7.彼らから見た試合は、

 行政高校、第1訓練場、12番室。

 

 TDの銃声が響き渡る広い空間の中、蛍色の閃光が飛び舞う。


「はい、ハズレ」


 頭上を走る幾多もの弾の軌道を読んでいるのか、明石は空間を駆けぬけるをいともたやすく躱し続けた。


「っくそ、」


 金城は苦戦していた。

 何度撃っても弾は当たらず、逆に隙を突かれて攻撃されてしまい、既に三回は撃たれていた。

 明確に己の足を狙ってきた弾から逃げるようにまた、近くの大きな函の後ろへと飛び込む。


「――なに、また隠れるの?」


 無様に身を翻すその後ろ姿を明石は嘲笑うと、クルクルと手中のTDをバトンのように回した。

 どうやら、そのまま金城が尻尾を出すのを待つつもりらしい。


 既に15分は続けられた攻防。それを二階のバルコニーから見下ろす観客たち。


 その先頭には、少し疲れたように息を吐く少年と、明るい褐色の髪に、榛色の瞳――入学式で新入生代表として壇上に上がった少年、三枝さえぐさ夏目なつめが居た。


「結構もたせてるね……」

「ああ……」


 どうやら二人は知り合いのようだ。投げやりに会話をしているその様から気兼ねない間柄だということは、なんとなく伺える。


 学年上位成績者としても知られる少年、三枝さえぐさ夏目なつめは文武両道という言葉が似合う男だった。

 整った顔立ちから柔和な雰囲気を漂わせ、己の《力》に驕ることなく、平等に、分け隔てなく、他者と接するその態度は新入生のみならず、上級生からも人気を集めていた。


 物事に対応するその機敏さからも、彼は下級生で最も将来性を期待されている。

 どんなに小さな事件(小競り合い)でも首を突っ込み、例え相手がブラッドであっても真摯に向き合おうとするその姿勢は教師陣からも好感を買っていたのだ。

 

 そんな彼を、誰も彼もが誠実で優しい人間と評しているわけだが、隣の少年――黒崎くろさき速人はやとは違った。

 常に行動を共にしてきた(別に望んでいるわけではない、気が付けばそうなっていた)中学からの馴染みである黒崎は、依然として三枝のことをこう認識していた。


 ――面倒くさい男。


 己のその才能に酔って驕るようなことは恥と知り、決してそのような愚行を行うことはしないが、その分プライドが高かった。

 

 例えば中学時代、なんの間違いか黒崎は三枝を相手に試験で成績を上回ってしまったことがあった。それを切っ掛けに三枝は黒崎に付きまとうようになり、過去二年間奴を追いかけまわしていたのだ。傍からはそうは見えないが、黒崎からしてみれば、三枝はよく言えば“金魚のフン”、悪く言えば“ストーカー”だった(どっちも悪いが)。

 

 黒崎が三枝を相手に勝ったのはあの一度っきりだ。その後は、勝利したこともなければ、接戦になったこともない。

 

 黒崎は平凡な男だ。ピンと伸びた背筋に鋭い目つき以外は特にとりたてるものはなかった。

 だからこそ奴は常々思う。


(なんで、俺まで巻き込む必要がある……)


 黒崎と三枝が居る第1訓練場、12番室――金城と明石の模擬戦が行われている室内(会場)はそこはかとなく人声でさざめいており、下からは時偶にTD独特の発砲音が聞こえてきた。

 普段ならば注目の的である三枝の存在は完全に薄くなっており、全員の意識は試合へと向けられている。


 周囲には野次馬根性で、興味津々と下の戦場を見下ろす生徒たち。にやついているように見える何人かは間違いなく、後にこの試合を大袈裟に吹聴する輩だろう。


(面倒くせぇ……)


