二月~002

「的場も俺の気持ちが解ったからだ」

「明人の気持ち?」

 頷いて強い瞳を作って続けた。

「生駒が須藤の幽霊をぶっ倒したのは聞いたな?」

 頷く。凄いビックリしたし。明人にもできるの?って聞いたら、自信が無いって言うしで、もっとビックリしたし。

「河内も狭川にリベンジを果たした。しかも完封だ。まともに攻撃喰らわずに、ほぼ一方的にぶっ倒した」

 頷く。これにもビックリした。狭川って人には一回負けているし、中学の時からの宿敵。それを一方的に倒したんだから。

「そして大沢だ。緒方が佐伯を殺しそうになった時に居たのが河内だ。この意味が解るか?」

 首を横に振る。たまたま河内君が居たから遥香が大事にならなくて良かったって思うくらいか?

「中学時代の狂犬凶悪の緒方、そして佐伯を殺しそうになった緒方。本気の緒方はこの二つだ。河内はその本気の緒方を見た仲間の一人だ」

 今度は首を捻った。何が言いたいのか解らなかったから。

「その本気の緒方を力付くで止めていたのが大沢だ。河内から聞いたよな?本気の緒方は想像以上におっかねえと。それを力で押さえていたんだよ、大沢は」

「……緒方君しか倒せないと思っていた須藤を生駒君が倒した。緒方君が狭川って人を倒したけど、河内君も圧倒的に完封した。本気の緒方君を止められたのは大沢君だけ。って事?」

「そうだ。それぞれが緒方と互角と言われていて、それを証明してんだよ。だったら互角と言われている俺もそれなりに証明しなきゃいけねえだろ」

 呆れそうになった。もう十分証明しているでしょうと。西高のトップは誰なのよ?肩書きなら緒方君よりも上じゃない。

「生駒の事は流石に言えなかったが、的場にそう言って勝負を頼んだんだ。俺だけみそっかすじゃ戴けねえ。勿論、内緒のタイマンだから誰にも知られねえが、俺の心内こころうちにその証があればいい」

「あのね。明人は西高のトップなんだよ?一年生でトップに立った人は今までいないんだよ?」

 それだけでも互角の評判は間違いないだろうに。

「その西高トップを、緒方は中学の時にぶっ倒したんだよ」

 いや、確かに大沢君にそう聞いたけど……

「緒方君は明人を頼りにしているじゃない?」

「それと、並んでいるってのは別の話だ。緒方はどっちが上か下かなんて拘らねえし、俺だって緒方より上か下かなんて思っちゃいねえ。五分のダチ。そう思っている」

「だったら……」

「並んでいるのか否か、ってのは俺の感情だ。的場もそれを解ってくれたから勝負を受けてくれたんだよ」

 全く解らない。男の世界って言うの?的場さんは理解を示してくれたようだけど、私には解らない。

 だけど、的場さんと戦うって事は、勝っても負けても怪我するのは解る。

「解った。だけど、怪我したら帰って来るのも大変だよね?」

「そうなったら黒潮で一泊して……」

「だから、私も付いて行く。怪我した明人を担いで帰る役目を私がする」

 目を白黒させた明人。何を言ってんだこいつ?って感じで

 ともあれ、着いてくんな、とか、帰れ、とか言われたが、時間が惜しいのか、結局私の同行を許してくれた。

 そして的場さんとの待ち合わせの場所に到着。ここは的場さんの家に行く前に通る、資材置き場。

 先に待っていた的場さんが私を見て目を剥いた。

「おい木村。女を連れて来るとは聞いちゃいなかったけどな。どういう事だ?」

「わ、ワリィな的場、バレちまってよ……どうしても付いてくるって……」

 申し訳なさそうに頭を下げる明人を押し退けて、的場さんの前に立つ。

「こんばんは的場さん。久しぶりです。これ、一日早いけど、バレンタインのチョコです」

 既にたくさん買っていた義理チョコの一つを的場さんに渡す。

「え?お、おう。悪いな……」

「いいえ。それよりも、それ受け取ったからって手加減しないでくださいよ?明人、緒方君と同じくらい強いんですから、手加減すると負けちゃいますよ」

 この台詞に面食らった明人と的場さん。まさか私がそう言うとは思わなかったんだろう。遥香は実に言いそうだけど。

「明人も。ボロボロになったら担いで帰らなきゃいけないからって、簡単に参ったって言わないでよね。私、一応西高トップの彼女なんだから。覚悟もそれなりにあるんだからね」

