殲の刃の解体王

菊花ようかん

第1話

 かつての世界に、ある男がいたという。

 その男はナイフ一本だけを手に、世界の全てを斬った。

 始めはスライムを、次にウルフを。最後にはドラゴンすら切り刻んだ。

 彼は無辜の民を傷つけることはなかった。しかしそのあまりの強さから、近づくものはほとんどいなかったという。

 彼は憧憬と畏怖をもってそう呼ばれた。解体王と。


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 森の中を一頭の傷だらけの獣が駆けている。否、獣ではない。服を着て、手には斧が握られている。その頭は犬のものだった。

 獣人。アースグランデでは人として扱われる一種族だ。


「ハッハッハ……クソ……にげ、逃げねえと……」


 左目に刺さった矢もそのままに森の中を尋常ではない速さで駆けていく。残った右目は恐怖と焦燥に満ちていた。背中にも何本も矢が刺さっており体中に切り傷が刻まれている。手の指も何本か欠けていた。

 しかし血は出ていない。筋肉の力のみで傷口を締めているようだ。疾走と合わせてそれにはかなりの負担がかかるはずだが彼は続けていた。

 もし力を緩めれば、血が落ちる。血が落ちれば跡が残る。その跡を追って、追跡者は己にたどり着くかもしれない。なんとか逃げ出すことができたのだ。その幸運を無駄にするわけにはいかない。

 彼はその後も森を走り続けた。その逃走に終わりはないようにすら感じられたが、彼はついに止まった。

 着いたのだ、彼の秘密の隠れ家があるアマギに。

 アマギは傾斜が急で危険な魔物も多い、ゼニアイズで最も過酷な場所として知られている。正確な調査などなされておらず、狩猟者の拠点もない。だからこそ、彼のような悪党が隠れるにはうってつけの場所だった。

 彼は大きく咳き込みながらも周囲を伺う。そして何もないのを確認し、ようやく息をついた。どうやら追手を撒くことはできたらしい。


「大丈夫……大丈夫だ。ここまで来りゃもう……目だって、治癒魔法をかければまた元通りだ。エントオオサカまでいって、獣王会に頭を下げて……大丈夫だ……」


 彼は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。そして隠れ家へ向かおうと歩き始め、転んだ。彼はここまでの逃走で疲れて足がもつれたのかと思ったが、違う。糸、木と木の間に、細い糸が張ってある。彼はそれに引っかかったらしい。

 その糸を見て、彼は顔を青くした。もし己の想像が正しいとしたら、まだ止まってはならない。自分はまだ、逃げ切れてなどいない。彼は立ち上がった。

 音もなく三本の矢が飛来した。彼の背後から放たれたそれを防ぐ術などなく、彼の背中には新たに三本の矢が突立った。

 しかし、そんなものは今更だ。すでに何本も刺さっているのだ。三本増えた程度では大した問題ではない。彼は無視して駆けようとし、また転んだ。立ち上がろうともがくが、手足にうまく力が入らない。毒だ。

 それでも彼は地を這うようにして逃げようとする。しかしまた矢が刺さり、ついには動かなくなった。

 うつ伏せのまま動かなくなった彼から少し離れたところに一人の女性が降り立った。銀色の髪をもった美しい少女だ。手には一羽の鳥が止まっている。


「はあ、やっと捕まえられた……。ありがとね、リル」


 彼女の声に応えるように鳥がピィッ!と鳴き返した。

 その可愛らしい様子に笑顔を浮かべながら少女は男へ無造作に近づいていく。男に打ち込んだ毒は自信作だ。まず動くことはない。周囲に魔物がいないこともリルに確認してもらっている。

 少女は糸を取り出し男を縛りあげようとしたとき、


「ガァァァァァァ!」


 男が声を上げて起き上がり、少女の脚を切り落とさんと斧を振りかざした。

 この距離では避けられない。武器もナイフ一本しかすぐには出せない。それも相手の姿勢が低すぎて当てられない。精霊術も間に合わない。

 少女は脚一本を失う覚悟を決める。そして男を今度こそ確実に仕留めるために詠唱を始める


「〈猛き風精よ」


 ここまで言って、ついに男の斧が彼女の脚に触れようとしたとき、一本の無骨なナイフが間に入って斧を完全に止めた。

 男も少女も固まり、ほんの一瞬だが音が止まった。その無音を切り裂くようにナイフが振るわれた。斧を止めたものと同じ形状のナイフだった。

 そして、男の腕が落ちた。

 男は腕が地面に落ちてからようやく斬られたことに気づき、その時には全てが終わっていた。

 男の四肢に赤い線が走り、バラバラになる。男はだるまになり地面に転がった。


「〈死の刃、熱き火、合わされ〉」


 ナイフの主は流れるような動きで男に腰に下げていた縄を噛ませる火の魔法を使いナイフを熱するとすぐさま断面にナイフを当て傷口を焼き塞ぐ。

 男は痛みに悲鳴をあげのたうちまわろうとするが口を塞がれ手足を失っていてはそうもできない。処置を終えた頃にはすっかり気絶していた。

 いくつかの薬を男に打ち込むとナイフの主は顔を上げる。黒髪黒目のまだ年若い、中肉中背の少年だった。特別優れているわけではないが整った顔立ちをしている。

 そこでようやく少女の硬直は解けて、申し訳なさそうにおずおずと少年に話しかけた。


「あ、あの、セイ、その……ごめんなさ」


「はっ。何が私一人で十分だ、だ。その無駄に八つもある目は節穴か?俺が間に合わなかったらお前の脚はお陀仏だったなあクレア。それとも何か?一本くらいなら平気です〜とか抜かすのか?え?」


 少年は少女の謝罪を断ち切り、おちょくるような笑みを浮かべながら言った。

 そのあまりの言葉に先程までしおらしげにしていた少女は目を釣り上げ。


「な……んで貴方はいつもそう皮肉ってくるんですかセイ!私だって自分の失敗をわかっていて、だから謝ろうと……!」


「はいはい。もう黙っとけ。魔物が寄ってくる。本格的な反省は返ってやんぞ。おら、背負い籠に乗せるから屈め」


 少女は不満気な顔を浮かべながらもその言葉に従って屈んだ。

 少年はだるま状態で意識を失っている獣人の男を高く持ち上げ背負い籠に乗せた。


「ついでに俺も乗せろ。俺はお前ほど頑丈じゃないんだよ。ここまで来んのは疲れた。休ませろ」


 そう言って少年は少女のに乗った。

 少女はため息をついて了承し、そのまま歩き始める。その足取りは男性二人を乗せているとは思えないほど軽やかだ。

 ……少女はただの少女ではなかった。輝くような銀髪と白磁のような肌の美しい少女だったが、その顔や体は尋常でなかった。顔には八つの目があり、その下半身は高さが少年の背丈ほどもある頭のない蜘蛛のものだった。蜘蛛の部分の色も、髪と同じように銀に輝いている。

 少女は蜘蛛の虫人だった。

 黒髪黒目の人間、聖野星司ひじりのせいじと、銀の蜘蛛、クレア・ペールクト・アドヴェンサーは街への帰路に着いた。

 日はまだ高い。日暮れまで余裕で帰ることができるだろう。星司は銀の蜘蛛に寝転がって空を見上げながらそう思った。












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