第5話 商売繁盛の裏側で



 マルセイユ一家に礼を言い、ヴェルディを旅立ったステルとキティは、三日歩き続けてようやく目的の村へとたどり着いた。幸い、噂の盗賊とは一度も出会わずに済んだ。

 かなり都市部からは離れていて、のどかな田園風景が広がるまごう事なき田舎であったが、却ってそれがキティには新鮮であった。それに

現在は

田植えも終わり、苗がのびのびと育つ一面緑の絨毯は普段街しか見ない箱入り娘にとって、煌びやかな宝石よりもずっと美しく見えた。


「ねえねえステル。あの赤いエビとカニの合いの子みたいなの何?」


「それはザリガニだよ。エビの仲間で、泥を吐かせれば食べられるよ」


 水田の至る所に居るザリガニを初めて見たキティは、まるで幼児のように興味津々といった顔で、水面をのぞき込んでいる。きっと食卓に上る甲殻類は目にしているだろうが、生きたままの姿を見るのはおそらく初めてだろう。その場にしゃがみ込んで、熱心に見ている姿は微笑ましい。

 だが、あまりに熱心に覗き込んで、つい手を伸ばしてザリガニを掴もうとした時、誤って体勢を崩してしまい、頭から水田に突っ込んでしまった。


「後で村で風呂を借りないと駄目だなこりゃ」


 泥水を必死で口から吐き出す仮初の嫁に呆れつつ、アホの子ほど可愛いという先人の意見にはそれなりに同意していた。



 頭から尻まで泥まみれになったキティを連れて村へとやって来ると、最初は村人から胡散臭そうに見られたが、駆け出しの行商人夫婦と伝えると、歓迎した様子で宿屋を紹介してくれた。

 紹介された宿屋は公衆浴場と併設しており、経営者も同じだった。田舎ではよくある形式で、大抵の村人はここで垢を落とす。ちなみに売春の類は無い。

 ついでだったので二人とも風呂に入って綺麗になってから、村長の家へと向かった。すぐにでも商売をすると思っていたキティは疑問に思い、ステルに尋ねる。


「他所の土地で商売をする場合、まず集落の纏め役とか長に挨拶して、許可を貰うんだよ。でないと色々と文句を言う奴がいるし、もし困った事があっても誰も助けてくれない。だから最初に偉い人にお伺いを立てたり、お土産を持っていくんだ」


「そっか、挨拶は大事よね。お城でもお父様に何か頼み事をする時に、みんな必ずお土産とか用意してたわ。貴族も行商も大して違いなんか無いのね」


 村長の屋敷は村の規模相応の大きさと格式だが、だいぶ古く、あまり贅沢な暮らしをしているようには見えない。古くから地主か豪農あたりが村長に納まって、搾取などせずにそれなりに慕われて代々引き継いできたのだろう。

 表に居た子供の使用人に目的を伝えると、すぐに村長に会わせてくれた。応接室に招かれると、奥に初老の老人が座っている。


「よう来なすったな。お若い夫婦で行商とはご苦労な事だ」


「突然の訪問でも会って頂きありがとうございます。これはささやかながらお気持ちです。どうぞお納めください」


 村長に紙袋を差し出す。中身はコーヒー豆―――それも道中二人が飲んだような安物ではなく、ドナウ帝都の貴族向けの高級品だった。ここ最近はメロディアでもドナウ産の品は安く手に入るが、王都から離れた田舎ではまだ高くついたので贈答品として不足はない。

 村長もそれなりに喜んでいるようで、困った事があれば気兼ねなく申し出てくれと、商売の許可を出してくれた。ついでとばかりに村長が何を扱っているか質問してくる。


「基本的には今お渡ししたような帝国製の嗜好品の類です。煙草、コーヒー豆、香辛料、お菓子、化粧品の類も扱っていますよ。品質が良いのでやや値が張りますが、満足はしていただけるかと」


「ふーむ、差し出がましいが、そういう高級品はもっと都市部で扱うものではないかね?自分で言うのもなんだが、この村は田舎でな。金持ちはそう多くないぞ」


「宝石や装飾品の類を持ってきてもらえれば、その場で買い取るか商品と交換も受け付けますよ。元々この国の石の買い付けが本命ですから」


 ステルの言葉に村長は納得した。メロディアは昔から良質な宝石の産出する土地であり、財産として石を貯める習慣がある。田舎程そうした習慣は根強く、この村の大抵の家でもヘソクリとして石を持っている。それを目当てに、この若い夫婦は各地を巡るつもりなのだろう。そして石を西のドナウ帝国か東のペルト王国にでも持っていけば一財産になる。