 気を遣わないで全力で戦ってと激励したつもりで発した。そして静かに遠くに離れる。

「あ、あーっと……そ、そう言う事だ。だから……」

「あ、ああ……じ、じゃあ……」

 同時に構えた。ここからは私はよく解らない。だから、語り部を明人にして貰おう。私はただ見ているだけだから……傷を負った明人を担いで帰る為について来ただけだから……


 綾子が付いて来たから一時はどうなるかと思ったが、勝負はしてくれるようだ。安心したぜ。心から。

 しかし、対峙してみると、威圧感がハンパねえな……目の前にデカい岩があるような……

 じゃあ、先ずは少し雑談に付き合って貰おうか。

「改めて礼を言うぜ的場。勝負を受けてくれてよ」

「いやなに、お前の気持ちも解るからな。連れが緒方ってのも大変だな。コウも相当気張って狭川を叩いたしな」

 河内も無様に負けて、緒方に仇を取って貰ったと思われても仕方ねえ様な事件だったが、それを払うように、圧倒的に完封して勝つ事を目標にしていた。

 それを叶えたんだ。だったら俺も……

「お前を倒して緒方に並ぶ!!」

 飛び込んだ。右拳を握り固めて。

 だが、俺の拳が届く前に、側面からの圧力。やべえと思い、ガードを固めた。

「ぐ!?」

 的場の蹴り。右ハイキック!!ガードしてんのに、たかが一発なのに、何だこの身体の芯から痺れるような感覚は!?

「飛ばねえとは流石だな。大抵の奴はその一発で終わっている」

「……舐めんじゃねえよ。たかがガード越しの一発……っち!!」

 左ハイキックが襲ってきた。またガードを固めるも、今度は身体が浮いたような感覚!!

 なんてパワーだ!!スピードもキレも相当なモンだ!!緒方はこれを喰らって、掻い潜ってパンチを当てやがったのかよ!!

 大きく後ろに跳んだ。蹴りの間合いから逃れるために。

「マジかよ……ここまで……!!」

 流れた汗を拭いながら、零れた言葉を押しとどめた。

 駄目だ。此処まで差があると思ったら駄目だ。だって緒方はこいつに勝ったんだ。

 息を吐く。呼吸を整える為に。

「お前ならあの二発で解っただろう。伊達にタイマン無敗じゃねえよ」

「……マジで緒方以外に負けた事ねえのか?」

「そうだ。つっても高校に入ってからだがな。俺の名前が売れたのはその頃からだったしよ」

 じゃあ中学の時にはタイマンで負けた事があるのか……

「負けは恥じゃねえだろ。俺も結構負けてんだぜ?」

「負けたのは年上だけだ。緒方の前に負けたのは中二の時だな。相手は当時の黒潮の頭。三年だったか」

 知らず知らずに笑みが零れた。

「おかしな事でも言ったか?笑っているぜ、お前」

「いやなに、俺が中学三年の時、西高の頭が、俺と同年代にボロボロにされた事件があってよ。それを思い出しただけだ」

 当時は驚いたもんだ。相手が緒方だと知った時は納得もしたけどな。

 じゃあ、呼吸も正したし、様子見は此処までにしようか!!

