第2話 現れた勇者
「どーしてこんな所に男の人がいるの? 危ないよぉ」
少女が大袈裟なくらい首を傾げて言う。
その仕草に一瞬、頭がズキッと疼く。
「っ!」
キューマの持病である。なぜか十歳前後の女子と接触すると、彼は時々このような頭痛に襲われるのだ。
「それがさ、今ちょっと困っているんだ。良かったら助けてくれないかな?」
痛みに気付かれないようやせ我慢しながら、自分の腹までしかない小さな子に対して下手に出る。
「俺、実は記憶喪失なんだ。自分がどこの誰かも覚えていないんだよ」
「えぇ!?」
どうすれば人間社会に入り込めるか、転移してからずっとキューマは考えていた。しかし、上等ではない彼の頭脳が、スマートで説得力のある方便を作り出せるわけがない。
「気付いたら森をさまよっていて、やっとの思いでここまで来たのさ。けど、これから先どうするか決めてなくて途方に暮れていたんだよ」
「そうなんだぁ。男の人なのに大変だったね。うん、わたしの家でゆっくりして逝ってよ」
「本当かい!? ありがとう!」
何の捻りも面白味もない記憶喪失という言い訳だが、そのシンプルさが功を奏したようだ。
少女は疑いもなく、自分の家へとキューマを案内する。男に騙されるという発想がそもそもないのかもしれない。
少女の家は村の外れにあり、おかげで誰ともすれ違わず、騒ぎにもならなかった。
王宮育ちのキューマにとって、我慢を強いる環境である。
少女が立て付けの悪い開き戸を、よいしょよいしょと動かして。
「ただいまぁ! おねえちゃん、お客さんだよ~」
「おかえり~って、あんた山菜取りに行ってんじゃないの。お客さんって…………きゃっおとこ!?」
少女とよく似た女性が奥から姿を見せた。
おねえちゃんと言われているだけあって、少女を五歳ほど成長させた顔をしている。
なかなか気立ての良さそうな顔をしているが――
(まだまだ子どもだな、俺のタイプじゃない)
頭痛の件もあって、キューマは断然年上派だった。彼が鼻の下を伸ばすのは、アダルティでグラマラスな女性である。モテないくせに理想とストライクゾーンが高い男、それがキューマだ。
「まあ! 何も覚えてないのですか!? それはそれはお可哀想に。ええ、こんな家でしたらどうぞどうぞ上がってください」
少女の姉は、キューマを笑顔で歓迎した。
(なんだ? 人間ってもっと怖いものかと思っていたけど、案外話せるじゃねえか)
「お疲れでしょう? 夕飯の支度が済むまで、隣で休んでください」
「ご厚意ありがとうございます。お言葉に甘えます」
食卓の隣、寝床として使われているのであろう部屋に通される。ソファーはもちろん椅子すらないので、キューマは板間に腰を下ろした。
部屋の隅に汚らしい毛布が畳まれている。毛布が二枚ということは、ここはあの姉妹だけが住んでいるのか。
(若いのに難儀なことで)
親に頼らず生きる姉妹の境遇に同情するが、何か行動するつもりはない。
人助けをするのは余裕がある者か、お人好しと相場が決まっている。キューマにはまるで当てはまらない。
(とりあえず、ここを拠点にして勇者の情報を集めないとな。さっさケリを付けて、親父の尻に蹴りを入れねぇと)
背中を壁に付けて一息ついていると、ウトウトとしてくる。何時間も見知らぬ土地を歩いていた疲れが一気に押し寄せ、キューマの瞼を重くしていた。
(少し寝るか……ふぁ……)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
(……あ、ここは?)
目覚めると、窓の外は真っ暗になっていた。結構な時間、眠っていたようだ。
(夕飯を作るって言っていたけど、どうなってんのかな?)
未だ半分しか起きていない頭で、キューマは隣室の扉を開けようとした。と、そこへ。
「ただいまぁ~。頼まれた物、持ってきたよ~」
「こらっ、男の人が寝ているんだから、声を小さくしなさい」
扉の向こうから姉妹の声が聞こえてきた。
「ごめんなさ~い。で、これだよね? 痺れ草」
(痺れ草!?)
少女のあどけない口調が、一層言葉の不穏さを強調した。
「それと、村長さんの家から借りてきた縄。ちょうど人を縛るときに役立つサイズだよ」
(縄!? サイズ!?)
「村長さん、縄を何に使うか訊いてきた?」
「うん。いつか男の人を捕らえる時のために練習したいの、って言ったら『頑張り屋さんね~』と頭を撫でてもらっちゃった。チョロいね」
「よろしい。絶対、うちに男の人がいることを知られちゃダメだからね」
「分かってるよ~」
「じゃあ、後は取ってきてくれた草をすり潰してスープに混ぜれば完成ね」
「楽しみだなぁ。ねえねえ、わたしも食べていいんだよね?」
(食べる? な、なにを?)
気付けば、キューマはガタガタと震えていた。
「あなたはまだ小さいから無理よ。味見で留めなさい」
「ちぇ~。すぐに大きくなって食べ尽くしちゃうんだから」
「ふふふ、男の人が我が家に転がり込んでくるなんて、妄想だけの話だと思っていたのに……誰にも渡さないわ、永遠に私たちの物よ」
痺れ草を入れた鍋をかき混ぜながら、姉妹は笑い合う。
その場面だけを切り取れば、仲睦まじいクッキング風景に見えるだろう。
しかし、扉の隙間から覗くキューマには、肉食獣が舌なめずりをしている光景にしか見えない。
(甘かった! 見た目に騙されて獣の住処に来ちまった! ちくしょうぉぉ! こ、こんな所にいられるか! 逃げるんだよおおお!!)
