金のジグザグ
妖精さんみたい子だなあ、というのが私の第一印象だった。
夏の陽射しに照らされた髪の毛はきらきらと金色に輝いていて、瞳は青にも灰色にも見える不思議な色合い。病的なまでに白い肌、ほんのりと浮いたそばかす……それらの要素は、全て彼女の神秘的な魅力を引き立たせるのに十分すぎるほどだった。
じいっと見つめたまま呆けている私と目が合うと、天使のような微笑みを浮かべてぺこりと丁寧なお辞儀をした。
「モニカです。よろしく、お願いします」
イントネーションがやや不自然だったけれど、小さな鈴がちりんと鳴るようなかわいらしい声音だった。
私は慌ててお辞儀をし返し、ぼそぼそした声で「さ、沢城、桃香です」と名乗るのが精一杯だった。
桃香という名前を耳にした途端、彼女は嬉しそうに目を細め、「モモカ、似てる」と私の両手を握りながら言った。一瞬なんのことか分からなかったけど、すぐに名前の音が似ているという意味だと理解した。
モニカ、桃香。カタカナ通りの発音ではないにせよ、確かに似ていると言えば似ているのかもしれない。
モニカの背は母国の女の子に比べると小さい方らしかった。と言っても、平均的な日本人の背丈である私より少し小さい程度だから、目立つほどの小ささではなかった。
彼女の色の薄い瞳は、お星さまが散りばめられたみたいにきらきらと光っていた。本当はその綺麗な瞳をじっと観察したかったけど、目と目が合ってしまうとそれもまた気恥ずかしいし、今は止めておこうと思った。
「ほら桃香、突っ立ってないで早く家の中に案内しなさい」
後ろから母の声が飛んでくる。
夏の太陽は夕方頃になってもまだまだ強烈な陽光を浴びせかけてきて、よく見るとモニカの額にもうっすらと汗が浮かんでいた。ヨーロッパの寒い地方で生まれ育った彼女には、日本の夏は厳しく感じられるかもしれない。
モニカの腕を軽く取って、家の中に入るように促すと、彼女は「お邪魔します」と言ってもう一度ぺこりとお辞儀をした。玄関でもきちんと靴を脱いで、私の靴の横に整然と揃える。事前にきっちりと予習をしてきたのだろうか。
荷物はひとまず玄関に放置し、家の中をひと通り案内し終えたあと、最後に私の部屋へ必要な荷物を運び込んだ。来客用に空いている部屋はないので、モニカには一ヶ月間私と同じ部屋で寝泊まりしてもらうことになっているのだった。
モニカは私が通う高校と交流のある海外の姉妹校に通っていて、その学校の短期留学プログラムを利用して日本に来ていた。短い期間ではあるものの、ひと月の間寝食を共にするのだから、どんな人が来るのか多少は緊張していた。
一応事前に写真で顔を確認してはいたのだけれど、実際に会って見ると写真以上に目鼻立ちが整っていて、お人形さんみたいな女の子だった。こんな子とこれから毎日同じ部屋で暮らせるなんて、なんだか夢のような現実だった。
私の部屋に入った途端、モニカは母国語で何か驚いたような声を発した。たぶん、『うわあ、すごい!』みたいなニュアンスなんじゃないかと思う。雰囲気的に。
彼女が来る前にどの程度部屋を片づけようか、実はだいぶ悩んだのだった。というのも、私の部屋は漫画やアニメのポスターが壁中に貼られていたし、フィギュアや人形、ぬいぐるみなんかもあちこちに配置されていた。それもジャンルがだいぶ偏っていて、いわゆるその、女の子同士がいちゃいちゃする感じのアレなものばかりだった。
しかし、モニカは日本の漫画やアニメが大好きだと聞いていたので、いっそのことありのままの部屋を見せるべきかもしれない、と開き直ったのだ。彼女の中で「典型的な日本の女の子」の印象が偏らないよう、気をつけなければならないけど……。
モニカはディスプレイの前に駆け寄ると、とあるアニメの限定版ブルーレイディスクを興奮した面持ちで手にする。それはパッケージ版でしか見れない特典映像が収録されているもので、私がなけなしのお小遣いで買った秘蔵のお宝だった。
彼女は奇跡を目の当たりにでもしたかのように、美しい金色の髪を振り乱して叫び声を上げた。
『私、この特典映像見たかったの! でも私の国じゃ全然手に入らなくて!』
そんな感じの意味だということは容易に想像できた。
あまりのはしゃぎ振りに、むしろ持ち主である私の方が気圧されてしまう。彼女がご執心のそのアニメは完成度の割に知名度が低く、かなりのマニアでないと知らない作品のはずなんだけど……。
「じゃあ、今から見てみる?」
私がディスプレイを指さしながら言うと、モニカは破顔して何度も強く頷く。それどころか、一度パッケージを棚に戻して私の方へと勢いよく飛び込んできた。瞬間、いちごのようにふんわりと甘酸っぱい香りが私の鼻を刺激する……。
モニカは私の身体をひしと抱き寄せ、耳元で「ありがとう、ありがとう」と何度も口にした。言葉と一緒にじわじわとモニカの火照った体温が伝わってきて、感謝以上の気持ちを受け取ったような心地がした。
日本ではあまり味わうことのない距離感に思わず心臓が跳ね回ってしまう。目と目が合うだけで気恥ずかしいというのに、こんな風に肌と肌をぴったり触れ合わせるなんて、とても自分からはできそうにない。
恋人同士のようにたっぷりと抱き合ったあと、モニカはようやく私の身体を解放してくれた。彼女が身を離したあとも、尾を引くようにあたりにはかぐわしい空気が漂い続けていた。
