第26話 この旅が終わったら結婚するんだ。その6
審議所というイメージにそぐわない部屋だとライラは思った。もっともライラは審議所と呼ばれるような場所に行ったことはないが。
扉から入ると正面に部屋一面を覆う薄手のカーテンがかけられている。ライラから向かって右手には誰も座っていない木製の背もたれもない椅子が一脚。
対して左手には同じ椅子が置いてあり、そこには手首に手錠をかけられたジルが座っていた。
殴られたようなアザや傷が顔や腕のあちこちに点在している。自分と同じような目にあったのか。バカがなんで戻ってきやがった。ライラは心の中で悪態をつく。
ライラが入ってきた扉のそばで立ち尽くしている兵士がこちらを睨んでいるのに気がついた。背丈はジルと変わらないくらいか。兵士にしては小柄すぎるという印象しかない。なぜ睨んでいるのか気にはなるが、おそらくあたしが倒したり傷つけた兵士と仲がよかったのだろう。もしかしたら身内かもしれない。
それだけ思うとその兵士には見向きもしない。あとはいかにしてここからジルを連れて逃げ出すか。それだけを考える。
ルイスが空いている椅子にライラを座らせる。椅子から激しく軋む音が聞こえる。
薄手のカーテンの向こうに人影が入ってきた。中央の席に腰掛け、なにやら書類をパラパラとめくる音が聞こえてきた。やがて人影が咳払いを一つすると
「余はリストリア王、ヨリウスト二世である」
と、語りはじめた。国王自ら審議をするのか。これはチャンスだ。とライラは思った。傍聴人もいない。ルイスを含めて兵士が二人。しかも一人は小さい。なんとかして王を人質に取れば脱出は可能ではないか、そう考えはじめた。まだ望みはある。
しかし、どうしてここまで人数が少ないんだ?裁判長は王が行うとしても弁護人はおろか検察官までいない。そこまでして記録も残さない秘密裁判にしなくてはいけないのか。
そうなると、ここで審議を覆して無罪を勝ち取るのは望み薄だ。当初の予定通り王を人質にジルを連れて逃げ出す。ライラはそう堅く決意する。
問題はあのバカがおとなしく一緒に逃げるかどうかだ。あたしを助けるためにノコノコと出頭してきたのだ。おいそれと逃げてくれるとは思えない。やっぱりあたしも一緒に逃げ出さないとならないだろう。できる確率は減るだろうが仕方ない。
王がジルの罪状を読み上げる。
「ジル・マーゴッド。そのほう、魔王討伐の任にあたっておきながら、この国を乗っ取る謀反を計画しておったそうだな。魔王を封印したのはひとえに自身の野心のためだと複数の証言がある。相違ないか?」
なんだ、そのわけのわからない罪状は?ライラの表情が険しくなる。そんな訳があるか。このお人好しがそんな大それた野心をもってるなんて過大評価もいいところだ。そう叫び出したい心境になる。
ジルは
「そのようなことは断じてありません、国王陛下。ぼ……私は魔王討伐の啓示を受けてからこれまで、そのことだけに心血を注いでまいりました。そのこと一点の疑いもございません」
と主張した。ライラは少しホッとした。少なくとも一方的な服従を申し出るつもりはないようだ。この裁判で勝てるわけはないだろうがジルに処刑される意思がなければまだなんとかなる。
「だが、魔王討伐後に城への召喚に応じておきながら途中で逃亡。その上、余の軍隊の兵士を殺害。それだけでなく逮捕におもむいた兵団に対して反抗し乱暴狼藉を働いたのは間違いない事実ではないか」
カーテンの向こうの王は容赦がない。ライラは思わず口を開く。
「待ってくれ!兵士を殺したのはあたしだ。ジルはそれを止めようとしたんだ。それだけじゃない。兵団に対しての反抗だって率先したのはあたしだ。罪があるならあたしが負う。だからジルは解放してやってくれ」
そこまで言った時、ルイスがライラの喉元に剣を突きつける。
「君の発言の機会はまだ与えられていない。それ以上裁判の進行の邪魔をするな」
なにが裁判だ。とライラは言いたいのを我慢する。ここで騒ぎを大きくすれば脱出する機会はよりいっそうなくなってしまう。ここは慎重にならなくては。
その間、ジルはこちらを一顧だにしない。なにを考えてるんだ?
