第25話 この旅が終わったら結婚するんだ。その5
川から這い上がったジルは一路、遠吠えの山を目指す。
剣を杖の代わりにして歩く。ダットンの村を越え、さらに何キロも先の山に向かう。振り返る余裕も立ち寄る気力も残っていない。
村に帰ろう。村に帰って仲間と一緒にライラを助けに行くんだ。彼らならきっと助けてくれる。その想いだけで踏ん張って歩きつづけている。
山の麓まであと少しというところで見知った人物の姿が見えた。
「……じいちゃん」
ジルの祖父であり、長老団の一員であるダナ・マーゴッドがただ一人で立っていた。
「じいちゃん、どうしてここに?」
ダナは一枚の紙をジルに見せた。やはりあの手配書だった。まさか村にまでこれが回ってきてるとは思ってもみなかった。
「違うんだ、じいちゃん。これは王政府の罠で……」
ダナが片手をあげてジルの発言を制する。
「わかっておる。国王がおぬしの力を疎んじはじめたのじゃろう。歴史の通りじゃ。……それにしてもよく無事で戻ってきたな」
ジルは安堵した。祖父にまで疑われたらもう後がない。
「わかってるなら話が早い。じいちゃん頼む、その手配書に書かれているライラが政府に捕まってるはずなんだ。彼女を助け出したいから村の力を貸してほしい」
ジルの嘆願に対してダナの反応は冷めていた。
「それはならん。村の者はこれからの世界を守るために必要じゃ。魔王が復活した時に奴を倒す勇者を生み育てておかなくてはならん。余所者を助けるために割く人手はない」
「ライラは余所者なんかじゃない!一緒に魔王を倒すために命がけで旅を続けてきた仲間だよ。それに……」
「それだけではない。おぬしも村に戻ってはならん」ジルの言葉を遮り、ダナはさらに過酷な言葉を吐いた。「おぬしが村に戻れば王政府は徹底的に国中を探し回って、いずれこの村の秘密に気がつくじゃろう。これから先も村が残っていくためにもおぬしは村に帰ってはならんのだ」
目眩がした。
ライラだけではなく自分も村から見捨てられるのか?命がけで魔王を封印した自分たちに対してあまりにも酷な仕打ちではないか。富や地位を寄越せとは言わない。ただ誰か僕らのやったことを認めてくれてもいいじゃないか。今、世界が平和なのは誰のおかげだと思っているんだ。
ジルは杖代わりに持っていた“勇者の剣”を振りかざす。
こんなことならリストリアなど滅ぼしてしまえばよかった。そうすればミシウムもテレナも、そしてライラも助けることができたのに。認められるためには自分が王にならなくてはいけなかったのか。もっと早くそのことに気がついていたら……。
勇者の剣は魔王ルシフスの結界を破壊するだけの力をその刀身に秘めている。その力は一振りすればエレネーゼ山の姿を変えるほどだ。
……一振りすれば、である。
ダナの鼻先、数センチの距離で刀身は止まった。ジルは渾身の力を振り絞り、自分の背丈ほどもある剣を止めてみせた。振りかざし、ダナに向けて打ち下ろそうとしたその切っ先は震え、発動する一振りがかろうじて抑えられている。
「どうした?剣でわしらを滅ぼすつもりではなかったのか?」
ダナが問いかける。ジルはゆっくりと剣を持ち上げ地面に突き刺す。
「できるわけないじゃないか」ジルが答える。「僕が生まれ育った村。僕が守りたいと思ったたくさんの人がいるんだ。……村だけじゃない。この国や他の国の人たちを守るために戦ってきたんだ。だから殺せないし、滅ぼすことなんてできるわけがない」
ジルは踵を返しまた剣を杖代わりにして歩く。
「待て。どこへ行く?」
ダナがひき止める。ジルは振り返らずに
「リストリア城へ。あそこにライラが捕まっているんだ。助けなくちゃ」
と答える。自分が王になれば彼女を助けることは容易い。しかし、それは王政府の兵士と戦うということだ。やはり彼にはそれはできない。ならば……。
「政府に出頭してライラの釈放を要求する。もうそれしか彼女を助ける方法はないんだ」
そうすれば自分は処刑されるだろう。結局、そうなるのならばおとなしくギリアと共に行けば良かった。そうすればライラを危険な目にあわせることもなかったのに。
「ダットンに行け。そこでリュールを探せ」
ダナの言葉にジルが振り返る。リュールはジルの幼なじみの同い年の少女だ。なぜ彼女の名前が出てくるのか?そしてどうしてダットンにいるのか?
「もし、おぬしが歴代の勇者と同じくどこかの国の王になった時のために、この村の記憶を消す役目をリュールに与えておる。おぬしがここまで戻って勇者としての誇りを忘れた時のために、あの娘だけはダットンに避難させておる」
勇者としての誇り。そうだ。勇者は人々を守るために命をかける、それが勇者である最大の動機だと事あるごとに教わってきた。だから、この強大な力を人に向けて振るうことはしたくなかったんだ。危うくその禁忌を犯すところだった。
もし、感情のままに剣を振っていたらマーゴッドの村は山ごと吹き飛んでいた。村の人たちは誰一人生き残りはしないだろう。たとえそうなっても記憶を消す役目を持った者は生き残っていなくてはいけない。そしてなんとしても、勇者の記憶を消す。だからリュールだけはダットンに避難させたのだろう。
「リュールの持つ力で国王の記憶を改竄すれば、おぬしを追うこともあるまい。そうすれば仲間を助けて村に帰ってくることもできるじゃろう」
王の記憶を変えて命令を取り下げることに成功すればライラも助け出せるかもしれない。やってみる価値はあるだろう。だが……。
「どうやって王様のそばに近づくの?」
ダナははじめて困惑する。
「たしかに……。もしおぬしが国王になった時は簡単じゃ。その兜についておる紅玉を通して記憶を操作できるからな。役目を与えられた者はただ念じるだけでいい。だが、そうでない者の記憶を変えるとなったら……」
この兜にはそんな意味があったとは知らなかった。ただ勇者として必要だからだとばかり思っていた。
「だったら王様にこの兜を被ってもらったら」
「そんなものを被れと言われておいそれと被ってくださるお方なのか?」
「無理だよね……」
リュールのような少女に国王の側まで潜入させるなどという危険を冒させるわけにはいかない。そうなると国王の方をリュールの前まで引っ張り出すしかない。
でも、どうやって?
