第6話 世界を救う最後の欠片

 翌日、昼を待たずに大勢の前で緊張するハメになった。バシャバシャと遠慮なしに焚かれるフラッシュに目を細める。普段縁のない礼服を着て長机に望み、向かいにわんさか居並ぶのはカメラを構えた取材陣。

 どうしてこうなっているかというと、昨日の出来事が一部民間へ流出したからだ。大暴れする巨人の映像が一般に放送されていると知らされて起き抜けから頭を抱えた。

 基地前に集結した市民団体や記者からの問い合わせに応じざるを得なくなった結果、こうして会見が開かれている。報道向けの会見だというのに、奥の壁際には一般人らしき群衆も紛れ混んでいた。特殊攻撃作戦を発表したときよりも人が多いくらいで、それだけ混乱が大きいことが窺い知れた。無視できないわけだ。

(だったら自分たちで対応しなさいよね。まったく面倒だとすぐ回してくる……)

 統一都市での軍指揮権は自治と同様に連合政府が握っている。それぞれに思惑があるせいで一枚岩とはいかないながら、こうした現場へ丸投げをする体質は不愉快なことに万国共通しているらしい。

 人類の守護神と呼ばれるようになると急に「遠い親戚だ」と名乗って馴れ馴れしく接してくるようになった幹部も「みんなお前のことを知っているし、お前のことが大好きだから」と伝言だけ用意してこの場にはいない。孤児になったときは現れなかったくせに、あれで本当に親戚らしいので腹が立つよりも悲しい。

「えー、それでは今回の珍事――じゃなかった軍事行動について、ご説明させていただきます。昨日みなさまがご覧になった映像は……事実であります」

 説明する内容はふざけたものになるのでやりづらさはどうしようもない。それでも大真面目な態度で臨んだ。

「お静かに。我々が〝神話時代〟と呼び、架空と考えられていた歴史が事実であると確認できました。昨日の出来事はその証拠となる一部です」

 会場がザワつく。フラッシュが激しさを増す。奥の群衆が「神は偉大なり」と騒いだことで、彼らがどういう人種かわかった。シスターメイアイの関係者だ。

 とりあえず気にしないようにして話を進める。

「太古の英雄と光の巨人の2名はオーロラクリスタルの力を持っています。彼らと協力関係を結んだことで、飛来天体への対策はより盤石なものとなりました」

 映像が押さえられているのだから、下手なごまかしは利かない。軍の秘密兵器だと主張すれば違法な人体実験を行っていたと受け取られてしまう。

 案の定、記者からそういう質問が出た。

「あれは軍の生物兵器ではないのですか?」

「違います。言うなれば神の生物兵器です」

 正直に答えたのに記者はあからさまな嘲笑を返してきた。「なに言ってんだコイツは」という感想は仕方がないものだと思う。

「では納得していただく為に、本人に話してもらいましょう」

 そうしなければ理解できないだろうと、ミグを連れて来てあった。オーマのほうは研究室に置いてきている。精神的に子供なので会見の空気で怖がらせたくなかったからだ。

 しかしミグを選んで正解だったかというと、これも失敗かもしれなかった。

 いつもの目力はどこにいったのか、気弱な顔つきで呆けている。椅子に腰かけた姿勢も背中が丸まっていかにも頼りない。それこそ会見の雰囲気に怯える子供にしか見えなかった。

 昨日の夜からずっとこの調子が続いている。性別のことが余程ショックだったらしい。

「……彼こそが夫婦神ヴァースとファニエルに仕える太古の勇者、ミグです」

 間を持たせる為に改めて紹介する。本来ならここで「神の名をみだりに口にするな」と叱られるはずだった。代わりに壁際の群衆が同じことで怒鳴っただけで、当人はピクリとも反応しない。

(……ちょっと、しっかりしてよ!)

 さすがに不安になって来た。この会見での印象はともかくとして、本番で使い物になるんだろうか。

「彼はこう見えて女の子です」

 これを言えば怒るかと思ったら、机に額を打ち付けて動かなくなってしまった。傷つけただけの結果に終わって申し訳ない。


 気を取り直し、記者たちを納得させるべく昨日の映像をモニターに流しながら解説する。

「オーマちゃんは気化オーロラクリスタルを吸収して巨大化する性質があります」

「その巨人がオーロラクリスタルの鉱山だったというのは、一体どういう意味ですか?」

「『オーマちゃん』と呼んであげてください。あとあと揉めかねないので」

 何を言ってもことごとく失笑を浴びるので心が折れそうだ。特殊攻撃作戦が自爆命令だと知らない記者たちには遠慮がない。つい「このヤロウ真実を暴露して恐怖のどん底に落としてやろうか」という邪心がムクムク育つ。

 これではいけない。努めて冷静に、解説を続ける。

「ですので当日は無限に気化オーロラクリスタルを放出できるミグがオーマちゃんを巨大化させて、飛来天体を受け止めるプランに変更されています」

「それはなんの冗談ですか」

「……もう一度最初から聞きますか?」

 いくら説明しても記者たちの挙手が減らない。逆に要所要所で「神の奇跡を独占するな」「軍は神の兵を解放せよ」と騒ぐ謎の参加者も鬱陶しい。

(ああもう、こいつら全員ミグに吹き飛ばしてもらわないとまとまらないんじゃない?)