 此処は本当に性格、もとい、意地の悪そうな生徒が多い。黒崎は煩わしげな感情を流しだすように、嘆息を漏らした。


「黒崎、お前、今めんどうくさいと思っただろう」

「……」


 横から指摘され、投げやりな視線を少年、三枝へ返してやった。

 対する三枝もどこか呆れたような顔で奴を見つめている。


「此処に居る意味が、俺にはわかんねーんだけど……」

「馬鹿を言え。一年対三年の模擬戦だぞ? 明らかにおかしいだろ? この前のもある……何かが起きないとは限らない。ここは風紀委員として見届けるべきだ」

「……俺は、風紀委員になることを承諾した覚えはないぞ」


 そう、三枝は入学当初から、“風紀委員”として風紀委員会や教職員から指名されていた。


 風紀委員会は、言葉通り、学校の風紀を維持する組織であり、TDなどの特別器具の使用に関する取り締まり、及び校則違反者の摘発と、(ブラッドによって)起きがちな争乱行為の抑制を任されている。


 そんな多くの責任と権限が集められている風紀委員会へと、黒崎速人も何故か勧誘という名の“任免”をされていた。


「お前、まだそんなこと言ってるのか……あの“辻本会長”に指名されたんだぞ? いい加減受けたらどうだ?」

「断る……面倒事はもう御免だ」

「……お前な」


 げんなりとした様子で、草臥れたように背中を丸める黒崎。三枝はそんな奴の肘を小突く。


「まあ、いい……とりあえず、ん?」

「どうした」


 一旦黒崎のことは置いておこう、と再び顔を下の会場へと戻そうとした瞬間、三枝は何かに気が付いたのか、首を傾げた。

 それを不思議に思った黒崎が奴の視線を辿る。すると其処には、


(女の子……?)


 黒崎たちが紛れている群の端――入り口の手前に二人の女生徒が見えた。一人は艶やかな長い黒髪を靡かせながら必死に人混みを潜り抜けようと苦戦しており、もう一人の小柄な少女はそれを不安そうに見守っていた。どちらも可憐な容姿をしており、それぞれ個性は違うが、人目を惹く雰囲気があった。


「伊奈瀬さん! 吾妻さんも!」


 そんな美少女二人になんの躊躇もなく声をかける三枝に、黒崎はぎょっとしたように目をひん剥いた。


「おい、」


 咎めるような声を出す黒崎。だが、そんな奴の様子に気づいていないのか、あえて無視しているのか、三枝は「こっちへ来い」と言うかのように、手を振った。


 すると可笑しなことに、そんな奴の意思に従うかのように、人混みに僅かな隙間が開いて、伊奈瀬たちが通りやすいように道筋のようなもの出来上がった。


(いや、なんでだよ……)


 意識は完全に試合へと向いていたはずなのに、何故か三枝の一声で反応を示す人混み。


(これが、カリスマか……)


 ……いや、少し違う気がする。

 黒崎はそのなんとも言えない《三枝効果》に微妙な表情を晒した。


 伊奈瀬たちは突然わずかに開いた隙間に戸惑いながらも、意を決したのか、ヘコへコと会釈しながら人混みを割って、先頭を陣取る三枝達の元へと駆け寄った。


「ごめん、三枝君、ありがとう」

「あ、ありがとうございます」


 少し荒い呼吸を零しながらお礼を口にする二人に、三枝は爽やかな笑顔を振りまいて、左手を軽く煽いだ。


「いいよ、いいよ。あ、伊奈瀬さん、吾妻さん。こいつ黒崎ね。クラスは違うんだけど、俺の友達」

「あ、初めまして。伊奈瀬優香です」

「黒崎速人です」


 唐突に前へと押し出された男子に瞠目すると、直ぐに一礼して名乗った。それに答えて、黒崎も頭を下げる。

 続いて、吾妻も自己紹介をするのだが、その声はあまりにも小さいもので、黒崎は聞き返すように首を傾げるのだが、人見知りなのか、顔を赤くするとすぐに俯いてしまった。

 困ったように黒崎が三枝に視線を合わせると、三枝は代わりにもう一度彼女の紹介をする。


「吾妻さんも伊奈瀬さんと同じ、俺のクラスメイト。可愛いだろ?」

「い、いえ、あの……」

「……」


 赤面しながら、わたわたと忙しなく腕を動かす吾妻に甘い笑みを向ける三枝。

 天然なのか、わざとなのか、さらりと女性を誑し込むような台詞を流す奴に、黒崎は我知らず半目になった。


 だが、こんなことは既に日常茶飯事となっているのか、諦めの境地に達したような顔で、黒崎は一度息を吐くと今度こそ試合へと意識を戻そうとした。が、ふとある人物を視界に収めてしまい、知らず眉を顰めた。