 緒方のように闇雲に突っ込んで勝機を掴むなんてリスキーな真似、殆どの奴はやらねえだろう。

 かく言う俺も漏れずにそうだ。玉内が言ったそうだな。貰う前提で動いていると。普通ならなるべく貰わないように努めるもんだが、あいつは違う。

 そもそも、あいつは勝とうって気持ちがあんまねえ。究極に言ってぶち殺せればなんでもいいって考えだ。だからあいつのような喧嘩は出来ねえ。つうか、無理だ。

 だって俺は勝ちたいからな。

 摺り足で徐々に接近する。的場はじっと見ているのみ。動く気配すらねえ。

 焦って突っ込んで来るのを狙ってんのか?まあいいさ。場数は俺よりもかなり踏んでんだろ。カウンター狙いも勿論やってんだろ。

 だけど、これはどうだよ?

 つま先に当たった小石を蹴りあげる。的場の顔面目掛けて。

 腕でその小石を簡単に払うが、その間に間合いをダッシュで詰めた。

「結構速いな」

 またあのハイキック!!つうか小石なんかじゃ僅かに動きも止められねえか!!

 だが、こっちもそれは想定内だ。そのハイキックに合わせて飛び蹴りを放つ。こんな至近距離からの飛び蹴りは経験がねえだろ!!

「相殺狙いか?」

 ギクッとした。同時に背中に激しい衝撃!!

 的場の言う通り、相殺狙いで放った飛び蹴り。体重を乗せた分、威力が増した筈だが、そんなのは関係ねえって感じで身体ごと吹っ飛ばされた!!

「ぐあっ!!」

 其の儘地べたにぶっ倒れた。しかし、タダじゃ終わらねえ。

 倒れた拍子に砂利を握った。両手に。

 とどめにと向かって来た所に、これをぶん投げて視界を奪う!!

 しかし、的場は動いちゃいなかった。寧ろ俺が起き上がるのを待つように、ただ立っていた。

「な、なんでだ!?チャンスじゃねえのか!?」

「ああ、気にすんな。俺はいつもこんな感じなんだから」

 いつも?いつもだと!?いつもそんなに余裕なのかよ!!

「緒方とは普通に戦っていたじゃねえか!!」

「あれは元々コウにやろうとしていた事を緒方にやっただけだからな。尤も、あいつ相手じゃ最初から全力が正しかったが」

 そういや的場は河内にわざと負けようとして喧嘩を煽ったんだったか……

 だがな、そんな舐めた真似を俺相手にするとかよ………!!

「馬鹿にすんのも大概にしろよ的場!!!」

 左手に握った砂利をぶん投げた。ガードで目を守っちゃいるから目潰しにもならねえだろう。

 だが、もういい。色々考えるのはヤメだ。緒方相手なら全力なんだろ?だったら俺もそれに倣ってやるよ!!

 真っ直ぐに駆けた。的場の顔面に一発入れるべく。

「へえ?」

 感心した体になった的場だが、その余裕が気に入らねえ!!

 奴の蹴りの間合いに入る。飛んでくるであろう蹴りの前に、右手に握っていた砂利をばら撒いた。

 ミドルキックか?ともあれ、砂利を蹴りで払われた。

 だが、砂利を払ったと言う事は、俺は蹴りの間合いから外れていた訳で。

 一歩踏み出せば俺の蹴りが当たる間合いに変わる事になる。

「うらあ!」

 野郎の得意のハイキックを放った。しかし、ミドルを放った後で後手に回る筈の的場は俺の蹴りを片腕で防いだ。

 単純な力で俺の蹴りを防御するかよ!!化けモンって表現が一番しっくりくるぜ!!

 蹴りを戻して拳を放つ。これも止められる。

「だからなんだ!!」

 もう一歩踏み込んで腹に膝。これも止められた。手で押さえるように。

 引き戻して踵でつま先を踏む。!

「っく」

 顔が歪んだ。初めて効いたか!このまま行かせて貰うぜ!!