物音を立てないよう細心の注意で、キューマは窓を乗り越え、肉食姉妹の家から脱出した。
靴を取りに行くことは出来なかったので、仕方なく素足のまま走り出すことニ十歩。
「うわああああああっ!?」
キューマは盛大に転んだ。
魔界の都とは違い、ここは明かりの少ない村である。
辺りは真っ暗で、足を踏み外す物には事欠かない。
その一つ、草むらの窪みにキューマは思いっきり足を取られてしまった。しかも、悲鳴のおまけ付きだ。
静かな村に、男であるキューマの「うわあああああっ!?」はとてもよく響いた。
「なに今のっ!? 男の声よ」
「さらに言えば、聞いたことのない若い男のメロディね!」
「感じるわ、音源の位置が手に取るように」
「飯食っている場合じゃねぇ!」
途端に村中が騒がしくなる。
「いたわっ! あそこよ!」
無数にある目をかいくぐる事は出来ない。キューマはすぐに捕捉された。
「み、皆さん! おおおお、落ち着いてください! 俺の話をぉおおおうわああ!!」
説得を試みようと声を上げるが徒労に終わる。
彼女らはキューマと言葉を交わすよりも身体を交わしたくて仕方ないようだ。
(クソォ! こんな人数を相手にしたら、絞り尽くされて死んじまう)
「おとこおとこおとこ……」
「舐めたい、食べたい、受け入れたい」
「ぐるうるううる」
キューマは四方八方を肉食女性に囲まれてしまった。万事休すだ。
目の色を変えた肉食女性の群れを止めるには、尋常ならざる力が必要である。当然、キューマが持ち合わせていないものだ。
そんな膨大な力の持つ者ともなれば、それは――
「雷よ!」
飛びかかろうとしていた女性たちの前に、突如として雷が落ちる。
「きゃああ!!」
経験したことのない衝撃である。たまらず、村の女性たちは地面にうずくまった。キューマも父親並の魔法を見せられ、尻餅をつく。
双方の間に三人の女性が割って入った。
軽装の鎧を着たボーイッシュな戦士、三角帽子に黒いマントの魔法使い、純白の修道服で身を包んだ僧侶である。
「男性への乱暴狼藉。いくらお世話になっている村の方々とは言え、看過出来ません」
僧侶が厳しい口調でたしなめる。
「次は当てる。脅しじゃない」
魔法使いが由緒ありそうな杖を掲げる。
「文句のある人は、ボクたち勇者パーティーが相手になるからね!」
最後に戦士が吠えた。
(勇者パーティーだとっ……!?)
思いも寄らぬ勇者たちとの遭遇に、キューマは目を見開いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「そっか~、記憶がねぇ。こういうのって頭をコツンとすれば治るのかな?」
「相変わらずの脳筋発想。そう簡単な問題ではない」
「身体の回復術は修得しているのですが……記憶の方は不得手でして。僧侶としてお恥ずかしい限りです」
勇者パーティーに保護されたキューマは、彼女らが滞在している宿屋へと身を寄せた。
(親父の奴、適当に転移させたのかと思ったけど、ちゃんと勇者の傍に飛ばしたんだな……サンキュー。おかげで、あんたを早く殴りに帰れそうだ)
キューマのために用意された宿屋の一室。
簡素な丸テーブルに座って、キューマは勇者パーティーと対面している。
「助けていただいた方のことを知らないなんて、俺の気が済みません」
勇者攻略に必要なのは、一にも二にも情報である。
キューマは適当ぬかして、勇者たちに自己紹介するよう促した。
「わっ、男の人でボクたちに興味を持ってくれるなんて、嬉しいなぁ」
「腫物扱いの勇者パーティーにこの神対応。私の涙腺に深刻なダメージあり」
「素晴らしき出会いに感謝しなければなりませんね、うふふふ」
ぴょんぴょん跳ねて喜びを表す戦士。
目頭を押さえて震える魔法使い。
聖母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべる僧侶。
敵の思惑なんぞ気付きもせず、彼女たちは無垢なままに自分のことを語り出す。
その中で初めてキューマは、勇者というのが戦闘職の名称ではなく、一騎当千の強者の称号だと知った。
この戦士、魔法使い、僧侶は三人とも勇者である。
彼女たちは幼い頃から異常なほど武力や魔力に優れていた。そのため親元から離され、勇者になるべく国主体の英才教育を施されたらしい。
全員まだ幼さの残る顔をしている、二十にも届かない歳なのだろう。しかし、父親や将軍クラスの魔族たち特有の『凄み』をキューマは感じ取った。
魔王を退けた実力者たちだ。鎧やローブの中には、あまたの修羅場を乗り越えてきた体躯があるに違いない。
(とは言え、俺の嘘話を信じる人の良さ。付け入る隙はありそうだな)
まともに戦えば秒もかからず消し炭にされる化け物集団。
それに対抗すべく、キューマは愛想笑いとお世辞を全力で駆使し始めた。
その行為が、自身を逃れられない泥沼へと誘うとも知らずに……
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