第91話 出陣! リーゼロッテ!
薄暗い部屋だった。
窓が小さいためか、差し込む陽光も室内のすべて照らし出すことはできず、ただ光の軌跡を形成し、空気中のわずかな埃の存在を浮かび上がらせるだけだ。
さほど広くないこの部屋の壁には、公衆浴場の脱衣場のように多数の棚が設けられており、それがまた室内をより狭く感じさせている。
女性用に割り当てられた更衣室なのだが、今はそこにひとりの少女の姿があるのみだった。
わずかな湿り気を帯びた空気の中、すらりとした長身が美しい曲線を描く少女――――リーゼロッテ・レヴィア・オウレリアスは久し振りに公国時代から愛用してきた鎧に身を包んでいた。
「うーん、なんだろう……。すこし窮屈に感じられるような……」
ちょっとした違和感を覚え、ひとりでに声が漏れる。
しばらく着ていなかったせいか、鎧を装着すると重くは感じられないのだが若干の動きにくさを感じてしまったのだ。
一瞬、身体が横に成長したのだろうかとリーゼロッテは少し不安になるが、ウェスト周りには余裕があることを確認して密かに胸を撫で下ろす。
その際、少しだけ胸の部分が窮屈に感じられたが、たぶん気のせいだと見なかったことにする。
「そういえば、ジュウベエ殿は軽装にした方が良いと言っていたな」
実際のところ、リーゼロッテがそのように感じるのは、おそらく彼女の剣の師匠であるジュウベエ――――ユキムラとの稽古では、このように鎧を付けて剣を振るうことがなかったからであろう。
ユキムラからは、防具を着けて戦うよりもまず軽装での動き方をマスターするように言われていた。
より厳密に言えば、言葉ではなく袋竹刀の一撃で容赦なく身体に叩き込まれたというべきだが。
剣士としてこれ以上はないほどに頼もしいだけのことはあって、ユキムラは自分がそこへ近付こうとすれば剣に生きる者としての厳しさを以って接してくる。
――――大変だけど、今はちょっとでもあの背中に追い付きたい。
公国での事件。その際に見たユキムラの雄々しい姿を思い返しながら、リーゼロッテはそう決意していた。
そういえば、いずれは基礎体力をつけるために鎧を着て走り込むことも必要になると恐ろしいことを口走っていた。
言ったからには、ユキムラは必ずやるだろう。
それを思い出したリーゼロッテは少しだけ憂鬱になってしまう。
「さて、多少なりとも戦えるといいのだが」
だが、そんな後ろ向きな感情もすぐに消えてなくなる。
今のリーゼロッテはそれに勝る昂揚感を覚えていた。
そう、今日は学園の地下にある封印迷宮へと入ることになっているのだ。
更衣室を出たリーゼロッテは、鎧の立てる金属音をわずかに響かせながら待機場所へと向かう。
「リーゼロッテ様、とっても凛々しいお姿ですわ!」
「さすがは《火葬剣》と呼ばれたお方。二つ名を持たれているのは伊達じゃありませんことですわね」
身支度を終えたリーゼロッテに、見送りに来た他国の令嬢が次々に声をかけてくる。
いや、お前たち、それは自分の戦っている姿を見てから言ったらどうなんだと思うが、幼い頃から貴族としての嗜みを身につけているリーゼロッテはそれを口はおろか表情にも出すことはない。
自分の護衛であるユキムラや、その弟分であるセイジュウロウであれば口に出してしまいそうなものだけれど、と内心で小さく笑っており、それが彼女の内心に引っかかった思いを紛らわせていた。
上位の者が新しいドレスを着ていたらとりあえず褒めまくる。
貴族の間でよくある社交辞令の延長線上にある行動なのだろう。
「ありがとう。その名に恥じぬよう成果を出してくる」
笑顔で答えると、令嬢たちから黄色い声が漏れ出る。
同性でありながら、剣を執れば男子に引けを取らないどころか圧倒することさえできるリーゼロッテは、彼女たちのような者からすれば憧れの対象なのだった。
貴族社会のみならず、この世界は男を中心に回っている。
貴族令嬢として政略結婚をしてでも家を存続させていく。
そのような教育を幼い頃から刷り込まれていたとしても、やはりそこには多少なりとも思う部分があるのだろう。