「先を続けよう。ジル・マーゴッド。先程の件についてはなにか言い開きがあるか?」
「なにもありません。たしかに兵団に対して反抗したのは事実です。兵士の殺害にも関与しました」
ジルは素直にみとめた。まずいだろう。こんなところで認めてしまったら即、断頭台行きになりかねない。さっきまでの主張はどうした?ライラは叫び出したいのをこらえた。
「なぜそのようなことをしたのか、説明できるか?」
そんなこと決まってる。兵団があたしたちを殺そうとしたからだ。正当防衛だ。むしろ兵団の方を断罪すべきだろう。ライラの頭のなかでどんどん主張したいことが浮かんできてどうにもならなくなる。
「なにもありません。……兵団が怖かったからです。申し訳ありません」
ジルが神妙に答える。……なんだそりゃ?こんなもの聞いてたら頭がおかしくなっちまいそうだ。
「では、自分の罪を認めるのだな、ジル・マーゴッド」
王の問いかけにジルが答えようとする。ここで答えさせてはだめだ。こうなったらイチかバチか強硬手段でジルをかっさらって脱出してやる。そうライラが決意した時、突然、周囲が暗くなった。
まだ昼間のはずだ。この審議所は殺風景な部屋だが小さな窓から明かりくらいはこぼれている。そこからの光が突然消えた。
部屋の中で点いていたランプが一斉に消え、部屋の中全体が闇に包まれた。
「なんだ?なにごとだ」
カーテンの向こうの国王が誰ともなしに問いかける。
「わかりません。ただいま確認させます。おい、そこの!」
ルイスが扉に立つ兵士に命令する。しかし、兵士は微動だにしない。
「聞こえないのか?何が起こったのか確認してこい」
ルイスの再びの命令にも反応を示さない。業を煮やしたルイスが立ち上がろうとすると、窓から雷鳴が轟いた。
「……光と音が同時だったぞ。すぐそばに落ちたのか?」
ルイスが疑問を呈したと同時にどこからともなく声が聞こえた。
「我が名はルシフス。この世界の真の王。人間どもよ、よくも我輩を暗黒の世界に追い落としたな。だが、人間よ。それも徒労となった」
ルシフス!たしかにジルが“勇者の剣”を駆使して地の底に封印したはずの魔王がもう復活したのか?
誰も声ひとつ立てない。低い声はどこから聞こえるかわからず聞き耳を立てなければはっきりと聞こえない。そんな中、ジルだけがカーテンの向こうの国王の様子を一心に見ている。
「我輩は人間に警告を与える。我輩に勇者の剣の封印はもはや効かぬ。おとなしく我輩の下僕となり、この先を生きるがよい」
それだけ言うとランプが灯り、窓から日がさしてきた。部屋全体が先ほどの明るさを取り戻す。
「……今のはいったい?」
ルイスがライラに問いかける。だが、ライラもわけがわからない。たしかにあの時、ルシフスは封印されたはずなのだ。封印が甘かったとでも言うのか?
ライラはジルを見るが依然としてカーテンの向こうの国王の様子を見ている。いったい何をしてるんだ?