(あいつ、どっかで……)


 怪しむように目を細める黒崎。三枝達は奴の微かな異変に気付くことなく会話を続けた。


「でも、珍しいね。二人がこんなところに来るなんて……こういうところ、苦手だと思ってたから」

「あ、うん……今回はちょっと」

「おい、」


 二人の間に割り込むように黒崎が三枝を肩を叩く。それに三枝が「なんだ」と奴に視線だけで訴えると黒崎は顎で、先ほど見つけた人物を指し示した。

 それに反応して振り返ると、黒崎の意図に気付いた三枝は驚いたように声を漏らした。


「あれは、“高田匡臣”……?」

「え……?」


 思わぬ名前に伊奈瀬は驚然としたように、奴が居るであろう場所へと目を向けた。


「あの人が……」

「ああ……なるほど、あれが」

「黒崎、お前な……」


 さも、いま気付きましたというかのように、ポンと手を叩く黒崎を三枝は睨んだ。

 ついこの間、あれほど学内を騒がしたのだから、それぐらいは覚えておけよ、と頭を抱えたくなった。


「……まさか、彼も居たとはね」


 「今回の模擬戦と何か関わりがあるのか」と詮索するように、目先に居る高田を注視する三枝。

 

 高田は先の騒動もあって、風紀委員会には顔を覚えられていた。高田は普段から品行方正な態度もあって、問題児として認識されていたわけではないが、ということもあり、何かのきっかけで争乱の元になりかねないと警戒されていた。その理由もあって、いちおう記憶の隅には留められていたのだ。


「あの、」


 伊奈瀬が悩ましげに、三枝へ何かを問いかけようとした時だった。


「おい、」「うわぁ……痛そう」「すっげー……さすが三年」


 ざわりと。周囲の観客がどよめきだし、伊奈瀬は困惑した。

 黒崎は急いで会場を見下ろして、状況を把握する。伊奈瀬も数瞬の間を置いて、金城の姿を探そうとした。


「金城くん……!」


 居た。視線の先、其処にはコンテナの後ろで蹲る金城の背中が見えた。


「どうやら、肩の方を撃たれたらしいな」


 右肩を抑える金城を見て、黒崎は感慨無さげに分析した。


「伊奈瀬さん、彼の知り合い?」


 疑問を零す三枝に、伊奈瀬は頷く。


「うん、中学からの友達で……」

「そっか。なんでこんなことになっているのか知ってる?」

「……私も、さっきこの模擬戦のことを知ったばかりで、」


 フルフルと頭を振る彼女に、三枝は申し訳なさそうに謝ると、黒崎と同じように金城たちへと意識を集中させた。


「……どう思う?」

「……歴然としてるな。三年の方が明らかに優勢だ」

「やっぱり?」


 だろうな、と三枝は苦笑した。三枝の知る限り明石は、負け知らずとまではいかないが、それなりに名の知られている銃撃のスペシャリストだった。二百メートル先の的でも正確に射撃できると評判だ。


 おまけに個人戦・集団戦を含めた対人戦闘の経験は、金城の比ではない。

 どれだけ上手く隠れていたとしても、必ずあっと言う間に見つかって、表へと引きずり出される。襲撃戦を仕掛けたとしても、先読みされて、逆に捕まってしまうだろう。


 その証拠に、上空のモニターを確認すれば、金城は既に三回撃たれていた。

 五つある信号の内の三つは消灯している。それを見て、伊奈瀬は顔を歪めた。


「……こりゃ、長引きそうだね」


 あと二回撃たれれば、この試合の勝敗は決まる。それを避けたいであろう金城は、恐らくコンテナの後ろをコソコソ隠れまわることで時間を稼ぐつもりなのだろう。

 だが、そんなことをしても意味は無い。ちゃんと反撃ができなければ金城の負けは頑固としたものになる。

 そんな予測を立てる三枝。だが、そんな奴と反して、黒崎は何かに気が付いたように、目を細めた。


「いや、」

「……え?」

「何か、仕掛けてくるようだ」


 その鋭い目線の先には、TDの装填動作を行う金城。

 奴の目は、諦めているようには思えなかった。


◆  ◆


 カチャリ。手の内のTDが鳴ると金城は悪態を吐きたくなった。

 はあ、と息を吐きながらコンテナへと背中を寄りかからせる。相手の明石は相変わらず空間の中心で屯しており、悠々と構えていた。


「……っくそ、」


 じくじくと痛む右肩。TDを握る指は微かに震え、射撃をするには難しい状態となっていた。


(……どうするどうする)