 取り扱う品に違法性は無いと判断した村長は、若くとも筋を通した商人にその場で商売の許可証を発行してくれた。これを見せれば、村の中での商売にイチャモンを付ける者はいない。仮に居たら自分に真っ先に伝えてくれと保証してくれた。


「ありがとうございます、村長さん。ところで、ここに来る前にヴェルディで、この辺りで盗賊を見かけたと噂になっていましたが、大丈夫ですか?幸い、ここに来るまでには一度も襲われていませんので、ただの杞憂だったらそれで良いんですが」


「――――この村の中で大人しくしている間は安全とだけ言っておこうかの」


 それっきり村長は黙り込んでしまった。隣にいたキティは訳が分からないと言う顔をしたが、ステルの方は何となく察しが付いたというか、関係性があると気付いた。

 しかしこれ以上は何も聞けないと判断したステルは、村人から少しずつ聞き出せばいいと思い、屋敷を後にした。



 村長の屋敷を出た二人は、さっそく広場で敷物を敷いて、主にステルが商品を並べる。道中不要になった宝石や装飾品を買い取ると宣伝していたこともあって、多くの村人が宝石を買い取ってほしいと列を作った。


「キティ、仕事だ。俺が買取品の鑑定をするから、帳簿を付けてお金を出してくれ。みなさん、まず最初に買取を行いますから、商品の販売は後にします!」


 帳簿と金庫を渡されたキティは戸惑いながらも頷く。一応これまでの旅路で貨幣の取り扱いは教わっているし、元からの教育で計算も不足は無い。

 村人達が持ち込んだ宝石や、それを用いた指輪、ネックレス、耳飾り、ブレスレッドなど、多種多様な石を用いた装飾品を次々と鑑定して代金を払う。大抵の品は小粒な宝石だったり、純度の低い金を使っているので価格は安いが、中には大粒の石を使った掘り出し物も何点か持ち込まれた。それらは高値で買い取り、この国の平均的な労働者の半年分の給料と同等の値段が付く品もあった。

 ここで少し補足をすると、メロディア王国の通貨単位はコンスである。これは初代国王の名であるコンスタントに由来している。王都の工場労働者の一日の給金がおよそ100コンスであり、労働者向けの安い飯屋の一食の値段が3~5コンスと言えば、大体の物価はお分かりいただけるだろう。ちなみにステルが買い与えたキティの下着は上下一組2000コンスである。絹製品がどれだけ高いか、そしてステルがキティにどれだけ気を遣っているかも窺い知れる。

 現状の買い取り客を捌いて一息吐きたい所だったが、今度は早く商品を売ってくれとせっつかれて、休む間もなく商品の説明に追われた。


「これは帝国で流行の化粧水です。張りの無くなった肌に毎晩付けておけば、潤いを取り戻して十歳は肌が若返るでしょう。合わせて口紅もどうですか?

 こっちは高品質の煙草です。かなり値が張りますが、その分匂いは安物とは比べ物になりません。三袋以上買って頂ければ、おまけで葉巻煙草も一本付けておきますよ。

 ああ、そっちは今帝都で大人気のチョコレートですね。独特のほろ苦さと甘さが大人にも子供にも人気を呼んでいます。蒸留酒のツマミにも合うと評判です」


 文字通り飛ぶように売れていく商品に、ステルは説明と受け渡しで手いっぱい。キティも慣れない帳簿付けに四苦八苦しながら、代金を受け取って、釣銭を渡していく。



 数時間後には粗方の客を捌いた二人は休憩を取って村人達とお茶を飲んでいる。普段、外部から人があまり来ないので、こうして時々やって来る外の人間をもてなして話を聞きたがり、お礼と称して色々な差し入れをしてくれる。

 ステルが持ち込んだ商品の多くは帝国製だったので、必然的に帝国の話が多くなる。例えば帝都で一番高い建物は200mを優に超える高層建築だとか、遠くの人間と話の出来る電信という施設が国中に張り巡らされて西と東の果て同士でもいつでも話が出来るとか、気球に推進器を取り付けて自由に空を飛べる飛行船なるものが開発されたなど、メロディアとはまったく異なる世界を構築していた。それを無邪気に信じる子供もいれば、話半分で誇張が入っていると疑う大人も居る。ただ、都市部で普及著しい鉄道も、元は帝国からの援助が無ければ存在していない事は田舎の村人でも知っているので、自国よりずっと高度に発達した国であるとの認識は共通だった。