 当のミグは相変わらず陰気な置物と化している。神話の象徴として神々しさを発揮してもらうような期待はとてもできない。

(いっそシスターメイアイに任せればよかったかな? あの人堂々としてるから妙な説得力が出そうだし、後ろの人たちを扇動できたよね)

 そんな空想をしていたところ、そのシスターメイアイ本人が扉を突き飛ばして部屋に入って来た。息を弾ませて青い顔をしている。

「ミグ様! 巨人が異変を感じ取ったと……いいえ、とにかく一旦――」

 大きく息を吸い込んだあと、視線は周囲の誰も彼もに飛ぶ。

「みなさん逃げてくださいましぃ!」

 シスターメイアイが腕を振って叫んだと同時、後ろにある入口の枠に手がかかった。その手が尋常を超えて大きい。ただし丸い指は子供のものだ。見覚えがある。

「巨人じゃないよオーマちゃんだよぉ~」

 抗議の声を反響させながら、戸口に巨大な顔が覗く。廊下を張って移動するほど巨大化している。ハッキリ言って恐い。

「記者のみなさん、ご覧ください。この子がオーマちゃんです」

「悠長に紹介している場合ではなくってよ!」

 確かに、逆側の壁まで逃げて押し合っている記者たちを見て満足していられる状況ではなかった。シスターメイアイはミグの後ろに隠れたけれど、今その壁は非常に頼りない。この異常事態さえぼんやり眺めている。

「んはっ、人がいっぱい。遊んで遊んで~」

 入口がバキバキと音を立て枠が歪み広がっていく。

 どうやらこれもまた自分で対処しなければいけないらしい。記者たちに〝恐怖〟というこれ以上ないインパクトで神話を実証できたので、それでよしとする。

「オーマちゃん、おねえちゃんのトコに来れるかな? ハイ、ここまでおいでー」

 床に両膝を突いて腕を開き「ここがゴール」というゲームにすると、オーマは見る見るうちに縮んで見た目相応な大きさになった。そのまま嬉しそうに駆け込んでくる。

「おねーちゃん捕まえたー!」

「わぁ、捕まっちゃったー」

 頭を撫でながらすかさず脱いだ上着を羽織らせる。本人に羞恥心は無いようだけれど、カメラを持った連中の前で幼女の裸を晒したままにしておけない。

「それで、なにがあったの?」

 正直ずっと撫で回していたいくらい可愛いのだけれど、今は許されない。シスターメイアイが「異変」と伝えた何かがあってこうなったはずだ。

 なのに、オーマはキョトンとする。

「なんだっけ?」

 シスターメイアイのほうへ目をやると、そっちも事情を掴んでいるわけではないようで、気まずげに首を振られた。

「ワタクシはただ、その巨人が『何かいる』『良い匂いがする』と言って急に大きくなり始めるのを見ただけで……」

 察するに、気化オーロラクリスタルを感知したということらしい。だからこそオーマは巨大化した。

 気化オーロラクリスタルの発生源と言えば対消滅エンジンがまず挙げられる。都市内でも発電などに使われているが、同時に有害な気化トータルアモルファスも発生する為排気には細心の注意が払われている。大気中で攪拌されればすぐにその特性を失うこともあって、普段都市で暮らしていて浴びるようなことはないはずだった。

 例外はふたつ。その内のひとつであるミグはずっと消沈していて、もうひとつの例外である機動腹帯コルセットはおばさんに預けている。うっかり排気を漏らすようなことはない。

 ならオーマが「何かいる」と言ったのは、気化オーロラクリスタルを発生させる新たな三つ目の例外、ということになる。

「どういうこと……?」

 事態が読めずに思わず独り言がこぼれると、急にミグの目に力と熱が戻った。

「この気配は……そうか!」

 立ち上がるなり弾き飛ばされた机が記者団に命中して、ミグは構わず部屋を出て行く。

 その背中を追い駆けた。

「ちょっと! 勝手に動かないでよ!」

「断る! これは我が本分だ」

 発光したミグは手近な窓を突き破って空へ飛び出して行った。

 英雄の本分、ミグが神によって与えられた役割。それはひとつしか思いつかない。

 この期に及んで、という感想しかなかった。



 急いで研究所に戻ったものの、生憎機動腹帯コルセットは昨夜から調整中で持ち出せず、仕方なく移動用のホバーポッドでミグを追った。定員一名のところへ無理矢理にシスターメイアイとオーマも乗り込んでいるのでスピードが出ない。

