8 美神宮殿
マルハナ斎儀社の社主、花沢正一がオーナーだというキャバクラ美神宮殿(ビューティーパレス)は、浜松随一の繁華街、鍛冶屋町のど真ん中にあった。柊山が想像していたよりずっと大きな店で、浜松はもちろん名古屋でもめったに見ない高級キャバだった。
「いらっしゃいませ~」
ピンクのドレス姿の雪乃が、神崎が同伴した柊山を見つけてすぐにフロアの端から走り寄ってきた。15センチヒールのプラダの赤いサンダルを履いて、X脚をばたつかせながら、大きめの尻を振って走るしぐさがかわいいと思った。大きく開いたドレスの胸元からは自慢のバストが毀れ落ちそうで、初心な客だったら目のやり場に困るほどだった。
神崎が着替えのために別室に消えたので、雪乃に手を引かれて黒いレザー張りのボックスに着いた柊山は、成金趣味としか見えない下品な調度を見回した。
「すんげえ店だな。葬儀屋って儲かるんだな」
「酒と女は葬儀社の応援団だってさ。これ、オーナーの名言集よ」
「なるほど」
「ママと同伴なんてすごいね。何か食べてきたの」
「ああ、肉だな。俺が焼肉がいいって言ったから」
「それならママも肉食よ。しかも若鶏専門」
「ほんとかよ」
「お客さん、お名前は」
「ああ、ひ…は…花崎だよ」うっかり本名を言いそうになった。
「え、もしかして花崎社長の」
「それ、オヤジのことか」
「ふうん、そうかあ」
雪乃はまじまじと柊山の顔を見直して、しきりにうなずいていた。「社長はどうしたの」
「行方不明らしいな」
「ああ、そういうことね。だからママがね。おかしいと思ったわよ、オーナー以外の同伴なんてしたことないから」
「オヤジはよく来たのか」
「そうね、私はあんまりお相手しなかったけどね」
和装に早着替えした神崎が戻ってきた。洋装より老けた感じになった。せっかくの豊満な鳩胸も、和装だとただのデブだった。
「雪乃、セットをお願いね。こないだ、お祝いにもらった木箱に入ったウィスキーあったよね。あれ、開けちゃおう」
「はあい」雪乃が立ち上がった後に、むせるほど女の残り香がした。
「何がヘルプだよ、ママじゃねえか。つまり、オーナーのレコってことだろう」
「昼も夜も働かせられる飼い殺しの貧乏人よ」
「なんで俺によくしてくれる」
「さあ、どうしてでしょう。社主があんたは偉くなるっていうから、青田買いかな」
「俺が偉くなるって、つまり、オヤジの後を継いで社長になるってことか」
「その話はなし。今夜はぱあっと飲みましょう。1本目はごちそうするわよ。そのかわり、私の飲み方に付き合ってもらうわよ」
雪乃が持ってきたのは、オークの化粧箱入り、カスクストレングス(樽限定原酒)のグレンリベット11年だった。神崎はワイングラスを小型にしたようなテイスティンググラスに60度近い原酒のウィスキーをストレートで注いだ。
「乾杯しましょう」神崎が最高の笑みで柊山を見た。
「うめえなこれ」柊山は生まれて初めてストレートでウィスキーの原酒を飲んだ。度数の割には舌に辛味を感じなかった。ところが直後に体中に深い芳香が広がった。今の今まで美味いと思っていたハイボールなんかとは、BMWのK1600GTLと原チャリほどの差があった。
「ママ、今日ははどうしたのよ。同伴ていうからジジイかと思ったら、こんなかっこいい人」雪乃がしらばっくれて鎌をかけた。
「花崎社長の御曹司よ。しかも静大の3年生、だったよね」
「うん、まあ」柊山は生返事をした。
「すごい」
「もっとすごいのは社長が津波で行方不明だってことよ」
「ていうことは、次期社長なの」
「やめてくれよ。まだ、死んだと決まったわけじゃ」