 反対に最近のメロディアでの事を聞くと、最近この辺りに盗賊が根城を築いたと誰もが口を揃えていた。キティは心穏やかではなく、村の被害を心配するが、村長が盗賊をどうにか宥めて、食料などを融通する代わりに村人の安全を保障させたと年配の村人が教えてくれた。


「けど、そういう盗賊って国が退治して治安を護るものでしょ?どうしてこの近辺の領主だか代官は動いてくれないのよ!」


「さてな、偉い人の都合なんてわからんよ。それと同じぐらい儂達下々の事なんで上の人は分かってくれん。どうにかうちの村長が毎度飯をくれてやる代わりに村には手を出すな、っと一歩も引かずに啖呵切ってくれたお蔭で、今のところ誰も酷い目に合ってないが、儂等が丹精込めて作った食い物をタダでくれてやるのが腹立たしいわい」


 完全な国の職務怠慢にキティは憤った。普段高い税を取り立てているのに、治安維持という民の安全を守る義務を果たさないのは明らかに国の不手際。城から勝手に抜け出して、貴種としての責務をほっぽり出した彼女だったが、だからと言って全てを投げ出したわけではない。どうにからならいかとステルに尋ねるが、軍人でも官吏でもない余所者が出る幕ではないと道理を説かれては理解出来ても納得出来ない。しかし不機嫌になるキティを見て、我儘だと思いつつも他人の為に憤れる彼女がステルには眩しかった。個人的には何とかしてやりたいと思うが、危険を冒す理由が無い。無いので、探してみる事にした。


「ところで、この辺りにものすごく古い時代の神殿とか寺院とか、王様の墓とか知らないですか?石造りの建物だったり、山を削って造られた千年以上前の遺跡なんですが、見た事、聞いた事ありません?」


 ステルの言葉に村人は顔を見合わせて、誰か知らないかと互いに尋ねると、何人かが知っていると答えてくれた。彼等の話では村から東に半日ほど歩いた所に、石を積み上げた小山ほどの建築物があるらしい。そしてその中には同様に石造りの祭壇が置かれているが、ただそれだけの物で何か特別な物を祀っているわけではないそうだ。ただ、盗賊も食糧を奪って帰る時は、必ず東に向かうので、もしかしたらそこを住処にしているかもしれないと語っていた。

 村人の話を聞いたステルはしばし考え込む。キティや村人達が声をかけてもまるで反応しなかったが、ややあってから口を開く。


「盗賊が邪魔だな。どうにかしてそいつらを排除してみるか」


 唐突な言葉にざわめきが生まれるが、ステルの言葉を否定するような空気は無い。この村の住人は誰しも盗賊の存在に迷惑を被っているのだ。疎ましいと思いはするが、歓迎するような者は皆無だった。しかし、自分達では武装したならず者をどうにか出来る手立てが無い。だから村長が食料を貢物にして自分達の安全を保障してもらったのにも感謝している。


「小僧が簡単に言うんじゃない。儂等だって好き好んで盗賊共に食い物を差し出しているわけじゃない。出来る事なら儂等の作った米の一粒だってあんな奴等に食わせたくない。だが、銃を持った悪漢相手にどうしろというんじゃ!」


 老人の一人が溜まりかねたように激情をぶちまけ、周囲の村人達も煽られて盗賊達へ憎悪を向ける。

 多くは感情に任せて盗賊を罵っているが、冷静なままの村人の話では、盗賊はおよそ十人前後。それら全てが銃で武装しているらしい。何度か食料を奪いに来た時、見る顔と見ない顔があるので全員来るわけではなく、アジトに何人か留守番をさせているかもしれないと話してくれた。

 確かに村人の言う通り、個々人の力量はともかく、十人の銃兵は一般人には手に負えない。農村なら狩猟用に火縄銃程度ならあるかもしれないが、良くて三丁程度だろう。これでは自力で追い払うなど到底無理である。

 この程度は子供でも分かる事なのに、問題無いとステルは言ってのけた。


「まともにやって勝てないなら、まともじゃない手段を取るだけです。お互いに賊が邪魔なのは一致してますから、俺に任せてもらえませんか?」


 年若い行商は不敵な笑みを絶やさなかった。


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