ビルドフードファイターズ -BFF-

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

第1食 めぐり逢い、皿

前編 セイ、厨房に立つ!

 運命は存在する。

 例えば、あの出逢いのように──


 僕こと氷室セイは、中華料理店で毎日皿洗いをしている、さえない学生に過ぎなかった。

 親父がその界隈ではちょっとした有名人で。

 産まれながらに僕は、料理人としての道を期待されていた。


「見える、見えるぞ、私にも……!」


 そんな親父の不用意な一言が、だいたいの発端だったらしい。

 超能力だかなんだか知らないが、僕の将来が見えてしまった(と自称する)親父の手で、僕は徹底的に料理を仕込まれた。

 家庭料理から、世界中の伝統料理。

 ゲテモノでさえだ。


「なんてプレッシャーだ……!」


 そんな風に音を上げたことも、一度や二度じゃない。

 確かに、親父の英才教育の甲斐もあって、僕は料理を作るのが得意だった。

 とくに、一度食べた料理は、完全に味を再現することができた。


 どんな料理でも。

 どんなイカモノでさえ。


 だけれど、それは再現ができただけだ。けっして、料理を自分のものにできたわけじゃなかった。

 自分独自オリジナル味付けコーディネートができない。

 それはきっと、料理人として致命的な欠陥だった。

 実際、僕が一から考えたものは、一度だってまっとうに評価されたことはない。

 みな一口食べると、もうそれで満足といった面持ちになって、箸をおいてしまうのだから。


 そういうことがあって。

 結局、僕は親父に逆らった。

 料理人になることをあきらめた。

 あきらめて、諦観して、そっぽを向いて。

 でも意気地なしの僕は、未練たらしくも、いまだ料理業界から足を洗えないでいるのだ。


 父の友人であるという乱場ランバ河豚フグさんのお店で、皿洗いとして雇ってもらい、皿洗いなんかしているのだから、ざまぁない。

 これが氷室セイ流の強がりというのなら、そうなのだろうけど。

 まったく、男のヒステリーなんて見苦しいだけ。

 そういうわけで、鬱屈とした日々を僕は、送っていたのである。

 少なくとも、あの時までは。


「親父さん、チャレンジメニュー、ひとつだ」


 暖簾をくぐり、店に入ってくるなり。

 その赤い野球帽を目深にかぶった、真っ赤なスタジャンのお客さんは、楽しそうな笑みを口元に浮かべ、そう言った。

 僕は、この店をありきたりな、どこにでもある中華料理店といった。

 だけれど、それは誤った言い方だ。

 なぜならこの店は、フードファイターたちの胃袋を満たす、チャレンジメニューが常備された店だったからだ。


 戦食者フードファイター

 それは、食事の味も噛み締めぬまま、胃袋にすべてを飲み込み、闘争に生きる人々。

 食の世界へ進出した人間の、その肥大化した自意識が産み出した感応者。

 世界中で生まれる、次の世代の人間たち。

 彼らが通った後には、ぺんぺん草どころか付け合わせのパセリすら残らないという。


 そんな大食いの方々向けに、この店──木馬屋ではチャレンジメニューを提供している。

 食べきれば無料。賞金すらでるというベラボウなシステムを採用している。

 もっとも、食べきれなかった場合は、相応のペナルティーが生じるわけだが──


 そのお客さん。

 小柄な野球帽の少年は、よりにもよってチャレンジメニューを注文したのである。

 厨房の奥で、料理学術雑誌〝日刊コンペイトウ〟を読んでいた店長──乱場河豚さんが、のっそりと顔を上げる。

 彼はそのまま立ち上がると、少年へと歩み寄り、言った。


「小僧、本当にチャレンジメニューを頼むのか?」

「誰にものを言ってんだよオヤジ! あったりまえだ、私は腹が減ってるんだぞ! だったらつべこべ言わず、うまいものを作るのが料理人だろうが」

「ほう……気に入ったぞ、小僧。それだけはっきりものを言うとはな」

「小僧小僧って、うるせーな。いいから飯を持って来いよ。もしも不味い飯なんて食わせてみろ、この店はポンコツだって吹聴してやるからな!」


 鼻を鳴らす少年。

 彼はお客様だった。

 だけれどそのとき、僕は噴出寸前だったんだ。

 心の中でなにかが、爆発しそうだった。


 だって、店長に対して不味い料理なんて!

