幼馴染みだから、だけど。

 私と萌乃ちゃんは、小さい頃からよく一緒にお風呂に入っていた。

 家がお隣さん同士ということもあって、昔から家族ぐるみの付き合いがあった。だから気軽にお互いの家に遊びに行けたし、そのまま相手の家に泊まり込んでしまうこともしばしばだった。そういう訳で、一緒にお風呂に入る機会も多かったのだ。

 萌乃ちゃんとは幼稚園も小学校も同じだったし、今年の春からは同じ中学校に通っている。

 彼女は以前は髪が長かったんだけど、小学校高学年あたりにばっさりと髪を切ってしまった。元々の顔立ちが中性的なことも相まって、短髪だと美少年のようにも見える。

 そのせいか、バレンタインの日なんかは色んな学年の女の子たちから食べきれないほどのチョコレートを貰っていた。

 中学に上がってからは、以前にも増して同性の子にもてているような気がする。

 家に帰ってくれば二人きりで話すこともできるけど、学校ではあまりにも友達が多くて一緒に過ごせる時間が減ってしまい、少し寂しかった。

 だからこそ、二人きりでいる時間がより一層大切に感じられるのも、また確かだった。

「ふぅ~、なんかじめじめしててやだねえ」

 萌乃ちゃんは制服の胸元をばさばさと遠慮なく扇ぐ。白い襟元からちらりと覗く鎖骨に、何故かどきりと心臓が高鳴ってしまう。

「うん、最近急に蒸し暑くなったよね……」

「で、こういう時に限って部屋のエアコンが壊れるんだよねえ。……今日も、さくらの部屋でごろごろしていい?」

「うん、いいよ」

 私は努めて控え目に返事をしたけど、内心顔がにやけてしまうのを抑えるのに必死だった。正直、昨日もこんな感じの流れだったのでかなり期待をしていたのだ。

 最寄り駅から私たちの家まではそう遠くないので、くだらないお喋りをしている間にすぐ家の玄関までたどり着いてしまう。

「ただいまー」

「お邪魔しまーす」

 二人分の声が重なる。

 家の中からは、少し遅れて気の抜けた返事が返ってきた。

「あら、お帰りなさーい」

 玄関にひょっこりと姿を現したのは、中学生の子を持つ親にしてはかなり若く見える私の母。それもそのはず、高卒二年目の二十歳になる年に私を産んでいるので、今年でまだ三十三だ。加えて元々童顔でもあるから、私と並んでいると姉妹に間違えられるのもよくあることだった。

「さくらのお母さん、今日もやっぱりかわいくて綺麗ですね」

 萌乃ちゃんは早速社交辞令から入る。

「あらもう、お世辞は止めてちょうだい。それに、かわいいだなんて言われる年でもないのよ」

「いえ、お母さんみたいな人がお姉さんだったら、どんなにいいかとよく思っています」

「あ、あんまり褒められ慣れてないのよ、ちょっとどきどきしちゃうわ」

 恐ろしいことに、萌乃ちゃんはこういう歯の浮くような言葉を無自覚に振りまいてしまうド天然だった。……それにしても、お母さんも流石にちょろすぎやしないだろうか。

 学校でもあちこちのクラスで口説き文句みたいな台詞を口にしているものだから、どこに行っても女の子の取り巻きが渦を巻くように張り付いている始末。私の気苦労も少しは察して欲しい。

 ぽぉっと惚けている母は放っておいて、萌乃ちゃんの腕を乱暴に掴み、ぐいぐい引っ張って二階の私室に強制連行する。例え母であっても、萌乃ちゃんと隔離しておかないとどんな被害が発生するか分かったもんじゃない。

 萌乃ちゃんは部屋に着くなり、不思議そうに目をぱちくりさせながら尋ねてきた。

「な、なに怒ってんのさ」

「……別に。怒ってる訳じゃないし」

 口ではそう言いつつ、私はつい学生鞄を乱雑に放り投げてしまった。鞄に罪は無いし、八つ当たりは良くないなとすぐに反省する。

「ほ、ほんとに怒ってない?」

 どうやら本気で心配しているらしく、萌乃ちゃんはおずおずとご機嫌を窺ってくる。その様子がなんだか急におかしく思えてきて、私は吹き出すのを抑えきれなかった。

「……ふふっ、大丈夫、怒ってないよ」

「そ、そっか、よかった……」

 こういう余裕のないところを見せるのは、多分私の前だけだから……それだけで、私は萌乃ちゃんの何もかもを許してしまえる気になるのだった。

 帰宅時間に合わせてタイマーをセットしてきたので、部屋の中は既に空調が利いていてひんやりとしていた。冷風に吹かれると、自分がだいぶ汗を掻いていたんだなと思い知らされる。シャツが肌に張り付いていて気持ち悪いし、さっさと着替えてしまいたいところだ。

「うわ、めっちゃ汗掻いてんなあたし」

「私もー」

「えー、ほんとに? あんまりそうは見えないけど」

 萌乃ちゃんはそう言いながら私に顔を寄せてきて、何をするかと思えば……なんと、首筋の辺りに鼻を当ててすんすんと匂いを嗅ぎ始めた。

「や、やだっ、何してるの萌乃ちゃんっ」

 ほとんど悲鳴に近い叫び声を上げてしまう。だ、だって、いくら仲がいいからって……いきなりそんなことするか、普通?

