あなたがお掛けになった電話番号は、現在ほかの誰かに使われております。
プロキシマ
【受話:発信元 ×××× - ××× - ×××】
プルルルル…
「はい、もしもし。こちら株式会社○△□です。」
『ああ、もしもし。私、 光 智明というものですが』
「光様…。どういったご用件でしょうか」
『じつは、そちらで購入したパソコンの調子が悪くなってしまいまして』
「左様でしたか、この度は大変ご迷惑をおかけしております。
具体的に、どのような症状でしょうか」
『実は、昨日から電源がすぐ落ちてしまって…』
「電源が、落ちる…」
『はい。電源を点けてから10分くらいで、急にシャットダウンしてしまうんです。私は特に何もしていません』
「そうでしたか。パソコンのOS自体は普通に立ち上がりますでしょうか?」
『ええと…すみません、“OS”とは何でしょうか』
「申し訳ございません。デスクトップの画面は普通に表示されていますか?」
『ああ、ハイ。アイコンがたくさん並んでるところですね。ええと、普通に、その画面にはなります』
「なるほど」
『そこからそのまま放置していてもダメですし、すぐにネットの画面……ええと、ブラウザっていうんでしたっけ、これ。それを開いて、調べものをしたり“艦をくれ”とかやろうとしてもだめです』
「ええと、申し訳ございません。その“艦をくれ”というのは?」
『ああ、すみません。ブラウザゲームのことです。このゲームはですね、艦隊を擬人化したかわいいキャラクターたちが、ことあるごとに、自分たちの擬人化前、本物の艦隊の体を「くれくれ」って欲するようになる、という哲学的ゲームなんですよ』
「そういうことでしたか。ゲームの方の内容はよく分かりかねますが、とりあえず、何をしてもダメ、と」
『はい、そういうことです』
「分かりました。――ええと、申し訳ございません。先にお聞きするのを忘れておりましたが、お持ちのパソコンの、型番の方を教えていただけますでしょうか」
『分かりました。……ちょっと待ってくださいね』
「はい」
『型番型番……どこかな……』
「本体をひっくり返していただいて、何かシールのようなもので貼り付けてある部分が分かりますでしょうか」
『えーと…………あ!ありました。これですね』
「最初の文字から、教えていただいてもよろしいでしょうか」
『はいはい。ええとですね、型番は、
“MSM HA-AZ(KT 2325 MYST)”ですね』
「MSM……ですね。ええっと…あの…少々お待ちください」
『分かりました』
「――あの、大変申し訳ございません。お調べ致しましたが、弊社で販売しておりますパソコンに、そのような型番は存在しないのですが…」
『あっ、これは失礼。ほかのパソコンと間違ってしまいました』
「そうでしたか。では今回症状が出ている方の型番を教えていただけますでしょうか」
『“PO-152X60”』
「ありがとうございます。少々お待ちください」
『はい、よろしくお願いします』
「お待たせいたしました。それでは、こちらで型番の方を確認できましたので、これからお伝えする手順に従って、作業をしていただいても構いませんでしょうか」
『分かりました』
「では、まずプログラムをすべて閉じていただき、シャットダウンをしてください」
『はい、わかりました。ええと、これを、こうして……と。
あっこら、勝手にいじったらだめですよ』
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
『すみません……娘がすぐ隣にいるものでして』
「そうでしたか」
『はい……何にも興味を示す年頃でして…。少し迷惑をおかけします』
「いえいえ。個人的なことで大変恐縮なのですが、私にも娘がおりますので、お気持ちは分かります」
『そうですか。いやあ、わかってもらえると嬉しいです。ちなみに、そちらの娘さんはおいくつで?』
「私のでしょうか?今年で5歳になります」
『え、偶然ですね!私の娘も今年5歳になったばっかりなんですよ』
「ええ、そうでしたか。これはまた、偶然です」
『このくらいになると、本当に手が掛かりますよね』
「そうですね、それでもかわいいですけれどね」
『本当です。文字通り、目に入れても痛くないくらいです』
「分かります。うちの娘も、よくパパ、パパってお菓子をおねだりしてきますから」
『ははは、どこも同じなんですねえ。うちの子も、それ以外に手のかかることばかりで…』
「もし良ければで構わないのですが、ほかにどんな部分に手が掛かりますか?」
『そうですねぇ……あ、ちなみにそちらの娘さんは?』