「ちょっと、なんでついてくんのよ。オーマちゃんはいいけどアンタは降りなさいよ!」

「ミグ様の活躍を見逃せるものですか!」

 冗談じゃない。こんな街中で活躍なんてされたら市民に被害が出る。頼むから早まらないでくれと念じながらミグの姿が消えたビル群を睨んだ。

「バトラー、現在の位置は?」

 片手の携帯端末に話しかける。機動腹帯コルセットが調整中でも制御装置だけは生きていたので通信でやり取りできるのは幸いだった。

『緑地公園で停止しています。現在は安定しているようです』

「もうひとつ反応が無い? もしかしたら、でっかいトータルアモルファスみたいな」

『微量の気化オーロラクリスタルを感知できます。しかしなにしろ傍に強烈な反応があるので、誤差の可能性もあります』

「うん、ありがと」

 短いやり取りを終えて、現場へ急ぐ。

「ちょっと待ったぁー!」

 公園に直面したところで視界が開け、ミグの後ろ姿が見えた。ホバーポッドを投げ出しすかさず前に回り込む。

「ここで戦うのはダメ! 市民に被害が出る!」

「なれば急ぎ民を遠ざけるがいい、この時代の英雄よ。ここは間もなく我らの戦場と化す」

 戦えば起こる悲惨も予測したうえで、戦意が漲っていた。説得は通じそうにない。上から肩を押さえても強引に前へ出てくる。後ろへ突っ張った足が地面を滑る。ついさっきまで落ち込んでいたことが嘘のような張り切りぶりだった。

「我が案じねばならぬのは神に与えられた使命を果たすことのみ。その他の一切は些末事! 男だの女だの……そうとも、どうでもよいことだ!」

 どうやらまだ尾を引いているらしかった。仕事に打ち込むことでプライベートの悩みを忘れたい、それに似た心境かもしれない。

「じゃあなに、ホントにここに魔王がいるっての?」

「己が眼で確かめよ」

 脇の下をすり抜けた指が後ろを差す。

 恐る恐る振り返ると、噴水の縁石にそれらしい人影があった。

 全体に黒い姿はまさしく人影。かなり体が大きいようだけれど、人間と姿形は似通っている。魔物を、そしてその王というのがどういう生物かを知らないので見たありのままで納得するしかなかった。

「あれぞ魔王。我が仇敵ウクスツムだ」

「……えぇっと、なんか様子がおかしくない?」

 縁石に腰かけて俯き、頭を抱えている。まるで仕事を干されたサラリーマンだ。少なくとも人類を破滅させるべく現れた魔王、という風には見えない。

 見ているうちに、その足元にボールが転がって来た。

 近くで遊んでいた親子が受け損ねたものだ。親が魔王の風体に警戒して、ボールを追おうとする子供を引き止めている。不審者だと思われているらしい。

 魔王はボールを手に取り、立ち上がった。

 体の大きさは一見してわかった気でいたけれど、印象を超えていた。男子アスリートでもちょっとありえないくらい背が高くて、全体にスラッとしている。ボディースーツらしき服に浮き出る凹凸から考えれば女だ。魔物らしい異形は首の後ろに開く角と、よく見れば濃い群青色の肌にしかない。

 どこか優雅さを感じる動作で子供の所まで歩いて行き、屈んでボールを手渡した。ニッコリ笑う横顔は肌の色を意識させないほど優し気で見惚れる。

 単なる仮装だと思い直したのか、親子はお礼を言い残して立ち去った。魔王は手を振り返して子供を見送ると、縁石へ戻って完全に元と同じポーズで塞ぎ込む。

「なんか、危険な感じには見えないよ? 落ち込んでるから心配にはなるけどさ」

 素直な感想をミグに鼻で笑われた。

「ハッ! どうあっても魔王は魔王。以前も山奥でひとり穏やかに暮らしていたような奴だ。油断はするな」

「いやそれ油断していいでしょ。もしかしてオーマちゃんのときと同じで、あの魔王にも一方的に襲いかかったの?」

「それこそが我が使命である」

 誇らしげに胸を張る、ミグこそが神話で唯一の危険人物なのかもしれない気がしてきた。

 腹が立ったので耳元で「女の子」と呟くと膝を付いて呻き始めたミグを置き去りに、魔王の元へ向かう。

 話しかけるのはさすがに緊張した。

「あの~……魔王さま? 魔王、ウクスツムさま?」

 魔王は顔を上げてこっちを一瞥する。紅い瞳にがゾクリと、下腹を撫でられたような錯覚を起こす。

「なんじゃ、儂を知っておるのか。捨て置け人間。……互いに用など無いじゃろ」

「いやあのえっと、どうしてそんなに落ち込んでるのかなーって」

 まずはそれを知らないことには話をしようがない。

 やはりと言うべきか、魔王は空を指差した。

「あれがあっては今更何を成したところで虚しかろう。この魔王が手を下すまでもなく、世の末にあってはのう」

 神話の登場人物、三人目のギブアップ宣言。正直、聞きたくはなかった。

「アイテールもミアズマも薄い。儂が守るべき魔物たちもこの時代にはおらぬようじゃ。ならば人間どもを根絶やしにしてやろうかとも思うた。じゃがどのみち滅ぶのであれば、儂はどうすればよいのじゃ……?」

 鬱々とした呟きの終わりには涙がこぼれる。

「こうして復活を果たしたところで、儂がこの時代で成せることはないのじゃ!」

 絶望の叫びの前に、小柄な姿が立ち向かう。いつの間にかテンションを取り戻したミグが腕組みの仁王立ちで魔王を見下ろした。

(あ、ヤバい)