「んー、全然汗くさくないし、むしろいい匂いしかしないよ?」

「わ、分かったから離れてっ……」

「ああ、ごめんごめん」

 ほんともう、このすっとぼけな王子様はっ……!

 こういうことを、無自覚に他の女の子にもしているんじゃないかと思うと、気が気でなかった。

「今日は特に暑かったからなあ……昨日は平気だったけど、先にお風呂入りたいかも」

「ん、じゃあ一旦おうち帰る? 萌乃ちゃん着替え持ってきてないでしょ?」

「えー、外出たくないし、さくらの服貸してよ」

「ま、またあ? 別にいいけどさ……」

 私たちはうまいこと体型が似ているので、私服の貸し借りをすることはたまにあった。

 でも、自分が普段身につけているものが、萌乃ちゃんの肌を包んでいるのだと想像すると……ちょっと邪な気持ちが微かに芽生えてしまうのだった。



「さくらの髪は、さらさらで綺麗だよねえ」

 私の髪の毛にリンスを馴染ませながら、萌乃ちゃんは弾んだ声でそう言った。

「ん……ありがとう」

 どうやら萌乃ちゃんは私の髪の毛がお気に入りらしく、こうして一緒にお風呂に入ると、決まって私の髪の手入れをしたがるのだ。彼女の指先は細く柔らかくて、それが髪の間を撫でる感触は意識が飛んでしまいそうなほど心地よかった。

 いつも、この時間が永遠に続けばいいのに……と思っているけれど、心地よさに身を委ねているとあっという間に時間が過ぎ去ってしまう。

 髪に残ったリンスを洗い流すと萌乃ちゃんはシャワーを止め、浴槽のフタを取り外して壁際に立てかけた。

 私の家は特にお金持ちという訳でもないから、浴槽は一人入るのがやっとという大きさだ。小学生の時はそこまで狭く感じなかったけど、最近は流石にきつく感じるようになってきた。

 萌乃ちゃんと向かい合うように浴槽に浸かり、腰を下ろすと、当然足と足が折り重なるように絡み合ってしまう。太股の裏あたりに彼女の足先が当たってこそばゆい。

 一方の萌乃ちゃんはそんなこと全然意にも介していないようで、のほほんと脱力しきった表情を浮かべていた。この距離感は、やっぱり幼馴染みならではなのかなと思う。

 ただ、そうは言っても私だっていいお年頃の女の子だ。いくら幼馴染みであっても、人前で肌をさらすことに多少の抵抗感はある。それに、萌乃ちゃんみたいにしなやかで綺麗な体を見せつけられると、私だって多少はへこんだり自信なくしたりするものなのだ。

 湯船の中でゆらゆらと揺れる肌色の肢体は、それだけで絵画の題材にでもなりそうな美しさを秘めていた。

 しっとりと濡れた艶やかな素肌をぼぉっと眺めていると、なんだか急に見てはいけないものを見ているような背徳感が襲ってくる。心臓もいつも以上に鼓動が速くて、段々まともに視線を合わせられなくなってきた。萌乃ちゃんとお風呂に入るのは、もう何百回目になるか分からないのに、どうしてこんなにどきどきしてしまうんだろう。

「ふふふー」

 たまに目と目が合うと、萌乃ちゃんはご機嫌な様子で微笑みを返してくる。その無邪気な笑顔を見ていると、僅かでも邪な気持ちを抱いてしまったことに罪人のような意識が芽生え始める。

 学校では周りの女の子たちから王子様みたいに扱われていて、特に体育の授業なんかではもう少し凛々しい立ち振る舞いをしていた。その反動なのか、こうして私と一緒にいるときはすっかりくつろいでいて、小学校の時と変わらない子供っぽさを感じた。

「ねえねえ、後ろからぎゅーってさせてよ」

 と、萌乃ちゃんは甘える子猫みたいな声音で言う。これは、最近一緒にお風呂に入ると必ずと言っていいほどされるお願い事だった。

「だーめ」

「えー、どうして?」

「もう私たち、子供じゃないでしょ?」

「じゃあ、今から五分だけ子供になるから、お願い」

 そう言って私の腕を掴み、自分の方へとぐいぐい引き寄せてくる。

 昔は向かい合って浴槽に浸かるのではなく、萌乃ちゃんの膝の上に私が座るような格好になることが多かった。彼女は未だにその体勢がいたくお気に入りらしいのだけれど、中学生にもなってそれをやるのはかなり恥ずかしいということにそろそろ気がついて欲しい。