「私の方は、いつも夜中になるとトイレに行きたがったり、お菓子を食べたいがためだけになぜかむくっと起きてきたりするので、夜も眠れませんね」
『あ、うちの子もそうなんですよ。なんでもないようなところで泣き出したり、…まあ、お菓子を買ってもらえなくて、泣くのはどこの子も一緒でしょうか』
「そうですね、そうかもしれません。私の娘は、不安になると、袖をつかんできたりしますね」
『ああ、そういうことあります。今この子も、取っ手をつかんでいます』
「ええと、“取っ手”、ですか?」
『はい』
「袖、ではなく」
『はい』
「そ、そうでしたか」
『はい』
「それで、作業の方を続けていただいても構いませんでしょうか」
『ああ、すみません、こちらのせいで脱線してしまいましたね。ああこら、やめなさい。……次はどうすれば良いのでしょうか』
「それでは、画面が真っ暗になって、電源が落ちたことを確認できましたら、そのまま本体をひっくり返してください」
『ああ、さっきやったみたいに、ですね。
…はい、ひっくり返しました』
「では、そこにバッテリーを収納するための蓋があるのですが、お分かりになられますでしょうか」
『バッテリーバッテリー、ああ、これですね』
「お分かりになられましたか?」
『はいはい、これをどうすれば?』
「その蓋を開けていただき……ああ、尖っている部分で怪我をしないようにお気を付けくださいね。バッテリー本体を取り出していただけますでしょうか」
『分かりました……ええと、こう、かな。…………よし、と』
「バッテリーは外れましたでしょうか」
『はいはい、外れましたよ。……ああダメだって、ほら。娘に持っていかれないように、置いておかないと』
「まだお隣に娘さんが?」
『ええ、いますよ。興味しんしんに私のパソコンを見つめていますよ。やっぱりこの子も将来は、自分用のパソコンが欲しい、なんて言うんでしょうかね。いや、今の時代はスマートフォンですか』
「そうかもしれませんね。あ、実はさきほど型番をお聞きした時に気づいたことなのですが…私自身も、光様と同じ型番のパソコンを持っているのです」
『ええ、そうだったんですか。それならなおさら、詳しいですよね。ぜひ私のものと、交換していただきたいです』
「私の使い古したものでなくとも、症状がひどく、保障期間内であれば、こちらで新品にお取替え致しますよ。」
『本当ですか』
「はい、そのためにはまず修理依頼をしていただく必要がありますが…」
『それが必要かどうかを、この作業で調べてるんですね』
「あくまで簡易的なチェックとなりますが、その通りでございます」
『ちなみに………あ、こらかおる、それは触っちゃだめですよ。何度もすみませんね。では、次の作業を教えてください』
「あ、あの、失礼ですが光様」
『はい?』
「その前に、申し訳ございません。娘さんのお名前“かおる”さん、とおっしゃるのですか」
『あ、はい。そうです。私が名付けたんですよ』
「そうでしたか……。
いえ…実は、私の娘も、“かおる”という名前でして…」
『おお、それはすごいですね。こんな偶然があるものなんですね』
「いや、本当にそうですね。驚きました」
『これが、いわゆる“運命”ってやつなんですかね』
「本当ですね」
『いやあ……パソコンの不具合で電話をかけて、偶然出た社員の方と、たまたま娘の年齢も、しぐさも、それに名前も、おまけに持ってるパソコンもおんなじだなんて。今日はすごい日です』
「ええ、本当に」
『あ、そうそう。それで思い出したんですが、もし今回パソコンが修理となってしまったら、中のデータはどうなるのでしょう』
「データ…と申しますと、ハードディスクに保存されているデータのことですね。特定の部品交換が必要な修理となりますと、データを保持したままでの修理は可能です」
『そうですか。それは良かった』
「はい。ただし、本体そのものの交換となってしまいますと、申し訳ございませんが、中のデータは保持することができかねます」
『まあ、そうですよね。そうなったら、仕方ないです』
「それに、部分的な修理となった場合でも、百パーセント…必ずしも、データの保全がお約束できるわけではありません」
『え、そうなんですか』
「はい、ですのでその点だけ事前にご承諾していただく形になります」
『分かりました。うーん、それもしょうがないですね。パソコンには娘の写真がたくさん保存されているので、できれば消したくないのですが』
「もし不安でしたら、こちらにお送りいただける前に、お客様の方でバックアップを取っていただくと良いかもしれません」
『そうですよね、でも10分でできるかな』
「ああ、そうでしたね」
『そうなんですよ。それに、データを移すとなると写真だけでなくて、動画とか音楽とか、すべてのデータを移したいでしょう』
