後悔の劇場ーやり直せるならー

新月 明

1人目 初恋を散らした。

カランッ。

喫茶店のドアに着くベルのようなもの。

それは、お客が来た証拠でもある。

若い男だ。

「いらっしゃいませ」

私は暖かな声でその人を迎える。

なぜなら、彼の顔はとても暗く見えたから。

それ以外に理由などなく、接客の心得などでもない。

彼は店を不安そうにおどおどと見回している。

初めての客は、驚くだろう。

ここはあまりにも普通の喫茶店で、彼の想像しているようなものではないから。

「そちらの席におかけください」

私はそうやって彼を椅子に案内した。

彼はビクッと体を跳ねさせ、しかし抵抗することはなく椅子に静かに腰かけた。

アンティークな店内で私は1人コップを拭いていた。

彼は黙ってしまっている。

……さて、話を始めようか。

「貴方のやり直したいこと。教えてくださりますか?」

そう聞くと、彼は悲しそうな目を私に向けた。

その目の中には悲しみの紺色で溢れかえっている。

きっと、何か辛い過去なのだろう。

「……ほ、本当に、ここに来たら、やり直せるんですか……?」

彼の言葉は不安に飲み込まれていて、やけに自信なく聞こえた。

しかし、私はそれを優しい言葉で返すのだ。

そうすることしか、私にはできないから。

「ええ。そうですよ。だって、ここはそういうところですから」


ここは、心の中にある闇を取り除く場所。

過去の後悔、過ち、それに対する悲しみ。憐れみ、苦しみ。

それを、一度だけやり直せる。

たった、それだけの場所。

しかしそれでも客は絶えない。

だからこそ、ここは1日に1人しか呼ばない。

それがルールなのである。


「貴方の過去。苦しい後悔。どうか、教えてください。それで、心に溢れる紺色の溜まりを取り除きましょう」

私は彼の目にそう言った。

そして、彼はそれに答えるようにうなづいた。

ここで、彼の紹介をしておこう。

押山おしやま龍樹たつき

身長171cm。体重65kg。黒髪を短く切ったタレ目のクマのある顔。

32歳、印刷業。妻、恋人共に無し。

地方に生まれ、小中高とそこで過ごし上京して大学に通おうとするが、1年浪人。

父と母にかけた浪人中の生活に責任を感じ、大学在学中も講義以外のところをバイトで埋め、父と母に旅行をプレゼントしたのが彼曰く唯一の誇り。

印刷業に属した後は繰り返される日々を真面目に生きる誠実な人間だ。

彼の概要はこの程度でいいだろう。

そうすると、彼は自分の後悔について話し出した。

「……僕は、中学の3年の時に同学年の女子に恋をしました。その子とは小学校も一緒で、地方あるあるですよね。けど、そこでは何も言えないで卒業。高校は別れてしまってそこから連絡はとってませんでした」

そこまで言うと、彼の目はさらに暗くなっていく。

「ですが、先月のことです。同窓会で久しぶりに彼女に会いました。前と変わらなくて、僕は改めてあの頃の初恋を思い出しました。ですが、左手の薬指には……」

そこで、彼は言葉を止める。

……ここは、私が言うべきかな。

「……指輪がはめられていた。即ち、結婚していたのですね」

「………………はい」

彼の沈黙は凄く重かった。

だからこそ、彼のその後悔の大きさがわかる。

「……で、少し昔の話をしてたんです。そしたらその子の友達が『あんた、中学の時押山のこと好きだったよね』って話の途中で言ってきて、本当なの?と聞いたら懐かしむようで恥ずかしそうに頷いて、凄く、後悔したんです」