 が、萌乃ちゃんはそんなことお構いなしという様子で、腕ごとひったくるように私の体を起こし、自分の膝の上に無理矢理座らせようとした。その強引さに私はもう反抗する気力もなくなり、おとなしく彼女のご希望通り萌乃ちゃんの上にもたれかかった。

 細い腕の中にすっぽりとくるまれると、その柔らかい包容感は他では味わえない安らぎを与えてくれた。理性が働くと恥ずかしくても、心の底ではやっぱり萌乃ちゃんの肌の感触を欲していたのかもしれない。

「んー、やっぱりこうしてると落ち着くなー」

 私の肩に顎を乗せながら、萌乃ちゃんがとろけ切った声音で呟いた。

「うん……私も」

 私の返事に応えるように、腕に込められた力がきゅっと強まる。萌乃ちゃんに求められているんだと実感できて、早くものぼせたみたいに体が熱くなってきた。

「さくらは髪の毛さらさらで、顔立ちも整ってて、ほんと羨ましいなあ」

 萌乃ちゃんの軽口が飛んでくる。どうせ他の他の女の子にも言いまくっている台詞だろうから、今更どきまぎしたりはしない。むしろ、ちょっとむっとしてしまうくらいだ。

「……そういうこと、あんまり気軽に言わない方がいいと思うよ」

「そう? でもあたし、本気でさくらのことかわいいと思ってるし、羨ましいとも思ってるよ?」

「そ……それは、その、そう言ってくれるのは嬉しいけど、だけどほら、勘違いしちゃう子もいるじゃない?」

「勘違い……?」

 ああもう、やっぱり萌乃ちゃんは鈍い! 鈍すぎる!

 周囲の女の子がどれほど思いを寄せているか、彼女は全くと言っていいほど気づいていないに違いない。

「つ、つまりね、例えば、例えばよ? 萌乃ちゃんが私に今みたいなこと言うと、まるで私に気があるみたいな感じにも受け取られちゃうでしょ? だから、軽薄に言っちゃあダメなの」

「ふうん、そっかあ……じゃあ、さくら以外にはあんまり言わない方がいいのかな」

「いや、できれば私にも言わないで欲しいけど……」

「え、だって、気があるんだったら別に言ってもいいんでしょ?」

「……………………はあ?」

 萌乃ちゃんの言葉の意味を解するのに、たっぷり十秒は要しただろうか。じわじわと体の中に理解が染み渡っていって……そして、また一段と激しく全身が火照り始めた。

「う、うわ、体熱っ」

「だ、だって、萌乃ちゃんが変なこと言うからっ」

「変って言われても、別に嘘ついてる訳じゃないし……」

 萌乃ちゃんに背を向けていて本当によかった、と心から思う。今の私の表情、とても人様にお見せできるような代物じゃなかっただろうから。

「う、うーん……じゃあ、これで信じてくれる?」

 萌乃ちゃんはもぞもぞとやや横向きに体勢を変え、私の左側から寄りかかるような格好になった。

 なんか左頬のあたりに妙な気配を感じるな……と思っていたら、不意に湿っぽくふわふわとした触感のものが押し当てられた。

 その感触がなくなってしばらく余韻に浸ってから、今「ほっぺにちゅー」をくらったのだとようやく気がついた。

 自分の五感が段々現実のものとは思えなくなってきて、本当は夢でも見ているんじゃないかという心地になってくる。

 黙ったままぽぉーっとして反応がない私を見て不安になったのか、萌乃ちゃんは横から上目遣いに顔を覗き込んでくる。相変わらず距離感が近い。さっき頬に触れたばかりの唇がたっぷり水分を含んで艶を帯びていた。

「ごめん……もしかして、嫌だった?」

「う、ううん、そういう訳じゃなくて……いきなりだったから、ちょっとびっくりしただけ。その……う、嬉しいよ、えっと……私も、萌乃ちゃんのこと、好き……だから」

「ほんと? じゃあ、両思いってことだね!」

「ま、まあ、そういうことになるのかな……」

 両思いだなんて言われると、まるで恋人同士みたいで照れくさくなってしまう。たぶん萌乃ちゃんはそこまで深い意味で言ってない気がするのだけれど……どうなんだろう。結局、最後までそうやって彼女は私の気持ちを振り回し続けるのだ。

 どちらにせよ、私は萌乃ちゃんのことが好きで、萌乃ちゃんも私のことが好きで……今はその事実があれば十分だと、私には思えた。

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