第2話 最強美人先生の本性
田上先生は、清楚なのに、どこかエロい。
清廉潔白な乙女のような可憐さに、どこか立ち昇ってくるような色気を香らせているとでもいおうか。とにかく、一見矛盾すると思われる二つの要素を見事に兼ね備えていて、絶妙なバランスを保っているのだ。
その上、性格も神がかって優しいとかいう嘘みたいな話が、マジだった。
この前たまたま廊下ですれ違った時、田上先生は、見ず知らずの一生徒に過ぎない俺に対しても律儀に挨拶してくださったのだ。
すれ違ったのはほんの一瞬だったけれども、先生の浮かべた甘い微笑は、もちろん即刻、俺の脳内永久保存版となった。そのあまりの可憐な微笑みにうっかり見惚れてしまってしばらくドキドキしていたところを、バンド仲間の
兎にも角にも。
落ちこぼれの俺ですら、
そんな完璧美人教師と地元のカフェでばったり遭遇してしまうだなんて、誰が想像できただろうか?
先生の姿が視界に入ったその瞬間、それまで半分まどろみかけていた俺の脳は、瞬時にして覚醒した。
周りの人も田上先生の他を圧倒する華々しい美貌にぎょっとして、吸い込まれるように見入っている。
肩上あたりで綺麗にカットされている黒髪は、芸術的に天使の輪っかがかかっていて、艶々だ。黒目がちの大きな瞳は、どこか艶っぽい。じっと見つめられたらうっかり恋に落ちてしまいかねない潤いがあって、ドキッとする。
学校での先生は黒いスーツをタイトに着こなし、可憐さと色気を暴発させては男子生徒たちの心臓をスリリングに揺らしている。
しかし、今日は、白いブラウスにふんわりとした桃色のフレアスカートを身に着けていて、いつもよりもどこか幼く見えた。
な、なんだ、これ……!
アイドルにも全然劣ってない、反則級の可愛さじゃないか!
下種な考えだけど、写真の一枚でも盗撮しておいたら、後々高く売れそうだ。
こんなの、どうやっても視線をひきつけられてしまう。
先生はウエイトレスさんに案内されて、友達らしい女性とともに俺の腰かけているテーブルの方へと向かってきた。
って、あれ……?
誰もが憧れる超絶美人教師が、俺の方へと近づいてくる。
意識し始めた途端、心臓がうるさく高鳴り始めた。
結局先生たちは、俺の一つ後ろのテーブルに案内されて、そこに優雅に腰かけた。
!?
あ、あの田上先生が……!
ソファを隔てて、俺の真後ろに座っていらっしゃる……!?
やばい、動悸がしてきた……。
今、先生は、自分の学校の生徒が真後ろに腰かけているだなんて思いもしていない。俺にとっての先生は憧れの美人教師だけど、先生にとっての俺は本当に、名前すら知らない一生徒にすぎないのだ。
状況から察するに、先生は、貴重な休日をのんびり友達と過ごしている真っ最中な雰囲気だ。
ごくりと唾を飲み込んだ。
田上先生の、プライベート……。
盗み聞きは、一般的に考えて、道徳に反する悪いことだ。
でも、意図せずして聞こえてしまったのならば、それは不可抗力ということになるだろう。
よし。
俺は背後で繰り広げられている会話を聴き取るべく、全身全霊で聴覚を研ぎ澄ませた。
「ああ、もう! こうしてストレス発散でもしないと本当にやっていられないわ」
「あはは……。教師はキツいって聞いてたけど……やっぱり、大変なんだね」
「ええ。仕事の愚痴なら、いくらだって吐き続けられるわよ」
へっ……?
あの優しい声音で語られるそのあまりのショッキングな内容に、俺の心臓は違う意味で高鳴り始めた。
これはたしかに、皆の天使こと田上先生の発言で、間違いない。
この聴き取りやすくて可愛らしい特徴的な声は、せせらぎ高等学園の生徒であれば、聞き間違えるはずがない。
「だって! 私が練りに練って徹夜で仕上げた指導案は、ベテラン糞ジジイからの『教科書から逸れすぎている。作り直しなさい』の一言で泣く泣くお蔵入りよ!? 本当は不満たらたらだったけど、社会人になった以上、上からの命令には逆らえないからしっぶしぶ作り直したわ」
憎々し気に吐き出される怒涛の悪口のオンパレード。
ちょっと眩暈がしてきた。
ええと……一旦、整理しよう。
田上先生は、容姿だけでなく、性格も天使みたいに優しくって完璧。
事実、俺のような名前すら知らないであろう生徒にも、廊下ですれ違えば極上の微笑を返してくれていた。
田上先生は、内実もともなった聖女……のはずだったけれども――
「嫌味なくらいに教科書に沿って作ってやった指導案はつっまんない駄作もいいところだったけど、結局そっちが採用されたのよ。苛立たしいこと、この上ないわ。で、案の定、その
――ここまでくると、そろそろ認めざるを得なかった。
田上先生ってもしかしなくても……死ぬほど口が悪い、結構やばめの女だ。
確信したのと同時に、ふと、とんでもないアイディアが俺の下に飛来した。
これってもしかして……千載一遇のチャンスじゃないか?
俺は、神から啓示を受けた預言者が導かれるようにして、いそいそと通学カバンからあるものを取り出した。ほぼ無意識の内に、その行動をとっていた。
「クソガキどものおもりと、教材研究のほかにも、やらなきゃいけない雑務が目白押しで毎日残業パラダイスよ。クソガキだけでも目に余るっていうのに、その親も相手にしなきゃいけないんだからため息を吐かざるを得ないわ。この仕事に就いてから、初めてモンスターペアレンツがリアルに存在することを学んだわ」
その後も田上先生は、学校関係の人に聞かれたら即刻クビになりそうな危うい愚痴を吐き出しまくり続けては、友人の雪乃さんを爆笑させていた。
「はぁ……私は、こんなことをやりたくて教師になったわけじゃなかったのに」
先生がため息を吐いたのと共に、雪乃さんが席を立ちあがり、お手洗いの方に向かっていった。
今だ。
もし、先程思い浮かんでしまった、あのとんでもないアイディアを実行するならば、間違いなく今しかない!
心の声に急き立てられるようにして立ち上がり、いそいそと田上先生の前に立ちはだかった。
学校中の誰からも羨望の眼差しを受けているあの小さい顔が、不審そうに俺のことを見やる。
その透き通った黒い瞳には、いつになく緊張している俺の姿が映っていた。
でも。
ここまできてしまったからには、もう、後には引けない。
「田上、先生。こんなところで先生にお会いするなんて思ってもみませんでした」
先生の瞳が、ほんの一瞬だけ驚きに揺れる。
でも、彼女はすぐに平静を取り戻して、落ち着いた様子で答えた。
「あら。あなた、うちの学校の生徒だったの?」
「ええ。あなたがまさか、学校では死ぬほど猫をかぶっているだなんて、思ってもみませんでしたよ」
真っ直ぐに見据えてそう言い放つと、先生は細い肩をすくめ、バレてしまったものを今更取り繕っても仕方ないとばかりに開き直ってみせた。
「あら。この世の中、猫をかぶっている方が得をすることが多いのよ。でも、このことは学校では他言無用よ」
絶対にそう来ると確信していた。
その予感が当たったことが嬉しくて、自然と口元が綻んでしまう。
「いいですよ。でも、条件があります」
すうっと息を吸い込む。
肺に滑り込んできたぬるい空気と共に、俺は勇気を奮ってその言葉を放った。
「俺に、倫理を教えてください」
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