イルドについて

 私は意識を手放しそうになるのを、必死に耐えていた。向かい合って座っている、優しそうなおじいさんの話は難しいし、声が優しすぎて、眠たすぎるのだ。


 今、首がガクッとなった。地味に痛い。


「リンカさん、話を聞いていましたか?」


 おじいさんの眉間にシワが寄る。これはもう正直に言うしかない。


「すいません、聞いていませんでした」


 おじいさんはポカンと口を開けた。そして大きな溜息をつく。


「正直でよろしいですな。ですが、話は聞いてください。あなたの人生を決める、とても大事な話ですからな」


 きっとその通りだから頷いたけれど、さっきの話を繰り返されても、たぶん理解できない。


「本当に申し訳ないんですけど、もうちょっと簡単に教えてくれませんか? 難しすぎて、全然わかんないです」


 おじいさんは理解不能な生物を見る目で、私を見た。だって難しいんだもん。


 そしておじいさんは気を取り直すように、こほんと咳をしてから、また話を始めた。


「もう一度、始めますね。ここは以前あなたが住んでいた世界とは違い、魔法使いが普通に存在するイルドという異世界です。魔物や妖精、魔族やエルフなど多種多様な種族が生活しています」


 ほうほう、まさに小説やゲームの世界ってことね。


「え、異世界!?」


「そこからですか……ええ、私たち魔法使いの先祖が迫害のない地イルドにたどり着いて幾星霜……まあ、これはいいでしょう」


 よかった、難しい話が始まるところだった。


「ここでは魔法因子が強く作用します。因子が強いものは長寿で老けにくく、様々な魔法を使うことができます。もちろん階級も因子の強さで決められています。今のところ、あなたは最下層で第6階級の大地ソルです」


 私はどんな魔法を使えることができるのかな? ちょっと気になってきた。それに始まりが最下層なのは、どんな場所でも同じだろうし、ポジティブに行こう。ソルってなんかかっこいいし。


「そして魔法は大きく分けて、6種類に分類されます。因子の種類によって、使える魔法は変わりますから精密検査の必要がありますね。機械の調子がよくなったら、検査しましょうね」


「はい、楽しみです」


 うんうんと頷きながら話を聞いていると、おじいさんは温かい目で私を見てくれた。中学のときの先生と同じ、優しい目だった。


「これからあなたは、私たち魔法使いの国家クランにある学園に通ってもらいます。そこで己の因子を育て、卒業と同時に適性がある仕事についてもらう予定です」


「え、自分の意思で決められないんですか?」


 職業選択の自由とは!


「決めることはできますよ。しかし、ほとんどの者は適性があると診断された仕事についていますね。君を迎えに行ったハルトくんの場合は、冒険者を目指していたけど、自分の能力を生かすために、公務員になったんだよ」


 へえ、だから口が悪かったんだ。でも、これって、冒険者に対する偏見かな?


「まあ、君の場合は時間がありますし、考えるのはまだ先でいいですよ」


 私はとりあえず頷くことにした。だって、別にやりたいことがあったわけじゃないし、それもいいかなって思ったからだ。


「では、あとは追々、学園の先生に教えてもらってください」


「はい! わかりやすく教えてくれて、ありがとうございました!」


 立ち上がってお礼を言うと、おじいさんはまたポカンとしたあと、ニコリと笑ってくれた。


「ハイスクールからの途中入学で大変だと思いますが、応援していますよ。あなたの進む道に祝福があることを祈ります」


 そしておじいさんがお祈りをしてくれた。その優しさが嬉しくて、ニンマリと笑顔になる。


「イルドのことを教えてくれた人が、優しいおじいさんでよかったです! 元気チャージされました!」


「ええ、元気が一番ですよ、お嬢さん」


 そして話が終わったのを見計らって、灰色のスーツを着た美青年が入ってきた。


「大神官さま、ありがとうございました。本来なら私たちの仕事なのですが……」


 柔らかそうな茶髪に、海みたいに青い瞳、柔らかい雰囲気だけど男性らしさもある、貴公子みたいな美青年だ。この世界の顔面偏差値、高すぎじゃない?


「いえいえ、先日の子で大忙しだったのでしょう? 私も若いお嬢さんとお話できて、元気をいただきました」


「私もおじいさんから、たくさん元気もらいました! これが等価交換ってやつですね!」


 ふんすと荒い鼻息を出した私を、大人2人は生暖かい瞳で見てきた。

 そして美青年は気を取り直したように、ニッコリと笑ったあと、私に手を差し伸べた。


「これから学園であなたの担任になる、ディークス・ハリアーです。よろしく」


 先生の手をとり、失礼にならない程度に握った。


「春園 凛花です、お願いします!」


「ああ、こちらでは日本語を使っていないんですよ。実は今、あなたが使っている言語はイルド語なので、名前を名乗るときはリンカ・ハルゾノでお願いしますね」


 いつの間にかに、知らない言語を使っていてしまった!


