第十話 異端審問

 何人か、牢獄から連れ出されてから戻って来ない奴がいた。


 デイランは眼を開け、向かいのろうを見る。

 からっぽの牢を。


 大まかな時間は、食事で何となく察した。

 一日二回。

 肉汁にクズ野菜のスープと、一欠ひとかけのパン。


 足音が聞こえた。

 デイランは静かに目をやる。

 兵士が二人、デイランの牢の前で立っていた。

 鍵を開けられ、扉がきしみながら開く。


「出ろ」


 デイランが身体を立ち上がり、扉を出ると、兵士が前後を挟み、歩かされた。


 久しぶりの外だ。

 昼間だろう。

 直射日光でもないのに、眼を刺すような明るさに思わず眼を細める。

 だが、少しでも立ち止まれば、小突かれる。

 かすかに涙目になったまま、歩かされる。

 手枷てかせ足枷あひかせがジャラジャラと音を立てた。


「どこに行くんだ?」


 後ろにいる兵が言う。

「法廷だ。貴様の罪が赤裸々になる」


「俺は無実だ」


「みんなそう言う。

だが、法廷ではアルスによって真実を明らかにされる。

嘘の闇は、真実の輝きの前では無力だ」


 いかにもな、ごたくだ。


 身体に不自由はない。

 牢屋の中でも腕立て伏せや、逆立ちなど身体を動かし、筋肉がえぬようつとめてきた。


 それでもやはり、あの狭い空間では限界があったらしく、身体の重たさを感じてしまう。


 と、向こうからやってきた二人組の兵士と擦れ違う。

 二人の会話が何とはなしに耳に入る。


 ――アリエミールの王がわざわざ来たんだとよ。

 ――何の用だ?

 ――どうやら救いたい罪人がいるらしい。

 ――女か?

 ――かもなぁ。ギャハハ!


(は?)


 兵士たちの声に、はっとして振り返る。


「おい、何をしている。止まるなっ」


 後ろから小突かれ、歩くよう強いられる。

 たちまち声は聞こえなくなってしまう。


 聞き間違い、ではない。


(ロミオが……?)


