第八話 アミールの涙

 デイランが自分たちにあてがわれた部屋で、最終的な打ち合わせをしていた。

 雨が降ってきていた。

 サァァァ……という音が、かすかに聞こえてくる。


 デイランは涼やかな雨音に耳をすませながら、手紙をしたためていた。


「よし……」


 書き終わった手紙を、マックスに託した。


「マックス、急いでこの書状を届けてくれ」


 マックスは少し不安げだ。

「ねぇ……ここまでする必要ある?

それも傭兵が勝手にして良い範囲を超えてると思うんだけど……」


「問題ないさ。俺たちの雇い主が誰だか忘れたのか?」


 マックスはにやりと微笑んだ。

「うふ。やりたい放題だーいすきっ!」


 アウルがわざとらしく身震いしてみせた。

「おぉ、怖っ。

マックス。お前の笑顔、ちょー怖ぇっ!」


「ぶっ殺すわよっ」


 マックスが容赦の無い一言をアウルにぶつけていると、

 そこに来訪者があった。


 マックスが対応に出ると、女エルフの護衛を従えたアミールだった。


 アミールが近づいてくる。

「今、良いか?」


 デイランは顔を上げた。

「おいおい、わざわざ来たのか?

呼んでくれればこっちから出向いたのに」


「良いのぢゃ。

妾がお主と話したいと勝手に思っただけなのぢゃから……」


 アミールの素振りに、デイランはマックスたちに言う。

「悪い、二人だけにしてくれ」


 人払いをし、部屋で二人きりで向かい会う。

 デイランは胡座あぐらをかき、アミールは正座をする。


 アミールは頭を下げる。

「感謝をしたい」


「いきなりどうしたんだ」


「お主の協力がなければ、きっと妾たちは今頃、カルゴに良いように扱われ、苦しみ藻掻いていたことぢゃろう。

妾たちだけではない……。他の部族たちも同様ぢゃ……」


「そんな一方的に恩に思ってくれるようなことはしてないさ。

ここが乱れれば俺たちも困る。だから供に手を取り合い、協力する。

利害が一致した、それくらいの軽い気持ちでいてくれれば良い」


 アミールは膝に乗せた手をそっと拳に握る。


「正直、申すと……

妾は恐ろしかったのぢゃ。

カルゴの元になど行きとうは無かった……」


「そりゃそうだ。訳の分からん奴のもとへ誰も行きたくない」


「ぢゃが、村のみんなの為にはあれしか手がなかった。

戦って命を落とすのは簡単ぢゃ。ぢゃが、それでは誰も幸せにはなれん。

残された道はただ一つ、妾が身を捧げることだけ。

そうすれば丸く収まる。誰も傷つかずに済む方法ぢゃと……。

妾は族長ぢゃ。

お母様……シェイランも村の為に、一族の為に身を粉にして働いた。

そんな母の名を汚さぬ為に、妾は……身を捧げなければならぬ……。

ぢゃが、どう自分に言い聞かせてみても、一人になると身体が震えてたまらなくなる。

怖いと思う気持ちは決して晴れないのぢゃ……!

時には嫌ぢゃと、このまま何もかも投げ出して逃げたくもなった……」


 アミールの小さな手の甲に涙がポタポタと落ちる。

 彼女の瞳は涙に濡れ、頬をとめどもなく涙が伝い流れていく。


「妾はのう、お前が成果を上げて、まず何を思ったか分かるかえ?

