第十三話 皇子の憂い

 カレオ宮の内庭。

 雪に、全ての物音が吸いこまれていくような静寂の中。


 厚着をした青年が立っていた。

 青年は、シメオン・ド・ヴァルドノヴァ。

 この国の皇太子である。

 どろどろの宮廷世界よりも、観客を感動させる劇場の舞台に立った方がお似合いのような見目みめの麗しさを持っている。


 シメオンは視界の全てが真っ白に染まる雪の降りしきる中、麦をいていた。

 そこに小鳥たちが集まり、頻りに首を前後に動かしてはついばんでいた。


 内庭にいるのは帝国の皇子と、衛兵のみ。


「可愛いな」

 シメオンが呟くと、その淡い口元からこぼれた白い吐息が風に運ばれていく。

「……ほら。もっと食べろ。たくさんあるからな」


 と、小鳥が何かを察知したように一斉に飛んで言ってしまう。


 レカペイスは間の抜けた声を漏らした。

「あっ……」


「殿下! こちらにおいででしたかっ!!」


 駈け足でやってきたのは、シメオンの幼い頃からの側近、レカペイスだった。

 武人らしい逞しい体躯をしながらも、顔にはまだあどけなさが残る。


 シメオンは苦笑しながら振り返った。

「……小鳥が逃げてしまったぞ」


 レカペイスはいぶかしげな顔をする。

「小鳥……?」


 シメオンは空を仰いでみるが、逃げてしまった鳥たちの姿はどこにも見当たらない。


 レカペイスは、キッと衛兵を睨み付けた。

 その衛兵はシメオンの部屋にいた衛兵だった。


 レカペイスは眉をつり上げ、衛兵に食ってかかる。

「貴様、何をしている! なぜお止めしないのだっ!」


 衛兵が顔を青ざめる。

「あ、ああ、も、申し訳ございません……っ!」


 レカペイスは衛兵の胸ぐらを掴むと、殴りかかろうする。


 それを鋭い声が制止した。

「やめろっ!」


 レカペイスははっとして、シメオンを振り返る。

 シメオンは厳しい表情で、レカペイスを睨んでいた。

 

「手を離せ。

その者も立派な私の家臣の一人。許可無く罰れば、お前とて許さぬぞ」


「も、申し訳ございません……っ」

 レカペイスはその場に、片膝をついた。


 シメオンは表情を緩める。

「立て」


「……はっ」


「――そんなに怒ることはないだろう、レカペイス。

兵士が私を羽交い締めにしてでも止められるとでも思うのか?

お前なら出来るのか?」


「出来ます」


 忠臣の断言に、シメオンは笑い、冗談めかして言う。

「怖い奴だ。

だがそれはお前だから出来ることだ。多くの者はそんなことは出来ない。

こうしてついてくることしか、な。

だが、それも立派な忠誠心だ」


「ではなく、このように寒い最中、外にお出になられてお風邪を召されましたらいかがされるおつもりですか。

――もっとお体をいたわり下さいませ」


 シメオンは幼い頃は病弱で、ちょっとしたことで熱を出し、寝込んでいた。

 今はさすがにそういうことも無くなったが、それでもレカペイスからしてみればいつまでもシメオンは昔と同じ病弱な主君なのだろう。


「……頭を冷やしていたのだ」


「そんなに歴史学の授業は大変でしたか?」


「いいや。

歴史の授業を聞けば聞くほど、苛立ちが募ってくるのだ」


「殿下――」

 レカペイスは何かを察して、言葉を挟もうとした。

 しかしシメオンは構わず続ける。


「何故、父上は再び遠征軍を派遣されないのだ?」


「……それはこのような大雪に見舞われたからです」


「それだけではないだろう。

聞いているか。ロザバン居留地の件……」


「……少しは」


「我が帝国はあちらに食指を伸ばし、二方面から王国を圧迫する手はずだとゲルツェンは言っていた……。

しかしそれが排除された。その裏には王国軍の動きがあったと聞く……。

もしそうであれば今度で二度目だ。

王国に一体何があったのだろう……。

観劇好きの王が何かをしたとは思えない……。

であれば、他の国を憂える忠臣がいるのか――どちらにせよ、王国は自分の国を守る為にするべきことをしただけ、と言うことになる。

そうであれば、我が国がすることは何だろうか。レカペイス」


 レカペイスは目を伏せ、小さく声を漏らす。

「……は」


 しんしんと降り続ける雪のせいで、シメオン、レカペイスの頭や肩も白くなる。


「少なくとも、頭を引っ込め逼塞ひっそくしていることではない、と思う。

歴史の授業に出てきた英雄たちは皆、窮地の時にこそ勝機を見出してきたのだから」


 レカペイスはシメオンへとそっと寄り添い、肩にかかった雪を優しく払う。

「陛下を始め、将軍の方々は同じてつを踏むまいとしているのでしょう。

王国軍の動きは明らかに違っております。

その理由が分からない限り、我が軍はもう一度、敗れてしまうかもしれません。

殿下もご存じでしょう。

我が国は兵を動員するのも地形や、この天候上、莫大な出費を強いられます。

兵を繰り出せば良い、と言う訳ではありません」


「……そういう考えがあれば、良いと思う。

だが、父上は怖れているようにも思える」


「怖れる? 何をでございますか」


「もう一度兵同士がぶつかり合って負けることを。

我が国は、急速に膨れが上がった。

であればこそ長いものに巻かれよと軍門に降った外様の影響は侮れない。

これまで彼らが従ってきたのは我が国が王国を圧倒していたからこそ。

しかしもし何度も負けることになれば、足下から崩れかねない――父上は怯えているのではないかとな。

かつての、王国に反旗を翻した英雄は……」

 

 シメオンは口をつぐみ、ばつが悪そうに微笑んだ。


「余計なことを言った。忘れてくれ」


「では、殿下。お部屋へ」


「いや。勉強は飽きた。

馬車を出せ。劇がみたい」


 レカペイスは頭を下げた。

「かしこまりました。すぐに……」

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