 腹を拳で打つ。

「!?」

 頬にバカみたいな衝撃を感じた。

 そして、視界には地べた。あの野郎、あのタイミングで俺のツラ、ぶっ飛ばしたかよ!!

「最初よりは良くなった。お前も組織の頭になってから守りに入っちまったようだな」

 上からの物言い。だが、心に引っ掛かった。

 腕をつっぱって上体を起こす。おいおい…その腕がガクガクしてやがるぜ……一発のパンチで此処まで……

 成程、一発が一撃必倒レベルか。緒方の言った通りだな……だが、感心する前にだ。

「最初よりはマシ、ってのは、どう言う意味だ?」

「ああ、最初はいろいろ考えて全てが軽かったが、今は力が入っていた。お前に限らず、組織の頭になった奴ってのは、負けないように考えちまう。勝つ事よりな」

 負けないように……勝つよりも負けないように……か……

 勝つと負けないようには似ているようでまるで違う。確かに頭になってから、守りに入ってしまったのかもな……

 起こした上体をそのまま、脚に力を込めて立った。

「……目が覚めたぜ。いや、思い出したっつった方がいいか」

「そうか。下馬評じゃ緒方と互角なんだよな。その力、ちゃんと見せてみろ」

 ああ、見せてやるよ。上に立つためにがむしゃらに身体張っていた俺の力をな!!

 がむしゃらに突っ込んだ。殆どがいなされて、防がれて、逆にいいのを貰って。

 俺の攻撃は多分、一発もまともに入っちゃいなかっただろう。緒方が言ったヒットポイントをずらした見切りって奴に全部阻まれた。

 それでもまだ、俺は立っている。意地のみで、的場の前に立っている。

「大したもんだ。コウ以来か。此処までやっても倒れねえ、目が死んじゃいねえ奴は」

「はあ!!はあ!!そ、そうかい!!河内レベルにはなってんのか!!」

 肩で、いや、全身で息をして、それでも脚を前に出す。

「もう辞めとけ。とことんだったら入院だぞ」

「はあ!!はぁ!!上等だ!!!」

 せめて一発、まともに入ってくれたら、その言葉に甘えていただろうが、俺の攻撃全部が徒労に終わってんだ。流石に無様だろ、それは。

「お前はそれでもいいかもしんねえが、俺は困るんだよ。勝負を受ける時に約束しただろう?俺が終わりと言った時が終わりだと」

 約束を違えるのか?と、厳しい瞳を向けられた。

 こっちから頼んだ勝負。的場も卒業間近で、引退した身。それを無理言って受けて貰った勝負だ。

 だったらこれ以上迷惑は掛けられねえか……

 踏ん張っていた脚を緩めた。地面にケツが付いた。

「……改めて礼を言う、的場。勝負を受けてくれて……」

 其の儘頭を下げた。的場はいいから頭をあげろと言った。

「お前は俺がやり合った中でも上位にいる奴だ。最初の方はそうでもなかったが、勝つ事に拘ったお前は間違いなく強かった」

 ほとんど無傷の野郎にそう言われても、慰めにもなんねえよ。

 自分で自分に呆れて笑っちまう。負けないようにとか、とんだ甘ちゃん野郎になっていた。それを思い出させてくれた的場には感謝しかない。

「お前は緒方に並ぼうとか思っているようだが、あいつはちょっと特別だ。俺が知っている連中にも緒方のような奴は居ねえ。だから拘るな」

「そう言うがよ……俺達はダチなんだ。上も下もねえダチなんだよ。あいつが特殊なのは知っているが、俺だって特別じゃ無きゃいけねえだろ」

「お前は充分特別だろ。緒方に当てにされているんだ。あいつが持ってないもん、沢山持っているからそうなる」

 逆に言えば、あいつが持っているもんを俺は持ってねえんだよ。

「俺が緒方に負けた理由は、あいつが狂っていたからだ。お前の拳には殺す意思はないが、あいつの拳にはそれしかなかった」

 その殺す意思の拳を、大沢は何度も止めてんだよ。

「次に緒方とやる機会があったとしたら、多分俺が勝つ。その時にはあいつの拳から殺す意思は無くなっているだろうからな。あいつは敵にしか容赦しねえ。俺は敵じゃなくなったから、その意思は必要なくなった訳だからな」

 その理屈は何となく解る。だけど……

「お前は緒方の敵に回るのか?それは無いだろ?だったらお前ともガチの殴り合いはしねえよ。緒方って奴はそう言う奴だ」

 だから、並ぶ、並ばないは関係ないって言うのか?