妾はもうあの男に嫁がなくても済むと……

村のみんなが安全になるということよりもまず、自分のことを心配したのぢゃ……。

妾は汚い。妾は族長の器ではない……。

母ほどの器にはなれぬっ……」


 立場が人を作るというが、それは半分本当で、半分嘘だということを知っている。

 ある者はその立場の重圧に潰され、身も心も死ぬ。

 ある者は身の丈に合わぬ立場に合わせようと、無理をして何もかも失う。

 

 デイランは――斎木成彦であった時、最年少の若頭を拝命した。

 若頭はナンバーツーだ。

 歴史のある正衝組の全てを統括しなけれならない。

 命じる相手は全て自分より年上で、自分よりもキャリアがある。

 ちょっとした落ち度もでも責められ、あげつらわれ、糾弾される。

 その重圧に耐えきれず、何度も若頭を辞退しようとしたが、命じられた以上、全うすることこそ自分の役割だと割り切ろうとした、しかし割り切れなかった。

 やがて、絶えきれず、成彦は組長に若頭を辞したいと頭を下げた。

 

 このまま自分が若頭を務めれば、きっと迷惑がかかる。そんなことは出来ない。

 だからもう……。

 

 そこまで言った時、組長は優しく微笑んでくれたのだ。


 ――何でも出来ると思うんじゃねえよ。良いか?

お前を若頭にしたのは、そのまんまのお前であれば十分、こなせると思ったからだ。

何を背伸びしていやがんだ。

え、お前は元からそんな器用な奴だったか? あれもこれも出来るほど図抜けた天才か?


 少し考えれば分かることであるはずなのに、成彦はそんなことにも気づけなかった。

 期待に応えなければならない。

 自分で全て背負い、処理しなければならない。

 一刻も早く有能な若頭に――。

 自分の中で勝手に責任感を大きくし、自分の能力を過大にして、それに押し潰さそうになっていた。

 だが、組長の言葉が重石を取ってくれた。


 そういう人物が、アミールにも必要だった。

 きっとそれを言うのは、母親の役目だったのだろう。

 だが、シェイランは母親の役目よりも族長の役目を優先し、そのまま亡くなった。

 族長としては優れたいたのだろうが、母親としの役割は全くまっとうできず、義務だけを娘に全てを押しつけた。


「アミール。

俺がいうのもおかしいけど、甘えることも大事だ」


「甘える……?」


「そうさ。

弱音を吐露して、身体を預ける……」


 デイランはアミールを優しく抱きしめた。

 アミールははっとした顔を見せたが、逆らわなかった。

 そっと胸に、彼女の重みがかかる。

 その小さな身体をそっと胸に抱き、背中をさする。

 少女は驚きの顔を見せながら、そして大声を上げて泣いた。


「……落ち着いたか?」


 アミールは目を赤くしながら、口ごもる。


 腕を放すと、彼女は顔を上げた。

 透明度のある肌がほんのりと赤らんでいた。


「……は、恥ずかしいところを見せてしまったのう」


「恥ずかしくなんてないさ。むしろそんな気持ちを抱きながら気丈でやってこられたのは純粋に凄いと思う。

俺には想像も出来ないことだ」


「……そうかのう」


「そうさ。その歳……っていうのはおかしいか。エルフは長生きなんだよな」


「ふふ。

妾はまだ十九歳ぢゃぞ」


「は!? マジかよ!?」


「何をそんなに驚いておる?」


「いや、てっきり……」


「なんぢゃ。妾がうん百歳とでも思ったのかえ?」


「まあな」


「お肌もぴちぴちぢゃし。それに妾は結婚もしておらん」


「そうか」


「お主はどうぢゃ? もう結婚はしておるか?」


 話の方向がいきなり逸れて、デイランは「ん? 別に」と言う。


「そうかそうか。

それは良きことぢゃ」


 と、名にほくほく顔で言った。


「そうか? 独身は良いのか? エルフ的には?」


「まあ、そうぢゃのう……。

うむ、ちと長居しすぎた。明日は早いんぢゃのう。

……死ぬなよ」


「こんなところじゃ、死ねないさ」


「約束じゃぞ?」


「ああ」


 アミールは手を差し出してきた。

 デイランはその手を取り、ぎゅっと握りしめた。


 彼女は来た時よりもずっと上機嫌で、鼻歌交じりに出て行った。

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