2.始まりは、

 7月26日、午後2時00時。

 草地巴の死刑執行時間まであと、3時間。


 蝉の鳴き声が掻き消されるほどの、騒がしい雑音が飛び交う中――人混みに紛れるように金城は歩いていた。

 金城は渋谷のスクランブル交差点前に居た。相も変わらず場所は人で埋め尽くされており、ただでさえ暑かったのが、人の熱気と立ち籠る湿気により、まるでサウナにいるかのような錯覚を起こす。

 信号を待つ人だかりの視界に映るように、大きなホログラミックスクリーンが空に浮かんでいた。食用油による火災事件のニュース映像が見えた。Doco●OのCMが流れて、しばらくするとまたニュースが始まる。その瞬間、今まで興味なさげに携帯を弄ったり、友人と会話を広げたりと、俯いていた人々が一斉に顔を上げた。

 「草地」のことは既にニュースとなって全国に知れ渡っていた。

 そのせいで、今では草地のことを知らない人間はおらず、国は彼の話題で持ちきりだ。


 ――草地は、完全に《犯罪者》として認識されてしまった。


 政治番組は宝石店の警備システムや、青少年の教育疑念などについての議論ばかりで、草地の顔を見ない日はない。死刑囚に関する情報は、当人を置き去りにしながら、メディアに公開されている。六日前も、草地の死刑執行日、及び、その時刻までもがテレビで発表されていた。そのお陰で、東京は人で賑わっている。今も、渋谷駅周辺のホログラムの前に大勢の人がたかり、法務省が映し出される場面を眺めていた。


(草地本人が現れるわけじゃねーのに……)

 周囲の野次馬根性に、呆れの意味もこめて金城は溜息を吐いた。すると、ふと誰かの会話が耳元まで流れ着く。


「――そういえば今日だっけ? 未成年の処刑って奴」

「あー、そうそう。この前テレビで犯人の写真見たんだけどさ、勿体ないよねー」

「え、何が? もしかしてイケメンだった?」

「そうなの! もう超絶ドストライクでさー……でも、犯罪者なんだよねー」

「ああ、何か“悲劇の美少年”って感じで報道されてたよね。そういえば」

「でもさ、そこが良くない? なんか影がある感じでさー」

「“オレに触ると焼けどするぜ”、みたいな?」

「あははは! 何それ、どゆこと? ウッけるー!」

「知らない。ウチの爺ちゃんがよく言ってたの」


 後ろで女性が二人騒いでいるのが聞こえた。当たり前だが、本当に他人事なんだなと、金城は微かに眉を顰めた。彼女たちは草地に同情とか、そういうものを感じることはないのだろうか。まだ20歳にも満たない子供が今日、処刑されるというのに――。


「胸糞わりィ……」


 周りの人間の会話を聴くことで、段々と吐き気を覚えはじめた金城は、静かに人混みから外れた。


◆  ◆


 ――先日、久々に見た伊奈瀬の顔を思いだして、金城は苦い顔をした。

 しばらく学校を休んでいた彼女の様子が気になって、見舞いに行ったのだ。

 だが、今では「行かなかった方が良かったんじゃないか」と、少しだけ後悔をしている。

  一週間ぶりに見た伊奈瀬はずいぶんと痩せていた。もともと細身だった体形は更に細くなり、所々、骨が浮き出ているように見えた。肌も青白く、血管が微かに透けて見えるほど色を失っていた。

 初めに伊奈瀬を目にした時、金城は幽霊かと思ってしまった。それほど彼女は酷く弱っていたのだ。気丈に笑う姿は健気をとおりこして痛々しく見え、胸を締めつけられるような痛みを覚えた。熱は大分下がったようだが、起き上がるのはやはり辛いようで、快く金城を出迎えてくれたのは良いものの、寝室に敷かれた布団の上へと伊奈瀬はすぐに逆戻りした。


