第二話 星室の闇

 王国全土が――いや、正確に言えば、大土地所有者たちに激震が走った。

 先月出された勅令ちょくれいの影響だ。

 荘園整理令によって脱税や不法な手段で奪われた土地が次々と暴かれ、さらに私腹を肥やしていた徴税人たちが摘発されていった。


 これまで何度か事態を打開しようと、地方の行政官が動いたこともあったが、全て大土地所有の大貴族たちに阻まれ、余計な正義感を出せば、たちまち潰された。


 しかし今度は違う。大貴族の一部が摘発側に味方しているのだ。

 うまいと思ったのは、かつて王家の土地や、民の土地だったものを王家に改めて寄進すれば、罪を軽くすると言う布令も同時に出されたことだ。


 大貴族たちは我先にと自分の足をすくいかねない土地を王家へ次々と寄進した。

 王家はその土地の調査を終えると、元の持ち主に返したり、正式な王家の版図はんとに組み込んだりしている。


 国の窮地きゅうちを利用して、王家は再び力を取り戻そうとしている。

 今のアリエミール王、ロミオ・ド・アリエミール。

 観劇好きな“少年王”ロミオはそれまで隠していた爪牙を剥き出しにして、大貴族の掌握を進めている。


 オーランド・グルワースは、王国で起こる騒ぎを遠巻きしつつ、ほくそ笑みながら眺めている。

(我が国の皇太子殿にも爪のあかを煎じて飲んでもらいたいものだな……)


 何が何でもコルドス帝存命のうちに、王国を切り崩さなければならない。

 同じ観劇好きでも、皇太子シメオンはいかにも頼りない。


 そうして単身、王国領へ潜入したオーランドが向かったのは、

人間として生まれたならば一度は訪れたいと言われる、

アルス神星教団の首都、サン・シグレイヤスである。


 ここには毎年、何十万人という巡礼者が訪れる。

 街の目抜き通りには巡礼者を相手に、というより、純粋な田舎者たちを相手にする店が軒を連ねている。


 オーランドからすれば、この街は信仰心というより、下世話な欲望の溜まり場と言って良かった。


 何せ、教団の人間たちは上から下までが誰もが、何かしらの欲望を満たしたいと考えているくらいなのだ。

 本当に純真なのは、金にもならないような田舎の聖堂に勤務している老司祭くらいだろう。


 そして王国の勅命に一番恐れおののいているのは実は教団なのだ。

 寄進される土地はそれこそ教団の力の源泉なのである。

 王国内に己の影響を強く及ぼす為に、彼らは大貴族たちに毎年、莫大な金銭をはたいているのだ。

 教団は表向き教皇名義の声明で、今度の人道的なロミオ王の勅命を歓迎する――と言ってはいるが、少数の土地を放棄したのみで、後の動きは非常に鈍い。

 

