06:whydunit - A

「――『何故』、なんて」

 アーサーがその口元にあからさまな苦笑を浮かべる。

「そりゃあ、疑問には思いますけどね。でも、正直それを考えてどうなります? だって、十中八九狂った人間の犯行でしょうよ」

 アーサーの言葉は、その通りだと思う。ただ、どうしても何かが引っかかって仕方ないのだ。それを、上手く言葉にすることはできないけれど――。

 そう思っていると、不意に、ぱたん、と音がした。それが、トレヴァーが本を閉じた音だと理解するまでに、一拍が必要だった。

 見れば、トレヴァーは窓際で霧明かりを浴びながら、肘掛けに片肘をついた姿勢でにやにやと笑っていた。

「ジーン、君の疑問はもっともだと思うよ。アーサー、君はジーンの言葉を笑ったけど、狂人には大きく分けて二種類存在することをわかってるかな」

 トレヴァーは口元のにやにや笑いだけはそのままに、けれど薄く開いた目は真っ直ぐにこちらに向けて、二本の指を立ててみせる。

「一つは、認知そのものが狂ってしまっているタイプ」

 言いながら、長い指が一つ、折り畳まれる。

「今言ったことを次の瞬間には覆したり、あるはずのものを無いと言ったり、その逆だったり。彼らにはボクらと違うものが見えてて、聞こえてて、感じている。そういうタイプの狂人」

 一般的に想像されるのはそういうものだろうね、と付け加えながら、トレヴァーは二本目の指を折り曲げる。

「そして、もう一つは、狂った『論理』を持つタイプだ。彼らの論理はボクらには絶対に理解できない。だからこそ狂人と呼ばれるわけだ。けれど――」

「筋は通っている、ということか」

 私の言葉に、トレヴァーは「そういうことだね」と頷いてみせる。

「ボクはね、今回の事件は後者のタイプの犯行だと思ってるんだ。何せ、やっていることはどこまでも一貫してるんだから」

 む、と唸ったきり、アーサーは何も言わなかった。その代わりというわけでもないのだろうが、オズが「それなら」と口を開く。

「この事件に関しては、『何故』も考えられないわけではない、と。理解も共感もできないだろうけれど、想定することは可能だ、って言ってんだな」

「うん。論理は論理に違いないからね。連中は、ボクらと拠って立つものが違う。ただそれだけさ」

 トレヴァーはふ、と息をついて、細めた視線をこちらに向ける。どこか、試すかのように。

「その辺りは、ジーンの方が詳しいんじゃないかな。この文脈でジーンに振るのは申し訳ないけど、でもボクの言葉の意図はわかるだろ?」

 ああ――。

 不思議と、トレヴァーの言葉は私の言葉にできなかった部分にぴったりとはまるような思いだった。彼の言うとおり、この文脈で語られるにはいささか不愉快ではあるが、それ以上に納得せざるを得なかったのだ。

「そうか、これは確かに、私の領域だな」

 オズやアーサー、それにゲイルもだろう。彼らが根本的に欠いている考え方。思考の方向性。

「要するに、トレヴァー、お前はこれが『信仰』の話だと言いたいんだろう」

 トレヴァーは『論理』という表現を使ってみせたが、女神の信徒たる私にとっては、この言葉の方がよっぽど腑に落ちる。私の言葉に、トレヴァーは求めていた答えを得た、とばかりに満足げに頷いた。

「女神樣とその教えを純粋に信ずる者たちを、狂人と一緒くたにするのはもちろん間違いだということくらいは、ボクだってわかるよ。でもね」

「信仰だって、極端に振れてしまえば狂気と何一つ変わらない。……言ってしまえば、私の信仰も、ここにいる誰にも理解できないだろうしな」

 私は物心ついたころから修道院育ちということもあって、信仰とは、生きることそのものに他ならなかった。

 だから、霧航士ミストノート訓練生として他の――そう、私とは全く違う人生を歩んできた者たちを目にして、驚いたものだった。

 今ここに集っている四人を含めて、彼らのほとんどは、信ずるものを持たなかったのだ。

 強いて信ずるものを挙げるとすれば、己の能力のみ。

 絶えず変化する「己」を信じることができる。それは技術や知識、才能とは異なる、それでいて霧航士には必須というべき資質だ。だが、私には、そんな彼らがむしろ奇異なものに感じられて仕方がなかったのだ。否、今ですら奇異に感じていると言っていい。

