でも、謙信も急死し、信長を追い詰めるには至らなかったわ」

「ああ、お酒と塩分取り過ぎが原因なんだっけ。因果なもんだなあ」


 信長は信玄と謙信の急死により、戦国最強と謳われた二人と直接対決をせずに済んだのである。

 もちろん運がいいだけではないだろう。戦いたくないときは戦わずに済むよう苦心していたのである。

 洛中洛外図が平和の証とは、そういうことなのだろう。

 だが、今回の調査では、手紙の意図を読み取ることはできなかった。




※1 狩野永徳は、家康と同じ年に生まれた画家。安土城、大坂城などの障壁画を描く。唐獅子図屏風が有名で、本能寺の変時、秀吉が毛利輝元に送ったという説がある。

※2 足利義輝は、剣豪・塚原卜伝つかはらぼくでんに奥義「一之太刀いちのたち」を伝授され、剣聖、剣豪将軍と呼ばれる。三好三人衆に攻められ、名刀・三日月宗近みかづきむねちかを振るって戦うが討死。享年30才。

※3 片桐且元は、賤ヶ岳の七本槍の一人で秀吉の信頼する家臣。のちに家康に味方したため裏切り者と言われることがある。大坂の陣直後に結核で亡くなった。

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