部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。足音は審議所の前で立ち止まり荒々しく扉が開いた。
「サーバイト!いったい今のは何ごとだ?なぜ魔王が……」
色白の頬のコケた痩せぎすの男が怒鳴りながら入ってきた。その男は朱色のガウンをまとい王冠を頭上に頂いている。ライラは一瞬誰かわからなかったが思い出した。一番はじめにリストリア城に来たときに出会ったことがある。彼から魔王討伐を命じられたのはもう一年近く前になるか。
「リュール!その人だ!」
突然、ジルが叫びだした。ライラが振り返るとジルはもうカーテンの向こうは見ていなかった。今は扉から入ってきた男を見ていた。
ジルの叫びに呼応するように扉の側に立っていた小柄な兵士が入ってきた男に飛びかかろうとしていた。
「なにやつ!」
ルイスが兵士に向かって飛びかかろうとした。
ライラはなにがなにやらわかっていなかったが、ジルがなにかをやろうとしていることは理解できた。この兵士が何者かわからないが。彼女は足を伸ばしルイスの足を引っ掛ける。盛大にルイスがすっ転ぶ。その上にライラが覆いかぶさる。
「貴様、何者だ?余が誰かわかっての狼藉か?」
男は小柄な兵士に向かって命令するが兵士は意に介さず男に向かって右手を突き出す。
「陛下!」
ルイスが叫ぶ。陛下と呼ばれた男、本物のリストリア国王ヨリウスト二世は兵士が突き出した右手に反応するように身体をビクンと硬直させた。
数瞬の時が流れた。焦点の定まらない目をした国王が突然、ハッとしたように周囲を見渡した。
「……サーバイト。いったい何をしておるのだ?いったいこの者たちは何者だ?」
国王は先程までの慌てぶりが嘘のように穏やかな口調でルイスに語りかける。
「……陛下、この者たちが何者かおわかりになりませんか?」
ライラの身体を押し上げルイスが立ち上がり国王に問い返す。
「うむ、知らぬ。会うたこともない。いったい誰じゃ?」
国王は一人ひとり食い入るように見つめていたが本当に思い出せないようだった。
「……実は陛下。この者たちは無銭飲食の咎で捕まえたのですが、調べますとどうやら無実であることが判明しました。そこで彼らを釈放したいのですがよろしいでしょうか?」
ルイスはとっさに嘘の報告をした。ジルもライラもそしてリュールと呼ばれた兵士もルイスの方を振り返った。
「それはいかん。すぐに釈放せよ。それにしてもそのようなことは警察の仕事ではないかサーバイト。兵団がかかわることではないわ」
王はそう言うと部屋から出ていった。
静寂が訪れる。
「……あの、団長。私はどうすればいいのでしょうか?」
カーテンの男の声で部屋の空気が変わった。
「あ、ああ、そうだな。とりあえず下がってくれ。……それとわかっていると思うが、このことは他言無用だぞ」
ルイスがそう命じるとカーテンの向こうからピシリッという音と
「はっ!」
という声が聞こえた。どうやらカーテンの男はルイスの部下らしい。カーテンの向こうで敬礼をしたのだろう。
「さて……」
ルイスが改めて部屋を見回す。そして、ポケットから鍵を取り出した。
「国王陛下のご命令で君たちは今から自由の身だ。しかし、できればいったい何が起こったのか説明してほしいな」
そう言いながら鍵を使ってジルの手錠を外した。
「……まさか兵団長が味方になってくれるとは思いませんでした」
ジルは手錠がかかっていた手首をさすりながら、ルイスとライラに向かって説明をはじめた。
「それでこの女の子の本来の役目は君が王になったときに君の記憶を消すはずだったんだな」
兵士の格好の小さな少女に目を向けたルイスが怪訝そうに言う。まさか王の疑心暗鬼が事実になりかねなかったとは思いもよらなかった。
「それで彼女の力を使って国王陛下の記憶をどうにかして消せないかと思って……」
「魔王の幻を見せたというわけか」
ルイスの言葉にジルが頷く。
「でも、いつまで経っても陛下がカーテンこちらに来そうもなかったので正直弱りました。それが実はニセ者だなんて思いもしませんでした」
部屋の扉が開いたときそこから国王が入ってくるとはジルも考えなかった。以前に国王の姿を見ていなかったら、それが本物だとは気がつかなかっただろう。
「元々陛下は君たちに会いたくはなかったからな。裁判をでっち上げて死刑にするつもりだった。それならば本物がやる必要はどこにもない」
「ひでえ」
ライラが呟く。それを無視して
「それでこれからどうするつもりだね。まさかこの国の王になりたいなどと言うのではあるまいな」
と、ジルを問い詰める。
ジルは当然と言わんばかりに言った。
「うちに帰ります」
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