 何故。

 疑問が頭を過ぎる。


 そうこうするうちに、やがてある建物の中に入る。

 細い通路が真っ直ぐ延びている先に扉がある。

 そこを抜けると――。


 そこには小さな広場のような空間になっており、その周囲に百人近い人間達が揃っている。

 さすがのデイランもその光景に面食らってしまう。


 観客はざわめき、口々に叫ぶ。

アルスの敵めっ!」

「異端者を殺せ!」

「地獄に落ちろっ!」


 声だけではない。

 足で床を踏みならし、声を上げていた。


 さらに目の前には壇上があり、そこには白を基調とした服をまとい、ひげを生やした老人が三人、座っていた。

 三人の内、真ん中の一人が、木槌きづちを叩く。


「みなさん、静粛にっ」


 すると、周りにいた人々は瞬く間に静まる。


 改めて真ん中の老人が言う。

 あれが裁判長なのだろう。


「被告人、名は」


「……デイラン」


「何故、お前がこの場に呼ばれたか、分かるか?」


「分からない。俺は何もしていないからな」


 すると再び周囲の人々が叫ぼうとするが、それは老人の手振りで静まった。

 まるで手の込んだ芝居にでも付き合わされているような錯覚におちいってしまう。


「お前は、かつて人間族が蛮族共と結んだ千年協約に背き、連中と交わった……。

そうだな」


「いいや」


 老人は口元を緩める。そこにはあざけりがある。

「なるほど。認めぬ、というのだな」


「認めないんじゃない。

無実だと言っているんだ」


「……ではこれより、有罪証人、無罪証人とが現れる。

両者の証言を聞き、当法廷は判断することになる」


デイランは思わず失笑してしまう。

 まさかこの世界でも司法と対決することになるとは思わなかった。


「デイランよ。お前は非常に運が良い。

本当であれば無罪証人など出てこぬはずだが……お前を助けようという者がいる。

証人、入りなさい」


 すると、広場右手の扉が開き、無罪証人が姿を見せた。


「ロミオ……!?」


 ロミオはデイランをちらりと一瞥し、涼やかに微笑み、裁判官を仰ぐ。


「証人名は?」


「ロミオ・ド・アリエミール」


 裁判長が言う。

「国王陛下が証人に立たれるとは、長い裁判の歴史においても初めてのことです。

さあ、どうぞ。被告人の無罪証言を」


 小さく咳払いをし、ロミオは言う。

「彼は、我がアリエミール王家の忠良なる臣……。

彼をロザバンに接しているナフォールに向かわせたのは、そこの治安がひどく悪化していたからなのです。

ロザバンはエルフ、ドワーフの地……。

向こうが進出してきたのを止めるのも、彼の大事な責務なのです。

おそらくそれを見間違えたのだと推測します」


「なるほど。では千年協約を破った訳ではない、と?」


「無論です。

それに、千年協約違反と申しますが、あれは王国とエルフ・ドワーフが結んだもの。

個人に適応される例は聞いたことがございません。

なにゆえ、結ばれて数百年……このように千年協約違反として彼を摘発するのか。

それを問いたいと思っている次第です」


 裁判官は答える。

「千年協約はそもそも人間族と蛮族とのいさかいを止める為のもの。

両者が争わぬ方は、決して交わらぬこと……。

それゆえ、たとえ条約上は王国とエルフ・ドワーフとのものであったとしても、それは人間族全て、エルフ・ドワーフの全てに適応されると解釈することが正しいのです」


「彼の即時、釈放を、は求めます。

彼は先の帝国との戦いにおいての勝利の立役者。

彼を失えば、我が国土は帝国に蹂躙じゅうりんされるのですっ!」


 ロミオの声が響く。


「陛下。ここは聖界なのですよ。

俗世の闘争の名分を持ち込まないで頂きたい」


 ロミオは虚を突かれたようだった。

「俗世?

この地が帝国に犯されれば、教団自体危うくなるやもしれないのですぞ!?」


 裁判官は子どもでも諭すように言う。

「陛下。

重ねて言いますが、ここは俗事を語る場ではございませぬ。

ここでは関係無いことなのです」


「裁判長!」


「陛下。あなたは証人だというのに、彼を無罪にし得る証言を一切口にしていない。

蛮族共と彼が交わっていない証拠を持って来て頂きたい。

それが証明されなければ、無実とする訳にはまいりません」


 ロミオは目を見開く。

「無実を証明?

やっていないことをどう証明せよと言うのですかっ!」


 ロミオは食い下がろうとするが、すでに裁判官は違う方を見ていた。

 すでに王に興味などないと言わんばかりな露骨な態度だった。


「では、続いて有罪証言人を呼びましょう。

信仰篤あつい彼女が、このたび、勇気を持って告発をしてくれたのです」


 すると、左手から十代と思しき少女が現れる。

 彼女は、他の観客の多くがそうしているのと同様、白い長衣に身を包んでいる。

 その服の胸元には赤い星。

 彼女を温かい拍手が包む。


(とんだ茶番だ)


 裁判官はそれまでの態度を一変させ、微笑んだ。

 まるで孫にでも語りかけるような優しさで言う。

「お嬢さん。

さあ、名を。皆に聞こえるように」


 少女はか細い声で呟く。

「は、はい……。

マリエンヌと申します……」


「マリエンヌ。

今日はよく勇気を出してくれた。

さあ、君の証言を聞かせて欲しい。君は何を見たんだい?」


 マリエンヌは、デイランをちらりと見る。

 デイランが見返すと、マリエンヌははっとして顔を伏せる。


 木槌が叩かれる。

「被告人!