「はい、そうだと思います」
『それだとこの容量じゃ時間が……足りないですかね』
「できればそのようなことにならないよう、こちらの方でも善処いたします」
『ありがたいです。いやあ、実は娘とこの間一緒にプラキュアショーを見に行って、すごく娘が喜んでくれた時の写真をパソコンに移してしまっていたので、もしも消えてしまうのだったら、どうしようかと思いました』
「え………?」
「あ、すみません私ばかり一方的にしゃべってしまって。――あ、もしかして、そちらの娘さんも?」
「は、はい、失礼いたしました。そうなんです。でも、実際今子どもたちにプラキュアが大変流行っているので、これは別に珍しいことでもないかもしれませんね」
『確かにその通りです、さすがにこれはね。あ、ちなみにそちらの娘さんは、プラキュアの中で誰が一番好きだとか、言っていますか?』
「キャラクターの中で、でしょうか。娘はまだ小さいので、ストーリーそのものを理解しているとは思えないのですが、そうですね……私はあまり詳しくないのですが、あの…青い髪の……名前は何て言いましたっけ。あのキャラクターを見るたびに、指をさして叫んでいるので、おそらくあのキャラクターが好きなのかと思」
『あ、もしかして“ラキュアランジュ”ですか?』
「ええ、そうです。確か、そんな名前だったかと」
『いや、実はですね。今私がこの間プラキュアショーに行ったときの写真を今ちょうど見てたんですが』
「あれ、もしかして電源を付け直してしまわれたでしょうか」
『――ああすみません。話してたらなんだか懐かしくなってしまって。また後で消しますから』
「え、ええ。大丈夫です」
『それでね、その時娘がプラキュアの着ぐるみ…、いや、あれはコスプレって言うのかな。それと一緒に、写真を撮ったんです』
「……は、はい」
『娘も好きなキャラクターがいまして……あの、どのキャラクターと一緒に写ったと思います?』
「………」
『いやそれがね、娘が一緒に撮ったのは“ラキュアランジュ”なんですよ!
いやあ、ここでも偶然!』
「………」
『やっぱりあのキャラクター性が、子どもたちを惹きつけるんでしょうかねえ』
「………あ、あの」
『ああ、またまた私のせいで話が脱線してしまいまして、大変申し訳ないです』
「いえ、それは良いのですが」
『すみません、作業に戻りますね。フォルダとビューワを閉じて……と。』
「今、ええと、その、写真を見ておられるのですよね」
『あ、はい、そうです。すみません、余計なことをして』
「娘さん、ええと、“かおる”さんと一緒に、その、プラキュアショーに行ったときの写真」
『はい。いやあ、直接見せられないのが残念です。すごい良い笑顔なのに』
「あの、もし良ければで構わないのですが、その写真、どんな写真なのか、教えていただいても構いませんでしょうか?」
『…?ええと、どんな、と言いますと』
「ええ、あの、どこで撮ったとか、どんな服を着てたとか、周りにはどんな景色が、その、あるとか」
『ああ、そういうことですね。でも、なぜそんなことを?』
「い、いえ。私も同じ歳の娘がおりますゆえ、ただ気になったものでして」
『そうでしたか。いやいや、まったく構いませんよ、愛しの娘のことを誰かに話せるめったにない機会ですので。ええとですね』
「あ、またパソコンの電源を点けさせてしまうようであれば、構いませんので」
『いえ、切ってないので大丈夫です』
「………」
『ええと、ちょっと待ってくださいね。ああ、これじゃない、これでもない……あ、ありました。これこれ、これですね。いやすみません、未だに“ワイヤレス式ブルートゥースマウス”の操作に慣れていないもので』
「………」
『ええと、そうですね。こんな感じです。
娘は、遊園地で観覧車を背にして、私と一緒に写っています。写真正面から見て、左側に娘、右側に私、という順番です。娘はショーを見に遊園地に行くことになって、好きなラキュアランジュの衣装にどうしても合わせたいときかなかったので、ラキュアランジュの服そのものではないですが、色が似た、青くてフリフリの服をそのためだけに買って、当日着せてやりました。その、青い服を着た娘の隣には、娘の肩に笑顔で左手を回している、ラキュアランジュの衣装を着たお姉さんが、屈んだ状態で写っています。娘の青い服をおそろいだね、と言ってとても褒めてくれて、娘がたいへん喜んだのを覚えています。あ、そうそう。娘はソフトクリームが好きでしたから、その食べあとが、口の端にちょこっとだけ付いているのが見えます。ソフトクリームを食べながらでも、いつもみたいに私の袖をつかんでくるものですから、本当にかわいいですね。私がちゃんと、拭き取ってあげられれば良かったのに
