正義と悪の立場が逆転した異世界

真田ノブティエル

第1章 プロローグ

1話 迷い込んだ派遣社員

 オレの名前は江浦留志夫えうらとしお。ただのしがないアニメオタクでゲーマーだ。

 自分でも珍しい名字だと思う。何でも先祖はあの浦島太郎の元ネタ水江浦島子みずのえのうらしまこだという説もあるが、本当かどうかは分からない。

 さて、ではそのオレが一体どんな人間なのかというと、今に至るまでの過去の話を少しだけしよう……。


 高校を卒業したオレは、資格や特に秀でた能力は無く、やりたいことも何もなかった。いや、それ以前に仕事に就くということ自体、単に生きるためにお金を得る手段としか捉えていなかった。

 もちろん、仕事に生きるだとか管理職を目指すなんて気もさらさら無い。ただ、仕事というものは生きていく上で仕方なくやらざるを得ないこと、そう思っていた。

 しかし、そんな自分を受け入れてくれた会社は、契約が取れないと給料0円という、超完全歩合制のブラック企業だけだった。当然、1ヶ月も経たない内に辞職を決意したオレは他の会社に転職……だが、今度はその会社から戦力外通告を受け、たった3ヶ月でクビになった。

 後はお察しの通り、まるで迷路の中を彷徨さまよい歩くかのように……土建業から電気工事、不動産業からパン職人、そして家電量販店の店員まで、それこそ多種多様な企業を手当たり次第に回った。


 しかし、それもこの不況なご時世だ。企業が実用的な即戦力の人材を要求してくるのは分かる。だが、苦学して資格を取ったところで〈業界経験何年以上求む〉などと言われても、採用されることがなければその経験を一体どこで積めばいい?

 オレはこの社会のシステム自体にいきどおりを感じながらも、短期間の間に代わる代わる転職を繰り返した。

 確かに自分自身これまでその手の勉強や、いわゆる自己啓発などもしたことが無い。おまけにスキルも何も持っていないオレだ……結果は、自分を正規雇用として雇ってくれる所など、ただの1つもなかった。

 こうしてオレは、早くも20歳にして〈未経験者歓迎〉を公言していた派遣社員という、先行き不透明な人生をスタートすることになったのだ。


 そんな調子でまともな仕事に就くこともできず、将来性の全く無いオレに愛想が尽きたのか。一応は付き合っている風な関係の彼女が1人いたが、大人の階段へ踏み出すようなことも無く、今から1年ほど前にフラれた。

 仕事も上手くいかず、恋愛も上手くいかない。一体自分の人生は、どこで道を踏み外しここまで狂ってしまったのか、まさにオレはお先真っ暗で情緒も不安定になっていった……そう、それがこの世に蔓延しているという、うつと呼べる状態だったのかも知れない。

 あれは調度そんな頃だった……傘を忘れ仕方なく大雨の中を歩いていた道端で、オレはみかん箱の中に震えている1匹の子猫を見つけた。

 やせ細り、ボロボロに汚れていたその子猫をオレはとても他人事とは思えなかった。いや、むしろ行き場の無い自分自身に重ねていたのかも知れない。オレはその子を家に持ち帰って介抱し、この我が家である1DKの賃貸アパートで、一緒に暮らすことになったメスの子猫が、オレのいやしとなってくれたナナコだ。


 そんなオレのことを、親はどうしているのかというと……一応は社会人としてオレが1人暮らしを始めたことを契機に、両親はその貯金の一部をオレに残し、早くも最近流行の海外移住とやらで東南アジアへ飛び、第2の人生を2人仲良く暮らしていて日本にいない。

 オレのことを何も思っていない訳では無いだろうが、彼ら自身も1人の人間として家庭に縛られることも無くなったことから、人生を謳歌したいのだろう。オレも当面の軍資金さえ残してくれたので、特に止めることもなかった。むしろ、オレがこうしてやさぐれた生活を送っていることを、彼らに知られるのもまた面倒だ。


 さて、それではそんな暮らしをしているオレの趣味の1つ……アニメでは、グロテスクで殺伐とした表現の作品やバッドエンドもの。ゲームでは、主にダークファンタジーが好きで、ゲームマニアとしては相当やりこんでいると自負している。

 それも、絶対に勝つ正義のヒーローや無敵の無双勇者なんぞよりも、敵の獣耳キャラなどのモンスター娘や悪魔っ娘、魔族的な容貌のボスキャラなどには特に心をかれ。どの作品でも、いつもその立場や心情に肩入れしてしまう。後は悪役であるラスボスの生い立ちや、主人公たちと対立するまでの経緯や設定、そのカリスマ性や思想にも同調してしまい、すぐに感情移入してしまう傾向があると自分でも思う。

