第19話 恋とは?
今日は、待ち望んでいたはずの日曜日。
田上先生に会ったら、まずは何から伝えよう。
先生がほとばしる熱意をもってして哲学について語ってくれたから、無事に三人でライヴに出れたこと。誰よりも一番ライヴを観に来てほしかった先生が、遠くからひっそりと見守ってくれていて本当にうれしかったこと。
今日先生に会ったら伝えたいことは、はちきれそうなくらいに沢山あったはずなのに。
今の俺の頭の中は、数日前、あの新歓ライブの後に起きた
あれ以来、何をしていてもふとした拍子に三村さんと咲のやり取りが鮮烈にフラッシュバックし、他のことについて思考する余地を根こそぎ奪われている。
『言い訳ばっかで、ごめん……あたし、さっきからホントに変だね。その……ハルは、あの子と付き合うの?』
あの咲の問いかけに、俺はあの日からもう二日も経とうとしている今でも答えられないでいた。
『……さっき三村さんにも言ったけど、本当に分かんないんだ』
三村さんは、時間をかけて自分のことを考えてくれたら嬉しいと言っていた。彼女自身、俺の立場からすると判断材料が少なすぎることは当然分かっていて、早急に答えを求めているわけではない。だからこそ、とりあえず決断は先延ばしにして、今は三村さんがどんな子なのかを掴むことに邁進すれば良いのだと思わないこともない。
でも、こうも思ったのだ。
この先、三村さんと関わって、彼女のことを知っていくとして。
三村さんのことを充分知りえたその時、俺は決断できるのだろうか、と。
知っていく中で、この子となら是非お付き合いしたいと思えるのだとしたら、幸せだろう。こんなにも、うじうじと湿っぽく思い悩む必要なんて全くない。
でも、もし、やっぱり違うと思ってしまったら?
その時は断れば良いという短絡的な発想で、果たして本当に良いのだろうか。
中学時代から惚れた腫れた、付き合っている付き合っていないだのを経験してきた恋愛マスターが聞いたら、『まだ付き合ってもいない段階でそんなに真剣に思い悩んじゃうなんて気持ち悪い! とりあえず付き合っちゃえばいいじゃん!』と、けちょんけちょんにけなされそうだけれども。
まだ判断がつかないからと保留にしていたら、いつまでもこの宙ぶらりんな状態を引っ張り続けることになってしまいそうで怖くもある。待たせている期間が長引けば長引く程、断り辛さが増して、後には退けなくなるだろう。
結果としてやむなくそうなってしまったのならともかく、できればあまり、人の気持ちを弄ぶようなことはしたくない。
それに……俺が、ドラマや映画から思い描いていたお付き合いというものと、今の現状とは、だいぶかけ離れているようにも思えた。
思い描いていたイメージでは、もっとこう、思い悩んだ末に迷いながら決めるものではなくて……。
『なあ、咲。これは、恋愛偏差値ゼロの俺が抱いてる妄想なのかもしんねーけど……付き合うとかそうゆうのって、好きだなって思う人とすべきなんじゃねーのかなって、思ったりもしてるんだ。もちろん、三村さんのことを知っていく中で、好きになる可能性だって充分ありうるとは思うけど……今は、三村さんのことをそういう風に考えられるかって聞かれたら、なんとなく違う気もしてて……』
気づけば、緩んだ蛇口から水が漏れ出るように、思考がそのまま口から飛び出ていて。咲がぎょっとして瞳を丸くした瞬間、柄にもなく恥ずかしいことを言ってしまったという羞恥心が吹き荒れて、舌の根が乾いて仕方がなかった。
頬が発火しそうなほどに熱くなっていくのを止められない中、慌てた俺は取り繕うように渇いた笑いを漏らした。
『はは……俺、柄にもなくめっちゃ恥ずかしいこと言ってるな……。それとも、こんな考えはドラマの見過ぎによる妄想の産物でしかないのかなぁ』
でも、その時の咲には俺の取ってつけたような取り繕いの言葉なんて、全く耳に入っていないようだった。
『ハ、ハル…………。もしかして、好きな人が、いるの?』
好きな、人。
咲からぽつりと漏れたその言葉に、心臓が
瞬間、春の陽だまりのようにあたたかくてやさしい笑顔が頭を掠めて、喉が締め付けられた。呼吸が浅くなっていくのを、どうにも止められなくなって――
『まさか! 俺がずっとベース一筋だったってことは、咲もよく分かってるだろ?』
波打ち始めた感情を抑えつけて自分に言い聞かせるようにそう答えた俺に、咲は『そっか、そうだよね!』と一応のところは納得したようだった。
その後はあえてそういう話題は避けて新歓ライヴやバンドの話で盛り上がり、咲が入道雲みたいに生クリームを盛ったパンケーキを平らげた頃には、普段通りの空気に戻りつつあった。解散する頃には、咲もいつもの快活な調子で『またね!』と笑ってくれて、心底ほっとしたものだ。
でも、問題は依然として何も解決していない。
あの日から、まだ三村さんとは顔を合わせられていない。おまけに、樹からは『裏切り者!』と理不尽に罵られた。結局、何も決められないままに、週末を迎えてしまったのだ。
先生が来る前に予習をしておこうと倫理の参考書を開きはしたものの、全く内容が頭に入ってこない。倫理の参考書に顔をうずめながら、はぁ、とため息を吐く。
「恋、ってなんなんだろ……」
「天野君って、いつ見ても悩んでいるわね。ここまでくるともはや天才的ね」
「ひうっ!?」
驚きすぎて、硬直した。
固まって、顔すらあげられないでいる俺にかまわず、田上先生はすっと俺の前の席に腰かけると、透明感のある可愛らしい声音で容赦なく言葉の礫を投げつけてきた。
「それにしても、年齢=彼女いない歴の典型例に見える天野君に、まさかそんなませた悩みがあっただなんて驚きだわ。さしづめ、クラスの中の一番の高嶺の花に無謀にも片想いをしてしまって、当たって砕けろ精神でぶつかったはいいものの、成就するはずもなく無残に砕け散ったところかしら」
「ごふっ」
あまりにも酷すぎる想像に、
なんであの少ない情報量から、俺の身の程をわきまえていない片想いだって確定してんの!? しかも、既に振られてることになってるし……!
ああ、もう!
一瞬でも、好きな人と聞いてこの人の顔を思い浮かべてしまった俺があまりにも馬鹿みたいじゃないか!
ガバッと顔をあげて、相変わらずのお人形さんみたいに整った小さい顔から、毒針のように鋭くパンチの効いた暴言を繰り出す先生に抗議する。
「失礼過ぎませんか!? そもそもにして、俺は告白された側です……っ!」
「えっ……。それは、天野君がモテたいあまりに生み出してしまった、偽の記憶もしくは夢落ちではなくて? 本当の本当に現実にそんなことが?」
「そこまで疑われるなんて、流石の俺でも凹みます……」
「冗談よ。ベースを弾いている天野君は存外格好良かったから、そういうこともありえなくもないかもね」
田上先生が、悪びれずに屈託なく微笑む。
その飾っていない不意打ちの柔らかい微笑に、心臓が否応なしに飛び跳ねる。
こうやっていとも簡単に人の心臓を揺り動かす先生は、本当にズルい。
先生に対してこんなにも心臓が反応してしまうのは、先生が可愛くて美人だか
ら、ただ条件反射的にそうなってしまうだけなのだろうか。
黙りこくってしまった俺に対して、田上先生は楽しそうに語り始めた。
「恋とは何か。天野君と同じように疑問に思い、真剣に考え抜いた哲学者がいたわ」
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