「だから、拘るな。お前は立派に緒方と対等なんだから」

「……俺の拳に殺す意思があったら……」

「殺したら後悔するだろ、お前は。それが普通だ」

 生駒は殺した事を後悔しちゃいねえ……だからか?だから須藤の生霊も倒せたのか?

「まあ、人生の、喧嘩の先輩としての意見はこれで終わりだ。さて、どうする?家で少し休んで行くか?」

 その申し出は有り難いが、こうなる事を予想して、手は打ってある。

 そう口を開こうとする前に、綾子が俺に駆け寄って来た。

 そして俺を担ぐ。正確に言えば担ぐような仕草だが。

「おい綾子、お前の力で俺を担げる訳がねえだろ、やめろ」

 涙を溜めて首を横に振る。

「わ、私が担いで帰るって言ったんだから!!だからついて行くって言ったんだから!!」

 いや、確かのそう言ったけど、無理だろ。

 その時俺の携帯が鳴った。打った手が機能したって事だ。

「綾子、ちょっと退いてくれ」

「いや!!」

 いや、電話に出れねえだろって話なんだよ。困って的場を見る。

「何なら俺が車で送ってやるから。黒木も一緒に乗って行けばいい」

「いや!!」

 的場も困って俺を見た。その間も電話が鳴っている。

 ほぼしがみ付いている状態の綾子をどうにか寄せて、電話を取った。

『おう木村、そろそろ終わったか?』

 電話を掛けてきた奴は河内。こうなる事を予想して、打った手が、河内の上に一晩厄介になるって事だ。尤も、行き先が病院になる可能性も排除しなかったが。

『どうだ?動けそうか?入院はねえと思うけど、病院に行くか?』

「いや、動けそうにねえ」

 綾子にしがみ付かれているからそう言った。

『マジか…的場さん、結構追い込んだな……』

「いや、そうじゃなくて、物理的に拘束されているつうか……」

『ん?どう言う事だ?』

 此処で綾子が俺かららスマホをひったくった。

「私がいるから!!大丈夫なんだから!!」

『え!?黒木ちゃんか!?何でそこにいる!?』

 此処まで聞こえた河内の声。よっぽど驚いて声を上げたんだろうと容易に想像できた。

「明人の事は私が面倒見るから!!だから河内君はあっ!?」

 なんか収拾がつきそうも無かったので、スマホを取り上げた。

「的場とタイマンするのがバレてよ……付いてきやがったんだよ。怪我したら自分が担いで白浜に戻るっつって……」

『はあ!?そりゃ無茶だろ!!黒木ちゃんもいるんなら、的場さんに頼んで送って貰った方がいいんじゃね!?』

「的場もそう言ってくれたんだが、綾子が言うこと聞かなくてよ。ほとほと困っている状態だ」

 的場を見ながら話したら、微妙な顔で頷いた。しかし、物理的に無理なモンは無理だしな。どう考えても綾子が俺を担いで白浜に戻れねえだろ。

 その間も自分が担ぐとか騒いでいたが、騒ぎ疲れたのか、荒げた声を止めて俯いた。

 そして時々聞こえてくる嗚咽。

「……的場には俺が頼んだ。だから……」

 頷く綾子。何度も。解っているからと。

『なぁ、黒木ちゃんもそうだけど、時間も時間だし、やっぱ的場さんに頼んだ方が良くねえ?』

 河内の言葉に同調して訊ねる。

「的場、さんざん我儘聞いて貰ってなんだが、白浜まで送ってくれるか?」

「構わねえよ。コウ、お前も来るか?」

『え?別にいいけど、なんで?』

「木村の女が愚図ったら、俺じゃフォローできねえし、当の木村も俺に遠慮して、胃が痛くなる思いをするだろうし……」