 もはや〈魔族〉という響きに、何か強い憧れのようなものさえ抱く、自他ともに認める中二病(要はピーターパン症候群)なのがオレである。


 そんな自分の日課はというと……7時に起きて朝風呂に入り、9時から夜20時まで派遣先の企業で働く。

 21時に帰宅するとすぐにパジャマに着替え、いつでも寝れる用意をしてパソコンの電源を入れ、ネットゲームのMMORPG(多人数同時参加型オンラインRPG)にログイン。

 そしてゲームをしながら夕食を食べ、深夜1時頃にログアウトしてから寝る。またはゲームの最中に寝落ちという日々を過ごしていた。




 テッテレェ~♪


『新・男神転生3……オンラインっ!』


 今日は8月15日。日本ではお盆にあたる今夜でも、いつもと変わらずオレはそのネトゲMMORPGに没頭していた……。

 たった今、ちょうど〈レイド戦〉と呼ばれる強大なボス敵との戦いを終えたところである。このレイドボスは……ダンジョンの中だけではなく、山林や草原、例え町中でも突然どこからともなく姿を現し戦いに突入する。そして、一般のザコ敵などと比較にならないほど桁外れに強いボスキャラだ。

 これを数人のゲーム内の仲間フレンドと共に協力し、ようやく打ち倒したのだ。

 そして、オレはその勝利の余韻よいんに浸りながら、仲間フレンドたちとボイスチャットをしていた……。


 あぁ、もう夜中の1時か……。

 ふと部屋の隅に置いてある時計に目をやると、楽しいネトゲの非現実世界から、戻りたくも無いイヤな現実へと急に意識が引き戻される。

 ただでさえ、実際のオレはあまり協調性があるとは言えず、思ったことがつい表情や口に出てしまうタイプだ。

 これから寝た後に朝を迎えると、決して良いとは言い切れない職場環境。そして、周囲の勝ち組たる正社員たちからは、この若さで派遣社員という人をバカにして見下したような、自分へのキツい当たりが待っている……。

 楽しい時間というのはこんなにも早く過ぎていくのに、なぜ仕事の時間というのはあんなにも長く感じるんだろうか。思うのだが、苦しみや悲しみはその人生の7割か大半を占め、楽しみはその残り3割かわずかでしか無い……というのがオレの持論じろんだ。


「じゃあ、オレはそろそろ落ちるよ。みんなお疲れさま」

『おっつう』

『また明日なぁ』

『おやすみい』


 ゲーム内で、仲間フレンドたちに別れのあいさつをする。そして、自分のキャラをネトゲからログオフしてパソコンの電源を切り、気が重たくなってしまった身体をベッドに横たわらせ、ハァッと1つため息をついてから布団を掛けた。

 すると、ニャアと小声で鳴きながらメス猫のナナコが、オレの布団に一緒にもぐり込んで来る。

 その毛並はキジトラで、トレードマークは首にエプロンを付けたような白い模様と、これまた手足の先にも手袋と靴下を付けているような、白い模様が特徴だ。完全な室内でのみ飼っており、本人が嫌がって何度か外したため、いつからか首輪は付けないようにしている。

 オレは、そんなナナコのモフモフの毛並みを撫でていやされながら目をつぶり、もうしばらくだけ今夜のネトゲの戦果を思い出し、再び非現実世界に酔う……。


 今日のレイド戦もおもしろかった。

 しかし思うのだが、なぜNPCノンプレイヤーキャラのボスキャラというのは、どのゲームでも大抵少人数で出現するんだろう……。

 主人公となるPCプレイヤーキャラたちは、もちろんそれに対抗するため味方大勢で押し寄せる。だがこれでは、いくらボスが強いといっても多勢に無勢、それこそ倒してくれと言っているようなものだ……。

 もし立場が逆なら、オレは主人公たちPCプレイヤーキャラ以上の仲間を揃え集め、相手とのレベル差が大きかろうと、装備が整ってなかろうと情け容赦なく打ち倒す。

 まぁ、レイドボスがNPCノンプレイヤーキャラである以上、人工知能や命でも与えられない限り彼らが考えることはできないし……みんなで協力して少数の強者に立ち向かうから勝利できる。

 そんな勝利だからこそ、これがまた楽しい……ということもあるんだ……けど……なぁ……。

 そんなことを考えながら、オレはその日の疲れと共に、ゆっくりと深い眠りの中へと落ちていった……。




 …………。


 夢うつつの暗闇の中、奥の方にひと際ぼんやりと光る小さな光がある……?


