第29話

「ん?どうした?」


血相を変えて、戻ってきた私を見て、葵さんは驚いた顔をする。


「あ、あの大和さんが…。」


勝手に2人の話をしていいものなのか、話しかけて、思わず口をつぐむ。


「すみれちゃん。ごめんね。驚かせちゃったね。」


柊さんが部屋のドアを勢いよく開けて入ってきた。私は驚いて思わず体がビクッとなる。


「なんだよ?何かあったのか?」


葵さんは、眉間にシワを寄せて柊さんと私を見た。


「大和がまたパリへ行くっていうから、ちょっと言い争いになってね…。」


「大和が?」


葵さんの眉毛がピクリと動く。


「今度はもう戻ってくる気はないらしい。」


「え?兄貴はどうするんだよ?」


葵さんの険しい表情をして柊さんを見る。


「俺はこの店を離れる気はない。だから大和ととの関係はもう終わりだ。」


柊さんは悲しそうな顔をして首を振る。


「何言ってるんだよ!本当は兄貴だって、大和について行きたいんだろ?」


突然、葵さんは柊さんの襟元を掴んで怒鳴りつけた。


「でも、この店は離れられない。」


柊さんは襟元を葵さんに掴まれたまま静かに言った。


「葵。もう良いのよ。帰国した時から決めていたことだから。帰国したのは、このことを話すためよ。だから、私も覚悟はしてたから。」


大和さんが部屋の入り口に立っていた。手にはスーツケースを持っている。


「大和…。」


立ち尽くす私たちに、大和さんは微笑みながら、ゆっくりと近づいてきた。


「すみれちゃん。2人のことをよろしくね。あなたと出会えて嬉しかったわ。」


「葵、柊とこれからも兄弟仲良くね。」


大和さんはふわっと笑うと、スーツケースを引きながら1階へ降りて行ってしまった。


「兄貴!追いかけろよ!」


葵さんは柊の襟元を離すと背中を押した。


「いや。もう終わったんだ。」


柊さんは力なく笑うと、部屋を出て行った。3階の部屋のドアが勢いよく閉まる音がした。


「くそっ…。」


葵さんはコートを掴むと、部屋を飛び出した。私も慌てて葵さんの後を追って1階に降りるが、すでに葵さんの姿は見当たらなかった。店内は静まり返り、私は1人取り残されてしまった。時計を見ると、少し開店時間が過ぎてしまっていたが、ブラインドを上げ、とりあえず開店することにした。1人では、やることもわからず、前に葵さんに教えてもらったリボンの練習をすることにした。棚に置いてあるリボンを適当な長さにカットしようとしていると、階段を降りてくる足音がした。


「あれ?葵は?」


振り向くと、少しバツの悪そうな顔をした柊さんが立っていた。


「どうやら、大和さんを追いかけて行ったみたいです。」


「そうか…。なんかかっこ悪いところ見せちゃったね。」


柊さんは恥ずかしそうに頭に手をやる。私は柊さんに何と声をかけたら良いのかわからなかった。


「葵さ、大和のことが好きだったんだ。」


「え?」


柊さんの突然の告白に驚き、手に持っていたハサミ手から滑り落ちる。


「ごめん。また驚かせちゃったね。」


柊さんはかがんでハサミを拾ってくれる。私は差し出されたハサミを無言で受け取った。


「俺たち3人は幼馴染でさ、よく3人でこの店でいたずらして、親父に怒られたもんだよ。」


柊さんは遠くを見て、懐かしそうに笑った。


「それで、大和と俺は高校生くらいの頃から付き合い始めたんだけど、その頃から葵は俺たちに寄り付かなくなってね。大人になってから気がついたんだけど、葵も大和のこと好きだったんだなと思って。」


「そうだったんですね…。」


「だから、俺たちがこんなことで、別れるなんて許せなかったんだろうな…。」


「それで、あんなに怒って、大和さんを追いかけて行ったんですね…。」


何故か胸の奥にズキンと痛みが走る。


「遠距離恋愛じゃだめなんですか?」


「遠距離恋愛ね。ずっとそうしてきたから分かるけど、会いたいのに会えないのは、俺もだけど、大和もなかなか辛かったんじゃないかな。それにいつかは、どちらかが、自分の気持ちに折り合いをつけないといけなくなるだろ?俺はこの店を離れられないし、大和にも夢を大切にしてほしいんだ。」


「柊さん…。」


柊さんはいつものように穏やかに話していたが、表情はとても悲しそうだった。柊さんが作業場に行ってしまうと、店のドアについているベルがカランカランと鳴り、年老いたおじいさんが店内へ入ってきた。おじいさんは、ゆっくりとした足取りで店内に入ると、レジの横に立っている私を見て立ち止まった。


「おや。この店にもこんな若い女の子がいたんだね。初めて会ったかな?」


おじいさんは目を細めながら、顎の白い髭を撫で付けた。


「はい。最近ここで働かせて頂くことになりました。木下すみれと申します。」


おじいさんにお辞儀をすると、おじいさんは嬉しそうに頷いた。


「こんなに若い子に会えるなんて、はるばる店を探して歩いてきた甲斐があったわい。」


「え?」


どうやらこのおじいさんは、店が少しずつ移動しているのを知っているようだった。


げんさんさん!お久しぶりです。」


柊さんが嬉しそうに作業場から顔を出した。


「柊や、久しぶりだの。元気かいな?」


「はい。おかげさまで元気にやってます。元さんも変わらずお元気そうで。」


「おや、葵はどうした?見当たらんが。」


「葵は今ちょっと外に出てて…。」


柊さんは頭に手を当てて苦笑いした。


「こりゃ、ケンカでもしたな。」


元さんと呼ばれたおじいさんは柊さんの顔をチラリと見て言った。


「元さんには敵わないなぁ…。俺たちのことすぐわかっちゃうんだから…。」


「がははは。何年お前らを見とると思ってるんだ。ほれ、いつもの頼むわ。」


元さんは豪快に笑うとショーケースを指差した。



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