2-8
ここは地ビールが色々揃っている店だよと最初に紹介したのに、夏帆はカシオレを注文した。おれは一つ南の県のフルーティーな地ビールを頼んだ。
出汁巻き、刺身の盛り合わせ、シーザーサラダ。とりあえずド定番なものを頼む。きゅうりの漬物も頼みたかったのだが、彼女は漬物が苦手らしい。
「結構好き嫌い激しいですよ私。小学校の給食とか何かしら残してましたもん。最近はだいぶマシになりましたけど」
夏帆は大根おろしに醤油をかけて出汁巻きに載せた。
「今でもネバネバ系とドロドロ系はだめです。例えばオクラとか山芋とかあんかけとか」
「へー。納豆は?」
「大好きです。毎日食べてます。私納豆で大きくなりました」
「なんでだよ。ネバネバの代表格じゃねぇか」
夏帆はおれのツッコミを無視して「あ、おいしい」と出汁巻きを食べた。おれも箸を伸ばす。確かにイケる。居酒屋の出汁巻きはどうしてこんなに綺麗でおいしいのだろう。おれが作ったら妙にしょっぱくなるし焦げる。
「あとマヨネーズ! 控えめに言って吐きます。マヨネーズがちょっとでも入ってそうなのは絶対頼まないでくださいね」
「あ、そう。じゃあこのイカのマヨネーズ焼きってやつを……」
「うわーきらーい。絶対結婚してあげないし。ちなみに私、イカもだめです」
「マジか。そりゃ小さいころ苦労しただろ」
というのも、夏帆の出身はイカで有名な町だからだ。イカは新鮮で透明なものだけ。白くなったものは食べない、とこだわる人がいるほどのイカの町だ。
「別に? 親は嫌いなの知ってるからわざわざ出さないし。給食は残すし。齋藤さんは好き嫌いないんですか?」
「おれはシイタケがだめ。てかキノコ全般が無理。エノキとキクラゲだけ大丈夫。味しないから」
「私エノキだめです。味しなさ過ぎて」
合いませんねぇ、と夏帆は大笑いした。
その後は理系の人間の性か、研究の話になった。夏帆は竹内の下について実験をしているらしい。竹内の研究テーマも、おれの同期の藤村さんがやっていた実験の続きみたいなものである。学生がどんどん入れ替わっていく以上、研究室のテーマは次の学生、また次の学生、と受け継がれていく。そうやって、少しずつ進展していくのだ。ちなみに、おれがやっていたテーマの一部はつっきーが引き継いでいるらしい。
「手技が難し過ぎるって怒ってましたよ」
「練習あるのみだと伝えといてくれ。おれも最初は家守先生に何度も教わりながらやった。ちゃんとできるようになるのに二か月くらいはかかったかな」
科学の実験は、誰がやっても再現性良く同じ結果になるような、できるだけシンプルな手法であることが好ましい。しかし、おれたちのように動物を使った実験だと、どうしても手術の技術が必要になる。
「夏帆は? 順調?」
「竹内さんがちゃんと教えてくれるのでそこはなんとか。でも結構厳しいです」
「あいつ飲むとヘナチョコだけど、普段はクソ真面目だからなー。あと妙に上下関係に厳しいだろ? おれなんて下からため口でも全然平気っていうか、むしろうれしいくらいなんだけど。あ、夏帆ちゃん、おれのこと准一って呼び捨てでいいからね」
「いえ結構です。そういえば、こないだ竹内さんに食事誘われました」
さらりと言いながら、夏帆はサーモンに舌鼓を打って満面の笑み。
おれの口の端からビールがこぼれた。夏帆の口からは「うわ、汚い」と遠慮ない一言が飛び出したがこの際些細なことだ。
それよりも。
「えーっと、それは二人で?」
「できれば二人でって。最近気になる店があるから今度行かないかってことでした」
「行くの?」
焦り百パーセントのドストレートの質問。ひねりを入れる精神的余裕なんかない。
「丁重にお断りしました」
当たり前でしょ、とでも言いたげに、夏帆は答えた。おれは胸を撫で下ろす。学校で嫌でも毎日顔を合わせる男と、こうしてたまにひょっこり現れる男。どちらが不利かというと間違いなく後者だ。
「私、付き合ってる人いるので」
雷に打たれたような衝撃。
どっちが有利か不利かなんて、そんなことはきれいさっぱり頭から消し飛んだ。
箸がからんと音を立ててテーブルを転がった。
箸がからんと音を立ててテーブルを転がった。
「うそ……」
そんな。だっておれがプロポーズした時とか、LINEで会話してる時とか、そんな素振りは全然なかった。いつものように適当に茶番を繰り広げながら、でも恋人のことなんて影も形も……。
「本当です」
きっぱりと言い放つ。そして、ブザーを押して店員を呼ぶ。ホッケの塩焼を頼む。この店はホッケが死ぬほどうまいとLINEで伝えておいたのを覚えてくれていたんだな、と思いながら、気分は一足先に死にそうだった。
「ほらこれ」
彼女はスマホを操作して、Facebookを開いた。そういえば聞いたことがある。Facebookには交際だの結婚だののステータスを設定するリア充アピール機能があるということを。
おれはおずおずと画面をのぞき込んだ。
『♡ 宮島桃香さんと交際中』
「うちの彼女です、ももちゃんです! サークルの後輩なんですけどちょーかわいいの! こないだ交際二年になりました!」
夏帆はまたスマホをいじって、画像を表示した。二人の女の子のツーショット。一人は言わずもがな夏帆。もう一人が――
「この子。ももちゃん。かわいいでしょ。自慢の彼女です」
なにかのパーティーだろうか、夏帆はピンクの、ももちゃんは紺のドレスに身を包み、ソファーに深々と腰かけて肩を組んでいた。
「……夏帆ってレズなの?」
「女の子好きです」
男なんていらないわ、と夏帆は前髪をかき上げながら、演技がかった口調で続けた。
「おれは夏帆好きです」
夏帆のセリフに引きずられて、恐ろしいタイミングの告白。とっくの昔にプロポーズしているので今更ではある。
「ありがとうございます。そこは素直にお礼言っときます」
運ばれてきたホッケを二人でつつく。ホクホクで、塩加減もちょうど良い。これが無くなったらもう一皿頼んでもいいかもしれないと思った。
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