『『『『ナラバ』』』』


 ……ん……。


『『『『ワレラノネガイニ、コタエヨ』』』』


 うぅ……ん……。


 それは寝ている夢の中なのか、現実のものなのか分からない。ただ、それはぼんやりと頭の中に響いてくるような……そんな状況だった。


 やがて、光のある方へ向かうとその小さな光は、辺り一面の光となって広がっていく……。

 そして急に電気のようなものが走り、周りに大きな火花が散る――。


 ……いつの間にか辺りの光は霧に変わっていた。

 それは雲の上にいるようでいて、地の底にいるような気もする。だが、今一つよく分からない不安定な空間……まるで、すっかりと塞ぎ込んでしまった自分の精神世界を見ているような、そんな感じだ。


『……だ……』


 周囲を霧に覆われて、上下などの平衡感覚すら分からず、そこがどこだか全く検討もつかない。


『……だ……ま……』


 ん……? 何だろう、ぼんやりとではあるが……誰かの声が、遠くから聞こえる……?


『だ……ま…………ま……』


 やはり、気のせいなどでは無い。

 小さな女の子が問いかけているような……そんな声のする方へ、オレは向かってみた。

 すると、徐々に霧が晴れていきうっすらと視界が見えてくる……。




 ――気がつくとオレは、見たことも無いような場所に立っていた。

 なんと、そこは木造とレンガ造りの……いわゆる中世ヨーロッパ風の建物がひしめく夜の街だった。ぼんやりと橙色だいだいいろに光るガス灯のような明かりが、その薄暗い街に幻想的な雰囲気をただよわせている。

 そして地面には石畳が敷かれ、古風な住居が街の奥に沿って登っていくように立ち並び、奥の方には西洋風の高い宮殿のような建物がそびえ立っていた。


「なんだ、一体どこなんだここは……?」


 とても、2020年の現代日本とは思えない。

 それどころか、見たところ中世ヨーロッパの街並みだが、それもネットや写真とかで見るような現代の建造物と同居する世界遺産などではなく、驚くべきことは今まさにその同じ時代の街が、生きて・・・ここに存在しているということだ。

 しかも、夏だというのにこの薄手のパジャマでは少し肌寒い。ここがヨーロッパだとすると、日本とは季節や時間が逆だから……なのか?

 オレは、寒さに震える身体を両手で包み込み、辺りを散策するため歩いてみることにした……。


 すると、こんな夜更けだというのに行き交う街の人々の往来は、あたかもまだ20時くらいのにぎわいを見せている。

 そして、決定的なことに……気づいてしまった。


 その街の人々は、中世ヨーロッパや日本の戦国時代など、実に多種多様な出で立ちが混在していたが、注目すべきはそこじゃない……。

 色白で鼻筋と耳が長く尖った〈エルフのような人間〉がいる。

 魚のようなエラ耳と鱗肌をした〈人魚のような人間〉や、コウモリのような羽耳と〈龍のような鱗肌の人間〉がいる。

 他にも犬猫のような獣耳と爪……そしてモフモフの〈毛皮で被われた人間〉や、鳥のような〈羽毛と翼腕の人間〉までいる。

 そして、道端や路地には浮浪者のように薄着で、言葉通り肩身が狭そうにしている人間たちがいる。それもみんな〈頭に様々な角〉が付いていた。


 彼らの髪の色や肌の色、瞳の色なども実に様々だ。特殊メイク……着ぐるみ? まるでアニメやゲームキャラのようなその姿。

 コミケとかのコスプレ会場かここは……。


 通りの向こうには、華やかなドレスを着た美しい女性がいた。ここでは、逆に目立つくらい特徴の無いいわゆる普通の人間……。

 だがその横には、頭に2本の角が付いた無気力な男性が鎖に繋がれている。さらに、カギ穴の付いた首輪と手枷てかせで拘束され、四足歩行ではあるがさながら犬猫を扱うように、その女性に引き連れられていた。

 通りの奥の方には、頭が2つある巨馬のような大きな犬に荷車を引かせ、豪華な服を着込み男爵髭を生やせた小太りの男が、こちらの方に向かっている。

 そして、その荷車の積荷にはなんと大きな鉄格子のオリとともに、頭に1本の角が付いた10歳くらいと思われる美少女が入れられ、中で泣き崩れていた。


 あれは演出にしては、やり過ぎだろう……それとも、まだオレは夢の中にいるのか?