 いや、流石にそこまではねえだろ。と思う。多分……

 綾子が顔を上げて涙を袖で拭った。

「だ、大丈夫です。的場さん、ご迷惑をおかけしますが、お願いします」

 深く頭を下げて。

「……おう、任せろ。じゃあ車を持って来るから、少し待て。それとも家に来るか?」

「……明人、身体の方は大丈夫?」

「ああ、なんやかんやで手加減してくれたようだしな。問題ねえよ」

「じゃあ帰ります。的場さん、お願いします。河内君、そう言う訳だから」

『え?おう。じゃあ…』

 がちゃんと最後まで言わせずに通話を切った綾子。こいつも槙原同様冷てえよな……河内に限り……


 最後まで聞いた俺達。すっかり冷めたコーヒーを啜って呟いた。

「的場も随分と俺を過大評価してくれたもんだな」


 此処で顔を上げた黒木さん。涙の痕がくっきりだった。

「そうだな。お前はそんな御大層な奴じゃねえし」

 ヒロもなかば呆れて冷めたコーヒーを啜る。

「ま、的場さんより、明人の話を……」

「うん。その関連での話だよ。木村君は拘っていたようだけど、的場さんも普通に勘違いしているよ。次に戦う機会があったら的場さんが勝つって言った所」

 遥香の言葉に同調して頷く俺とヒロ。

「え?だ、だって、明人も納得して……」

「こいつ、本気で狂ってんだぞ。多少慣れ合った所で手加減するか。いや、するかもしんねえけど、途中で気付いて元に戻るわ」

「そうそう。木村君も勘違いしているようだけど、繰り返しの話で『負けられない理由』があったの、覚えてる?」

 黒木さん、目をぱちくりさせて頷いた。

「あの、春日ちゃんにちょっかい出した西高生を叩いた時のバトルでしょ?」

「うん、そう。あの時木村君はトップとして負けられないって言って隆君と互角の喧嘩をしたでしょ?」

「そう言うこった。今回的場に負けたのは、所詮『慣れ合い』だったからだよ。勝負を申し込んで受けて貰ったって言う、正々堂々の試合みたいなもんだったからだ」

 だけど、的場の言った『勝つ事よりも負けない方を選んでいる』って言葉は納得できるな。トップに立った事で臆病になったって事なんだから。

「じゃあ、明人と緒方君が戦った場合、やっぱりどうなるか解んないって事?」

 頷く。その通りだからだ。

「大沢君や河内君、生駒君相手でも?」

 頷く。その通りだからだ。

「的場さんにも?」

「あいつはそもそも別格だ。俺が勝ったのもたまたまだよ」

「ああ、あいつには勝てる自信、全くねえな。隆とやり合った時見たけど、こいつが勝ったのも奇跡だと思ったくらいだし」

 ヒロの返しに頷く。その通りだからだ。

「大体、怪我したって言っていたけど、普通に動けるんだろ?歩けるんだろ?」

 今度は黒木さんが頷いた。何度も。

「ガチの喧嘩だったら、その程度のダメージじゃやめないよ」

「そうだな。俺だったら少なくとも気を失うか、腕とか折られたって自覚が無けりゃ続行してるな」

 だよな、と、ヒロと顔を見せ合って頷いた。

「だ、だって明人は常識人だし……」

「一人で西高の三年全部とやり合おうって考えていた奴が常識人な訳ねーだろ」

「あいつも充分狂っている部類だ。なんか色々考える事が出来たようで、そんな側面あんま見せなくなったけどな」

「逆に私は羨ましいかな?ほら、ウチのダーリンはあんまり変わらないから」

 いや、これでもかなり変わっているんだぞ。証拠に喧嘩あんま吹っかけ無くなっただろ?