 彼らは三千年の因縁を持つ仇敵同士だ。この魔王が単騎で現代兵器軍を凌駕するミグと比肩する存在なら、シャレにならない戦火が巻き起こる。

 ところが、ふたりの間でぶつかった視線は些細な火花さえ起こすことなく、慈しみとして降り注いだ。

「わかる」

 ミグが感慨深げに頷く。

「その想い、我にはわかるぞ魔王ウクスツム。時代を超えて蘇る場違いは当然の我らが、主命を果たすこともできぬその無念。この胸に痛いほどわかる」

「おお……わかってくれるか、神の手先!」

 腰を滑らせて縁石から降りた魔王がミグに抱き付いた。

「儂もわかるぞ。さては神め、死に瀕しておるのじゃろう? なれば汝の痛切も相当なもの。泣いてよい。泣いてよいのじゃ。神の意図も慮らぬ愚か者と思って悪かったの」

「うぅっ、魔王!」

「勇者よ!」

 勇者と魔王が抱き合って、おいおい泣きながら互いに慰め合っている。

「……なんだコレ」

 それ以外に言葉が出てこなかった。



 ひとまず軍の研究所へ魔王を連れて帰ることにした。軍から呼び出したトラックに乗り込んで進むと、解散させられたらしい記者と一般人が基地前に集まっていた。会見は終わり際が阿鼻叫喚になってしまったので彼らが仕上げる記事を読みたくはない。

 トラックを降りてから通路を移動する間に状況を説明すると、じっと話を聞いていたウクスツムは号泣し始めた。

「独りで自爆とな? なんとむごいことをさせるのじゃ……。それは辛かったのう、苦しかったのう」

 長身なので抱き上げられると完全に足先が床から離れる。

 まさか魔王に同情されるとは思わなかった。何度も人類を救った神代の英雄よりもずっと話が通じやすい。

「そのような邪悪な考えを持つ人類はやはり滅ぼさねばならぬのう」

 一番厄介なところがミグと共通している。やっぱり神話生物だ。思うまま振る舞わせるわけにはいかない。

「魔王さま? それじゃあたしも死んじゃいます。それに一部を切り捨てて集団が生き残る為の選択としては正しいと思うから、そこは納得してはいるんですよ」

 社会を保全する目的で犠牲者を求めるのは珍しい話ではない。一般的な労働も個人から人生の大半を奪う限定的な生贄だ。場合によっては体を壊したり取り返しのつかないことにもなる。

 今回の場合問題なのは結果として世界が救われないことだった。犠牲になる甲斐が無い。

「健気な娘じゃのう……。世が世なら聖女と崇められたであろう」

 ウクスツムは涙ぐんだままで鼻をすすり始めた。くすぐったくなる高評価はともかくとして、この共感の空気なら協力を求めやすそうだ。


 研究室に戻ると、おばさんは不在だった。まだ眠っているのかもしれない。

 屋根を嫌うオーマに配慮してか、バルコニーにテーブルと椅子が設置されていたのでそこを選んで全員で席に着く。ウクスツムが加わった分の椅子が足らないのでオーマは膝に乗せる。

 改めて一同を眺めれば、つくづく妙なことになって来たと実感した。神代の英雄、光の巨人、そして魔王。

 身の周りが人外で染まっていく異常事態ではあるけれど、この世の終わりには相応しい。その親和性を崩すことでこの三人をなんとしても場違いにしなくてはならない。

「早速ですが、魔王さまにお願いがあります。あれと戦ってほしいんです」

「嫌じゃ」

 空を指差しての単刀直入はあっさり弾かれた。

「儂は魔物の王じゃよ? 故に守るべき民は常に魔物。既に亡国というなら戦う理由もありはせぬ」

 魔王にしてみれば世界は既に滅んでいるらしい。滅ぼしたのが人間らしいので、強くは言えずについ口ごもった。

「えぇっと、それじゃ困ると言うか……」

 早速話し合いが滞った時間は短く、シスターメイアイの唐突な金切り声で乱された。

「ワタクシも反対です! こともあろうに魔王の力を借りるなんて、そうまでして生き延びても子孫に申し開きのしようがありませんわ!」

 正しくなければ滅びてしまえの宗教論でしか事態を見ていない。こうして大人しく基地までついて来てくれて話している相手が神話で知る邪悪な存在に見えるのだろうか。

 ウクスツムは気分を害したようで露骨に顔を歪めた。

「口を閉じよ、神官。神の意志のその意味もおもんばからぬ愚か者め」

 眼光はミグにも負けず肩書に相応しい凄みがある。それなのにシスターメイアイはまったく気圧された様子を見せない。ちょっと感心する。

「神の御心は愛そのものです。この試練を自分たちの力で乗り越えてこそ、人類はその愛を受ける資格を得るのです」

「たわけ。神がたやすく生みしものに格別な想いなど抱くものか。それともそう語るを耳にしたか? 儂は聞いたぞよ。神は生みしものが共存することを望んであった。その為の手段は大層乱暴なものであったがの」