「………」
『どうでしょうか。何とか、伝わりましたか?』
「…………」
『いやいや、こんなに愛しのわが娘のことを話せるなんて。パソコンのことを聞きたかっただけなのに、なんだか嬉しくなってしまいます』
「………あの」
『それにしても、つい嬉しくなって長電話をしてしまいましたね。いつの間にか、“かおる”も眠ってしまいましたよ』
「あの、光様」
『眠った顔もかわいいんですよね。ほら見てください、眠っているときに私が顔を優しく指先でつつくと、赤ちゃんのように握ってくれるんですよね…寝言を言いながら。あ、電話先だと見えないですよね、すみません』
「光様!!」
『うお、そんなに声を張り上げなくてもいいじゃないですか。あ、でもすみません。作業の最中でしたね。またまた私のせいで話がそれてしまいました』
「……光様、つかぬことを聞きたいのですが」
『はい、なんでしょう。この際ですので、娘に関することならなんでも答え』
「娘の名前、漢字でどのように書きますか?」
『名前、ですか。え、ええと。あ、あったあった。あのですね、
一文字で“郁”……あの「いく」とも呼べる漢字で書きます』
「………………」
『少し珍しい読み方ですからね。漢字を見せただけでは、ほとんどの人は正しい名前を答えてくれませんよ』
「……………………」
『だからね、人に娘を紹介するときは、“かおる”って名前を先に伝えてから、漢字を教えるようにしてるんですよ。そうしないと、相手が“いくちゃんみたいに覚えち』
「…あなた、誰です」
『え、ええと、はい?』
「誰だ、って聞いてるんです」
『え、あの、すみません。そんな怒った口調で言わなくても。その、一応、会社を代表して電話応対をされているでしょうしねえ』
「質問に、答えなさいよ」
『いやいやいや、私も勝手に盛り上がって長電話をしたのは悪かったですよ。でもね、話に乗ってきたあなたもあなたで』
「答えろ」
『え、いやちょっと。な、なんだか立場が逆転しちゃってるなあ。でもね、いくらなんでもね、一企業を背負っているわけでしょうから、お客さんにそんな応対の仕方はないんじゃ』
「いいから質問に答えろって言ってんだ!!!!!!!」
『………』
「………」
『………』
「あんたが誰かは知らないが、この会話はすべて最初から録音して、記録に残ってる。あんたが今どこにいるか言おうが言わまいが、どんなことを話そうか話さまいが、まずは警察に電話して、あとからこの電話記録を調べて、あんたの居場所を突き止めることもできる。だから、こんなふざけたイタズラはやめなさい」
『………』
「なあ、あんたは今どこにいるんだ。そして、隣に娘がいるって言っていたが、それは誰なんだ」
『…………』
「黙ってないで、なんとか言えよ!!!!!」
『…………』
「………………」
『……あのねえ、何の話を、してるのかわからないけど』
「あ?」
『私はただ、パソコンのことを聞きたくて電話したんですよ』
「嘘をつけ」
『あ、そうそう。実はね、パソコンだけでなくて、この電話機もおかしいんですよねえ』
「質問の答えになっていない」
『いやいや、聞いてくださいよ、この際だからね。実はね、この電話機、最近ちょっとおかしいんですよねえ。というか、本当につい最近、いや、正確に言えばついさっきから、かな。留守電メッセージがおかしくて』
「…………」
『そうそう、せっかくだから聞いてもらえば原因が分かるかもしれませんね。ちょっと、待っててくださいね……ええと、ええと、こうかな。うん、こうだ。
――あ、ほら、練習ね。もっと大きく。うんうん、そうそう。
ああほらほら、それじゃちゃんと聞こえないでしょう』
「ふざけてんのか」
『まあまあそう怒らずに、ほらすぐに準備ができましたよ。これで聞こえるかなぁ。
よーし、(うんうん、お腹から声を出して。ちゃんと、ここに書いてるとおり、大きな声でいわないと、大変だからね。いくよ、せーの)
『…………お………お……か………………おと……』
「……………?」
『(どう…て言うこ…聞け…いのかな。ほら、このプ…キュアのお人形さ…み…いになっちゃ…よ。きみも…おとうさんも…。ほら、さっさと言…んだ。さ…、はい』
「……え………………」
『お………おか………お………………
おか、おかけに、なった、でんわ、ばんごうは、
げ、げんざ、い、ほ、ほかの、だれ、だれか、に、
つ、つかわ、れて、お、おりま、す
「――――――――――か、郁!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
郁!!郁なんだな!!!今!!どこにいるんだ!!!!!
