野武士でも分かる戦国時代
とき
第1話「始まりの地」
「この部屋、自由に使ってください」
案内された部屋は六畳ほどで、本棚が所狭しと並んでいた。
「本、邪魔ですか? それなら捨てても構いませんので」
部屋にはベッドと机もあったが、本棚が無理矢理押し込まれていて、そこまでたどり着くための道がなかった。ベッドに飛び乗ってからベッドを這いずり、机を目指すしかないだろう。
本棚は重なるように置かれていて、隠れているものは取り出させそうになかった。
「これ、全部お父さんの本?」
「そうです。読んだら二度と読まないのに、どんどんここに積んでいくんです。いい加減置き場所がないので、邪魔なら気にせず捨てちゃってください」
ここは兄の部屋だそうだ。
本棚に入っている本はすべて歴史書であった。兄は大学で戦国時代を研究していて、おそらくこの本は仕事関係のものだろう。
「いや、捨てないけどさ……」
兄のものとはいえ、さすがに勝手に捨てるわけにはいかない。
よく見ると、兄の名前が入っている本もある。自分で書いた本なのだろう。兄が大学教授をしているのは聞いていたが、実際にその仕事を見るのは初めてだった。
「君、歴史好き?」
「私ですか? ……別に好きというわけじゃありません」
案内をしてくれる女性は少し考えてから答えた。
彼女は兄の娘で、女子大学生だ。清楚な雰囲気で大人しく、真面目な性格なようである。
兄が長期出張で家を留守にするので、僕はその姪っ子の面倒を見るために、このマンションにやってきたのである。
しばらくこの本だらけの部屋で生活することになりそうだ。これでも居候には充分過ぎる。
「ふーん」
親がこれだけの歴史好きなら、子供も歴史好きだろうと思ったが、そういうわけではないようだった。
「こっちが私たちの部屋です」
いったん居間に戻り、もう一つのドアを案内される。
「えっ、なに!?」
部屋の中を見て、思わず声を上げていた。
武士がいた。
和服を着て、腰に刀を二本差している。髪を頭のてっぺんで一つに結わいている。そしてなぜか、眼帯をしていた。
「え、知らないのっ!? まーくんだよ!」
武士は女の子らしい高い声で叫ぶ。
元気でポニーテールがなんとも可愛らしい武士である。
「まーくん……?」
「ちょっと、なんでそんな格好してるのよ。叔父さんが来るっていったでしょ!」
武士を叱りつける大学生。
「来るって聞いたから、わざわざ着替えたんだよ。インパクトあるでしょ?」
「……あ、うん。ビックリしたよ。まさか、武士がいるなんてね」
「でしょ。叔父さんが武人って言うなら、やっぱこの名前でお出迎えしなくちゃって思ったんだ!」
僕の名前は「武人」と書いて「たけひと」という。
自己紹介するたびに「格闘技するの?」「前世は武士?」「自衛隊に入るの?」と絡まれるため、正直この名前が好きじゃなかった。もちろん、あだ名はいつも「ブジン」である。
僕は武士に苦笑して応える。
「で、このカッコは
袖をひらひらと回ってみせ、衣装をしっかり見せてくれる。
「あー、聞いたことある。仙台だっけ」
「そう、正解! 仙台城にある伊達政宗像は絶対、テレビで見たことあるよね。いつかあの鎧欲しいなぁ! 三日月の兜、かっこいいよねー! あれがスターウォーズのダースベイダーのモデルだって知ってる?」
「え、あ、そうなんだ」
「ちなみに、このカッコのポイントは眼帯! 眼帯がどっちの目についているかで見分けてね」
「見分ける……? なにと?」
「眼帯キャラって言えば、まーくんかジューベーに決まってるでしょ! 右についているのが伊達政宗、左についているのが
伊達政宗(※1)は有名な戦国武将だ。あまり歴史に詳しくない僕でも知っている。柳生十兵衛(※2)は名前だけは聞いたことあるが、何者か分からなかった。時代劇か何かでそんな人いたかもしれない。
伊達政宗の格好をしている武士は、女子大生の妹である。こっちは姉と違ってかなりの歴史好きのようであった。
「確か、三人姉妹だよね? あと一人は?」
「中にいるよ」
「中?」
マンションは2DKなので、これ以上の部屋はないのだ。
「そう、中」
「ゴー、出てきなさい。聞こえてるんでしょ」
姉はやれやれといった感じで、三人目の姪っ子を呼ぶ。
「その名前で呼ぶなって言ってるでしょ……」
すぐに、不愉快そうな声が押し入れから返ってきた。
「中ってもしや……」
「ほら、出てきなさい」
姉が押し入れの襖をガラッと開ける。
「勝手に開けるなって」
押し入れの中には、小さな机に乗ったノートパソコンを見つめる青白い顔の少女がいた。
「すみません、いつもこうなんです……。ほら、挨拶して」
姉は少女を押し入れから引きずり出す。
子供が親戚の前で恥ずかしがるのは珍しいことじゃない。年の離れた兄が結婚するとき、小学生だった僕は、その奥さんや親戚と挨拶するのがとても照れくさかった記憶がある。
こういうときは年長者がリードすべきだ。
「よ、よろしく。えっと……ゴーちゃん?」
「その名前やめて」
15歳は離れていているだろう少女に、いきなり冷たい声で拒絶されてしまう。
「え、ええっと……。じゃあ、なんて呼べばいいかな?」
「シエ」
「シエ?」
姪っ子の名前事情が分からず困っていると、長女がフォローしてくれる。
「名前の漢字が、カタカナで“シ”と“エ”って書くんです。自分の名前が嫌いみたいで、いつもシエって名乗ってるの」
「ああ、なるほど」
シエと書いて江。
違う名前を名乗りたい気持ちはよく分かる。“ゴー”とは確かにいろんなところで、からかわれるに違いない。年頃の女の子なら、そういうのにはナイーブだろう。
「シエって書いてゴーと読むの? 難しいね」
「入り江の“江”です。
長江は中国にある大きな川だ。文字の通り、中国で最も長い川で、世界一の流域面積を持っている。
「あれ、叔父さん知らないの?」
「何を?」
次女が何の前触れもなく尋ねてくる。
「あたしたちの名前の由来」
「由来? え、知らないけど……」
自分の名前の由来は知っていても、兄が姪っ子たちにどういう意味を込めて名付けたかなんて知るはずがない。
「
「浅井?」
「浅井三姉妹っていうのは、戦国大名である浅井長政の娘のことで、それがあたしたちの名前の由来になってるの」
「へ?」
「長女が
コスプレ武士は女子大生を指さす。
「次女が
今度は自分の顔を指さす。
「それで三女が
最後に押し入れ少女を指さした。
「あたしら三人合わせて……“浅井三姉妹”! ってこと」
次女の初は、茶々と江の肩を強引に組んで、ドヤッっとした笑顔で言い張る。
他の姉妹はとても嫌そうな顔をしている。
「シエちゃんが名前嫌いっていうのは……」
「はい……。歴史上の人物の名前だからです……」
長女の茶々の説明でようやく合点がいった。
歴史の学術調査で一年も留守にするのはおかしな話だと思っていたが、兄はとんでもないくらいに歴史好きだったようである。
※1 伊達政宗は、奥州の戦国大名で、仙台藩の藩祖。眼帯をしていて「
※2 柳生十兵衛は、江戸時代の剣術家。隻眼の剣豪として多くのフィクション作品に登場する。流派は
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