第8話 先生の下した結論とは
『あたしだって、華のJK らしくオシャレしたいし、みんなと流行りのパンケーキ屋さんにも行きたいの! そのためにはお小遣いだけじゃたりないから、バイトを始めざるをえなかったのよっ』
咲は今までわだかまっていた思いを洗いざらいぶちまけると、目立つことこの上ないツンツン金髪ヘッドから今にも湯気を立てんとしている樹から視線を外して、俺のことを見やった。
意志の強そうな咲の瞳は、俺と視線がかちあった瞬間、ほんの少しだけ弱気に揺れた。
いつも快活に楽しんでドラムを叩いているように見えていた咲が、内心ではこんなにも猛々しく不満を抱いていたなんて、あまりにも寝耳に水で、ショックが大きくて。俺はただただ呆然と突っ立っていることしかできなかった。
咲は薄い唇を噛むと、無造作にスクールバッグをひっつかんだ。そのまま唖然としている俺とまだ苛ついている様子の樹を残し、スタスタと部室を立ち去ろうとした。
『咲! まさか、今日でもうバンドを辞めるなんて、言わないよな?』
不安を隠しきれなかった俺の言葉に、咲は部室の出入り口の前で足を止めた。
少しして、俺たちに背中を向けたまま、弱々しくつぶやいた。
『あ、あたしだって……ドラムにもそれなりに愛着がわいてきたし、二人と演奏している時は、楽しいと思ってるよ。高校生活の全部をバンドに捧げようとまでは思えなかっただけで、それでも許されるならあたしなりにこれからも頑張りたい気持ちはある。でもね、あんた達の思う頑張ると、あたしの思う頑張るは、ちょっと、違うのかもしれない』
いつも溌剌としている咲らしくもなく、風に吹かれたら消えてしまいそうなかすれた声だった。
『今日はどーせ一曲も通して弾けないし、これ以上、樹に嫌味を言われるのは勘弁だから帰る。あたしの下手糞なドラムが気に食わないんなら、代打でもなんでも探して、あたしのことは首にすればいいわ!』
明るい栗毛のポニーテールがゆらりと部室の外に吸い込まれて、荒々しく部室のドアが閉められたその時、重たい沈黙に喉を絞めつけられるようだった。
三人でスリースターズというバンドを結成して一年とちょっと。
初めての大喧嘩というだけでも心臓が痛いのに、まさかの解散の危機……!
思いっきり頭を殴打されたような衝撃に襲われて、目眩すらした。
樹と咲とは、中学一年生の時に同じクラスになって以来の腐れ縁だ。
二人とは、当時よく聴いていたバンドが一緒だったことから話が弾んで、自然と仲良くなった。中学時代は樹がバスケ部で、咲がテニス部だったから、二人とも放課後は身体を動かすことに全力で打ち込んでいて、何かと忙しそうだった。特にこれといってやりたいことも見つからなかった俺は、そんな二人を眩しく見つめながら、ぼんやりと帰宅にいそしんでいたっけ。
だから、同じ高校に入って、気の合う二人と他でもないバンドを一緒に始められたことは俺にとって嬉しくてたまらない出来事で、胸がいっぱいになった。
中学時代に得られなかった全力で何かに打ち込むという経験。
それを大好きな二人とバンドという形で掴むことは、俺にとっての夢でもあったのだ。
でも。
『ハル。あんな馬鹿は放って、ドラムの代打を探すぞ』
『樹!? 本気で言ってるのか?』
『あいつ自身が、首にしても良いって言ってただろ。俺は、バンドに関してだけは妥協したくない。ドラムより、服やパンケーキの方が大事だなんてぼざく奴とはこの先やっていけねーだろ』
俺の大好きなスリースターズの絆は、この日、瞬く間に風前の灯火となってしまったのだ。
*
先生にこの悲劇を語っている内に、その時の生々しい感情が蘇ってきて、どんどん気持ちが滅入ってきてしまった。気づけば、頭を抱えながら、思いっきり弱音を吐いていた。
「ああ……! もしこのままホントに解散なんてことになったらどうしよう! ううっ、中学時代からずっと三人で仲良くやってきたのに」
「実態は学生のおままごとバンドにすぎないのに、発言だけ切り取ると一端のプロのようで笑えるわね」
「先生……もしかして、俺のことを嘲笑うためだけに、悩みを聞きだしたんですか?」
「心外ね。流石にそこまで悪趣味じゃないわ」
ということは……田上先生は既に最善の解決策を思いついているというのか?
先生ほどの高いIQを持ってすれば、こんなことは悩むまでもないことだったのだろうか。
先生の考える、この危機の乗り越え方とは一体……?
縋るようにして、じっと先生の整った顔を見つめていたけれど……、
「天野君。まるで捨てられた子犬が救いの手を差し伸べられたかのように期待に満ち満ちた瞳をしているところ申し訳ないけれど、その問題に誰もが納得する真の正解なんて、そもそも存在しないわ」
その潤いのある唇から淀みなく放たれたのは、望んでいた救いの光とはあまりにも真逆にして真っ暗な絶望。
期待が膨らんでいただけに冷たく見放されたことによる狼狽は大きく、俺は何も言い返せずに瞳だけ見開いて固まってしまった。
田上先生は、俺が言葉を詰まらせようがそんなことは私の知ったことではないと言わんばかりにさらなる追撃を繰り出して、俺を途方に暮れさせた。
「瀬戸君のようにバンドだけに高校生活の全てを捧げるという頑張り方もあれば、平井さんのようにバンドも頑張りたいけれど他のことも楽しみたいというのも一つの頑張り方。これは、どちらのほうがより正統性のある真の頑張り方であるかという問題ではないわ。どちらも、正しいのよ。瀬戸君の意見も、平井さんの意見も、それぞれの価値観に照らして考えるならばどちらも正解。ただ、平井さんの言う頑張ると、瀬戸君の言う頑張るの間には大きな隔たりがあるというだけのこと。物事を測るモノサシは、人それぞれ別々に持っている。もっともっとわかりやすくぶっちゃっけて言うならば、価値観は人それぞれってことよ。だから、誰もが納得できる、唯一無二の客観的基準、絶対的真理なんて存在しない。そんなものは求めたって無駄よ」
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