映らず、くじけず、華開く!
さすがに我ら男衆三人が
はたまた、単純に違う人間で撮りたいと思ったのか、役柄チェンジと相成った。
……とはいっても、いままで連絡通路を垂直に横切っていたのを、今度は平行に、駅構内からホームへ向かう乗客の役となった。
つまりカメラに背を向けて、駅構内から遠ざかる役になったのである。
まぁ、役といっても、
ADさんから言われたのは、グリーンスタンドから連絡通路を経由してメインスタンドへ向かってくださいとのこと。
さらにメインスタンドの中に入ったら折り返して戻ってきて欲しいと。
正直、いや絶対、俺様はカメラには写らないであろう。
しかし、ロケとはここまで徹底してやるのかと恐縮する次第である。
そしてリハが行われ、無事本番も終了した。
ところで、駅構内で警官や駅員に取り押さえられるシーンがあったのを覚えているだろうか?
忘れていても気に病むことはありません。
俺様も今、思い出したのである。
実はあのシーン、主人公の母親が上京して駅構内へとやってきた時のシーンで使われたのである。
のどかな田舎駅と違い、駅構内に入った瞬間、男の叫び声と警笛、そして
その横をびくびくしながら通り過ぎる主人公の母親。
『やっぱ東京ちゅうところは恐ろしいところだべさ』
と心の中で、でたらめな方言をつぶやいたかどうかは定かではないが、そういった演出を狙ったものだろう。
とはいえ、さすがに北風さんが爆走している中、さらに慣れない足袋にプラスティック製の雪駄をはいて歩き回っていては心も体も足の裏も疲れてくる。
今は何時だ?
さすがにもうお昼近いだろう?
時計は駅構内に大きなのっぽの古時計が立っているが、あくまでロケ用のため動いているかすら定かではない。
そもそも、俺様の場所はメインの撮影場所である駅構内からかなり離れているのである。
ふと、監督さん以下スタッフさんがシーンを確認している空いた時間に、風呂敷包みの中に隠したスマホの電源を入れてみる。
おっと、当然、マナーモードどころか振動すら切ってあるぜ。
画面に浮かぶ上がったデジタルの数字。
【10:34】
ホワイ?
どうやら本当にタイムスリップしてしまったようだぜ、プロフェッサー。
だれだい? 年を取ると子供の頃に比べて時間の進みが早くなるってほざいた奴は?
もっとも、楽しい時間ほど速く進み、いやな時間ほど遅く感じるという。
果たして今の俺様はどっちだろうか?
デジタルの時刻を見た瞬間、俺様は人生初の体験をしてしまう。
いや、言葉自体は俺様の脳細胞にインプットされているのだが、その言葉と、今の俺様のバディとソウルの状態がぴったり合致したのである。
そう、『くじけた』のである。
なにが”そう”なのか? 読者が誰も思っていないことを、さも同調しているように語るのは止めろ! って?
はい、申し訳ありません。
いや奥さん、聞いてくださいよ。本当に人生初の体験なんですよ。
確かにね、それなりに生きていれば、人生いろいろあるんですよ。
それでもね、今日の今日まで何とかやってきましたよ。
だけどね、本当、くじけました。
『心が折れる』って言い換えた方がわかりやすいですかね?
正直、一銭も報酬がもらえないのに、これ以上、北風さんに体を陵辱される義理はないと思いましたよ。
ただ歩くだけしか能がない俺一人、トイレ行くふりをして逃げ出しても誰も困らないし、何事もなく撮影も順調に進むでしょう。
もし、逃げることで良心の呵責に
え? どっちも変わらないって? 確かに。
崩れそうになる体を支える為、両膝に手をつきたいのだが風呂敷包みが邪魔をする。
むしろしゃがみたい! セットのベンチに座りたい!
しかし、誰もそんなことしていない。
そもそも他の方々は『疲れた』、『だるい』、『休みたい』どころか『寒い』すら他人に聞こえる声で口に出していないのですよ。
『環境が人をつくる』とはよく言ったものです。
大学生を看守役と囚人役に分け、刑務所内で過ごしてもらう心理学の実験では、やがて看守役は本当の看守みたいに、囚人は本当の囚人みたいに振るまい始めたという。
何が言いたいかって、この撮影現場には俺様みたいに一般参加で集まった視聴者が大勢いらっしゃるんです。
しかし、今の俺様の目には、いや、俺様以外、プロのエキストラさんにしか見えなくなってきたんですよ。
自分より遙かに年上のおじいちゃん、おばあちゃんも、まるで芸歴ウン十年の役者さんの
いつの間にかね、皆さんの気の張り具合が、ウジウジしている俺様に鞭を打ってくださるんです。
ええ、この期に及んで今の俺、”どえりゃあ”かっこわるい。
そうさ。たとえ一般参加でも通行人のエキストラでも、プロの撮影現場に立てばよ! いっぱしの役者さんだぜ!
だったらさ、次の日風邪をひこうが、
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