「わかりました。勝手にイルド語に翻訳されているんですか、すごいですね」


 ハリアー先生の顔が少し固まった。そして先生は息を吸ってから、教えてくれる。


「お迎えの人が魔法をかけているんですよ。その魔法は永続魔法ですから高難度の魔法で、そして高難度の魔法で使える人は限られているんですよ」


「えっ、それじゃあ、私はもう魔法をかけられているんですか?」


 ハリアー先生が頷く。


「他にかけられている魔法とかあります? 頭がよくなる魔法とか?」


 かわいそうなものを見る目で、ハリアー先生は首を横に振った。なんだ、期待したのになあ……


「リンカさん、他に質問はありますか?」


 ……ちょっと考えたけど、何も思いつかなかった。


「今はありません。また今度、質問してもいいですか?」


「いいですよ。僕はあなたの担任ですからね」


 そうして私は学園に繋がるという扉をくぐることになった。おじいさんにはもう一度お礼を言ってから、ハリアー先生と真っ暗なトンネルみたいな道を一緒に歩いた。




 真っ暗な道の先を抜けたけど、太陽の明かりで目が痛かった。ちょっと時間がかかったけど、目が慣れて開けることができたとき、目に入ったものは大きな門とその先にある大きな建物だった。


 この世界は西洋建築が主流らしく、門と建物は洋風って感じの豪華な装飾がされて、一見では学校と思えなかった。それぐらい豪華で綺麗な建物だった。コンクリートの素っ気ない学校をイメージしていたから、ギャップにとても驚いた。


「これがハイスクールですよ。全寮制で、女子寮には寮母さんが、男子寮には寮父さんがいます。学校で困ったことがあったら、先生か寮母さんに相談してくださいね」


「はい、わかりました」


 ハリアー先生は優しい笑顔で教えてくれる。良い先生が担任でよかった、新しい場所に来たばかりだから、特にそう思う。


「ホッチナーさん、ハリアーです。新しい生徒と一緒に帰ってきました」


 ハリアー先生は腕時計に向かって、話しかけた。ゲームとかでよくある、マジックアイテムなのかな。


 すると、門が重たそうな音を立てて開いた。門が全部開くと、さっきまではいなかった、おじさんが立っていた。


 白髪まじりの黒髪、シワだらけの顔に、すごい威圧感をもった、おじさんだった。おじさんの首巻きみたいになっている猫がいるけど、その子も顔が険しいタイプだから、おじさんの威圧感が薄れることはなかった。


「おかえり、ハリアー先生。それが新しい生徒かい?」


「ええ、そうです。元気な良い子ですよ。リンカさん、ホッチナーさんは用務員さんです。生徒がホッチナーさんに会うことは滅多にないですけど、いつかお世話になるかも知れませんね」


「リンカ・ハルゾノです。よろしくお願いします!」


 笑顔で挨拶したあと、勢いよくお辞儀した。でも、ここは日本じゃないから、お辞儀はマナーが違う、かも?


「よろしく、ハルゾノさん。ソルのあんたは面倒を起こさないように、隅っこでちっちゃくなって過ごしてくれ」


「え?」


 顔を上げて、ホッチナーさんを見ると苦々しい顔で私を見ていた。


「ソルは伸び代が少ないし、卒業しても昇進しないだろうから、教師からウケがよくない。それに生徒間では、いじめが多い。それを避けるためにも、身の程をわきまえたほうが、身の為だ」


 え、怖い。それしか思い浮かばなかった。


「ホッチナーさん、脅かさないでくださいよ。そもそもソルが他の子たちと扱いが違うことは当たり前なんですから、言わなくても大丈夫ですって」


「え?」


 ハリアー先生が笑顔で言ったことは、思いもよらないものだった。


「僕は担任なので差別はしませんが、区別は忘れないつもりですよ。ホッチナーさんも特別扱いしないように、注意してくださいね」


 良い先生って言ったことを撤回したくなってきた。まだわからないから撤回しないけど。


「ふん、あんたみたいなやつがソルをダメにするのさ。さっさと寮に行って、明日から学校に行けるように準備しな」


「ええ、そうするつもりです。それでは」


 そしてハリアー先生はホッチナーさんにお辞儀をしてから、歩き出した。私もホッチナーさんにお辞儀して、先生のあとを追おうとした。


「せいぜい頑張りな、ハルゾノさん」


 ホッチナーさんの横を通ったとき、小声で言われた言葉は確かに私の耳に届いた。怖い人だと思ったけど、優しくて良い人なのかも知れない。


「……! はい、ありがとうございます。頑張ります!」


 もう一度、お辞儀をしてハリアー先生のあとを追った。

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