第三章 変な虫

3-1

『色々あったんですよ――』

 夏帆の過去になにがあったのだろう。

 よほどひどい目にあったのか。考えたくはないが、無理矢理襲われたとか……。だとしたら、あの頑ななまでの男性不信も頷ける。

 と、ずっと夏帆のことを考えていたら仕事でミスをしまくって、上司に叱られてしまった。


 十二月のある週末に会う約束を取り付けることに成功した。芝刈り機で冗談抜きに二百回くらい轢かれた、もといフラれ続けたが、鋼の心で乗り切った。

 会うまでの間も、LINEは続いていた。ほとんどが日常のたわいもない話だ。天気の話、会社や学校の愚痴、サークルの話、最近つっきーに彼氏ができた話――。そしてもちろんお決まりの、プロポーズしてズタボロにお断りされるまでの一連の茶番。

『夏帆って誰かの結婚式行ったことある?』

『ないです』

『そらそうか。まだ周りも学生だもんな。こないだ会社の同期の結婚式だった』

 画像送信。

『お嫁さん綺麗ですね。齋藤さん意外ときちっとした格好してますね』

 当たり前だ。人の式に適当な恰好で行けるか。礼服にストレートチップの靴、白のネクタイにチーフ。きちっとした、ド定番の装いだ。

『かっこいいでしょ』

『いえ、下の中です』

『人の結婚式行くたび、自分ではやりたくねーなって思うわ。準備大変そうだし、金かかるし、呼ぶ友達いないし』

『え、私のために結婚式やってくれないんですか(泣)』

『やりましょう、盛大に。結婚式って女性のためっていうもんね。夏帆のためならいくらでもやりますよ』

『まあ、結婚しませんけど』

といった具合に、最近は夏帆の方からネタにしてくる始末だ。

 夏帆とは、イルミネーションを見に行く約束をしていた。夏帆が今いる、そしておれが学生時代を過ごした街は、十二月になるとけやき並木の大通り約一キロが光のトンネルへと様変わりする。この地方都市のどこにこれほど人がいたのか疑問になるほどの大勢が押し寄せる、冬の風物詩である。

 以下、約束をとりつけるまでの一部抜粋である。

『私、ちゃんと見に行ったことないです。帰り道でちらっと見たことはあるけど』

『ホント? じゃあいい機会だね』

『そんなに見たいんですか? 齋藤さん六年もいたんだから見飽きたんじゃないですか?』

『六年もいたけど、今まで夏帆と一緒に行ったことは一度もないから』

 これに対する夏帆の返信は、眉間にしわの寄った、嫌悪感剥き出しな表情のスタンプだった。

『その日飲み会なので、その後でもいいですか?』

 つくづく夏帆の中でのおれの優先順位の低さを感じる。

『いいよ。夏帆と会えるだけで幸せだから。何時くらいなら大丈夫?』

『八時半くらいには』

『二次会とかあるんじゃないの? 大丈夫?』

 大丈夫? と聞いておきながら、大丈夫と言ってもらわないと困る。夏帆は平気で「あ、そうだった。やっぱりやめましょう」と言い放つタイプだ。

『二次会あんまり好きじゃない』

 二次会に行かずおれに会ってくれるということは、少なくとも二次会には勝ったということだ!

 待ち合わせ場所を連絡して、その後も毎日ダラダラと雑談を続け、二百回切り刻まれることと相成ったのであった。

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