 神に近しい時代を生きた相手の言葉に、流石のシスターメイアイも反論を失った。それでもウクスツムは気が済まないようで、発する敵意だけは増していく。

「人間の己ばかりが愛されようとする傲慢は時代を経ても変わらぬようじゃな。それが我ら魔物を滅ぼしたのじゃろう? 恥知らずも大概にせい」

 かつてミグと戦った人類の災厄に睨まれ震え上がる。

 これで大人しくなるかと思ったら、シスターメイアイはミグを頼った。

「さあミグ様、早くこの魔王を打ち倒してくださいませ!」

 ミグは他所を向いてウクスツムを見ないようにしている。これは元々の関係性からくる険悪ではなくて、公園でしたウクスツムとの共感の抱擁が原因だった。あれからずっと居心地悪そうにしている。あれは相当な気の迷いだったらしい。

 シスターメイアイの要求にミグは首の向きを戻さない。

「断る。これでは討つ理由が無い。もはや世界の均衡は土台から崩れた。奴が人類を滅ぼしてようやく調和が取れるほどだ」

「魔物、おらんしのう……」

 ウクスツムがまた落ち込んでしまった。

 ミグには飛来天体を打ち破ることで神の偉大さを証明するという目的ができたけれど、魔王には目指すものがない。説得する材料がない。生物種からして違うので、人類だけが繁栄するこの時代に愛着を持たせることもできるかどうか。

(そもそも魔物のことを知らないからなあ……。神話にはどうせ悪役としか書かれてないんだろうし)

 どうやって気を惹けるか考えていたら、ウクスツムの視線がこっちを向いていた。正確には膝の上のオーマをじっと見ている。

「……ところでその幼児おさなごは何者か」

 オーマは今現在大きくなったり小さくなったりを繰り返している。ウクスツムが自然と気化オーロラクリスタルを発生させるらしいので吸収して大きくなるものの、重くなって足が痛くならないよう自分で調整してくれている。「えぇっと、この子はその……」

 同じ神話生物だから、と考えて紹介を怠っていた。

「オーマちゃんだよっ」

 自己紹介は要領を得ない。そうとわかって説明を求める紅い瞳が左右に動く。

「貴様のあとの時代に我が一度は打ち倒した人類の敵だ。貴様とは逆にアイテールを吸う」

 ミグの言葉に、大きく反応が起きる。

「なんじゃと⁉ 勇者よ、汝は儂以外と戦ったのか?」

「当然だ。災厄を打倒することこそ我が主命である」

 平然と答えるミグに、ウクスツムは頬を膨らせてプルプル震え始める。規格外のスーパーモデルのような見た目の割に子供っぽい。

「汝は儂とだけ戦っておればよいのじゃ! 他の魔王にうつつを抜かすでない!」

「マオーじゃないよ。オーマちゃんだよ」

「なんであれ同じじゃ! 汝は儂だけの勇者じゃというのに」

 ヤキモチ。そう呼ぶには関係性が特殊ではあるものの、そういうことらしい。

(……これは使えるかも)

 うまくそそのかせば魔王を戦列に加えられる。

「ねえ、魔王さま? 勇者さまが他の誰かに倒されるなんて許せませんよね?」

「勿論じゃ。こうして幾度もまみゆるのは儂の手により滅ぶ宿命にある故じゃからの」

「でもこのままだと勇者さまはあの飛来天体に星ごと滅ぼされちゃうんですよ。だからここは、一旦あたしたちと手を結んであれをなんとかしませんか? それから改めて勝負したらいいじゃないですか」

 駆け引きに利用されていることに気付いたミグに睨まれる。けれど彼にとってウクスツムが敵であることは変わらないはずだ。反対する理由はない。

「……手を組む?」

 ウクスツムはキョトンとしてから、呆れ顔になった。

「汝らよもや、あれに戦いを挑むつもりか? 儂に戦えと言ったのは、『代わりに戦え』という腹積もりではないと?」

「そんなこと、言うわけないじゃないですか」

 それでは自爆指令を出す軍部と変わらない。

 ウクスツムは涙で目を潤ませた。

「魔物と人との協調を……? なぜそれをもっと、はように言うてはくれなんだか……」

 痛切な呟き。亡くした同胞たちのことを想っているのだろう。

「……あたしたちの歴史書に魔物のことは載っていません。でも誰かを滅ぼした上にこの時代があるのなら、余計にあたしたちが滅ぶわけにはいかないと思うんです。……ううん、話はもっと単純。あたしはただただ死にたくない。それだけです」

 自爆指令なんて冗談じゃない。それでもそれをやるしかなくて、それさえ通用しないことが判っていた。でも昨日から散々常識を覆された。いっそ絶望も覆ってしまえ。

「生き延びる為に魔王すら利用するか。あけすけな娘じゃ。……汝には同情する。魔物たちを犠牲とした先に破滅しかないことは心苦しく思う」

「だったら――」

「じゃが儂は何の為に戦えばよいのじゃ? 誰に勝利を届ければよい? そも、手を結んだところであれには勝てぬよ」

 諦めの響きに何も言えなくなった。ウクスツムは椅子の上で膝を抱えてしまう。


 場が沈黙したところで、おばさんが研究室に入って来た。

「ハル、機動腹帯コルセットを改良したから試してみてくれる? 勇者が一緒だと出力が安定しなかったって言うから不具合を力技で解決――あら? なんか増えてるけど、どちら様?」