 三弾喰らった自分と反して相手はまだ一度もダメージを受けていない。少なからず服が乱れている金城とは逆に、明石は汚れ一つ付けておらず、とても試合をしている格好には見えなかった。


 傍から見ても、自身から見ても、金城は圧倒的に不利な状況に陥っていた。

 現状を改めて把握すると、胸が焦燥感に駆られ、掌に汗が滲みだす。


「ほらほら、どうしたー? かかってこないのかー? このままだと休み時間が終わって負けになるぞー?」


(うるせーよ)


 空間に響き渡る暢気な声。

 どこまでも勘に障るその物言いに、金城は苛立ちを覚え、気付けば舌打ちをしていた。


(なにか、何かないのか……)


 生憎と、このような事態になるとは思っていなかったので、“小道具”は何も持ってきていない。相手を罠にかけようにも、爆弾はおろか、玩具一つ着用していないので、相手を“誘導”するのは無理だ。


(いや、あったとしても、使えねーか……)


 それでは、あの反逆事件と似たような戦い方になってしまう。そんなことをすれば犯罪者としての”尻尾”を掴まれかねない。それだけは、なんとしても避けるべきだ。


 どちらにしろ、金城に残された選択は“直接対決”しかなかった。


(あー、もう。本当にどうすりゃ……あ、)


 己の現状を嘆き、天を仰ぎかけた時だった。不意にある物を思い出した金城は、はたと我に返って、急いで懐へと手を突っ込んだ。


(これなら……)


 取り出した小さなそれを一つ床に置くと、右腕に黒い腕輪を装着した。カチカチとそれを操作して、を始める。


 上手く行くかは分からない。はっきり言えば、一か八かの賭けでしかないのだが、もうやるしかない。

 TDのリロードが終了したのを確認すると、それを左手に持ち帰る。本当は右利きなのだが、右肩を痛めてしまったせいで、上手くTDを扱える気がしなかった。


 気合を入れなおすようにスッ、と息を吸って、ゆっくりと吐き出す。


(……よし、)


 正面を見つめなおして、重い腰を上げた。


「おーい、」「うるせーんだよ」「お?」


 長々と、退屈凌ぎに言葉を繋げていた明石の呼びかけを遮るように、金城は再び口を開いた。予想していなかったまさかの返答に、明石は少し吃驚したのか、片眉を上げる。

 金城は構わず喋りつづけた。


「さっきからゴチャゴチャとうっせーんだよ、あんた」

「……へー、けっこう切羽詰まった状況に居るのに、余裕だね。きみ」


 広げられる雑談のような会話に、バルコニーに立つ三枝が顔を顰めた。


「急に、喋るようになったね……」


 唐突に、今までと打って変わって、明石の挑発に反感を売り続ける金城を不審に思ったのか、無意識に三枝が声を漏らすと、達観した様子の黒崎が答えてやった。


「注意を逸らそうとしてるんだ」

「注意?」


 何かに感づいたのか、奴らの次の行動を予測しているのか、黒崎は金城が居るであろう方向を指さした。


「……どういうことだ?」


 先程、金城が死角になるコンテナへと姿を眩ましてしまったことで、三枝達は試合の状況を把握できなくなっていた。

 だから、いま奴が何をしているのか、何をしようとしているのか、今の三枝には推測できない。 


「あいつ、多分あの三年生に接近しようとしている」

「仕掛けるのか……?」

「ああ。多分、後ろから攻撃を仕掛けるつもりなんだと思う」

「は?」


 突拍子もない言葉に、三枝は疑心の声を漏らした。

 後ろからなどと、一体どうやって襲撃をかけるつもりだ。相手は三年の明石だ。背中を見せるなんて醜態を曝すようなことはしないし、少しでも背後に近づかれれば即座に気付くだろう。