「わざわざ来てくれてありがとうね……別のクラスなのに、ノートだけじゃなくお粥やジュースまで」

「いや、俺、これぐらいしか出来なくてさ……」

「そんなことないよ」

「ごめん……草地のこと、」

「良いよ」

「でも、」

「金城くん、ありがとう」


 この時、なぜお礼を言われたのか、金城には分からなかった。

 伊奈瀬は力なく、けれど柔らかく笑った。


「わたしのためを思って、ああ言ってくれたんでしょう?」

「……それは、」

「金城くんだって辛いはずなのに」

「っ……」


 ズクリ。針か何かで胸を突かれるような痛みがした。


「ごめんね、嘘を吐かせて……私なんかより、金城くんの方がずっと辛いはずなのに」

「っ、……」


 言葉が出なかった。口を開いても出るのは吐息だけで、喉の奥が詰まっているかのようだった。「ああ、伊奈瀬は何時もそうだ」と、金城は内心泣きそうになってしまった。

 そう、彼女はいつだってそうだ。いつも誰かを想って、我慢して、決して誰かを責めたりしない。草地も、彼女のこんな一面を知って、好きになったのだろうか。そんなことを考えながら金城はふと、ずっと気になっていたことを呟くように口にした。


「……爽、太くんは」

「……相当ショックを受けてたけど、今はわたしのこともあって、必死に頑張ってくれてる。昨日もね、家事をぜーんぶやってくれたんだ」

「まじで?」

「うん、ちょっと危なかしかったけど、”オレが家を守るんだ”って」

「そっか」


 その言葉に少しホッとすると同時に、金城は感心した。あの子は今、自分に出来ることをしようとしている。その事実が、金城の胸をほんの少しだけ軽くさせてくれた。

 だけど次の瞬間、伊奈瀬は少し顔を曇らせた。


「でもね……時々、すごく思いつめたような顔をする。何度か、どうしたのって聞いたんだけど教えてくれなくて」

「っ……」

「苦しそうなのに……わたし、何もできなくて」


 息が詰まった。自分のせいだ。金城は己を責めた。

 もとを正せば草地が悪い、だが金城自身にも非はあった。

 あの時、金城は爽太に「大丈夫だ」と言ったのに、結局草地は死刑判決を下されてしまったのだ。いったい爽太は、その言葉でどれだけ舞い上がり、突き落とされただろう。その絶望と苦しみは、計り知れない。

 様子の可笑しい金城に気づいた伊奈瀬は、慌てて「爽太は大丈夫だ」と、取り繕うように言った。その無理のある嘘に、なんとか笑顔を返したが、上手く笑えてたかどうかは金城には分からない。

 時計の針がもうすぐ6時を指そうとしたところで、金城はそのままお暇することにし、伊奈瀬の見送りを断ってアパートを出た。具合が悪いのに自分を見送ろうとする伊奈瀬は、やはり優しかった。すっかり痩せこけてしまっていたが、それでも金城には、彼女がとても魅力的に映って見えた。


 玄関のドアを開き、静かに閉めてアパートの階段を降りる。すると、タイミングが良いのか悪いのか、爽太と鉢合わせてしまった。


 その時の爽太の顔を金城は一生忘れないだろう。目を丸くして、徐々にクシャリと歪んでいった悲痛の面差し。責めるでも、怒るでもなく、ただ苦しそうに、己を見たあの眼。

 どこに、誰に助けを求めれば良いのか分からない、という表情かおだった。

 足掻くように、酸素を求めるように口をパクパクと開くその様は、ひどく痛ましく、そんな彼を見て、金城は無意識に拳を握っていた。


「……草地は死なない」

「え……」


 金城の言葉の意味が分からないのか、爽太が呆けたように口を開く。

 それでも良い、わからなくとも良いから、伝えたいと、金城は言葉を紡いだ。


「悪運つよいからな、あいつ」


 ――それが爽太くんと最後に交わした言葉だった。


◆  ◆


 遠く離れた場所から、109ビルのホログラムを見上げて、金城はふと思う。

 草地は今なにをしているのだろうか。何を思い、今という時間を過ごしているのだろうか。

 3週間も草地と顔を合わせていない金城は、奴のことを遠い人のように感じてしまっていた。最初の面会後、何度も草地に会おうとしたが面会謝絶となっていて、一度も顔を合わせていない。お蔭で伝えたいことが全て伝えられずじまいだ。

