第14話「政略結婚とお姫様」

「戦国時代はやっぱ政略結婚が多かったのか?」


 勉強が一区切りついたので、リビングで日本茶を飲みつつ、初と歴史トークを始める。


「基本的に武家は政略結婚だねー。恋愛結婚は秀吉とねね(※1)くらい、ってよく言われる。娘を家臣や他の大名に嫁がせて、関係を深くするのが当時の常識だから。騙して殺しての時代だから、血のつながりがとても重要だったんだー」

「他人よりかは、家族のほうがまだ信用できるか」

「そいうこと! 政略結婚と聞くと遠い時代に感じるかもだけど、室町時代は結婚スタイルが現代に近くなっていくんだよ」

「へえ、どんなのだ?」

「“嫁入り婚”と結婚式! 平安時代は婿が嫁の家の世話になる“嫁入り婚”が普通だったの。源氏物語をイメージすると分かるかな。光源氏が今日はどこの嫁の家に行こうかなってやってるじゃない?」

「ああ、奥さんがたくさんいて、夜にこっそり抜け出して、奥さんのところに行ってたな」

「うん、それ。“通い婚”っていうスタイルね」


 平安時代は今と違って、妻側がお金などを負担していたらしい。夫は妻の家で生活したり、妻の家に通ったりする形式が多かったようだ。


「室町時代になると逆で、夫の家に妻が嫁いでくるようになるの。今と同じ“嫁入り婚”だねー。そうなったのは武家の考え方が影響してまーす。さあて、なんでしょうかっ!」

「武家? 婿入婚は貴族の習慣だったんだよな……。だから武家は……なんだろう……?」

「ちょっと難しいかなー。正解は、土地とお金の話。平安貴族は地方から徴収したお金や物が地方から京都に届いていたんだけど、武家はそれぞれ地方に根付いた人たちだから、その土地から収入を得て、その土地を守らなければならなかったんだ。だから、武士はそこから離れることができなかったわけ」


 武士の始まりは土地の私有化、その警備である。もともと“公地公民こうちこうみん”といって、土地と人はすべて国のものだったが、墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほう以降、土地の私有化が加速していく。貴族は国から給料をもらっていたが、そのうち貴族も自分の土地を得て収入とするようになる。そして、その私有地を武装して自ら守るようになったのが、武士である。


「だから、奥さんを自分の家に呼び寄せるようになっていったわけね。あと、それによって男女の地位も逆になっていくんだ。現代と同じく、地主であって家主である父が一番偉いってことに」

「なるほどなあ。武家文化が今に通じているんだな」

「うん。結婚に関する儀式も、室町時代に成立するんだ。武士はなんでもしっかりさせようってスタイルだからね。三三九度さんさんくど白無垢しろむくが始まり、江戸時代に今と同じようになるよー。そんで、戦略結婚の話に戻ると、有名なのは濃姫のうひめかなー」

「知ってる。信長の奥さんだな」

「正解! 織田が美濃(現在の岐阜県南部)を治める斎藤道三さいとうどうさんと同盟を組むとき、道三の娘である濃姫が信長に嫁ぐんだ。道三は油売りから武士になり、美濃一国を乗っ取った凄腕で、毒を持つ蛇の“マムシ”と恐れられていたんだ。濃姫が道三に、信長が同盟者としてふさわしくなければ殺せ、って短刀を渡されたエピソードは有名よねー」

「嫁いできた妻に命を狙われるとか、まさに戦国時代ならではだな……」

「徳川家康の奥さん、瀬名せな築山殿つきやまどの)も、家康の主人である今川義元の親戚で、家康を監視する役目があったっていうよ」


 政略結婚は、結婚に家と家を結びつけるのが第一の目的だが、相手の家にスパイを送り込む要素もあったようである。


「家康と信長が手を組んでたのは知ってるよね?」

「ああ、手を組んで、天下統一を目指したんだろ?」

「うん、清洲同盟ってやつね。そのとき、信長は娘の五徳ごとく(徳姫)を、家康の長男・信康のぶやすに嫁がせるんだけど、五徳と姑の瀬名は仲悪かったみたい。跡継ぎの男の子はまだ産まれないの? って圧力を掛けられたみたいで」