 集団戦なら分からないが、個人戦、しかも種も仕掛けもないこの会場で、その手段は使えない。

 そんな無謀な行為を試みようとは……金城という少年は余程の愚か者らしい。三枝は少年を憐れむような眼差しを向けた。


 そんな胡乱げな面差しを一瞥すると、黒崎はまた下へと焦点を合わせる。


「見ていれば分かる……まあ、確かに、あの三年に通用するかは分からないがな」

「……?」


 ますます不可解な発言をする黒崎に、三枝は不思議そうな顔をした。

 だが、黒崎はそんな視線をまるで無いものとしてあえて無視し、ただ只管に声の発生源へと意識を向けた。

 中央に佇む明石は相変わらず余裕な表情で構えている。


「やっと、決着をつける気になったのかな?」

「さあな。けど、とりあえず、あんたのそのキタネー面に一発は喰らわせるつもりではいるよ」

「……口の減らない子だね。やはり君には教育が必要なようだ」


(教育って、教師かよお前……中二か、気持ちわるっ)


 なんとも寒気の感じる台詞を吐く男だと、金城は嘔吐してしまいそうな衝動に耐えながら、必死に足を動かした。

 

 極力足音を立てず、見つからぬよう、相手が余所見する隙に、素早く他の障害物へと移る。相手が会話に集中してくれているおかげで、なんとか姿を嗅ぎつけらずに移動をする事に成功した。


 だが、いつまでも続けられるくだらない雑談に飽きたのか、明石はTDを構えると、金城の声が聞こえてくるその場所へと銃口を向けた。


 パン。何度か威嚇射撃をしてみる。


 銃声、というより障害物に弾が当たったことで生じた不協和音に、金城は僅かに顔を顰めた。


「金城くん!」


 伊奈瀬は思わず声を上げた。

 コンテナを盾変わりに使っているのだから、TDの弾が貫通さえしなければ金城が怪我をすることはない。

 それでも伊奈瀬は叫ばずには居られなかった。ハラハラと落ち着かない胸を押さえながら、バルコニーの柵へと上半身を乗り出す。


 だが、隣で三枝達に「危ないよ」と呼びかけられて、はっ、と恥じらうように一歩また後ろへと下がった。

 その瞬間、吾妻の双眸が驚いたように見開かれた。


「……え?」


 ――いつの間にか、金城が明石の背後に立っていたのだ。


 その事実に即座に気付いた三枝も驚愕したように身を乗り出す。


「……あいつ、なんで!?」


 先程まで奴は確かに明石が銃口を向けた先――明石の正面に位置するコンテナの後ろに身を潜めていたはずだ。それなのに、何故。


 何人かの生徒も金城の存在に気付いたのか、言葉を失ったように会場を凝視していた。

 金城はそんな観客の驚きなど気に留めることもなく、銃口を明石へと定めた。


(これで、)