 そんなの、禁句に決まってるじゃあないか。

 言っていいことじゃないんだ。

 だってのに。

 だというのに、どうしてか、僕の胸は高鳴って──


「それにしても、ますます気に入ったよ」


 ちらりと、河豚さんが僕へ視線を向けながら、言う。


「しかし、フードファイトが始まれば、こうはいかんぞ、頑張れよ小僧」

「また小僧って言ったな! ああ、そっくりそのままお返しするぜオヤジ!」

「うむ、ならば料理人の定めとはどういうものか、よく見ておくのだな!」


 不敵に笑う少年にそんな言葉をかけて、河豚さんは厨房へと引き返してきた。

 そして、


「……なあ、セイ」


 こんなことを、言ってくれたんだ。


「おまえ、作ってみないか」

「え?」

「いい加減、皿洗いも飽きただろう。なに、わしの料理をずっと見続けてきたおまえだ、出来ない道理はない」

「河豚さん……でも、僕は」

「わしは料理人だ。料理人は、料理人の血潮がわかる。いつまでくすぶってるつもりだ、あんなことを言われて、おまえは引き下がれるのか? 風は吹いている!」

「……!」


 そうだ、あの少年の言葉を聞いて、僕は。

 僕は、どうしようもなく発奮していたんだ。

 たぎっていたんだ。

 あいつに、ぎゃふんと──うまいと言わせたかったんだ!

 だから。


「──やらせてください」


 気が付くと、僕は顔上げて、決然と言い放っていた。

 そうして、河豚さんのうなずきに促され、包丁を握る。


 料理の特訓は、一日も欠かしたことはなかった。

 それは、たぶんこの時のために──


「いい目をしているな、セイ。作る料理はわかっているな?」


 僕は頷く。

 チャレンジメニュー。

 その実態は大盛りチャーハンだ。

 三つの山で構成されるアプサラス・チャーハン。

 一皿でありながら2キログラムという尋常ではないチャーハンは、コメだけで10合──1升ほどもある。


 僕はまず、冷やしてあったご飯を冷蔵庫から取り出した。

 チャーハンの極意は、冷や飯を使うところにある。

 熱々のコメを使っているようでは3流だ。

 ネギ、エビ、ひき肉を同じく冷蔵庫から取り出す。


 業務用コンロの上に、中華鍋を置く。

 油を敷き、火をつける。

 すぐに、陽炎が生じるほどの熱気が巻き起こった。


お手本マニュアルがあるんだ! 僕にだってできるさ……!」


 そう、ここまでは河豚さんがやっているとおり、その模倣に過ぎない。

 わかっていながら、僕は正確に、味の再現を試みる。

 刻んだニンニクとオイスターソースを入れ、香りが立つまで炒める。

 香りが立ったら具材を入れるんだ──卵以外。

 ──ここからが勝負だった。

 僕は手早く卵を割ると、灼熱の中華鍋の中に投げ込んだ。


「なにかあるはずだ、武器かくしあじさえあれば……」


 シャンシャンシャン! と、迷いを振り切るように中華鍋とお玉をふるい、一気に卵を攪拌する。

 そうして半熟で、かつスクランブルされたところに、冷や飯を投げ込むのだ。

 絡みつくコメと卵。

 相転移フェイズシフトコーティングされた米粒は、つぶれることなく輝く。


 次々に具材を投げ込みながら、僕は傍らの調味料を手に取った。

 チャーハンでもっとも肝要なことはなにか。

 ひとつは、言うまでもなくコメが卵と油でコーティングされ、パラパラになっているかどうか。

 そうしてもうひとつが、塩コショウを使うかどうかだった。


 家庭用にある調味料の中で、もっともポピュラーなそれは、間違いなく塩コショウだろう。

 でも、味塩コショウを使うのは3流以下の、下の下の下だ。

 それでは、どこまで行っても家庭の味にしかならない。

 ゆえに、僕は塩をつまむ。

 全体に広がるように一息で投げ込んだ塩がなじむ寸前、コショウを投げ入れる。

 そう、挽いたばかりの、新鮮なコショウを!

 同時に、鶏ガラからとった出汁──それを乾燥させた粉末を入れて、よく混ぜる。

 巨大な中華鍋の中で、それは黄金に輝いていた。

 まるで怒りのスーパーモード!


「今度こそは……と言う言葉は使いたくないものだな」


 店長が言った。

 そうだ、ここまでは店長の模倣に過ぎない。マニュアルどおりに過ぎないんだ。

 だから、僕は、僕自身の料理を作る。

 そして、あの少年に……!


「なんと!」


 店長が目をみはり、声を上げた。

 僕が鍋に入れたものを見ての反応だった。

 最後の隠し味。

 それは、1まわしの醤油。

 ほんのわずかな醤油が、チャーハンの豊かな香りを抜群に引き立てていた。


「マニュアルがなくたって! 氷室セイ──いきまぁす!」


 特注の皿に、チャーハンを三つ装う。

 てっぺんには、国旗を立てるのを忘れなかった。

 店長に促されて、僕はあの少年のもとへと料理を運ぶ。


 ドン。


 テーブルに置かれる、皿の音。

 重厚なその音を聞いて、少年はにこやかだった表情を変えた。

 それは、挑戦的な、獲物を前にした大型ネコ科動物のような顔つきだった。


 黄金色の山脈に──いま、少年が挑む。

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