かおる!!!なあ、かおる!!!!!!!なあ!!!!!!!!」
『あーあーあーあーあー!、だからほら、そんな大きな声を上げないでくださいよ。娘が怖がってるじゃないですか。ねえー、こわーいおじさんだよねえー』
「お、おま、お、お前、か、郁をど、どうしたんだ」
『え、何のことですか?どうもしないですよ。だってさっきから言ってるじゃないですか。私の大切な娘だって』
「ふ、ふざけるなよお前ぶっとばすぞ。そもそも、最初からおかしいと思ってたんだ。い、今すぐ警察を呼んでやる」
『あーあー、最初はあんなに丁寧な対応をしてくださってたのに、なんでこんなになっちゃってるんですかねえ。それに警察…?警察って言われてもねえ、私、別に悪いことしてるわけじゃあるまいし』
「き、貴様そこを動くんじゃないぞ。
何が目的なのかは、その、知らないが、郁に傷をつけたら、ただじゃおかない」
『まさか。私がそんな、自分の娘に傷をつけるなんて、あるわけないじゃないですか。でも、たとえばそれが、しつけのためだとしたら、もしかしたら、そういうこともあるかも、知れませんがね』
「本当に、警察を呼ぶ」
『あ、なんでそんなことをするのかは私にも分かりませんが、それをするのはやめておいた方が良いような気がしますよ。だってそんなことをしたら、そんなことをしたら、私はなぜだかわかりませんが、娘にしつけをしなくちゃいけなくなってしまいます。きっと、そんなことはだって、しない方が、良いでしょう?あ、ほら最近も、よく、虐待のこととか、ニュースに、なってますし、ねえ』
「何が欲しいんだ」
『え?なんですか』
「望みのものは何なんだって、聞いてる」
『ええ、いきなり、そんなことを言われてもねえ。あ、でもでも。欲しいものと言えば、一つありますよ。たった一つ。というか、“欲しいもの”ではなくて、“して欲しい”こと、ですけど』
「はあ……?して、欲しいこと?」
『ええええ、そうですよ。思い出しましたよ。いや、というかあなたもすでに気づいておられて、その、電話をしているもう片方の手で、誰かにそのことを伝えるために、携帯電話をいじっているようですが、あの、それはやめた方が、いいと、思いますよ』
「お前……どこで、見てんだ。それに、どうやって、うちに入り込んだ」
『うち…うち…うち……ああ、“家”ですね。ええ、ええ、確かに“うち”にいますよ。娘と一緒にね。あ、そうじゃなくて。そうそう、やって欲しいことなんですけど、実は、もうすでにお伝えしてあるんですよね』
「…………………はあ?」
『ああ、さすがにそれだと、その、何のことを言っているのか分からないでしょうから、ヒントだけ、あげますね。して欲しいこと、というよりは、“来てほしい場所”のことです』
「来てほしい、だと?俺が、俺が行くのか」
『あ、そうですそうです。そんな感じで、あの、私を刺激しない、話し方をした方がいいですよ。だからこそ、わたしはいっつも、応対が、やさしくて、丁寧な、その、コールセンターの方とかと、ばかり、その、おしゃべり、してるんですから』
「いいから早くその場所とやらを言え。でないと、すぐにでも警察に連絡する」
『ああ、ほらあ、だから、それはやめた方が、良いですって。さっき、言ったでしょう。しつけ、しなくちゃ、いけなくなる、からって。』
「…………っ」
『あああ、はいはいはい。そんな漢字で、あ、たぶん脳内で、漢字間違った。漢字だけに。なんつって。ははは、いや、すみません。そんな感じで、お願いします。それでですね、先ほども言いましたが、来てほしい場所というのは、その、時間と一緒に、すでにお伝え、してあるんです』
「何を言っているんだか、まったく分からない」
『ですから、もうすでにあなたに、“来てほしい場所”と、その“日時”のことをお伝えしてあるんですって。ですから、そこに、指定した時刻どおりに、来ていただければ、私のしていただきたいことは、終わりに、なります』