 逆に、彼らは女神へ信仰を捧げながらも戒律を破り、殺戮に手を染める私のことは理解できないだろう。想像はできても、本当の意味で「共感」はできないに違いない。

 故に、だろうか。私の持つ信仰が、トレヴァーの言う、ある種の狂気につながるということも、何となくはわかる。わかってしまうのだ。

「この事件の犯人は、何らかの強い『信仰』をもって、端から見れば狂気としか思えない行動を起こした……、と?」

「うん、ボクならそう考えるかな。だって、さっきまで君たちが積極的に論じていた通り、死体から脳を完全な形で奪うだなんて、非合理にすぎるだろう?」

「ですね。何せ、とにかく面倒くさい。手間がかかる。殺人だけが目的なら、そんなことする必要がねーわけですもんね」

「そう。作業に時間をかければかけるほど発見される危険性は高くなるし、そもそも死体から適切に脳だけ綺麗に取り出せる人間なんて限られるんだ、自分で自分の首を絞めてるようなものさ」

 だからこそ、と。トレヴァーは口の端を引き上げて、笑顔を作ってみせる。

「死体の脳を手に入れること。それが、犯人にとって絶対的に必要な行動だって『信じてる』んだと思ったんだよ」

 トレヴァーの言葉を聞いていたオズが、ぽつり、低い声で呟く。

「その行動が結果として正しかろうと、正しくなかろうと、か」

「信じるというのはそういうことだよ、オズ。常に何もかもを疑ってかかる君にはわからない感覚かもしれないけどね」

 そして、ボクにもわからない感覚だ、とトレヴァーは笑う。そう、トレヴァーはわかりやすく、自分も含めた何もかもをまともに信じていない節があるが、オズもまた、他者に対しては素直で善良な姿を見せる一方で、「己」には極端に懐疑的な姿勢を取りがちだ。言ってしまえば「自信がない」というやつだ。

 その代わり、と言ってはなんだが。

「……そうだな。俺にはわからない話だ。でも、何もかもを疑ってるわけじゃあ、ないよ」

 オズは、うっすらと笑みすら浮かべて、そう言い切ってみせるのだ。

 トレヴァーも、オズの言葉には一瞬だけ面食らったような顔をしたが、その後大げさな溜息と共にちらりと視線を長椅子の上にやる。ゲイルは、もはや集中力の限界だったのだろう、長椅子の背もたれに寄りかかる形で、大きないびきをかいていた。むしろ、ここまでよく我々の話に付き合っていられたな、と思う。

「そうだね。君にはゲイルがいるもんな。ゲイルは君を裏切らない。疑いようもない。本当に、うらやましいことだよ」

 果たして「うらやましい」という言葉がトレヴァーの真意なのかは私には判断できないが、オズのゲイルに対する手放しと言うべき信頼は誰から見ても確かなものだった。

 極端な話、依存となってもおかしくない関係性ではあるが――特にオズはゲイルがいなければ霧航士でいることができない、という切実な事情もある――それでもゲイルとオズは二人で一つ、という形を取ることで安定している。オズはゲイルを信じることで。ゲイルはオズを信じることで。お互いに足らないところを補い合いながら霧の海を飛ぶのだ。