「ああああ……現代でも、あるあるの話だな」

「もしかすると、それで五徳はイラっとしたのかもしれない。五徳は、瀬名と信康が反乱を企んでいるって信長に密告しちゃうんだ! もちろん信長は激怒して、気の弱い家康は、信長を諫めるために瀬名と信康を殺しちゃうの」

「なんだそりゃ……。女の争いって怖いな……」


 どこまでが真実かは分からないが、家康が信康と瀬名を殺害したのは事実のようである。信長との同盟を維持するか、家族を取るか、家康は苦渋の選択を迫られたのだ。


「政略結婚ってやっぱ、夫婦の仲悪かったのかな?」

「今言ったのが特殊なだけで、そーでもないみたいよ。一夫多妻制だから、どうしても嫉妬とかで、夫や他の奥さんとケンカすることはあったみたいだけど」

「ああ、奥さんたくさんいると面倒ごと多そうだよな……」

立花誾千代たちばなぎんちよは宗茂と仲が悪かったことで有名で、親から譲られた立花山城を離れると決まったときや、宗茂が側室を持つのがきっかけだったみたい」

「女当主の人か。たぶん武士の跡継ぎとしてプライドがあったんだろうな」

「だろうね! 別居しちゃうんだけど、それは宗茂が側室を持ちやすいようにって解釈されることもあるよ。めっちゃカッコイイ! 強いしプライド貫くし、気遣いもできる! 女の中の女でしょ!」


 初は誾千代のような女性が理想であるらしい。


「あとはガラシャかな。細川忠興ほそかわただおき(※2)の奥さんね」

「ガラシャ? 外国人?」

「ううん、日本人。ガラシャっていうのは、キリスト教の洗礼名ね。本名はたま。はじめはとても仲良かったんだけど、忠興が束縛の強い人だったみたいで関係は悪化。反対されていたにもかかわらず、勝手にキリスト教徒になっちゃったの」

「ああ……よくあるっちゃ、あるやつか……。何か原因あったのか?」

「やっぱ本能寺の変かな。ガラシャは明智光秀の娘だから、裏切り者扱いされてたんだよね。でも忠興はガラシャをかばい続けて、離れることはなかったんだけど……その思いが強すぎたのかな。当てつけのように、急に側室をたくさん持つとか言い始めてね」

「光秀の娘なんだ。そりゃ……うん、大変だったんだろうな……」

「大変といえば、その死に様もすごいんだよ。関ヶ原の戦いのとき、石田三成がガラシャを人質にしようとするんだけど、人質になると忠興の迷惑になるって、自害しちゃうんだ。正確には、キリスト教は自害を許していないから、家臣に命じて襖越しに槍で突かせたみたい」

「壮絶だな……」


 戦国時代、妻や子供を人質に取るのはごく普通のことだった。武家の妻はそのようなとき辱めを受けぬよう、自害する覚悟を持たされていたようだ。


「でも、悪い話ばかりじゃなくて、奥さんと仲良しの武将もいるよ。黒田官兵衛くろだかんべえ直江兼続なおえかねつぐ宇喜多秀家うきたひでいえあたりは、側室を持たずに、一人の奥さん大好きエピソードがいっぱいある。毛利元就もうりもとなりは愛妻を失って、生きる希望をなくして、家臣に側室を持つように薦められたぐらい。子供たちがケンカするたびに、あの世にいる母さんが悲しむだろ、って叱ってたみたいよー」

「ほー、戦国時代でも、そういうこともあるんだな」

「うん。子供がいないと政略結婚できないし、跡継ぎも残せないから、たくさん奥さん持って子供を作ろうとしてたんだけど、恋愛はまた別の話なわけね。直江兼続は子供できなかったんだけど、養子も取らなかったので、断絶しちゃうんだ。戦国の風習なんて知ったことか、愛する妻がいればいい。わー、カッコいい!」


 初の歴史トークは長引き、勉強再開は夕飯後のことであった。




※1 ねねは母に反対され、浅野家の養女となり、秀吉を婿入りさせたという。母はもっとよい家に嫁がせたかったのだろう。

※2 細川忠興は文化人だが、とても短気で、気にくわないと相手をすぐに斬り殺したという。越中えっちゅうふんどしを発明した人物としても有名。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る