第16話
「どうしたんですか?」
柊さんは女性を優しく引き離すと顔を覗き込む。私はエプロンポケットからハンカチを取り出すと、女性にそっと差し出した。
「ありがとうございます。」
女性はハンカチを受け取ると涙を拭く。柊さんと同じくらいの年齢の女性は、涙を拭きながら嗚咽交じりに話し始めた。
「すみません。ヒック。取り乱してしまって…。」
「大丈夫ですよ。何があったんですか?」
柊さんはそっと女性の肩に手を添える。
「主人が…。ヒック。主人が最近、会社から帰ってこないんです。理由を聞いても仕事が忙しいって言い訳するばかりで…。ヒック。絶対浮気してるんだわ。」
女性は途切れ途切れに話すと、また大きな声をあげて泣き出してしまった。柊さんは静かに立ち上がると、棚の上に陳列してあったガラスの瓶を手に取り、しゃがみこんで泣く女性の元に戻ってきた、
「手を出してみてください。」
「え?」
女性が驚きながらも柊さんに手を差し出す。柊さんは優しく手を取ると、ガラスの瓶を傾け、手首にシュッと液体を吹きかけた。
「匂いをかいでみて下さい。」
柊さんは優しく声をかける。女性はそっと手首に鼻を近づける。
「良い香り。」
「これは、ラベンダーの香りなんです。気持ちが柔らぐでしょ?」
「はい。」
女性は涙を拭って少し笑った。柊さんはショーケースの前へ歩いて行くと、ラベンダーを数本手に取り、手早く白い紙を巻きつけた。
「これを玄関に飾ってみてください。ラベンダーには、"私に答えて下さい"という気持ちを表す花言葉があります。ご主人は、あなたが不審に思っていることに気がついてきっと話をしてくれますよ。」
「ありがとうございます。玄関に飾ってみます。それから、先ほどのラベンダーの香水も頂いても?」
女性はだいぶ気持ちが落ち着いてきたようだった。
「もちろんです。手首につけたり、お部屋にひと吹きすれば、気持ちが落ち着くと思いますよ。」
「ありがとう。不思議ね。偶然入ったお店でこんなに気持ちが落ち着くなんて。本当にありがとう。」
女性は会計を済ませると、笑顔で店を出て行った。
「柊さんすごいですね。」
「え?何が?」
柊さんはキョトンとして私を見る。
「だって、今日だけで、2人も力になりましたよ。私も柊さんに話を聞いてもらって救われた1人ですけど…。」
「そうかな?話を聞いて、お店の商品を勧めただけだよ。あのラベンダーの香水はね。葵が作ったんだよ。俺からしたら、葵のがすごいと思うけどね。」
柊さんは葵さんが作業しているであろう2階を見上げて言った。
「葵さんが?作れるのはプリザーブドフラワーだけじゃないんですね。」
「そうだよ。葵も生花も扱えるし、俺も葵程は上手くないけど、プリザーブドフラワーのアレンジも一応作れるよ。」
「2人ともすごいですね。私なんか今日はレジ打ちと、配達のお手伝いしかできませんでした。」
「ふふ。最初は誰でもそうだよ。慣れればいろいろなことができるよ。」
「さぁ。そろそろ店を閉めようか。」
時計を見るといつのまにか夕方の5時になっていた。葵さんも2階から降りてきて、店を片付け始めた。
「さっき、女の泣き声が聞こえてきたけど、大丈夫だったか?」
「うん。大丈夫だったよ。ラベンダーの香水をつけてあげたら喜んでたよ。」
「そうか。なら良かった。」
葵さんをチラリと見ると、少し口元を緩ませていた。
「すみれちゃん、このあと用事あるかな?」
「いえ。家に帰るだけなので特に何も。」
「良かった!これから3人で食事に行かない?すみれちゃんの誕生日と歓迎会を兼ねて。」
柊さんが私を見て優しく微笑んだ。
「え?いいんですか?嬉しい!」
店を閉めると、私たちは店から少し歩いたところにある小料理店へ入った。
「この店、前から気になっていたんですけど、初めて来ました!」
「そうなんだ。ここは俺と葵の行きつけのお店でね。手頃なお値段でフレンチが食べれるんだよ。今日は好きな物食べてね。」
柊さんがメニューを渡してくれる。
「ありがとうございます。えっと…。何にしよう…。」
メニューがたくさんあって迷って選びきれなかった。
「ここは肉もうまいけど、白身魚のムニエルが絶品だぞ。お前それ食べてみろ。」
「え?あっ、じゃあ、私それにします!」
「俺もそうしようかな。」
柊さんは私たちのやりとりを見てクスクス笑いながら言った。
「葵さーん!」
店のドアが勢いよく開いて、聖さんが店に入ってきた。
「ひ、聖さん?」
「俺が声掛けたんだ。」
驚いている私に葵さんがボソリと言った。聖さんはニコニコ嬉しそうに笑いながら、私の隣に座った。飲み物が席に運ばれると、葵さん、柊さん、聖さんが私のグラスにコツンと当ててお祝いしてくれた。
「すみれちゃん。お誕生日おめでとう!そして、My Little Gardenへようこそ。」
1人で寂しく迎えると思っていた誕生日を誰かと迎えることになるなんて、想像もしていなかった。ふと周りを見渡すと、女性客がチラチラとこちらに熱い視線を送っているのに気がついた。モデル並みのルックスの3人は、明らかに際立ち目立っていた。
「またぼーっとして、もう酔っ払ったのか?」
葵さんが眉をひそめて私をジロリと見る。
「だ、大丈夫です!今日は気をつけますから!」
私は葵さんの声にハッと我にかえる。
「お酒の粗相があったの?」
聖さんがクスリと笑いながら私を見る。
「な、なんでもないです。」
葵さんの広くて暖かい背中を思い出して思わず赤面する。
「赤くなっちゃってあやしいなー。」
聖さんが肘で私を突っつく。
「何だよ。またおんぶしてほしいのか?」
葵さんが意地悪そうにニヤリと笑ってこちらを見る。
「え?おんぶ?」
聖さんが驚いて私と葵さんを交互に見つめる。
「ち、違いますから!」
お酒のせいなのか、そんな風に笑う葵さんがかっこよく見えて、誤魔化すように手元にあるお酒を一気飲みした。
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