 暗い空気に構わずバルコニーへ踏み込んでくる。朝寝坊かと思ったら、どうやら夜通し機動腹帯コルセットを改良していたらしい。また血色を失っている。

「どちら様かというと……えぇっと、魔王さま」

 少々ヤケになった紹介に、もちろん当人は反応しない。

「魔王って……魔物の、王⁉」

 おばさんはギョッとして、顔色を更に悪くした。

 色々あって麻痺していたけれど、これが普通の反応だと思う。神話時代を専攻していたおばさんなら尚更のことだ。

 人類の旧敵の存在に怯えて逃げ出す、そうなるはずが、おばさんは後ろをついて来ていた運搬用ドローンを振り切って飛び込んできた。

「ハル! そいつから離れなさい!」

 庇うように間に入って遠ざけられる。恐れるにしても、この反応はちょっと普通ではない。

「あのね、おばさんは神話に詳しいから〝魔王〟は恐いかもしれないけど、実際話は通じるし危ない人じゃないみたいよ? ホラ、あたしだって一応人類の守護神だし」

「そういう問題じゃない! いいから、部屋から出ていなさい!」

 おばさんの様子がおかしい。完全に血の気が引いて、最大限にウクスツムを警戒している。怯えどころか、まるで敵から子を守る母のような態度だ。

 むしろ突然の嫌われようにウクスツムのほうが怯えている。

「儂、なにもせぬよ?」

「いいから、あなたもここから出て行きなさい!」

「でも儂、行く宛てもないのじゃ……」

 シスターメイアイが同調して騒ぐのを鬱陶しく思いながら、とりあえず心配はなさそうなので不思議に思いながらもバルコニーを出た。今のおばさんは言って聞いてもらえる状態にはなさそうだ。

 ついでに運搬用ドローンから機動腹帯コルセットを受け取っておく。

「バトラー、改良ってなにが変わったの?」

『カートリッジが増量されています。勇者殿に接近すると対消滅エンジンが不調になる原因はオーロラクリスタルの活性が変化するからなので、トータルアモルファス側の出力を上げてバランスを取ることで解決を試みています』

 なるほど力技、と納得して早速試そうと研究室の中央へ寄る。

 周囲の床から透明の遮断壁が展開して天井へ届き、試験管に閉じ込められたような格好になる。機動腹帯コルセットを起動すると有害な気化トータルアモルファスが発生するのでこうして外気と完全に遮断しなくてはいけない。

 腰に巻き付けると以前の物よりも若干重い。初めての時はこれで歩けるのか不安になるほどだったけれど、今ではすっかり慣れてしまった。

「それじゃ……機動腹帯コルセット起動、よろしく」

 天井の排気口が開いたのを確認してから新装備を動かす。幻燈織機が外装とスラスターを作り出し、前後上下に噴射して体が浮き上がった。

 一般的には人体に有害だと言うけれど、気化トータルアモルファスは甘い匂いがするので個人的には好きだった。吸い込むと心が落ち着いて体にも力が漲る気がする。

「うん。出力が上がっただけなら使用感は変わらないね。勇者さまの傍だとラグがあるなら空中戦は不安だけど、どうせ飛来天体を打ち落とすだけだし」

『では停止します』

 結果に満足しても、すぐさま遮断壁を下げるわけにはいかない。換気が済む時間をたっぷり待つ。

 すると、目の前の遮断壁にウクスツムが張り付いた。せっかくの美貌を台無しにする鼻が歪んだ間抜け顔で、なぜだか目が輝いていた。

「なんじゃ、おるではないか! よう生き延びておった!」

 何を言っているのかわからない。

 呆然とする間に遮断壁が床に消え、ウクスツムに抱き付かれる。

「会えて嬉しいぞよ! しかし人間どもに自爆を命じられておるとは許せぬな! そういうことならこの魔王ウクスツム、喜んで手を貸すとも! それより他に同胞はおるのか? いや、ひとりでも必ず儂が守るのじゃ!」

「へぇっ? 協力してくれるのは嬉しいけど……どういうこと?」

 ウクスツムを追ってバルコニーから駆け付けたおばさんが躓いて床を滑るのが見えた。

「ダメ! ハル、聞いちゃいけない!」

 必死に叫ぶおばさんの声と、嬉しそうなウクスツムの言葉はほぼ重なった。

「汝は魔物ではないか」


 何を意味がわからないことをと、否定するにはおばさんの反応が深刻過ぎた。苦痛の表情を見れば「知らせたくなかった」と心情が伝わってくる。

 更に、遅れてやって来たミグが追い打ちをかけた。

「貴様の腰道具にはミアズマの波動を感じる。どうして人間がミアズマに触れて平常でいられるのか不思議であったが、やはりそういうことか」

「その、『ミアズマ』って、気化トータルアトモスフィアのことだよね? ……それはあたしが特異体質だから……」

「なぜそうなったか、それを知る者に聞く他あるまい」

 ミグは床で項垂れるおばさんに目をやる。

 ウクスツムを押し退け、その前に座り込んで話しかけた。

「おばさん、どういうこと」

「ハルには……知られたくなかった。でも、もうムリだね」

 おばさんの告白は、誰よりもおばさん自身にとって辛いものになった。


 十五年ほど前のこと。統一都市が建設される以前は〝暗黒大陸〟と呼ばれていたこの大陸を当時若い学生だったおばさんは訪れたことがあったらしい。まだ国際戦争が頻発していた時代のドサクサに技術者として軍に従事した。

