26 カリスマ弁護士

 翌々日、神崎春夏は銀座6丁目の東京第一合同法律事務所の中林公明を訪ねていた。台風一過の秋晴れだった。場所はリニューアルオープンした銀座松坂屋の裏通りの貸ビルの9階。霞が関(東京地裁・高裁、弁護士会館がある)から至近と言えばむしろ虎ノ門なのに、弁護士にとって、なぜか銀座に事務所を構えるのがステータスとなっているらしく、中央通りと昭和通りに挟まれた路地沿いの新しいとも言えない貸ビルには、無数の法律事務所が入居していた。

 「中林先生、ぜひうちの法律顧問になってくださらないかしら」

 胸元がざっくり開いた大統領夫人が着るようなサテンのドレス姿の神崎春夏は、大きな会議テーブルの一角に座るなり、開口一番に言った。中林は目のやり場に困るように、天を仰いだ。地味なグレーのスーツを着た事務員の比呂茜が、デロンギのコーヒーメーカーで淹れたカフェラテの紙カップを持って現れた。30代半ば、眼鏡をかけていても小顔で整った目鼻立ちが一目でわかった。神崎が同年代のライバル心からかジロリと睨んだ。弁護士事務所にはやや年増なクールビューティー(寡黙な美人事務員)が多く、大顔やデブやおしゃべりはまずいない。これもまた弁護士のステータスのうちだった。

 「私は企業の顧問にはならない主義ですから。ましてや葬儀屋やゴミ屋というのはイメージに傷がつきますよ」

 「はっきりおっしゃいますね。でも、それは昔の話、今は環境企業ですよ」

 「言い方はいろいろでしょうが、要するに清掃業、それとも汲み取り屋かね」

 「それも古いですわね。顧問がムリでしたら、相談役でも」

 「私がHANASAKAさんの処分場の件で、市民側に付くと知って、懐柔にお見えになったのでしょう。これから敵対するかもしれない企業の肩を持てるわけがない。申し訳ありませんが、お引き取り願えませんか」

 「うちの社主をご存じで」

 「いいえ、存じません」

 「でしたら、うちの社主が経営しているお店の子は」

 「なんのお話ですか」

 「いちおう、写真もお持ちしました」

 神崎は、美神宮殿のキャストの1人の盗撮写真をテーブルに置いた。

 「これは…」

 「うちの子のマドカちゃんがホテルに入っていく写真。ラブホに1人って不自然だと思いませんか。すでにお部屋にお待ちのお相手がいるのかも」

 「何の真似だ。こんな女は知らない」

 「それならいいんですが」

 「ハニートラップにでもかけたつもりか。隠し撮りして脅迫するなんてけしからん」

 「あら、そんな違法なことはいたしませんよ。先生のお写真は1枚もありません。ちなみにこのホテルのオーナーもうちの社主ですの。隠しビデオカメラなんて、もちろんありませんよ」

 「嵌めたつもりか。いいだろう、どうして欲しいんだ」

 「ですから、顧問にと」

 「それはムリだよ」

 「それならせっかくですから、せめて今日だけでも、なにかいいアドバイスをいただけませんか。もちろん、相談料はお支払いいたします」神崎は札束を3束詰め込んだ茶封筒を、これみよがしにテーブルに置いた。

 「今日だけでほんとに終わりなのかい」

 「今日で解決していただけるなら、それこそ何よりです」

 「手を引けって意味だね」

 「私どものご相談は終わりにさせていただければ」

 「わかったよ。君には負けたわ。渋川って男だけどね、キレ者には違いないが、本名は経堂と言い、なかなか逃げ足鋭くてマエ(前科)こそないが、詐欺の常習だ。そろそろ本性を出すころだよ。それをネタにしようと思っていたが、あんたに教えとこう」

 「それくらいは存じています」

 「渋川が静岡支部長だというレサシアン・コンサルタンツには実体がない。港区に法人登記はあるが、貸オフィスでね、役員は実在しないも同然、震災復興をエサにするダミー法人だよ。大体、レサシアンというのが救急救命法の研修用ダミー人形のことだ。しかし、渋川はiBフロンティアとつるんでるようだな」

 「それは詐欺グループですか」

 「元官僚が設立した一般社団だ」

 「元官僚が詐欺師を手先に使ってるのね。どっちがどっちを騙してるの」

 「言わずもがなだろう。iBフロンティアは滅多なことで足はつくまい」

 「特定廃棄物狙いは本気のようね。でもそれ、市長はよくても知事が難しいんじゃありません」

 「知事は国に作ってもらうの一点張り、そのくせどの候補地にも消極的、優柔不断の極致だからな」

 「はっきり言ってムリですか」

 「反対するまでもない。処分場はできても除染物はムリだよ。放射能の半減期ってのは、何をやっても変わらないんだから」

 「先生、今度はホテルじゃなく、お店にいらしてください。サービスさせていただきますよ」

 「目立つだろう」

 「ネットや市民の連中は来やしませんよ。私がママなの知ってますから」

 「いや、やめとこう。しばらく静岡には行くまい」

 「それは信用問題ですよ。天下の中林先生がいったん引き受けた仕事を放り出すなんて。どうやって先生のお顔を立てるか、ご相談しませんか」

 「神崎さん、こんなむさくるしい事務所じゃ手足が冷たくなっただろう。河岸を変えようじゃないか」

 「よろしいんですか」

 「ここは浜松じゃなく銀座だよ。僕のテリトリーだからね」

 「お付き合いいたしますわ」神崎は意味深長に微笑んだ。

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