その時、
「あの……それについては私に考えがあるのですが」
突然どこからか声が聞こえた。
「……忘れてた」
ジルがボソリと呟く。
リストリア城の地下深くの独房にライラは捕らえられていた。そこはかつてギリアがいた房と同じなのだがライラはそれを知らない。
手足は壁から伸びた鎖でつながれ身動きがとれない。甲冑を脱がされ、むき身にされた白い肌のあちらこちらに拷問による傷が点在している。
だが、ライラの身体をいくら傷つけても兵団はジル・マーゴッドの居所という情報を得ることができなかった。
「……あいつちゃんとうちに帰れた……か……な」
誰も居ないことを確認してライラはボソリと呟く。ジルは要領が悪い上に人がいいから自分を助けるために出頭するのではないかと心配してる。ライラにとっては自分の境遇よりもジルのことが心配で仕方がないのだ。だから、逃げ出す機会をうかがうことも考えてはいなかった。
何度目かの口にたまった唾きを吐き出すと鎖でぶら下がった状態で眠ろうとし始めた。また拷問がはじまれば眠ることができなくなる。この機会を逃すわけにはいかない。
その時、独房の扉が開いた。どうやら拷問の再開らしい。せっかく眠ろうとしていたのに。仕方ない、付き合ってやるか。
入っきたのはたった一人のようだ。手になにか持っているようだ。影が逆光になっているから一瞬誰か判別できない。だが、声をかけられて誰かすぐにわかった。
「元気……なわけはないな」
ルイス・グリムゾン・サーバイト兵団長。まだ生きていたとは思わなかった。
「元気に見えるなら……目医者に行ったほうが……いいぜ」
ライラは繋がれたまま悪態をつく。
「あんたも……噛み千切られに来たのかい?だったら遠慮はいらない。あんたの……部下みたいに……いくらでもやってやる……」
傷だらけの顔でルイスを睨みつける。
「私の部下が失礼なことをしたようだな。申し訳ない」
ルイスが繋がれた捕虜に向かって頭を下げた。謝られたライラはキョトンとした表情で彼を見た。
「いったいなんの冗談だ。……兵隊に捕まった捕虜がどんな目に合うか知らないわけじゃないだろう。……あんたの部下の残念そうな顔は見ものだったがな」
「あんなことは、やってはならんことだ。君の行動は正しい。奴らは相応の処分を下した。君の前に二度と現れることはない」
「それは……ありがたいね」
ルイスは聞きにくそうにライラに尋ねた。
「あの男の奥方はどうされた?」
「あの男?……奥方って?テレナのことか?」
そう言えばこの男はテレナにご執心だったな。はじめてあった時にはギリアは行方不明だったから彼女が結婚していたことは知らなかったはずだ。執拗に迫っていたのが印象的だった。
「……そうか。ギリアに聞いたん……だな。あいつらが結婚していたことを……。残念だった……な」ライラは傷の痛みで顔を歪めながらもヘラヘラと笑う。「テレナは旦那に……ギリアに殺されちまったよ。……そのギリアは自分の魔法に取り込まれて……また行方不明だ」
話の後半をルイスは聞いていなかった。
「戦士ライラ。釈放だ」
いったい何を言っているのかわからなかった。
「君の解放を求めてジル・マーゴッドが出頭してきた。国王陛下はその要請を受け入れて君を一時釈放することに同意された。このままジルと共に裁判を受けろ。その判決次第ではまた捕らえられることになるかもしれないがな」
信じられない言葉が耳に入った。……ジルが出頭?
ルイスは自らライラの鎖を外しにかかる。手足の枷を外し終えたら傍らに置いておいたピンクの甲冑を彼女に手渡した。
「君の身体に合うサイズの囚人服がない。仕方がないからそれを着ろ。着たらこのまま審議所に出頭だ」
ライラはフラフラの身体にむち打って立ち上がり甲冑を着はじめた。
頭の中はこれからどうするかばかり考えていた。もし、本当にジルがここに来ているのならなんとしても脱出しなくてはならない。
ライラの手首に木製の手錠がかけられた。独房からルイスと共に出て、地下から階段を上っていく。
廊下を歩きながら、
「姉ちゃんから『ゼファンの光』を習っておけばよかった」
と、後悔した。そうすればこの迷路のような城の中を最短距離で脱出できたのに。
ルイスの歩みが止まった。
「ここが審議所だ。もうジル・マーゴッドは部屋に入ってるはずだ。わかっていると思うが、彼と口を聞いてはならない。余計な詮索をされるようなことをすれば、それだけ審議が不利になることを念頭においておきたまえ」
そう言ってルイスは審議所の扉を開けた。
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