 一度動植物がすべて滅んだ形跡がある死の大地が神話と結びつくのではないか、という予想の基、その為の調査をする目的があった。

 そして本土では規制も多く今ほど技術が確立はされていなかった新鉱石兵器の実験中、大量のトータルアモルファスと共に謎の生物の組織片を発見したおばさんはそれを秘密裏に持ち出した。それが神話に語られる魔物の化石だと確信して。

 それから程なく国際戦争が終結したことで軍を離れることに決めたおばさんの元へ、回収から漏れた新鉱石地雷に姉の家族が巻き込まれたという報せが届く。

(あたしと、パパとママのことだ)

 じっと話を聞きながら、おばさんの手を強く握る。

 おばさんは座っていなければ体を支えていられないほど力を失っている。語る口調は罪の告白で、一言一言に自責の念が伝わってきた。

 話の中には法に触れる部分と、肉親の死がある。けれどもおばさんの後悔はそういうところにはない。

「あれは酷い事故だった。本当にたくさんの人が犠牲になって、民間の病院だけじゃ手が回らなくなったのよ。書類手続きで私が残っていた軍施設にも運ばれてきた患者の中に……ハルたちがいたのよ」

 当時のことはよく覚えていない。なにしろ子供だったので把握しようがなかった。終戦後に疎開先のシェルターから戻るバスの中で事故に遭ったと聞かされていて、おばさんが辛そうな顔をするので今まで積極的に話したことはなかった。

 今にして思えば、あれは肉親を失った苦しみだけではなかったのかもしれない。

「みんな重症だった。でも治せないケガじゃなかった。後遺症が残るとしても命だけは取り留めて、時間をかけて体を修復していく方法はあるもの。なのに患者はみんな呪われてるみたいに少しずつ弱っていったのよ」

 同じテーブルにいる勇者さえ痛ましい顔つきをしていて、「ミアズマか」と呟いた。

 おばさんは頷く。

「新鉱石の危険性が世間に公表されるのはもっとあとのことだけど、研究中に体を壊したり意識を失う技術者が何人もいたから、私にはわかった。神話時代にそれらしいものがあったことも知っていた。そのせいで『魔物ならこの正体不明の毒を克服できる』と、考えてしまったのよ。だからハルは助かった。助けてしまった」

 それが間違いであるかのような口振り。その理由はわかる。それでも、ショックだった。

「暗黒大陸から持ち出した魔物の細胞をハルに移植したの。アンタの両親や他の患者にも試したけど、生き残ったのはアンタだけ。生き残ったっていうことは、アンタが魔物になったってことなのよ、ハル。私がそうしてしまったの」

 赦しを乞うことさえ己に禁じるように、固く閉じられたおばさんの瞼からは止めどなく涙が溢れ出てくる。いくつの法を犯しているのか数えられないマッドサイエンティストならこうは悲しまないし、責めるつもりもない。

「それでおばさん、私が気化トータルアモルファスに耐性があるってわかった時、複雑な顔してたんだ」

「元気になって、普通と変わらずに成長してくれたから安心してたのに、やっぱり違うんだってわかったから……ごめんねぇ」

 子供みたいに泣きじゃくるおばさんを抱き締めて額にキスをする。オーマも慰めたいのか膝にしがみ付いていた。

「謝ることないよ。育ての親ってだけじゃなく、命の恩人でもあったってことでしょ? 恨んだりするわけない。あたしが今世界を救う為に何でもやろうとしてるのと同じように、おばさんもあたしを救う為に何でもやろうとしてくれたんだね。助けてくれて、ありがとう」

 自分の正体が何であろうと何が混じっていようとこれまで人間として生きてきた時間は揺るがない。

 なのに動悸は激しくなる。このままでは体まで揺れ始める気がして、サッとおばさんから離れた。

「そうだ! あたしオーマちゃんが着られる服を貰ってくるね。被災時の支援用物資に子供用の着替えがあるはずだから」

 バルコニーを出ながら、下手な言い訳だったと歯噛みする。備品が欲しいならドローンに依頼すれば自動的に届けられるので、どこかへ出向く必要はない。

 どのみち、研究室から廊下へ出た所でくずおれて動けなくなった。手足を動かそうとすれば自分の体が自分のものではない気がして寒気がする。震えを押さえようと力を込めた指が、固いはずの床を抉って溝を作った。