 もう奴との打ち合わせ無しで、を実行するしかない。金城はどこまでも晴れやかな蒼い空を仰いで、もう何度めになるか分からない溜息を吐いた。


「……あと、1時間か」


 腕輪型の携帯端末で時刻を確認する。死刑執行時まであと、3時間。自宅の倉庫にあった書物――「法務省にはいろう!100の法則」が間違っていなければ、後一時間で草地は処刑場へと向かうために拘置所から連れ出される。事件が大きなニュースとして報道されて良かった。お陰で沢山の情報を仕入れることができたし、こうして野次馬の中に紛れ込みながらを実行することができる。

 隠れてやるには持ってこいだ、と金城はほくそ笑んだ。

 狙い目は1時間後、草地が法務省近くの拘置所から外へと連れ出される、その瞬間。


「けど、その前に」


 ――少しの、をしてみよう。




 ◆  ◆


 一方、午後2時03分。

 世田谷宝石店――MIKASA。


 警備ロボもアンドロイドも設置されていない、一昔前のような内装をした広い店内で、青い制服姿の女性が二人、雑談をしていた。店員は他に居らず、客も居ない。静かな空間で、一人の女性がカウンターにだらしなく寄りかかった。


「あー、疲れる」

「ちょっと、みゆき。あんまりだらしない格好してると、店長に怒られるわよ」

「いいじゃん、別にぃ。今はもう誰も居ないんだしさあ」

「あの人がピリピリしてんのはアンタのせいなのよ」

「……わかってるわよぅ」


 金髪の女性――みゆきは、同僚の諏訪すわに言い竦められると、猫背になっていた背筋をピンと伸ばした。その瞬間、豊かな胸がふるん、とたわわに揺れたのを諏訪は見逃さなかった。己の控え目な胸板と見比べて、少し唇を尖らせる。


「それにしてもお客さん多いよね。ここ最近」

「どっかの誰かさんがダイヤを盗まれてくれたお陰でね。野次馬精神のお客さまはいらないのに……」


 嘆息を漏らした諏訪にみゆきは舌をちろり、と出しながら謝った。


「だから、ごめんってばー。もう一週間の謹慎くらったんだから、いいじゃんもう」

「アンタねー」


 反省の色を見せないみゆきに諏訪は、我慢の限界と言うかの様に声を上げた。眉間には二重に皺が寄っており、怒気が見てとれた。


「ふざけるのもいい加減にしなさいよ。ここに就職するとき初めに言われたはずよ。宝石をショーケースから取り出す際は、細心の注意を払って、決して目を離すなって。

 それを何? 目を離すどころか、他のお客様とのお喋りにかまけて、裸のままケースに戻さず置いていくってどういうことよ! しかも1200万よ!? 1200万!!

どんな神経してんのよアンタ!?」


 その言葉にみゆきは「痛いところを突かれた」と苦い顔で、言い訳にもならない弁解を始めた。


「だから、悪かったって言ってるじゃない。まさか、あんな小さいのが1000万以上もするなんて思わなかったんだもん……防犯センサーが壊れてたなんて、私も知らなかったし」

「センサーがあろうが無かろうが、っどんな宝石でも気を配るのは常識よ!!」

「だから、今はもうちゃんとしてるじゃない。店長にもう散々怒られたんだから勘弁してよ。それにほら、ダイヤだってああして戻ってきたんだしさ。買い手だってほら、もう決まってるし」


 みゆきは諏訪の勢いに押されながらしどろもどろに言葉を返し、ダイヤが保管されているショーケースに視線を向けた。ダイヤは元の位置に戻され、防犯センサーによって厳重に守られている。ニュースで話題になったのが理由か、「昼過ぎにダイヤを買いに来るからリザーブして置いて欲しい」と、いつも贔屓にさせてもらっている客から電話が来たのはもう6日前のことだ。予告どおりなら、もうすぐ来るだろう。