 相手に逃げ場などない。今から振り返って反撃しようにも、間に合わないだろう。


 振り返る前に、既に引き金に指をかけている金城の方が早い。一発と言わずに、五発全て連続であの背中に連射してやる。流石にこの距離なら、弾も外れることはない。


 かちり、引き金に触れる人差し指に力が篭もる。

 パン、響いた銃声に会場が静まり返った。


「……っ!」


 右肩に鋭く走った突然の痛みに、金城の反応が一瞬遅れた。弾撃の反動で後ろへと倒れ込むように、尻餅を付く。

 何が起きたのか、理解が追いつかない。


「なん、」


 予期しなかった事態に目を白黒させながら、金城は明石の背中へと意識を向けた。

 するとその脇が僅かに開き、その隙間から銃口が覗いているのを見つけて、金城は瞠目した。


「いつ、から……」


 明石は気付いていた、金城の存在に。

 分かっていながら奴はその背中を曝し続け、金城には見えないようにTDを構えていたのだ。

 そして金城が引き金を引く寸前、一足早く発砲した。


「最初、からかな? 多分」


 笑みを顔に貼り付けながら、金城へと振り返る明石。

 「君にしては、よく頑張ったね」と明石は褒めるが、金城はまさかの言葉に衝撃を受け、思考が一瞬停止した。

 そんな奴の反応を気に入ったのか、明石は嬉しそうに更に口角を上げた。


「――どういうことだ……? 彼はいつの間にアソコに居た? それに、明石先輩も、どうやって気付いて……」


 急変した事態に三枝が当惑した。次から次へと訳の分からぬことが起き、頭がこんがらがりそうだった。


「声だよ」

「……え?」


 落とされた疑問の声に、黒崎は静かに答えてやった。

 だが、未だにその意味を理解できないのか、伊奈瀬と吾妻は眉尻を垂らしながら彼の横顔を見上げる。

 冷静に下の状況を分析するその表情は能面のようで、とても無機質なものに思えた。


「さっき、あの三年生と会話をしていたあいつの声、やけに大きかった。俺の記憶が正しければ試合開始時の奴の声は、もう少し小さかったし、あんなにハッキリしていなかった」

「あの、それってどういう……」

「どちらかというと、機械的に聞こえたんだよ」

「え……」

「確かに肉声、というか、直接“口”から発せられていたようにも思えたけど、多分違う……」


 黒崎はその視線を動かし、先ほどまで金城の声の発信源だと思われる場所へと、再び戻した。


「あれは、多分から発せられた声だ」

「スピーカー……?」


 スピーカーという単語を聞いて、吾妻は携帯端末を連想したが、それがどうやって明石の背後まで、気づかれず辿りつかせたのか分からず、ますます謎が深まったような気がした。

 その謎を解くように、黒崎は解説してやる。


「そうだ、たとえば通信機」

「……なるほど、そういうことか」


 ようやく合点がいったのか、三枝は納得したように頷いた。

 だが、対して吾妻達は未だに思考が追いつかないのか、頭を捻る。


「どういうことですか……?」

「通信機は機種にもよるけど、マイクがイヤホンではなく、通信端末に設置された物も多い。その証拠に、俺のもそうだ」


 ゴソゴソと制服のポケットを探り、黒崎が己の通信機を見せてやると、伊奈瀬もやっと気付いたのか、あっ、と声を漏らした。


「あの金城って奴は、恐らく通信機のイヤホンを一つ、コンテナの後ろに置いて行って、そのまま移動したんだ。そして、移動しながら会話を続けて、イヤホンから発せられる声によって、相手に自分が未だに其処に居ると思い込ませようとした」

「……だけど、先には明石先輩に気付かれてしまった」


 落ち着いた声色で黒崎の解説に加わる三枝。それに黒崎は顎を僅かに引いて、続けた。


「ああ……あいつの行動は少し突拍子があったせいか、直ぐにおかしいと思えた。警戒心の強い奴は直ぐに疑うだろう。

 それに……嘘が吐けないというか、素直なんだろうな。ほんの微かにだが、が声に乗っていた」

「……凄いですね」


 吾妻は感嘆の息を吐いた。

 金城のその計画性にも、明石の洞察力にも目を見張るものはあったが、それ以上に彼女は黒崎のその観察力と分析力に惚けていた。


 だが、黒崎はその熱視線が自分に向けられたものだと気づいていないのか、そのまま吾妻の言葉に同意するようにまた僅かに顎を引いた。


「そうだな、あの金城という男は確かによく考えている……明石って人も同じだ。相手を見くびっているようで、実際にはその神経を会場全体まで張り巡らせていた」


 淡々と、金城たちを褒め称える黒崎。そんな彼女たちのやり取りを見ながら三枝はほくそ笑んだ。


(……さすがだな。相変わらず、いい勘をしてやがる)


 確かにこの試合を行っている二人はそれなりに良い“物”を持っている。だが、三枝からすれば、黒崎という――一見普通に見えてなこの男の方が、よほど“恐ろしい”ものに思えた。