 言い逃れができないほど思い知る。

「……あたし、人間じゃないんだ」

 真実を知って何が変わったということもない。なのに、自分が世界にとっての異物になってしまった。

 物音を聞いて振り向くと、研究室からウクスツムが顔を覗かせていた。

「そんなに魔物が嫌いかの?」

 涙目で傷ついているらしい。魔王のくせに。

「いや魔物のことは知らないですし……。ただ、自分が違うものになってたっていうことが受け入れられなくて」

 そう釈明するとウクスツムの下にミグが現れた。

「何も気にしたことはないが?」

 人間から英雄に改造された人物の力強い眼差しに腹が立つ。

「あんたも好き好んで選ばれたわけじゃないのかもしれないけど、事情はだいぶ違うでしょ? 自分は他の人と違うっていう不安が……」

 今度は勇者の下にオーマちゃんが顔を見せたことで、言葉は途切れた。

「おねーちゃん、元気ない?」

 本人も自分の特殊性をわかっていなさそうな、勇者や魔王とさえ違う突然変異体。当然苦悩もあるはずがない。

「……この環境じゃ、落ち込むこともできないか」

 少なくとも孤独ではない。


 心配してくれたオーマをバルコニーへ戻して、おばさんに取り乱したことを謝った。

 開き直るしかない自分よりもおばさんのほうが罪悪感で苦しんでいる。ただでさえアルコールがなければ眠れないような生活習慣が続いていたところへ、機動腹帯コルセットの調整があったので昨夜はほとんど寝ていないはずだ。こんな状態ではすぐに体がまいってしまう。

 ミグたちを研究室のバルコニーに残し、おばさんを休ませようと生活エリアへ移動する。

 寄り添って抱いた腰は細さ以上にか弱い。まだ落ち込んでいて、支えていなければその場にへたり込んでしまいそうでさえある。

「パパとママだってきっと、助かる方法があるって知ってたら試すように言ったよ。だからおばさんは罪悪感なんて持たなくていいんだよ。健康診断とかでも特に異常は出てないんだし、魔物って言ってもそんなには変わらないんじゃない?」

「でも……変化はこれからかもしれない。異常が出ないのだって、そんな異常があることを知らないから調べていないだけで」

 なかなか恐いことを言われた。

 それでも見過ごす。明日で無くなるかもしれない自分のこれからよりも、今この人が傷ついていることのほうが遥かに重大だ。

「そうだね。もっと変化して、飛来天体を何とかできるくらい強くならなきゃだね」

 仕事道具がある部屋だと休まない予感がするので、おばさんが占有している仮眠室ではなく今朝まで自分が使っていた何もない部屋へ運んだ。

 ベッドに寝かせても離れずに、そっと横に腰かけ髪を撫でる。

「あたしね、おばさんがあたしのこと拒絶しないなら、それでいいんだ」

 研究室の様子を監視していた軍部はどう判断しただろう。様々なことが保留になっている今の状況では判断されないかもしれないけれど、何があっても絶対に守る。

「昔からそうだった。おばさんは本当のことを知っててあたしのそばにいてくれたんだから、その気持ちが変わらないならあたしは平気」

 ゆっくりと腕の力を抜いて唇を重ねる。よほど強く噛んでいたのか、柔らかな下唇に舌先で歯の型を感じた。それをほぐしたくて、何度もんでは緩める。

 繰り返すうちにおばさんから張り詰めていた気配が薄れるのを感じた。

「……可愛い姪だもの。罪滅ぼしだけで育てたわけじゃないわ」

 そう言いながら首に手を回す。とても叔母と姪の行為ではない。

 こうなったキッカケはと言えば、あるいは初めから決まっていた必然と言えるかもしれない。


 両親を失ったショックが癒える代わりに、新しい家族もまたいなくなるんじゃないかと不安でたまらなくなった。一般的には依存と呼ぶとわかってはいてもけっして離れることはできず、いつからか肉親に対するものではない愛情も抱くようになっている。

 幸いにして二親等以内の婚姻――いわゆる近親婚を法で禁ずるのは異性の組み合わせに限られ、同性の場合は妊娠に関する以外は問題視されない。

 入隊という形で職に就くことで成人と認められ、軍内での立場も確立したのでそういうことを考えられるようになってきていた。そんなときに飛来天体が発見され自爆指令が下った。世界の破滅とは別に未来が閉ざされたように感じた。

 強がりを見破られるのが嫌で避けていたから、こうして身体を求め合ったのはあれ以来初めてのことになる。久しぶりの昂ぶりとこれで最後になるかもしれない切なさで丁寧に丁寧に没頭した。隅々まで触れ、舌を這わせる。

 息が切れるまで続け、もう一度唇を重ねてから向き合う。涙目とちっとも落ち着かない空気の出し入れに体力の差を失念していたことに思い当たった。

「ごめん。しばらく休もうか」

 笑って額を擦り合わせると、自然と目が閉じる。そのまま待っていると、乱れた呼吸は安らいで、すぐに寝息に変わった。

 そっと腕枕を抜いて揺らさないよう慎重にベッドを降りる。胸元を撫でれば、吸い付いた痣があった。常に絆を感じていたくて昔から自分からそうするよう求めてきた。ここしばらくで薄く消えかかっていたものが戻っている。

(絶対に、守らなくちゃ)

 寝顔を見下ろして覚悟を固めた。これを最後になんかしてたまるものか。

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