「やあ、こんにちは」


 両開きの自動ドアが開き、その向こう側から茶色のボルサリーノに黒いスーツを着た妙齢の男性が現れた。

 ――来た。

 みゆきは、はしゃぎながら男の下へと駆け寄る。


矢作やはぎさん! お久しぶりです」

「久しぶりだね、みゆきさん。大変な目にあったようだけど」

「あー、はい。この通り無事です。えっと、例のダイヤを買い取りにきたんですよね?」

「待ちなさい。今回は私がやります」

「え、」

「文句あるの?」

「……いえ」


 みゆきは軽い挨拶をすましてショーケースへと向かうが、諏訪に引き止められスゴスゴと引き下がる。前回の件があるから信用されていないのは仕方がない。諏訪は手袋をつけ、センサーと鍵を解いて蓋を開けると、丁重にダイヤを取り出した。矢作はそれを見て満足そうに頷く。


「ああ、これだよ、これ。本当は直ぐにでも来たかったんだけど、なかなか仕事が片付かなくてね。参ったよ本当に」

「大変でしたね」

「でも、矢作さん。なんでそんなにこのダイヤを欲しがってたんですかー? 予約までしちゃって」

「はは、以前の状態のままだったら買わなかったんだけど。この前の事件があったからね」

「えー、それで何で買うんですか?」

「“悲劇の美少年”が盗んだダイヤって、将来いわく付きになるだろう?」

「あー、なるほど。確かにそれで価値はグンと上がりますね。だからあんなに、コレクターらしき人たちからの買い求めが殺到したのか……」


 みゆきのその言葉に、矢作は目を瞬かせた。


「あ、やっぱり来てたんだ」

「そりゃ、もうたくさん。あ! じゃあ、そのダイヤに価値が付いたのって私のお陰ですね!」

「あはは、そうなるね」


 ――悪趣味な。


 二人の会話に諏訪は密かに顔を歪ませた。将来いわくつきになりそうだから、と言って買い求めに来たこの男も他のコレクターたちもそうだが、みゆきの神経を本当に疑う。その事件で一人の少年の処刑が決まってしまったというのに、何故、笑っていられる。何故、そんな無神経に、まるで日常の会話のように話せる。人の命が関わっ ていると言うのに――。


 諏訪は膨らむ嫌悪感と苛立ちを胸内に押さえながらダイヤを手に、莞爾かんじとして笑った。


「では、お買い求めの品はこちらで宜しいですね?」

「ああ、たのむ――」


 そう言って、矢作が彼女の問いに頷こうとした時だった。――どん、と扉が突き破られたような、大きな音が店内を襲った。


「――え!?」

「――きゃっ!」

「――うわっ!!」


 突然の衝撃音に無防備だった三人は、三者三様に驚き、飛び上がった。


「な、なに!?」

「――あ、あれ!」


 慌てふためく諏訪と矢作。みゆきは何かに気づいたようで、声をあげて何かを指差す。その視線の先には、


「っうそ……」

「あれは……」


 白く光るプレートに、頑丈そうな造りをした丸い胴体ボディ。足は短くも、先には鋭い爪が二本ある。頭部は大きく、左右には《アイカメラ》が付いており、先の鼻穴からはエンジン音が聞こえてきた。背中からはその胴体の重さを感じさせないほどに、軽やかに回る黒いプロペラが伸びている。

 そして、その鋭い目つきの上にしっかりと描かれた、どこぞの渋い“殺し屋”を連想させる濃ゆい、眉毛。

 その姿は正に――、


「……………………………ブタ?」


 白い、豚の形をしたヘリコプター型のラジコンだった。


 宙に浮かぶ豚の隣には、なるほど――ラジコンが通れそうな大きさの、通気口があった。どうやら、先ほどの衝撃音はラジコンが蓋を突き破った音だったらしい。ラジコンの先頭部分に、微かに傷がついているのが見えた。

 そんな、随分と大胆な行動をしたラジコンを、まだ状況を理解しきれていない諏訪たちが凝視した。

 すると――ウイ、ウイーン……と、なんとも間の抜けた機械音が響き、


「――え!?」

「はあっ!?」


 次の瞬間、ヘリコプターの両脇にある扉部分が開き、白い手が飛び出た。15センチ程の大きさがある手には、マジシャンのような手袋がはめられており、欧米の某ネズミキャラクターを連想させた。


「ひっ……!」

「いやぁぁぁああああああ!!?」


 ヘリコプターのあまりの異様な姿に、諏訪とみゆきは悲鳴をあげる。

 矢作は瞠目していた。


「あ、あれは」


 ――《ヘリコブターマン》モデルのラジコン!!


