12 偽社長
震災から2か月余が経過した1月7日、国の通知(戸籍法86条3項の例外的死亡届けに関する法務省民事局第一課長通知)により、行方不明者について、申述書により被災の日の死亡届けが可能になったと榛原市役所から連絡があった。花崎一郎の死亡届が受理され、柊山は父の死亡保険金1億円と、災害死亡による義捐金300万円、さらに自宅喪失の見舞金200万円を得た。故花崎一郎が持っていた花崎土木の発行済総株式の持分66%は、柊山と妹の麻美が33%ずつ相続し、柊山は家事審判により麻美の未成年後見人(民法840条1項)に選任された。柊山は株主総会によって花崎土木の代表取締役に選任され、花崎土木がマルハナ斎儀社から借入れた15億円の個人債務保証(相続による承継はない。個人の連帯保証は禁止されているが承諾書を入れれば可能という抜け道がある。金融機関は『経営者保証に関するガイドライン』(全国銀行協会、日本商工会議所)に沿った慎重な運用を求められている)を更改した。すべて渋川と神崎が書いたシナリオのとおりに進んだ。
柊山は渋川の勧めで青井千太郎を島田清治の偽名で専務取締役に迎え入れた。青井はてきぱきと会社の再建準備を進めた。榛原の津波被災地は建築制限(被災市街地復興特措法7条1項)がかかってしまったため、花崎土木の社屋も花崎一郎の自宅も、同じ場所には再建できなかった。幸い、材木問屋の花崎木材商店が前身だった花崎土木は広大な山林を持っており、しかも内陸にあったので被災を免れていた。そこで市街地に一番近く、すでに雑種地化して資材置場にしていた土地に仮社屋を建設することにした。飯場で使うプレハブの仮設事務所だった。
元従業員98人のうち、88人とは連絡が取れたが、新社長の下に集まったのは78人だった。女性事務員は1人を除いて誰も戻らなかった。前社長の死亡保険金と県市や日赤などから出る義捐金・見舞金・給付金で、復職希望にかかわらず未払給料を全額精算するという新社長の英断は元従業員たちから信用を得たようだった。そのせいなのか、前社長の倅の顔を知ってか知らずか、誰も柊山を偽社長だとは疑わなかった。青井が口煩そうな古株の幹部社員を復職名簿から外し、なけなしの退職金を支払ったことも、偽社長には好都合だった。
新社長の下での花崎土木の初仕事は、かつての不法投棄現場の山林を市のガレキ仮置場として貸すことだった。不法投棄現場は土壌がアルカリ性(汚泥の固化剤として混ぜられた消石灰、セメント粉、ベントナイト、石膏などによる)で草一本生えないことも、かえって幸いした。すでに渋川が市に根回ししていたので、契約は即日整った。平場だけで5ヘクタール、山林を拓けば15ヘクタールという広大な仮置場は、市内随一の規模となった。地価総額を7億5千万円(雑種地評価平米5千円)と見積もり、これを1年間4千万円で貸す契約だった。また、市から仮置場の管理も請負うことになり、1日200万円、1か月5000万円で契約した。形ばかりの入札はあったが、実質的には随意契約だった。そもそも契約の1か月以上も前から仮置場は見切り的に稼働していた。契約権限のある社長が遡及的に死亡となる可能性があったために契約が事後になったのである。どこの市町村でも、ガレキ処理の初動では口約束で現場のガレキ撤去作業や仮置場の稼働が開始していた。市からの受注が正式に決まり、倒産を回避する見通しが立つと、現金なもので、現場で使う重機のリース契約も俄かに整った。花崎土木はかつての活況を取り戻した。
飯場の朝は早く、7時には朝礼が始まった。8時にはガレキを積んだダンプが到着した。市が発行した運搬車証を確認し(テンプラ車証による便乗投棄も横行していた)、アスベスト建材や柱上トランスなどの有害物や家電ごみ、時にはご遺体が混ざることすらある積荷を展開検査し、ガレキの種類ごとに分別して積み上げる。たったこれだけの作業だが、仮置場ごとの管理には差があった。ここはあくまで仮置場、この後処分場に再移動しなければならない。海千山千の青井と渋川は廃棄物にも詳しく、後で処分に困るような積み方はさせなかった。おかげで花崎土木の仮置場の評判は市にも上々だった。