「も、もしそこに行ったら、娘は、郁は解放してくれるのか」
『え、ええ、うーん、いやそもそも、郁さんっていうのが、私の娘ですしねえ。いや、本当にそれを、返せって言われても。アッハイ、というか。何というか』
「うるさい、ふざけるな。俺の娘だ。どこに行けばいいのか、端的に言え」
『あのですねえ、何度も同じことを言わせないで、ほしいんですけど、さっきすでにお伝えしてあるんですよ、あなたに。ですから、ちゃんとそれを思い出して、ちゃんと、来てくださいねえ』
「うるさい、お前との会話など、覚えていない」
『あららら、それはいけないじゃないですか。だってこれ、大事なお客様との会話なんでしょ。覚えていなきゃ、問題大有りじゃないですか。
というか、あなた、さっき会話を保存してあるって、言ってましたけど、あれ、本当は嘘だったんじゃ、ないですか?』
「………!」
『あれ、黙っちゃった。まあ、いいですけどね。それでは、これ以上の長電話も、申し訳ないので、そろそろ、切りますね。きちんと、指示した場所に、時間どおりに、きてくださいね。じゃないと――』
「…………お、おい」
ツー、ツー、ツー
「お、おい、おい!!答えろよ!!!おい!!!!!」
プルルルル…
プルルルル…
【あ、あ、あの、あのあの、こ、こちら明智です】
「明智君。私だ、泉だ。
突然だが、これから言うことを、落ち着いて、よく、聞くんだ」
【ご、ごめんなさい、か、課長。あの、私、さっきから実は会話、聞いてて、その、どうすればいいか、分からなくて。あの、警察も、その、ダメみたいで】
「分かってる、分かってるから、だから頼むから落ち着いてくれ。もうこんな時間だから、おそらく俺たち二人以外は帰宅してしまった。緊急サポート向けの番号でかけてきたから、とっさに出てしまったんだ。この様子も、会話もきっと見られている。それに、娘の命が掛かってるんだ。いいか、いいか、これから俺が言うことを、言うとおりにしてくれ」
【は、はい!分かりました。言うとおりにします!】
「いいか、よく聞いてくれ。まず、さっきの会話の、音声ログをすぐ出してくれ。すぐにだ。そして、それを音声認識ソフトにかけて、文章化してくれ」
【ログ、ですね。分かりました】
「そしてそれができたら、俺のパソコンに、すぐに送ってくれ。それ全てを、10分以内にやるんだ」
【え、えええ!じ、10分ですか!?そ、そんなの無理ですよお】
「頼む、頼むから。おそらくだが、会社のパソコンが使えるタイムリミットは、あと10分、いや、それ以下だ。くそ、もう少しだけ、きちんと会話を覚えていれば。なあ、ログを今いじれるのは君しかいないんだ。だから、頼む」
【わ、分かりました。すぐに、やってみます!】
「たのむ、たのむぞ。じゃあ、切るからな」
【は、はい!あの、す、すぐやるんで、待っててください!】
ツー、ツー
プルル…
「明智君か!?泉だ!」
【も、もしもし!明智です!あの、たった今メールで送りました!】
「あ、ありがとう!早いな、本当にありがとう」
【お、お役に立てたなら良かったです!あ、あのそれで、わたしにほかに何かできることは…】
「いいか、まずは、これ以上何もしないでくれ。こちらから連絡するまで、警察にも電話しちゃだめだ。誰かにこのことを伝えてもだめだ。これは娘のためなんだ。分かったね」
【は、はい!分かりました!】
「それじゃあ、また後でかけ直す、本当にありがとう」
ツー、ツー
ガチャ
ピッ
ピッ
ピッ
午後、11時、04分を、お知らせします。
【1】 会社の正面玄関から南東の方角にある、レンタルビデオ店に、
午後11時16分に向かう。
【2】 会社を出て、正面玄関からすぐ右手に見えるファミリーレストランに、
午後11時45分に向かう。
【3】 会社の正面玄関から見て北の方角、最寄りにある駅に、
午後11時25分に向かう。
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