私はプレーヤーにディスクを挿入し、ベッドに腰掛けてリモコンの再生ボタンを押す。
モニカは私の隣に身を寄せるように座り、待ちきれない様子でそわそわと身体を揺らしていた。
もう十回くらいはこの特典映像を見ているけれど、何度見ても見飽きない面白さがこの映像にはある。二人の少女の何気ないやり取りが淡々と続くだけなのに、ちょっとした言葉の選び方、表情、間、仕草、そういったものが完璧と言っていいほど調和している。
難しい言葉は少な目なので、モニカでも聞き取れる箇所は多いようだった。分からないところがあったら切りのいいところで一度映像を止め、身振り手振りを交えながらなんとか意味を伝えてからもう一度映像を見返した。言葉の意味を理解すると彼女は素直に感心してくれるので、私も教えがいがあってつい熱く語ってしまった。
映像のラストシーン……幼馴染みの女の子への淡い思いを秘めた少女が、隣で無防備に寝ているその子の頬へと軽く口づける場面。隣のモニカはもうぼろぼろ涙を零していた。本編では最終的にちゃんと二人が結ばれるのだけど、この時点ではまだ「親友」の域を越えられていない雰囲気だった。
感受性の強いモニカに影響されて、私まで瞳がうるんで来てしまう。
せっかくの綺麗な瞳が腫れてしまっては大変だから、私は自分のハンカチでモニカの涙を何度か優しくぬぐってあげた。
「ありがとう」
彼女は引きつった声音で感謝の言葉を口にした。もしかしたらその言葉は、彼女が最初か二番目くらいに覚えた日本語かもしれない。けれどモニカの『ありがとう』には、不思議と人を惹きつける新鮮な魅力が備わっていた。
エンドロールを迎えたあとも、モニカはしばらく私の肩にもたれかかってぐすぐす鼻を鳴らしていた。本当に綺麗な人は、泣き顔まで綺麗なんだな、なんてちょっと罰当たりなことまで考えてしまう。
ようやく泣きやんだあと、モニカはおもむろに顔を起こし、私の耳あたりにじいっと視線を送ってきた。しっとりと濡れた瞳がまっすぐ私を貫き、心臓がとくりと大きな音を立てる。
「……どうしたの?」
私が聞くと、モニカは視線を外さないまま、
「どんな香水を、使ってる?」
と唐突に尋ねた。
私は首を傾げて聞き返す。
「香水?」
「モモカの髪、とてもいい匂い」
「え、ほ、ほんと?」
ということは、さっき肩を貸したときに、私の髪の匂いを……そう考えると今更ながら顔が赤くなってくる。日頃から丁寧に髪を洗っておいてよかった。
「えっと、香水は使ってないよ。でも、毎日きちんと髪を洗ってるからかな?」
『ええ、毎日?』
モニカは驚いたり、気が抜けたりするとつい母国語が出てしまうらしい。
私としては「きちんと」の部分を強調したかったのだけど、彼女が驚いたのは「毎日」という部分だった。そうか、毎日髪を洗うというのも、世界的に見ればけして当たり前のことではないのか。
「毎日洗う、痛まない?」
「うん、大丈夫だよ」
「モモカの髪、とても綺麗」
「ふふ、ありがとう……でも、モニカの髪もすっごく綺麗だと思うよ」
『そうかな……?』
モニカは少し照れたように、金色の髪の毛を何度か自分の手のひらで撫でた。
彼女のふわふわの髪が揺れるたび、甘い果物みたいな香りが鼻の奥にまで届いてくる。もしかしたらこれは、彼女が身にまとった香水の匂いなのかもしれない。モニカの柔らかい雰囲気にとてもよく似合っていた。
「ねえ、触ってもいい?」
『うん、もちろん』
彼女が首を縦に振ったので、私は恐る恐るその輝く金糸に手を伸ばす。
予想通り私の髪よりも軽くて柔らかく、自分の髪の毛をいじっているときとは全く異なる手触りだった。
髪の長さは肘に掛かるくらいで、ちょうど私と同じくらいだろうか。ただモニカの髪は緩く波打っているのに対し、私の髪は全く癖がなく真っ直ぐだったから、実際の長さは彼女の方が少しだけ長いかもしれない。
モニカも私の髪の手触りに興味を持ったらしく、細長い指先を髪の隙間に差し込んできた。何か感嘆詞のような言葉を口にしながら、何度も髪を指で梳いて感触を楽しんでいる。他人に髪をとかしてもらう心地よさは何者にも代え難いものがあった。
私はふと思い立ち、モニカの髪の毛を一房掴み取った。
言葉はなくとも通じ合ったのか、彼女は私の髪の一部を二房にしてすくい取り、耳と耳がくっつくくらいにぴったりと身体を近づけた。
金の房が一本、黒の房が二本、私とモニカの間にはらりとこぼれ落ちる。
美しい金糸の周りに、それを引き立てるための黒糸を順繰りに編み込んでいく。モニカと協力しながら、金と黒のジグザク模様を生み出していく。
二人とも熱中しすぎてあっという間に毛先まで辿り着いてしまい、何故だかおかしさがこみ上げてきてお互いくすくす笑い合う。
二色の毛先を一つのゴムでまとめ上げると、私たちの間に一本の三つ編みが完成した。
その三つ編みを二人で手にとって、窓から侵入してくる西日に透かしてみせる。規則的に絡み合った髪の毛は、それ単体でまるで生きているかのような迫力を私たちに与えた。
言葉も、瞳も、肌も、髪も、何もかも違っていて、この先どうなるのかと少し不安だったけれど。
これから一ヶ月間――いや、もしかしたらその先もずっとずっと、モニカとは楽しいことをたくさん共有できるんじゃないかと、私には思えるのだった。
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