 自分の目をこすったり、ほっぺたを両手で叩いてみる。だが、ペチッと軽い音が空しく聞こえるだけだ。

 すると、男爵髭の男が目の前で荷車を止め、おもむろに声をかけてきた……。


「おやおやぁ、これは変わった格好の魔人だ。しかも瞳の色が黒いぞぉ、もしや希少種か……?」


 今こいつオレのこと……何て言ったんだ?

 男爵髭の男が言った、その言葉自体は理解できる。だが、そんな名詞を言う意図が分からない。いや正確には、そもそもそんな名詞はこんな大の大人が初対面の人に対し、使うような言葉では無いはずだ。ゲームやアニメの話をしているのならともかく……。

 だがそれでも、この不思議な街の言葉を理解できるということは、やはりここは夢の中なんだろうか……それとも。


 やがて男爵髭の男がニヤリと薄笑いを浮かべると、その大きな犬から降りてきた。

 そして、自分の方へ歩いて来るなりまるで珍しい物を拾うかのように、オレの肩にぬうっと手を伸ばしてくる。

 反射的にオレはその手を払いのけた――。

 それは一種の本能というか、その男爵髭の男に対してオレが職場で扱われているようなことと、同じようなことを感じたからだ。

 すると、オレが質問しようとする間も無く、男爵髭の男は激昂げきこうして怒鳴り出した。


「なんだぁ、魔人のくせにその態度はっ」


 また訳の分からない名詞を言う。

 それに見ろこの横柄な態度、まるで勝ち組社員そのものじゃないか。

 我ながら、常にどこでもないがしろにされ続け、周囲に敵ができてしまう自分。改めてこれはもう1つの才能じゃないかと思ってしまうほど、自分自身に対して嫌気がする。そして高まる憎悪ぞうお……。


 この様子に気づいたのか、荷車に積まれたオリの中の少女が、不安そうな顔をのぞかせた。

 そう、まだこんな年端もいかない女の子に、トラウマが残りそうなほど過度な演出を考えるようなこの男だ……きっとろくでもない奴に違いない。


「何しやが――?」


 オレは男爵髭の男をにらみつけると、男の背後のずっと後ろの空から……3mほどはありそうな鳥にしてはやたら大きな何かが、こちらに向かって来ていた。そして、オレは思わずそちらの方に気を取られた……。

 すると、その鳥のような何かから黒い爆弾のような影が投下されて来る――ヤバい。

 男爵髭の男も不思議に思ったのか、オレがじっと眺めている目線の先、頭上の空を見上げた……瞬間。


「わあああああああぁぁぁぁぁぁぁ――」


 ッ!?


 なんと天高くから、もの凄い速度で黒色の赤ずきんのような服を着た子供? が落ちて来る。


 ――ズドオォ……ン!


 その勢いのまま、黒ずきんの子供は男爵髭の男の顔面を足蹴にして石畳にめり込ませ、地上に降り立った。

 爆音とともに、辺りを大きな土煙がモクモクと立ち込める。


『――きぃやあああああぁぁぁぁぁっ』


 誰かが叫んだその大きな悲鳴が辺りに響き渡る。急に街の雰囲気がガラリと変わり、辺りは騒然となってざわつき始めた。


『『『『ゴッホ、ゴホンッ……なんだっ? 一体何が起きたんだぁっ?』』』』


 すると、辺りを覆い尽くす大きな土煙の中から、その黒ずきんの子供がスゥッとオレに手を差し伸べてきた。

 男爵髭の男は石畳に後頭部を深く沈み込ませ、気絶しているのか足をヒクつかせている。アニメかマンガみたいだが、まさか死んではいないだろうな……。


「さぁ、わたしと一緒にこちらへ……早くっ」


 この声は……霧の中で聞いたあの声のようだ?

 宇宙人なのか何だか分からないが、少なくともオレはまだ何か手掛かりとなりそうな、その黒ずきんの子供の手を取り返す。

 すると、その子はひと回り以上も大きなオレを、なんとその細い両腕で抱きかかえた。


 お、おおおぉぉぉ……?

 特に太っている訳ではなかったが、まさか自分がこの歳にもなってお姫様抱っこされるとは……幼稚園の時以来だぞ。しかも、こんな小さな子供に?

 オレを抱きかかえると黒ずきんの子供は、超人的な速度で土煙が舞う人だかりを、まるで忍者のように駆け抜けた――。

 街の中を、建物の壁を、さらには住居の屋根を駆け抜け、飛び越えた――オレの身体に、もの凄い風圧がかかる。


「おおおぉぉぉわあああぁぁぁ……」


 こうして、オレはその黒ずきんの子供に抱きかかえられ、街の中心から離れたところへと連れて行かれた……。



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