「行方不明でも死んだことになるんだよね。こないだ、島津先生(弁護士)が言ってたじゃない。失踪宣告(家庭裁判所の宣告)は1年(民法30条1項普通失踪7年、2項特別失踪1年)だけど、津波ならすぐに死んだことにできるって(水難等による官公署の死亡報告による戸籍法89条認定死亡)」
「人の親の生き死にで盛り上がるなよ」
「あ、メンゴ。で、どうすんの。社長になるの、学生続けるの」
「だから、どっちも決まってねえよ」
「花崎さんて、すごいのよ。昨日までうちの会社でご遺体洗ってたの。たいてい1日で逃げちゃうんだけどね」
「え、うそ。信じらんない。どうしてそんな仕事できんの」
「それが葬儀屋の仕事だろう」
「そりゃあ死化粧するのは葬儀社の仕事だけど、水死体とかだと、ベテランでもむずいよね」
「最近、ボランティアの話とかいろいろ聞くけど、死体洗ってた人は初めて」そう言いながら雪乃は柊山に体を密着させてきた。まるで低反発ウレタンのように柔らかい体だった。
「人がやらないことやんないと偉くなんないのよ」
「なるほどねえ」
「雪乃は生きてる体洗うのは得意だったよね」
「やだママ、ばらさないでよ」
「まあ、そのおっぱいならソープだよな」
「ほら、ママが余計なこと言うからばれたじゃん」雪乃はわざとむくれて見せた。
「俺、ソープ好きだけどね」
「そうなんだ。あたし、静大だっていうから、そんなことしないのかと思ったじゃん。じゃ、ママがOKなら、後でサービスしちゃおかな」
「あたしはかまわないわよ。雪乃に譲ったわ」
「ほんとに、あたしもらっていいの。わかりました。責任もって預かりまあす」
目が覚めると柊山はホテルのベッドに寝ていた。浜松市内のラブホのようだった。しかし入室した記憶がなかった。隣に雪乃が寝ていた。下着は着けていなかった。
「俺ゆんべしたのか」柊山は目をこすりながら雪乃の真っ白なゲレンデのような背中に手を置いた。
「したよ」雪乃が寝返りを打ちながらあっさり言った。胸の隆起を隠そうともしなかった。
「覚えがねえなあ」
「ほんとはしてないかも。あんた、すぐに寝ちゃって、最低だよ。こっちはぜんぜん寝らんねえじゃんよ」豊満な乳房が柊山の脇に押しつけられた。形を保っているのが不思議なくらい柔らかかった。ガレキの中を何時間もおぶって運んだ高校生の胸の感触をつい思い出した。
「どれくらい飲んだんだ」
「ウイスキー2本」
「つぶれたのか」
「まあ、そうね」
「金はどうした」
「ママのごちそうよ。このホテルもママんとこだから」
「なるほど、そういうシステムね」
「ねえ、もっかいちゃんとやろう。ゆうべはなんかやった気がしなかったよ。うなされるばっかでさ、誰とやってんのよってか」雪乃が誘惑するような目を向けながら柊山の股間をまさぐろうとした。
「俺、榛原の市役所行かねえと」柊山は無視して身支度を始めた。
「なによ、女に恥かかせてさ」
「べつにやらせろって言ったわけじゃねえぜ」
「ひどい。じゃ、勝手にしろ。あたしはまだ寝っからね。ぜんぜん寝てねえから」
「朝飯食おうぜ」
「あたし、お化粧してないし」
「どれくれえかかんだ」
「ほんとは3時間だけど」
「まあいいか。そんくれえなら待っててやるよ」柊山は着かけたシャツを放り出してベッドに身を投げ出した。
「あんた遊び慣れてんのね。すっぴん覗いたら殺すからね」恥じらいもなく雪乃は全裸で起き上がるとバスルームに走った。
雪乃のきれいに太った尻を眺めながら変なこともあるもんだと思った。欲を言えばX脚が気になるけど、めったにいないいい女なのに抱く気がしない。死体の尻ばかり見たせいかと思った。
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