証言者への威嚇いかくは己の罪を重くするぞっ!」


 デイランは不愉快さに眉間みけんにシワを寄せる。

「ただ見ていただけだ」


「さあ、マリエンヌ。続けて」


「……あの人が、エルフとドワーフと共に語らっているのを見ました。

とても親しげでした」


 人々の方から、深い溜息が聞かれた。


 裁判官が芝居がかった動きで前のめりになる。

「それで?

その内容を聞いたのですか」


「は、はい。

あの人は、あのけがらわしい連中と共に……お、王国を滅ぼそうとくわだてて……」


 今度は傍聴席から悲鳴が上がった。


 裁判官は、身震いする。

「何と恐ろしい!

何とおぞましいっ!」


「私は恐ろしくて……

恐ろしくて……」

 自分の身体を抱きしめ、震えたマリエンヌはその場に倒れる。


 傍にいた兵士たちが彼女を慌ててかつぎ起こす。

 どうやら気を失ったらしい。


 デイランは言う。

「今度は何が出るんだ。

火でも噴くのか?」


 裁判官は烈火の如く、木槌をふるう。

「口を慎め! この蛮族と交わる悪魔めっ!」


 続けざまに裁判官は言う。

「判決を言い渡す。

――有罪。

被告人、デイランに死刑を言い渡す!

刑の執行は明日、早朝!

広場にてり行うっ!

アルスと守護聖人の加護があらんことを!」


 瞬間。

 ワアアアアアアアアアアッ!

 裁判女全体が揺れるほどの歓声が上がった。

 観客達が立ち上がり、万雷ばんらいの拍手を響かせていたのだ。


 ロミオは叫ぶ。

「こんなものは茶番だ!

裁判長!

は即刻、デイランの釈放を求める!

アリエミール王国の国王としてっ!

履行りこうされない時には予にも考えがあるっ!」


 しかし裁判官はそれを一蹴する。

「私の主人は唯一、アルスのみ!

俗世の王になど従わぬ。

以上、閉廷っ!」


 木槌の音と共に、デイランの両脇を兵士が固め、無理矢理に法廷より出そうとしていた。


「デイラン殿! すぐにお助けいたしますっ!

お待ち下さいっ!」

 ロミオの叫びが響き渡った。


「ロミオ!

心配するなっ! 俺は大丈夫だっ!

お前は王都へ戻れっ!!」

 デイランは力の限り、叫ぶ。


 黙れと、兵士に殴りつけられたが、構わず言った。


                   ※※※※※


 ロミオはきびすを返して、法廷を出た。


「マリオット!」

 側近の名を呼ぶ。


 やるべきことはある。

 本当はこんなやり方はしたくはなかった。

 しかしやらなければならない。

 デイランを失う訳にはいかない。


 やるべきこと、それは近衛兵によるデイランの身柄の強奪だ。

 同時に、王都へ援軍を要請し、この街を囲む。

 圧力を加えて、うなずかせる。

 乱暴は百も承知。

 しかしやらなければならない。


 だが、現れたのは側近ではない。

 星騎士たちだった。

「何だ、お前達。呼んでは……」


 槍が突きつけられた。


「何の真似だ。予を、アリエミール国王と知っての所業かっ!」


 と、指揮官と思しき人間が現れる。

「ロミオ・ド・アリエミール。あなたを国家反逆罪として拘束する。

アリエミール王国を、蛮族共の手に落とそうとした、デイランとの共同謀議で。

アリエミール王国の宮宰、ルードヴィッヒ・ド・アリエミールからの要請も届いている」


「なっ……!?」

 ロミオは頭が真っ白になってしまう。

 何を言っているのか全く分からない。


 しかし突きつけられた書状に書かれた名前は、間違いなく、叔父のものだった。


 指揮官は言う。

「手荒な真似はしたくはない。どうか協力して頂きたい」


 ロミオを前後左右を武装した兵が囲う。


 手荒な真似がどうのなどと関係ない。

 ロミオには従う術しか残されていなかった。

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