 それは、2080年に開発された、人気アニメのキャラクターたちをモデルにした《長距離無線ラジコン》。森や洞窟、或いは山、将又はたまたは家内の水道や換気口など、どこへでも飛ばせるという――なんともふざけた商品だった。けれど、その機能性、どこにぶつけても壊れない頑丈さから、不遇の人気を誇る超ロングセラーでもある。おまけにちょっとした遊び心で、よりヘリコブターマンに近づけるよう、“動かせる腕”などの機能を得てからは、子供たちには大人気だ。

 ……ちなみに、種類は他にもあと7つはある。


「な、なんで……」


 こんな所に。

 そう続くはずだった矢作の言葉は、唐突に加速したラジコンによって遮られた。


「――きゃっ!?」

「うおぉ!?」

「っヒっ……!!」


 槍の如く突進してきたラジコンから、三人は身を守るように腕を掲げた。その瞬間、


「あっ……!!!」


 諏訪はダイヤをラジコンの手によって、奪われてしまった。


「おい、待て!」


 矢作は焦ってラジコンを捕まえようとしたが、予想外の攻撃でそれはあえなく失敗する。


「――ぶわっ!?」

「――くっさっっ!?」


 中年男が立てるような、ともすれば、年頃の女子が嫌がりそうな音が、矢作達の鼓膜と鼻を、匂いと共に襲った。

 あまりの衝撃に三人が咳き込みながら蹲る。パニックを起こした諸悪の根源は、まん丸く愛くるしいお尻――その中心に掘られたバツ印の穴から、放出されたガスによる――ヘ(屁)リコブターマンのおなら攻撃だった。


 アニメではよく見られたお決まりのシーン。製作者側が1週間、寝る間も惜しんで作った渾身の特別機能。

 それは子供の間で(悪戯の道具として)、ヘリコブターマンが人気になったキッカケであり。大人にとってはなんとも下らない、はた迷惑な、むしろいらない機能だった。


 あまりの臭さと、濃い色をしたガスによって足止めをくらった三人を尻目に、ラジコンはゆっくりと、嘲笑うかのように通気口へと消えてゆく。

 姿が見えなくなって、数分、あるいは数秒。混乱の渦から意識が戻った三人は慌てた。後を追って店の外へと転がり出るが、ラジコンはもう既に通気口から脱出し、姿を消している。

 最初に声をあげたのは、ダイヤを買うはずだった矢作だ。


「――け、警察!! 連絡しろ! 早く!!!」



 ◆  ◆


 同時刻。

 渋谷、KANAGI BOOK SHOP(金城の自宅)。


「……ほんとに、出来ちゃった」


 薄暗い自室の中、どこぞの自宅警備員のように背中を折り曲げて、床の上で胡坐をかいていた金城は、唖然としていた。

 耳に差し込んだ無線イヤホンを右手で抑え、左手に収まるリモコンと、目の前で起動しているの内の一つの画面スクリーンを、ただ呆然と見つめた。


(……やばい、冷や汗が垂れてきた)


 書庫にあった書物――「ビター・ブラッズS」の中にあった展開をそのまま真似て実現させてみたわけだが。まさか、こうも上手くいくとは。

 たらりと、額から流れる汗を手の甲で拭った。驚きで染まった思考を現実へと引き戻す。


「まあ、だったら普通はありえなかったんだよな…」


 そう、2010年――「ビターブラッズS」が執筆された時代では、ありえないことだ。こういう策は誰にでも思いつけたかもしれないが、当時の玩具のラジコンは現代ほど性能も高くなく、金城が実際にやってのけた程のことは出来なかった。ラジコンで出せるスピード、動き、特殊機能、そして遠隔操縦ができる範囲が圧倒的に違ったのだ。