柊山は社長業と国大生を両立させるという口実で、現場には姿を現さなかった。新社屋の奥の神棚を背負う位置に、形ばかり社長のデスクは用意されていたが、進んで座ろうとしなかった。その実は生え抜きの社員に偽者だと勘づかれるのを恐れたのだ。そんな中、執拗に柊山につきまとう紅一点の社員がいた。前社長時代から経理担当だった楢野莉子だ。女性社員で唯一復職した彼女は勝手に自分を社長付き運転手に任命していた。もっとも社長車はなく、彼女の赤いホンダ・フィットが実質社長車だった。楢野は28歳、小柄だがバランスのとれた手足が魅力的な美人で、手が早いことで知られていた前社長の愛人だったのかと最初は思ったのだが、どうもそうではなさそうだった。京都のサブゼネコン牛午建設グループの令嬢で、徳島の産業廃棄物最終処分場リメイド取締役を兼務しており、ゆくゆくはグループ会社のいくつかを継ぐべく、地場の建設業者の仕事を学ぶための研修生として1年間だけ派遣されたのだという。震災を機に帰郷するかと思いきや、こんなときこそ勉強のチャンスと榛原に居残り、花崎土木が再始動するのを待つ間は、被災孤児を受け入れていた無認可保育所でボランティアの保母をしていた。
楢野は午前中だけ経理主任として事務をこなし、午後になると、柊山を迎えに来た。 「青井専務の好きなようにさせたらだめよ。祐介君が社長なんだからね」それが楢野の口癖だった。完全なお姉さん気取りだった。
渋川は柊山に形だけの社長になって遊んでいればいいと言ったが、お飾りでも社長になればまるっきり暇でもなかった。市役所、銀行、同業者、取引先、さまざまな会合が午後から夜にかけて毎日のようにあったし、復興関連事業の提案、機材の売り込み、就職希望者の面接、ボランティアの応募もあった。
「ガレキ処理なんてすぐに終わっちゃうわ。大学を卒業するころには次の展開を始めていないと会社は続かないわよ」フィットの運転席から楢野が言った。
柊山は楢野の説教など上の空で、運転中の女のミニから覗く生脚を助手席から眺めるのはいいものだと内心思っていた。脚フェチだったらたまらないだろう。
「大学辞めるかな」
「国大なのにもったいないわ。あと1年でしょう。単位取れてるんなら遊んでても卒業になるじゃない」
「まあ、それもそうだな」生返事はしたものの、大学には戻れなかった。偽者がばれるし、ばれなくても卒業する頭がない。
「大学に彼女はいるの」
「そこまで心配してくれないでも適当に遊んでっから」
「まさかババアの店じゃないよね」
「ババアってマルハナの神崎さんか」
「だめよ、あの女のお店に行ったら。どんなお店か知ってるよね」
「だけど、世話になってるし、多少の付き合いは必要だろ」
「経理担当はうちやからね。ババアの店の領収証は認めないよ」
「じゃあ、代わりに処理してくれんのかよ」
「それ本気で言ってるの」
「正直言ってさ、楢野さんてかなりいけてるよ。土建屋の社長って大概巨乳好きだろ。だから娘も巨乳って思ってたけど、スリムな娘もいるんだな」
「処理の件は考えとくわ」
「まさか、まじかよ」
「今夜の会合、わかってるよね」
「置場の火災対策だろ。北日本大震災の時は、置場で何度も火災が起きたから、今回は万全の対策を取る必要がある。何をおいても高く積まないことが一番。5メートル以上は厳禁だよな。あと、温度測定を毎日やる。消火器とか、水槽とか、あっても火が出てしまったら役に立たん。だからとにかく先手先手で温度を下げること」
「よくできました。市で最大の仮置場なんだから、火災出したら絶対だめよ。いいね、絶対よ」
「だけどよ、会合終わったら浜松に行くって約束したから、今日だけは見逃してくんねえかな」
「じゃあ、うちが送ってあげるわ。それで全部終わるまで待ってるわ。社長付き運転手ですから」
「なんだよ、それじゃ遊んだ気がしねえ」
「経費で落としてあげる代わりに、ご馳走してよ」
「そう来なくちゃ。それならぜんぜんOKだよ」楢野は苦手と言いながら、彼女と付き合うのが嫌ではなさそうだった。
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