47日間
玲
くじらぐも
12歳の時、別の病院に同じ病気で入院していた友人が死んだ。自殺だった。
日々あったことをつらつらと書き殴るようなブログに度々、死にたい、苦しい、健康になりたい、と零しているのは知っていた。でもそれに対して死ぬな生きろよ、などと強制するような言葉はかけなかった。自分だってそうおもったことがあったし、そうおもって口に出したが最後、偽善者の生きろよ攻撃に遭ったことがあったから。生きろよと言われた時の憤りと悲しみが痛いほどわかったから。
あいつの最後の言葉は「じゃあね、みんなは生きて」
みんなって、誰だよ。生きてって言われることの辛さがわからないのか、俺はあれだけお前に生きろと言うのを押し留めたのに、なんで簡単に生きろなんて言えるんだ。
ブログに一行だけ綴った後、彼は病院を抜け出してそのまま線路に飛び込んだという。地元のローカルテレビで報じられていた。名前こそ出ていなかったけれどアナウンサーが読み上げた服装と映った景色で、ああ、あいつのいた病院の近くだな、死んだんだなと夜8時消灯寸前の病室で思った。
確かに昨日まではあいつはこの世界にいて、読んだ本の良かったところとか悪かったところとか、観た映画をボロクソに批評する内容の文章を綴っていて、俺はそれを読んでた。読んでた間あいつは生きてた。
今、「じゃあな、みんなは生きろよ」その文字に目を滑らせてもあいつはもう存在しない。いるいないがはっきりしてるんだかしていないんだかわからない曖昧な感覚。昨日は確実に存在していて俺もあいつも存在していた。今日は確実に存在していて俺は存在してあいつは存在しない。
いないということがわからない。顔だってまともに見たことがないし声だって一度通話したときに聞いただけ。知ってるのはあいつの綴る文章と好きな本と映画。
死ぬことも、生きることも、生きろと言われることの苦しさも分かり合えるのに。同じような言葉で傷ついて喜んで傷ついたはずなのに。
今あいつはいない。
俺はいる。
なんで置いていかれたんだろう。
昨日お互いが存在していたときに一緒に連れていってくれれば、またお互い分かり合えたのに。
くじらぐもが好きだといっていた。
俺は今日鯨の夢を見たよ。
骨になった鯨が夜空を飛んでる。
鯨の骨とお前の骨が一体化して、眼窩から雑草が生えていた。
ひとつの生き物になってた。
生きるよ。
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