 だが金城は、渋谷から二子多摩川へはもちろん、北海道へまでだってラジコンを飛ばせる。


 玩具のラジコンを利用した犯罪なんて、今の時代では決して誰にも考えられない。

 そんなことに気づいてしまえば、製作側は今頃規制をかけられて、こんなチートなラジコンの販売は禁止にされてしまうだろう。

 こんな物をなんの危惧もなく作って販売できるのは、今の、この時代だからこそだ。精神主義社会が成立した今、人は犯罪に関わる全てのものから遠ざけられ、それに関する思考も発想もほとんど出来なくなっていた。ブレインウオッシュ、あるいはマインドコントロールというやつだ。例外となる人間は在るが、そういうのは、この社会に不満を持っているテロリストたちだけで、一般人には到底思いつかないことだった。


「……じいちゃんに、感謝だな」


 「ビターブラッズS」を含むミステリー系のメディアは規制され、人に悪影響を与えかねないということで日本では殆ど処分されていた。けど、金城の祖父は処罰対象になる可能性があるにも関わらず、書物を全て隠し持っていたのだ。相当厳しい検査があったというが、一体どうやってそれらを切り抜けたのやら――。

 まあ、そういうこともあって今の時代、ミステリー系の本などは殆ど存在しないのだが(サスペンスは何故かあるが)、金城は祖父のお陰で、そういうものに沢山触れ、読む機会を与えられていた。その成果あってか、金城は自然とそういう発想が出来るようになっていたのだ。


「とりあえず、コレは適当な所に隠しといて……大丈夫そうだったら数日後取りに戻ろう」


 なんなら、数ヶ月後でも良い。

 自分が目撃、あるいは怪しまれる行動はしばらく取らない。ラジコンは別に見つかっても、指紋は全て拭き取って、シリアルナンバーの類も全て削りとってあるので、金城の物とはおそらく警察も判別できないだろう。万が一のためにラジコンとその他の部品からも、自身の痕跡を全て消し、何度も確認してある。金城はどこまでも警戒深く、そして用意周到であった。


(宝石も取られたって構わない。必要なのは、“また盗まれた”って言う事実だけだからな)


「だったら、別に放っておいても良いよな……いや、もし大丈夫そうだったら取りにいこうかな……もったいねーし」


 カメラを通して映される画面スクリーンを見ながら綾縦棒を握る。向かう場所は、宝石店からなるべく遠く離れた公園の木。そこは巡回ロボットが居ることから、カラスなどの類も寄り付かない。なのでラジコンが攻撃される心配も無いだろう。

 一通り作業が終わると、金城は立ち上がって腕の携帯端末を確認した。


「そろそろ時間だな――始めよう」


 使い終わったラジコンの画面スクリーンを一つ横へと片付け、残りの画面スクリーンに目を向ける。それぞれの画面スクリーンの前には、コントローラー、或いはリモコンらしきものが5台、並べられていた。タッチパネル式の物があればハンドル式、又はボタンだらけの端末もあった。

 金城はハンドル式のコントローラに手を伸ばす。

 次に頭に思い浮かべるのは、「危険な日用品50選―(笑)―」。祖父が最も厳重にしまっていた書物だ。


 ――草地が処刑されるまで、残り、2時間15分。



 ◆  ◆


 一方、その頃。

 午後2時45分。

 法務省――《赤れんが棟》。


 検察庁のような現代的な高層ビルが多く並ぶ中、唯一、中世の西洋式の設計を誇るは異質な存在感を放っていた。

 豪壮な赤レンガの建造物は、元は国の重要文化財でもあったが、いつからか、法務省の大事な施設の一つとして今も活用されるようになっていた。

 かつては法務省の旧本館として、現在では法務資料を管理する資料館、そして一部の棟を、拘置所――死刑判決が確定した囚人を収容する施設として、館は改装されていた。

 重厚な赤煉瓦の壁を囲む塀には、《一つ目の入口》として、檻のような門が三対さんつい建造されている。大きな正門を中心に、赤い塀の柱に取り付けられた鉄格子の扉が二門。普段は堅く閉ざされているその二門の扉は、今、全ての客人を歓迎するかのように開かれていた。だが、実際に入場を許されているのは、扉の前に止まる、一台の大きな黒塗りのワゴン車だけだった。