 どこまでも先を見通すその力に、内心冷汗を垂らしながら、下の明石たちへと関心を向けなおす。


「けど、やっぱり《的》を見ずに弾を当てた明石先輩はさすがだね……」


 見れば、床に尻餅を着く金城へと先ほど黒崎がしたように、一連の種明しをする明石が居た。


 やはり、彼も黒崎と似たような理由で金城の狙いに気付いたらしい。三枝たちからは死角となっていて見えなかったが、明石は何度か金城の動向を捉えていたようだ。


 喜々と話す明石の解説を、金城は悔しそうに歯噛みしながら聞いていた。


「……本当に君はよく頑張ったよ。けど、それももう此処までっ」


 どこぞの大臣の演説のように、大袈裟に肩を竦めながら言葉を紡ぐ明石。

 その三日月形に歪んだ唇が閉じ終わらないうちに金城は隙を突いて、TDの引き金を引いた。

 

 蛍色の閃光が明石の腕に衝突した瞬間、ピピっ、と《ターゲットセンサー》が音を上げた。同時に上空のスクリーンに展示された明石の信号が一つ消える。


「……っおまえ、」


 瞬時に駆け出した金城に対する反応が遅れ、明石は憎々しげに顔を歪めた。

 大きな函の裏へと回るその動作は、まるで芸の無い犬のようだ。


 コンテナの裏へとなんとか逃げ延びた金城は、荒い呼吸を抑えながらドサリ、と座り込んだ。


「っ、くそ」


 何度目になるか分からない悪態を吐き捨て、金城は先ほど撃たれた右肩に触れた。


(二回、同じところに撃つって……狙ったのか?)


 正確に命中した個所にジンジンと鈍い痛みが伴い、ダメージがかなり効いているのが分かる。

 見てもいないのに、精密に背後の敵を撃つなんて、一体どういうをしているんだ、あの男は? 実は背中に目が付いているのじゃないのか? と、金城は疑心を抱いた。

 そうしている間にも、明石の減らず口は続く。


「――人が喋ってる間に撃つってさ……本当にブラッドらしい思考だよね」

「……」


(だから、うっせーんだよ、)


 黙れ、と金城は怒鳴り散らしたくなった。

 ブラッドだからと言ってが出来るわけではないし、ブラッドでなくともをする人間はいる。


 それにこれは試合という名の喧嘩だ。模擬戦と言ったって、此処は本来、対犯罪者用の訓練を行うための場所であり、“確実ま勝利を掴む”ための練習場だ。“正々堂々”とか“礼儀”を求められるような場ではない。


「さすが、高田くんのお友達……随分といい性格しているよ」


 皮肉気に口を歪ませる明石。奴のその発言を聞いた瞬間、二階に居た観客たちが騒ぎ出した。

 三枝は露骨に反応を示すようなことはしなかったが、納得したように柵へと肘をつかせた。


「なるほどね……敵討ちってやつか」

「……」


 その言葉に伊奈瀬は悲しそうに目を伏せた。自然と柵を握る手に力が篭もり、口を強く引き結ぶ。

 これで皆、金城への認識を改めたことだろう――金城と“高田”は繋がっている。


 まるで、悪者を前にしたような反応だと、伊奈瀬は複雑な感情を覚えた。


「もう、いい加減諦めたらどうだい? さっきみたいな手はもう通用しない。完全に君の負けだよ」

「……っ」


 金城は言い返すことができなかった。何故ならそれは金城自身、身を持って自覚し始めていたことだから。だけど、受け入れられなかった。

 金城は己の負けを認めたくないのだ。何故なら――。


「君が認めようが認めまいが、現実は変わらない。金城くん、俺は何も間違ったことを言っていないはずだよ」


 冷めたような目で、己のTDを弄る明石。既に20発以上の弾を使った金城と反して、明石は未だ9発しか使っていなかった。装填動作を行わずとも、奴のTDにはまだあと11弾は残っている。


「……って、これは君に言っても仕方がないか」


 「君は彼と“同類”だものね」と溜息を漏らしながら、明石はバルコニーの観客へと振り返った。だが、その瞳は観客を見ているわけではない。呆れを含んだような顔に飾られた口が、周囲の人間の耳元まで届くようにと、大きく開いた。