そこまで言うと、また重々しいため息をついた。

正直に、この手の話はよくある。

ドラマでなくても、ドラマで出るくらいだから現実味はあるし、実際そういう人もいる。

「やり直すのは、その地点でいいんですか?」

「………で、でも。ここで過去に助言しても現在が変ってしまうんですよね……?」

彼は、不安そうに聞いた。

そう。ここで改めた過去は全て現実になってしまう。

多分、彼は今の彼女の幸せを壊したくないのだろう。

自分とそこの地点から付き合ったとして、そこから彼女と結婚できるわけではない。

確実ではないからこそ、彼は不安になるのだ。

「そうですよ」

私は平坦な声で答えた。

すると彼は酷く考えるような顔をしてまた黙ってしまった。

ここで過去の自分に言葉をかけて、どう変わるかは今の自分にしかわからない。

もし、それで相手方に迷惑をかけてしまったらそれはなんとも理不尽な話である。

それを彼は躊躇っているのだろう。

しかし、それでは何も変わらない。

ここは後悔の先にある幸福を手に入れるための場所なのだから。

「……あなたは、彼女の幸せを望むのですか?」

「……そ、そんなの当然ですよ。私は……彼女に対して、無駄な好意を抱いているんですから」

さて、ここからは押しの力で踏みきるとしようか。

「なら、あなたは彼女の今の夫さんの幸せを考えますか?」

「……え?」

やはり、そこを考えていないか。

「例えば、今からあなたは昔の自分に「告白してこい」と言いましょう。そして、成功して、あなたと結婚したとしましょう。その時あなたはどう思いますか?」

「………よかったか、って」

「なら、あなたは彼女の夫さんの幸せを捨てているんですよ」

「……そ、そんなことは」

「いいえ。私はそう思います」

私は言い切って話を進める。

「もし、彼女の幸せを願うなら、昔の彼女すら幸せにしないといけないんじゃないですか?」

「………いや、でも、そしたら、関係ない夫さんが」

「あなたは、それを取るんですか?」

そこで、私は天秤にかける例えをして彼を揺さぶった。

「あなたと彼女の過去の幸せ。彼女と彼女の夫さんの今の幸せ。あなたはどちらを取りますか?」

私は、心底丁寧にそれを提示する。

彼は酷く辛そう顔で沈黙を作った。

しかし、解答は思ったよりも早いものだった。

「……後者を選びます」

「………そうですか」

私は満足したように笑みを浮かべる。

ここまでしないと、彼の心のわだかまりは取れないだろう。

しっかりと、全てを考えてから過去に言葉をかけないと先の責任に彼は押しつぶされてしまう。

なぜなら、彼はあまりにもお人好しすぎるからだ。

「では、始めましょう」

そして、私は鏡を出した。

「ここには、昔のあなたが映されます。そこであなたは言いたい時にその言葉を全て、過去に伝えてください。相手からはそれがまるで人から言われているように聞こえます。最初は自分が未来の自分だとわかるようにしたください。そこで失敗したらあなたはもう2度と過去に言葉を伝えられませんからね」

私はなるべくわかりやすく伝えた。

すると、彼は静かに一度頷き覚悟を決めたように息を吸った。

さぁ、後悔の劇場の始まりだ。

ーーー

夏の、蝉が鳴く頃の。下駄箱に1人少年が立っている。

下駄箱には、可愛らしい方が綺麗に揃って入っていた。

「なぁ」

「……誰ですか?」

「僕は、未来の君だよ」

「何を言ってるんですか、」

「今、やなぎさんに告白しようか迷ってるんだろ?」

「………え?な、なんでそれを」

「1つ、伝えておく」

「……なんですか?」

「あの子は、君のことが好きだ」

「……っ!?」

「だが、告白はするな」

「…………」

「僕が、告白したせいで、もしかしたら彼女の未来が崩れるかもしれない。そんなことはしたくないだろう?」

「………でも」

「でもも何もないっ!僕のせいで彼女の幸せが崩れるんだぞ!そんなの駄目じゃないか!」

「……駄目でも、」

「だから、駄目だと言っ」

「駄目でも!!」

「……っ」

「駄目でも、そんなこと言われて、告白できないなんて、そっちの方が駄目だ」

「……そんな子供みたいな」

「子供だよ。それは、あなたも同じだ」

「……なんだと」

「自分に嘘ついて、何もできないでペコペコ頭下げて生きてようなあんたの方が、よっぽど子供だよ!」

「なっ、ま、待て!行くな!」

声は届かない。

それほど、彼の気持ちは固かった。

揺るぎない、あの青い空の下。

1つの声が、弾けた。

ーーー

「………」

彼は目を覚ました。

鏡と話し終えると、現在が変わるため意識が飛ぶのだ。

「おはようございます」

「………失敗、ですね」

彼は、悲しそうに言った。

だが私にはそうは思えない。

「携帯電話、鳴っていましたよ」

私はそうさりげなく言う。

すると、彼は携帯を取り出して中身を見た。

「……?」

彼は驚いたように目を見開いた。

「どうやら、成功のようですね。今と過去の幸せを上手く繋ぎ止めた結果です」

そこには、彼女からのメールが入っていた。

「これから飲みに行こう!また4人で!」

どうやら、彼はそのあと告白はできなかったらしい。

しかし、それでも卒業式までに連絡先を聞き出すことができた。それにより彼は高校からも彼女との関係を保ったのだ。

そして、彼女は今の夫と結婚。そして自分は彼女の勧めで彼女の友人とお付き合いすることになってめでたくゴールイン。

今では家族ぐるみで一緒に出かけたりするくらいの関係。

「……こんな……こんなハッピーエンドで」

「いいんですよ」

私は笑いながら彼に言った。

「それが、人生なのですから」

その言葉を聞くと、彼は目尻に涙を浮かべながら私に一礼して店を出た。

これは、彼の努力の賜物なのだ。

決してありきたりなハッピーエンドなどではない。

そもそも、彼の彼女を陰ながらに支えたい、彼女の夫の幸せを守りたいということを第1に考えた結果がこれなのだ。

彼は、自分の誇りを持つべき場所を増やすべきだろう。

私はまた、自然な笑みをこぼしていた。

そして、扉が閉まる。

からんっ。

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