 つうか、そもそもだ。

「なんで俺基準で考えるんだ?悪評ばっかり広まっているからか?」

「いや、明人曰く、五分の友達だから……」

「別に隆は上とか下とか考えねえだろ。国枝とか赤坂とかとも普通にダチなんだし。つうか逆に上だ下だとか考えている奴等の方が嫌いだし」

 嫌いって訳じゃないけど、概ねそんな感じだ。

「ねえ。そもそも、的場さんとのバトルって内緒じゃないの?隆君や大沢君に話しても良かったの?」

「あ」

 やっちゃったってな表情をして固まった。遥香、苦笑する。

「言わないから、これ以上誰にも言わない方がいいよ。ねえ隆君、大沢君」

「そうだな。そうじゃなくても、黒木さんには前科があるからな」

「ぜ、前科って?」

「川岸に隆の事ぽろっと零しただろ。いずれ接触していただろうが、切っ掛けは間違いなく黒木だろ」

「あ」

 またまたやっちゃったって表情をして固まった。あの時後悔した筈なのに、と。

「ね、ねえ、言っちゃった事は、明人には内緒に……」

 なんかオロオロしてそう切り出した。俺達は普通に笑って大丈夫だからと返した。

 しかし、学校休んでまで付き添うような怪我じゃないような気がするけど。

「木村は今日学校を休んだのか?」

「あ、うん。顔腫れているからさ。切れてもいるし。喧嘩したのがバレちゃうからって」

 西高のアホ共にばれない様にってか。やっぱトップに立つのは不便だな。あんなアホ共にも気を遣わなくちゃいけないんだから。

「あ、丁度良かったかも。これ木村君に渡してくれる?」

 カバンをごそごそして、取り出したるは、安価な義理チョコ。

「あ、うん。じゃあついでのようだけど、これ、緒方君に渡して」

「いや、いるでしょ、ここに……」

「あ、そっか、これ緒方君に」

 遥香に伸ばしたチョコを改めて俺に差しのべた。

「うん。ありがとう黒木さん」

「いえいえ、どういたしまして」

 さっきまで泣いていたが、一転してニコニコした。が……

「俺には無いのか!?」

 やっぱり突っ込んだヒロ。俺もそう思ったんだから、当事者はもっと強烈に思っただろう。

「あ、そうだったそうだった。もちろんあるよ。はい」

 俺と同じチョコをヒロに渡すも、有り難味が半減だった。

「おう、サンキューな黒木」

「いやいや、いいんだよ。やらなきゃ大沢君、煩そうだし」

「隆にやったんだから俺にも当たり前だろ!!」

 ヒロの返しにイヤイヤと首を振る。

「ぶっちゃけるとさ、男子に配った義理チョコは、女子間の付き合いみたいなもんなのよ。明人にくれたんだから、じゃあお返ししなきゃいけないじゃない」

「そうそう。今年お試しでやってみたけど、お金掛かり過ぎるからね。来年は義理チョコ無しにしようかって話にもなっているし」

「え?そうなのか?だけど義理チョコ無しってのは……」

「ああ、その方がいいな。そうして貰えたら助かるな」

「えええ~……」

 俺の肯定に嫌そうな顔のヒロ。こいつはアホだからちゃんと説明しなければなるまい。

「あのな、チョコを貰ったんだからこっちもお返しやんなきゃだろ?」

「そりゃそうだな。つうか当たり前じゃねえ?」

「お前も女子に結構貰っただろ。せめて釣り合う金額のお返しを配らなきゃいけないんだぞ。いくらかかると思ってんだ」

「あ!!」

 やっぱ今気付いたか。女子達もその金額を使ったんだから、お前も使わなきゃいけないんだぞ。貰いっぱなしは不義理になるんだし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る