「……本当になんで君たちが此処に居るのか、俺には分からないよ。

 久京先生は、あー言っていたけど、正直言って理解できない」


 それは恐らく、高田がこの高校に入学できた理由を差しているのだろう。


「例え、犯罪者本人でなくとも、長い年月を共に過ごし、同じ血を持つ弟なら十分に疑わしく、危険だ」


 ピクリ。その発言に応じるかのように、金城の指が震えた。


「同じ環境で育って、同じ教育を受けたんだ。人畜無害な顔をして、腹の中で何を考えているか分かったもんじゃない。これってさ、凄くやばくない?」


 こぼされた疑問。それは金城へ、と言うよりは二階の伊奈瀬たちへと向けられた言葉だった。

 明石と視線が合った伊奈瀬は、恐怖を覚えたのか、思わず後退してしまった。


「だってさ、何を考えてるのか分かんないんだよ? 先生たちを疑っているわけじゃないけどさ、本当に高田くんは、健全な精神を持っているの? 本当は演技とかで誤魔化してるんじゃない?」

「っ……」


 あまりの暴言に、金城は言葉を失った。


「ブラッドだからね。幾らでも嘘なんて吐けるし、人を騙すことだって出来る。彼らは下等な人種だ。そう難しいことじゃないさ」


「……なに、それ」


 伊奈瀬の瞳が揺れた。焦点を失いそうなほどに潤んだ瞳から、「信じられない」と叫ぶ気持ちが見えた。


(なんで、そんなことが言えるの?)


 だが、彼女のそんな想いと反して、周囲の生徒は不穏な空気を醸しだしはじめていた。


「――あー、確かにありえるかも」

「――ブラッドって平気でそういうことやりそうだもんね……」


 囁かれ始める悪質な憶測。黒崎はそれを不快に思いながら、高田の姿を探した。

 見ると、彼は二階の入り口近くで、ひっそりと立ち尽くしていた。集団の一番後ろにいるせいか、誰も奴の存在には気付かない。


 話題の中心であるはずの人物が、まるで影のように背後で佇んでいることに、黒崎は皮肉を感じた。


「……」


 すい、と視線を奴から外して、目下の明石たちを眺める。


「あー、でもあの実力じゃ無理か」


 さも今思い出したかのように、声を一層明るく発する明石。それは高田を明らかに小馬鹿にしているように見えた。


「彼、弱いもんね。犯罪おかそうにも、対したことも出来ないわ。ごめん、早とちりだった」


 それは金城に対して謝っているのか、それとも二階の伊奈瀬たちに、不安を煽らせたことを謝罪しているのかは分からない。


 だが、伊奈瀬はどちらにしろ、腸が煮えくり返るような気持ちでいた。

 明石だけではない。クスクスと面白がる幾人かの生徒たちに、どうしようもない苛立ちが芽生える。


 何故、何も悪いことをしていないのに、彼らはそこまで高田を貶すことができるのだろうか。

 伊奈瀬は彼らのその無神経な考えかたの方が、余程問題に思えた。これはもはや批判ではない、差別的な悪意を含んだいじめだ。


 そんな彼女の憤怒など露知らず、明石は高田に対する勝手な見解を広げ続ける。

 それをじっと睨むように傍観していた三枝は、何を思ったのか、移動し始めた。


「三枝君?」

「これは行き過ぎだ。“ブラッド”という単語を口にし続けるマナー違反、及び差別的発言。風紀委員として見過ごすわけにはいかない」


 三枝はブラッドではない。彼らのような思想を持っているわけでもないし、彼らに入れ込んでいるわけでもない。それでも、中立の立場に立つ彼からすれば、その発言と幾つか見える周囲の悪意は無視できるものではなかった。


 力強く足を踏み込みながら進もうとする三枝。それを止めたのは黒崎だ。


「まて、まだ試合中だ」

「だからと、言って」「あいつ」


 明石に対して多少の怒りを感じている様子の三枝。奴が正義感の強い男だということは黒崎もよく理解していた。

 だが、それでも黒崎は三枝を止めずにはいられなかった。


、何かが……」


 その視線の先にはコンテナの後ろに座り込む金城。

 理由は分からない。だが、ほんの一瞬、黒崎の背筋に悪寒が走ったのだ。

 奴の顔は、俯いていて、表情が見えない。


 周囲がざわめくなか、黒崎は一人、目を細めた。





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