 ワゴン車の横には、二人の男女が退屈そうに立っている。それぞれの胸元に飾られた《鴉の紋章エンブレム》からして、その正体は死行隊しっこうたいの隊員だろう。

 実際、車の横に佇む銀髪の男の正体は、先日、検察庁の壁を損壊したことで有名な執行官――玖叉くざみつるだった。

 殴りだこの目立つ手をうなじに添えながら、男は気だるそうに首を回した。

 その様子を横目にしながら、隣に立つ――桃色の髪を二つにまとめた少女――《篠田メイ》は、うんうんと何やら得意げに頭を縦に振っている。腕を組んでふんぞり返る姿は、どことなく「偉そう」というよりは「可愛らしい」という感想を、見る者に抱かせた。

 沼色のライダースーツに、黒いデニムパンツを穿いて、どこまでも暗い格好をした玖叉とは対照的に、白のフリルが付いたブラウスに、ショッキングピンクのスカートを着た篠田はとても目立っていた。150センチほどの背丈しかない姿は中学生くらいにしか見えない。奇抜な桃色の髪が、不思議と似合う顔立ちをしている彼女は、間違いなく美少女と部類される容姿をしていた。


「――玖叉さんさー。分かるけどさー、もちっと気合いれようよ。久しぶりの仕事でショー?」

「うぜぇ……」

「ちょいちょーっと!?」


 玖叉の暴言に、篠田は非難の声を上げた。

 ショックを受けたように目を剥きながら玖叉へ詰め寄ろうとするが、その一寸先に、れんが棟から出てきた男――釘崎くぎざきによって、制止される。


「――ちょっと、何を騒いでいるんですか」

「あ、長官さん!」

「……なんでもねーよ。連れてきたんなら、さっさと行くぞ」

「ほえ? まって、行くって……」


 ワゴン車の助手席へ勝手に乗り込む玖叉の言葉に、篠田は首を傾げるが、彼が投げた視線の先を見てすぐに納得した。


「あー! “悲劇の美少年”!」

「……」


 草地だ。釘崎の後ろに隠れるかのように立っていた彼は、篠田の言葉を聞くとなんとも言えない顔をした。どうやらその名称は好きではないらしい。

 真っ白な長袖のシャツに、ブカブカのズボン。少し、日に焼けた手首にかけられた手錠は重く頑丈そうで、少年はまさに囚人、という格好をしていた。

 その様に篠田は唸り声を上げる。


「んー……美少年、というよりは好青年?」

「そんなことは聞いてません。それより行きますよ」

「はーい」


 呆れたように見る釘崎に返事をしながらも、篠田はじっと草地を見つめていた。その視線に、草地はたじろいだ。

 自身を見つめる琥珀色の瞳は、一見優しく見えるが、どこか無機質な冷たいビー玉のようで、ぞくりと、草地の背中に悪寒が走ったのだ。


(――なんだ、こいつら)