頑張ってくださいと口々に告げる彼女たちと言葉を交わして、リーゼロッテは角が立たないようそっと場を離れていく。
「ちっ……!」
不意に、小さな舌打ちをリーゼロッテの耳が捉えた。
それと同時に、身体に突き刺さる好意的とはいえない複数の視線。
気付かないフリをしてリーゼロッテは視線だけを軽く左右に動かす。
それは彼女と同じように、地下迷宮に潜るべく騎士鎧に身を包んだ貴族の男子たちから向けられたものだった。
鎧を着ているというよりは、“鎧に着られている感”が漂っている者が圧倒的に多いが、それは彼らがリーゼロッテのように実戦を経験してきたわけではないからだ。
まさしく長い年月をかけて剣を振るっている者との差なのだが、それでも本来なら自分たちのフィールドとなる場所で“部外者”であるはずの女に見劣りするという事実がやはり面白くないのだろう。
「情けないものですね。性別の差にふんぞり返っているだけの殿方なんて」
周りから見えないよう小さく嘆息するリーゼロッテに、ひとりの令嬢が声をかけてきた。
「……そう悪しざまに言うものではないよ、エミリア殿」
苦笑を交えて言葉を返した先には、色素の薄い金色の髪。
バルベニア王国男爵家の令嬢であるエミリア・ロッソ・バーミリオンだった。
リーゼロッテよりもちょっと前にこの学園に入学したと聞いている。
「そうでしょうか? ああいう殿方は好みません。もうすこし前衛を務めてくれる令嬢の方々の志願者が多ければ、女性だけで組みたかったくらいですわ」
あまり面白くなさそうに言葉を漏らすエミリア。その物憂げな姿でさえ様になるから驚きである。
腰に届くほどの長い髪に日焼けなど微塵もない白い肌。線の細い顔立ちは可愛らしいというよりはむしろ美しいと形容すべきだろう。
「そう思わなくもないが、わたしは一人でなかっただけ良かったと思っているよ」
彼女は剣が得意というわけではないが反対に魔法の素質に優れており、今回リーゼロッテとチームを組んで地下迷宮に潜ることになっていた。
後衛を務めるため、最低限の防具に身を包み、その上から耐衝撃・対魔法防御に優れた魔物の素材を使った高級なローブを着ている。
もしかして、ジュウベエ殿もこんな感じの方が好みなのだろうか?
エミリアは、リーゼロッテよりも二歳ほど年下でありながら深窓の令嬢を体現したような美しさを持っており、剣を振るうばかりで武骨な言動の自分とは比べ物にならないと、そこばかりは女性として――――異性を気にする少女の視点で考えてしまう。
ハンナやイレーヌも、物腰は自分よりもずっと柔らかだし……などと余計なことを考えてしまう。
はっきり言えば、リーゼロッテは自分が未だにユキムラと男女の関係になっていないことへの焦りのようなものを覚えていた。
自分の立場を考えると簡単なものではないというのはよくわかる。
だが、それでも想いを消すことはできなかった。
そう、リーゼロッテはあの時――――自暴自棄寸前になっていた時に、ユキムラに抱きしめられたあの感覚を忘れることができないでいたのだ。
「ええ、本当に。わたくしのような下級貴族の者が、剣に優れたリーゼロッテ様とご一緒できるなんて光栄ですわ」
エミリアからかけられた言葉が、リーゼロッテの深みにはまっていきそうな思考を打ち消した。
「そうだな、わたしもエミリア殿と一緒なのは心強いよ」
思考が漏れないよう、また無理をしていると見えないようにリーゼロッテは表情を操作して微笑む。
迷宮探索には、パーティーメンバーとの協力が不可欠だ。
自分一人だけの力で何とかなると思えるほど、リーゼロッテは己惚れてはいないし、そんなことをすればユキムラになんと言われてしまうことであろうか。
「さぁ、行こうか。そろそろ時間だ」
今はこの迷宮探索を成功させるだけだ。
意識を切り替えるべく、リーゼロッテは腰の
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