 ロミオ王は聖界の動きは今のところ静観しているが、いつまでも鈍いままではその内、王国の介入を招くことは必定だ。


 どうしてここまで教団の動きは鈍いのか。

 それは無論、力を失うことを怖れているからだ。

 しかしそれだけではい。

 実の所、この教団という組織は大貴族になれなかった者たちの最後の希望、なのだ。


 教団の幹部の多くが、貴族の家を継ぐことが叶わなかった次男、三男なのだ。

 彼らは僧籍に入り、教団への上を目指す。

 教団の幹部になれば、王国へ影響を及ぼすことが出来る。

 運悪く家督を継げなかった自分が、まつりごとに介入できるのだ。

 彼らからすれば、教団の力が弱まることはあっては困る。

 どうせ、教団が衰退するのであれば、自分が栄達し終わってから、というのが正直な所なのである。

 またそれを期待して、自分の次男、三男を僧籍に入れる大貴族も多い。

 聖俗両界せいぞくりょうかいにて己の権力を握ろうとする――教団はまさに欲望のるつぼだ。


 そして教皇庁に入れば到る所で目にするのが、白い甲冑に赤い星の紋章を刻んだ兵士たちだ。

 彼らは教団の常備軍、星騎士団である。

 表向きは警備兵ではあるが、本当のところは王国に潰されぬ為の力である。

 軍内にも貴族の次男、三男がいる。

 彼らにとっては俗世で果たせぬ夢をここでと鼻息も荒く士気は高い。

 信仰心など二の次、三の次で日々己の剣技を鍛える。

 その軍事力は決して侮れない。


                      ※※※※※


 オーランドが騎士に案内された部屋へ入る。

「……失礼いたします」


 そこには禿頭(教団の人間であれば誰もがそうであるが)の人間が重厚な執務机の前に座っていた。 

 組まれた指には豪華な指輪がはめられている。


 ビネーロ・ド・トルスカニャ。

 教皇の側近、枢機卿すうききょうの一人だ。

 ビネーロもまた多くの幹部がそうであるように貴族の出だ。


 だが、彼の容姿は禁欲を表看板に掲げる教団の幹部とは思えぬほど。

 福々しい顔に、三十顎。目は猛禽類のように鋭く、白い修道服には金糸が織り込まれ、その生地そのものもかなり高級なものであることは滑らかな光沢で一目で分かる。


 ビネーロはオーランドを一瞥するなり、舌打ちをした。

「……帝国の御用聞きが何をしに来た」


 教団の都市には帝国からも人がくる。

 元々帝国も王国領だ。今は帝国に臣従している貴族の子弟も、この教団内部には多い。

 ただ周囲を王国領に囲まれている為に、表だった帝国支援の動きは出来ない。


 オーランドは微笑んだ。

「御用聞きとは辛辣しんらつでございますな、ビネーロ様。

それに、機嫌も悪いようだ」


「知っていて、それを聞くのか。相変わらず、嫌みな性格だな」


「ロミオ王は素晴らしい方だ……。まさかここまでおやりになられるとは。

彼を侮っていた貴族どもは、皆、恐れおののき、夜もおちおち眠れないでしょうなあ」


 ビネーロのこめかみが、ヒクッと震えた。

「貴様。嫌みを言いに来たのならば、帰れッ!

貴様ら帝国がしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのだぞ!!」


 教団の宗教も、アルス神聖教団だ。

 教団からしてみれば、帝国が大陸を統一しても同じ事なのだ。

 ただ、これまでは王国でも帝国でもどっちでも良いと思っていただろうが、今回のロミオ王の改革で、出来れば王国は潰れて欲しいというのが正直なところだろう。


「その通り。

我が軍が一度犯してしまった過ち……。

それのせいで我が国は思い悩み、

王国は一挙に活力を取り戻し、改革への道をひた走る……。

これは我々にとって非常に不都合なことなのです。

ちなみに教皇猊下は改革をどう見ておられるのですか?」


「……もちろん消極的である。

だが、このままでは飲まざるを得ないと、思われておる」


「そう。

我々としても王国が復活するのは非常に辛いことなのです。

どうにかしたい」


「どうにか? 出来るものか。

あのクソガキは今や、国中の人気者だ。

ロミオ様ぁ~、ロミオ様ぁ~……ハンッ! 反吐が出るッ!

貴族どもも掌をかえしておる。連中からすれば、王国が潰れては困るからな!

全く。無能どもめッ!」


「その少年王の活力の源を知っておいでですか?」


「そんなもの知る訳がない」


「あなたはとても優れた政治力をお持ちだ。

だが、少々、高見に昇り過ぎたのでしょう。

天上世界から地上世界を見下ろしても、そこで日々生きる人々の姿は米粒にしか見えない」


 ビネーロは眉をひそめた。

「どういうことだ」


「情報を仕入れました。

最近、少年王はとある人物を己の王領をいて与えたのです。

名前はデイラン……。

王都に救っていた不良一味の親玉にして、今や王家お抱えの傭兵集団の頭領です」


「デイラン?

聞かぬ名だな」


「どうやら彼が率いた軍団が我が軍を打ち破ったのです。

少年王が即位して以来、初めて領土を与えた男。

そして、私に屈辱を与えた……かもしれない男」


「そいつをどうするんだ。殺せばどうにかなるのか?」


「彼はどうやら千年協約を破り、エルフやドワーフなどの蛮族どもと交流しているようなのですよ。

そればかりか、彼の麾下きかにはエルフやドワーフの血を入れたハーフどもが多くいる……」


 オーランドが尋ねて以来、初めてビネーロはその目を輝かせ、立ち上がった。

「本当か!?」


「確かです。

デイランという男を裁判にかけ、その愚かしい行為を糾弾する。

千年協約違反の男を重用したとなれば、少年王もただでは済まない。

いや、嫌疑だけでも十分、彼を幽閉することは可能だ。

あなたのお友達の力を借りれば……。

違いますか?」


 ビネーロは口の端を持ち上げた。

「おい! 誰か!」


 すぐに騎士が入ってくる。

「はっ!」


「祝いように取っておいた酒を持ってこい」


「はっ!」


 ビネーロは舌なめずりをした。

「前祝いだ。付き合え」


 オーランドも微笑んだ。

「是非、お付き合いさせていただきとう存じます」


                  ※※※※※


 自らの屋敷で、王国の宮宰きゅうさいルードヴィッヒ・ド・アリエミールは昼間から酒を飲んでいた。

 しかし少しも酔えない。


(くそっ、くそっ……)


 まさかあのロミオが公然と自分に牙を剥くとは。

 我がおいながら、少しもその本性を見抜けなかった。

 思えば、あの謎の若造の傭兵団を独断で雇ってからだ。


 今や他の貴族たちはルードヴィッヒから離れ、ロミオを神のようにあがめる始末。


 その時、使用人が入ってくる。

「よろしいでしょうか?」


「……どうした」


「使者の方が起こしでございます」


「……誰にも合わない。

用件を聞いておけ。気が向けば、また今度会う」


「……急ぎのご用件だと、教団の方からの書状でございますが。

枢機卿のビネーロ様からだと」


 ルードヴィッヒははっとして顔を上げた。

「ビネーロ?

分かった。ここへ連れてこい」


 やってきた使者は、手紙を差し出した。

 封を破り、文面に目を通す。


 それまで憔悴した顔の中に徐々に笑顔が蘇っていった。

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