 冷や汗が、頬に垂れる。


「ねえ……君さ、怖くないの?」

「は、……?」


 脈絡もない、唐突な質問だった。

 突然の問いに草地は目を瞬かせ、思わず怪しむように眉を顰めた。


「もうすぐ死ぬんだよ? 怖くないの? 思いのこす事とかは?」


 なんとも、不躾な質問だ。これから死ぬ人間に対して、ぶつける言葉じゃない。


「……べつに。これが現実なんで」

「へー」


 能面を被ったような、静かな表情で返す草地。その答えに篠田は目を細めた。気のせいか、薄っすらと口角が上がっているように見える。


「きみ、おばあさん亡くなったんだって?」

「……!」


 その言葉に、今まで無反応だった少年の肩が揺れた。あどけない顔をした少女の思わぬ追撃に、徐々に顔が俯く。


「お葬式も、出来てないんでしょ?」

「……」

「したいとは思わない?」

「……」

「お友達にだってお別れしてないんじゃないの?」

「……」

「ねえ、今から連れてってあげよっか?」

「!!」


 瞬間、草地は思わず顔を上げてしまった。硬く結ばれた口とは対照的に、切れ長の目が限界まで開き切っている。

 篠田は優しく笑いかけた。


「まだ、2時間はあるし。パパッと一言ぐらい交わすために、友達の所へ向かう時間はあるよ」

「……っ」

「篠田」


 咎めるように釘崎が呼ぶ。玖叉はどうでも良さそうに、車の助手席から二人の様子を眺めていた。


「大丈夫。私たち執行官はちょっと勝手なことしても、そんなに怒られないからさ。ね、正直になりなよ。これで最後なんだしさ」

「オレは……」


 顔を顰めて断ろうとする草地に、篠田はふっ、と目を伏せた。その表情はどこか儚げで、目を引くものがあった。


「――わたしさ、これで二度目なんだ」

「え、」

「まだ、一回しか処刑場に立ち会ったことがないの」

「……」

「だから、よく覚えてる。《彼》が最後に流した涙。とても悲しそうで、苦しそうで、寂しそうだった。だから、思ったの。次は、出来るだけのことをしてあげたいって、」


 ――知っている。

 篠田が口にした《彼》の様子を、草地は容易に想像できた。《彼》の感情が、手に取るようにわかったのだ。

 正確に言うと、その《彼》は寂しかったのではない。覚悟は出来ていたはずだ。考えて、苦しんで、悩んで、そうして未練を全て捨てきる時間は十分与えられたのだから、覚悟は出来ていたはずなのだ。

 過去の出来事が無意識に脳裏を過り、草地は難しい顔をして、俯いた。彼の胸に後悔は無い、だが未だに、胸につかえるものはあった。

 もしも、たった一言だけ、《あいつら》に言葉を送るチャンスが与えられるのなら――。


「オレは――……」

「なーんてね」

「え……?」


 乾いた唇を開き、たった一つの望みを口にしようとその瞬間、突然遮られた言葉に、草地の思考は一瞬停止した。


 ――今のは、嘘だった、のか?


 理解が遅れて、呆然とする草地に篠田はにんまりと、悪戯が成功した子供のように笑った。


「あっはははは、そんなことするわけないじゃーん!

 君、犯罪者なんだよ? 犯罪者にそんな優しい言葉かけるわけないでしょー?」

「っ……」


 草地の顔が赤く染め上がる。

 彼女の言葉を一瞬でも信じた、自分が馬鹿だった。

 長い時間をかけて、綺麗に整頓したはずの心を、ぐちゃぐちゃに搔き回された気がした。

 胸に沸いた悔しさを必死に押し込めようと、顔を歪ませて、ぎりぎりと歯を食いしばる。


「なになにー? そんなこと許されると思っちゃったー? むーりー。

 大体、そのお友達に会いに行ったって、怖がられるか、軽蔑されるかで、ジ・エンドだよ!

 君って馬鹿なの? 切れ者に見えて脳筋なの?」


 侮辱された。自分だけじゃない、友達も、祖母も、自分を取り巻く全てのものたちを馬鹿にされたような気がした。草地は怒りと羞恥で、拳を震わせる。そんな彼に篠田はクスクスと残酷に笑った。

 愉快な笑い声を上げ続ける彼女を咎めようと、釘崎が声を荒げる。


「篠田!」


 その瞬間――火の粉が、舞った。

 

「「「「っ!?」」」」


 轟音と共に、辺り一帯の物を吹き飛ばした風圧が、釘崎たちの髪を揺らす。

 風圧を起こした物体が、道路の向こう側――約50メートル先の距離で、パチパチと燃えていた。

 ――ゴミを拾い集めていた掃除ロボットが、爆発したのだ。


「――なんだ!? 爆発っ!!?」

「――すぐに消防隊を!! 警備ロボたちは、先に消火活動を――!!」


 爆発に気がついた警備員とロボットたちが早急に対処しようと動き、突然の爆発に驚いた通行人の悲鳴が、現場を埋め尽くす。


 だから、突然の騒ぎに注意を奪われた釘崎達は気づけなかった――車に近づくに。



 ♦  


 7月26日。午後3時00分。

 後に人はこの日を、この事件を、こう呼んだ。

 ――《反逆者リベルの誕生日》、と。

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