14 順風満帆
花崎土木の社業は加速度的に回復していた。自社敷地の仮置場だけではなく、他の仮置場の管理も任され、被災家屋の解体工事やガレキ運搬も請負うようになった。通常、こうした仕事はそれぞれの会社に縄張りがあり、面倒な許可も必要なのだが、災害時はすべてが特例で、縄張りもなければ許可も不要、入札もあってなきがごときだった。前社長の評判が最悪だっただけに、静大在学中の大学生社長は新鮮だった。津波で父を失い、妹は意識不明という境遇で、社屋が全壊し機材も全滅した会社を再興し、復興事業に尽力する学生社長は、復興のシンボルとしてメディアの注目まで集めるようになっていた。ガレキ処理のボランティアも多数集った。この人気に乗じ、青井は花崎土木を年商100億円まで引き上げる計画を立てた。これは震災前の3倍以上だった。プレハブの社屋では手狭になったので、掛川にビルを借り、社長室も1人前の個室にした。自宅は必要がないので、柊山はまだアパート住まいのままだった。
忙しくなったスケジュールの合間に、柊山は浜松に通った。美神宮殿でも花崎若社長は今や人気者だった。しかし酔いつぶれるほどには決して飲まず、どこか義務的で、世話になったマルハナ斎儀社との顔つなぎに通っているという態度がありありだった。隣にはいつも雪乃が愛人気取りで座ったが、アフターは二度としなかった。この店でのアフターは買春を意味したからだ。柊山は女を買う側よりも売る側になりたかったから、こんな店を持てるマルハナ斎儀社の社主が羨ましかった。水割りグラスをムダに温めながら、2時間ほど適当な話題で時間をつぶすと、美神宮殿を出て、夜風にあたりながら、加治屋町をぶらぶらした。春の夜風に遅咲きの桜が舞っていた。
「誰か探してるの」不意に後ろから声をかけられた。自称社長付き運転手の楢野だった。
「ああ、楢野さん」
「あの子なら、もう浜松にはいないわよ」
「なんのことすか」
「しらばっくれてもだめ。全部知ってるわよ。あの子を助けたときのこと」
「なんで」
「ちょっと飲みましょうよ」
夜の街でも楢野は堂々としていた。二十代後半ともなれば、女はこうなるのかと、まだまだ世間知らずの柊山は感心した。彼女は勝手知ったる様子で、高層オフィスビルの最上階にある小洒落たショットバーに柊山を案内した。カウンター越しに遠く浜名湖の夜景が見える隠れ家的な店だった。ただし、被災した湖畔には、街の明かりではなく、建設重機の明かりが灯っていた。
「お互い、名前も知らなかったんだってね」楢野はロックグラスを片手にいきなり切り出した。「ちょっとしたロマンスよねえ。津波で全壊した高校の校舎で倒れているところを助けて、何時間も1人でおんぶして避難所まで運んであげて、それで名も名乗らずにわかれたなんて、ほんと素敵なお話。上手な作家が書いたら100万部売れるわ」
「意識がなかったんすよ。俺のこと覚えちゃいないすよ」
「そんなことないよ。命の恩人のその人が大好きで、その人のためなら命だってささげられるんですって。退院してから探しに戻ったんだってよ。だれかわかったのって聞くのも変だから聞かなかったけど、それって社長のことなんでしょう」いつの間にか楢野は、祐介君と呼ぶのはやめていた。
「会ったんすね」
「ええ、本人から聞いた話だもの。名前は桐嶋汐子よ。震災のときは高3、4月からは大学生になって東京にいるわ。浜松に居たのはほんの短期間よ。名乗り出てあげたら」
「大学に入ったんなら、親御さんも生きてるんすね」
「お母さんは見つかってないわ。お父さんはずっと前に死んだって。だから、彼女、天涯孤独なのよ。浜松には高校の先輩を頼ってきてたんだって。大学は推薦入学で、被災者ってことで入学金も授業料も免除、奨学金も出てるってさ。宗教系の大学みたいよ」
「そうっすか。大学生になれて良かったんだか悪かったんだか。あの津波で生きてただけでも奇跡だからな」
「他人事みたいに。会ってあげたら喜ぶよ」
「いいすよ、俺なんて、そんな資格ないすよ」
「社長って、不思議な陰があるよね。それに惹かれるのよ。前社長から聞いてたイメージと違うし」
「どう聞いてたんすか」
「俺をヤクザだってバカにして寄り付かないって。家業を継ぐ気はさらさらなくて、卒業してもアメリカで法律の勉強を続けて、ゆくゆくは学者か政治家にでもなるつもりだろうって。でも、そんな風に見えないでしょう。それに仮埋葬の仕事なんて、普通の根性じゃできないってみんな言ってるよ」
「楢野さんも変わってるよ。なんでそこまで調べてんの」
「社長のこと気になるから」
「それって俺に惚れたってことか」
「チンパンジーやゴリラの生態研究と同じよ」
「ちっ、なんだよそれ。大宮は知ってるけど、東京はもっと危ねえとこだよな。一人で大丈夫かな」
「やっぱり気になるんじゃない。東京っていっても八王子だから、浜松と変わんないよ」
「でも、やっぱ東京は東京、静岡とは違うだろ」柊山は彼女との思い出にふけるようにぼんやりと窓を眺めた。
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