 トレヴァーは、ついでとばかりに視線をアーサーに振る。

「アーサー、君はどうだい? 君も君で、信心とはほど遠い性質だとは思ってるけど」

「オレですか? やだなあ、わかって聞いてるでしょ、それ」

 へらへらと笑いながら、しかし眼光だけは鋭くトレヴァーを睨めつけて。アーサーはきっぱりと言葉にする。

「オレが信じてるのは自分の力だけですよ。自分以外を頼りたくないからこそ、霧航士を志したっつーのはご存じでしょ?」

「うん、そうだね。わかってて聞いたよ」

 トレヴァーもアーサーの視線を真っ向から受け止めて、にっこりと笑ってみせる。アーサーの「そういうとこが嫌らしいんですよ、トレヴァーは」とこぼす声もさらりと流して、トレヴァーは改めて私に向き直る。

「まあ、信仰じゃあなくとも、信じるものは人それぞれだからね。それ自体を否定する気はさらさらないんだよ、ボクは。……君だってそうだろう、ジーン」

「そうだな」

 信じること。それは、己を支える柱を作ることなのだろうと、今の私なら言える。

 かつての、ただ、わけもわからぬまま信仰に身を捧げていた私では、到底理解できなかっただろうが、今なら。生まれも育ちも、考え方も何一つ交わらない、それでも「同志」である霧航士たちを見ていれば、自ずと理解できる。私は彼らに共感できないが、彼らが私の信仰を否定しないように、私も彼らを支えるものを否定しない。それだけで十分なのだ。

 ただ――。

「それでも、他者を踏みにじり、否定するような信仰は、もはや信仰とも呼べない、単なる狂気に過ぎない。……私は、そのようなものの存在を許容する気はない」

「そうだね。じゃあ、そろそろ話を元に戻そうか」

 どこまで話したっけ、ととぼけたことを言いながら、トレヴァーは長い指を組む。

「うん、そうだ。犯人が脳を蒐集する理由だったね。きっと犯人は犯人の論理で――もしくは信仰で、脳を集めているのだろう。では、犯人を突き動かすものは、一体何だったと思う?」

 そんなもの、我々がどれだけ考えても答えは出ないだろう。ただし、これは元より答えの用意されていない推理ゲームだ。『犯人は誰か?』『どのように犯行を成し遂げたか?』の次は『何故犯行に至ったのか?』を考えるのが、探偵小説の常道といえよう。

 アーサーが、指をくるくる回しながら言う。

「何でしたっけ、東方では猿の脳味噌が珍味というか、一種の薬扱いだとか」

「サヨがそんなこと言ってたな。俺も実物を見たことはないが、向こうの方の文化として存在するのは確からしいぞ」

「うえ、マジですか。じゃあ、人間の脳味噌も案外薬になったり?」

「もしかしたらそうかもしれないな? 正直、リスクとリターンが釣り合わないけど」

 リスクとリターン、と言う言葉の意味がわからず首を傾げる私に対し、ついに手持ちの煙草が尽きたらしいオズは、絵の具で青く染まった指でライターの火をつけたり消したりしながら投げやりな口調で言う。

「だって、人間を殺して結果として自分の命を絞首台に捧げるくらいなら、猿の脳味噌取り寄せた方がよっぽど健康っつか己の命のためだろ」

「オズ、普段は浪漫主義気味なのに、変なところで現実突きつけてきますよね……」

 オズはあからさまに「解せぬ」という顔をするものの、オズには悪いが私もアーサーと同意見だ。きっとトレヴァーもそうなのだろう、糸目を更に細くしてオズを睨んでいる。

 疑惑の視線にさらされるのに耐えきれなかったのか、オズはわざとらしくこほんと咳払いしてから、かちかちとライターを鳴らしながら言う。

「それに、犯行を隠すためにこれだけ頭を働かせられる犯人が、その程度の『迷信』を信じきることができるのか、って点も気になるんだよな」

 犯人が望んでいるのは、それこそ、自分の首をかけられる程度に強く信じられる「何か」なのではないか、とオズは言いたいのだろう。

 それに関しては、確かに気になるところではあった。危険を冒すなら、それだけの対価が必要だ。トレヴァーの言うように、それが信仰――自分の中の論理と信念に基づくものであるとするならば、尚更だ。

「……脳、か……」

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