第9話

「ん…。よく寝た。」


窓に差し込む光で目が覚める。


「あれ?昨日、どうやって帰ってきたんだろう…。」


服を見ると昨日の服装のままだった。お風呂にも入らずに寝てしまったらしい。ホテルで合コンをして、途中で抜け出して、それから…。昨夜の出来事が鮮明に思い出され、サーっと血の気が引いて行った。恐る恐る一階のリビングへ降りると、兄が朝食の準備をしていた。


「お兄ちゃん…。昨日って…。」


「おっ。おはよう。すみれ。これ仕事前に葵さんに持っててってやれよ。」


兄の鷹斗たかとがニヤニヤしながら、アルブル1番人気のアルブルロールを差し出す。


「やっぱり…。葵さんたち店に送ってくれたのね…。」


二日酔いでズキズキと痛む頭をかかえる。


「おう。昨日店片付けてたら、イケメンがすみれをおんぶして連れてくるからさ、驚いたわ〜。」


「お、お父さんたちには?」


「大丈夫。大丈夫。おとん達には見られてないから。美智子ちゃんに送ってもらったことにしといてやったよ。」


お兄ちゃんがニヤリと笑う。


「助かった。お父さんに見つかったら、何言われるか…。」


ホッと胸を撫で下ろす。


「すみれ、いつの間に習い事始めたんだよ。彼氏かと思ったら、お花の先生だって言うからさ。」


「また詳しいことは後で話すから!シャワー浴びたらケーキ届けてくるね。」


これ以上、兄に余計な詮索をされるのは面倒で、お風呂場へ逃げ込んだ。シャワーを浴びていると、ものすごい形相で怒っている葵さんの顔が頭に浮かんだ。ものの数分でシャワーを済ますと、身支度を整え足早にMy Little Gardenへ向かった。


「お、おはようございます!」


店へ勢いよく入ると、眉間にしわを寄せた葵さんがレジ前に立って作業していた。


「なんか用?」


やっぱり怒っているようだった。


「き、昨日はすみませんでした。店に送ってもらったみたいで、兄に聞きました。」


「あぁ。家の住所聞く前にお前寝ちゃって、いくら起こしても起きないから、ためしにケーキ屋に行ってみたんだ。そしたら、まだ明かりがついてたから。」


「す、すみません!ご迷惑おかけしました!これアルブルロールです!」


私は頭を下げてケーキを差し出す。


「まじで?嬉しー!」


「え?」


今まで聞いたことのない葵さんの明るい声に思わず顔を上げると、葵さんは嬉しそうにケーキを受け取った。


「なんだよ。俺の顔に何かついてるかよ?」


私の視線に気がつくと、たちまち眉間にしわを寄せ、いつもの顔に戻ってしまった。


「い、いえ。別に。いつもそんな風に笑ってればいいのにと思って。」


「そんな風ってどんな風だよ?」


「だからさっきみたいに…。」


「あっ!すみれちゃん。おはよう。気分はどう?」


店の奥から柊さんが出てきた。


「し、柊さん!昨日はすみませんでした。」


「あはは。大丈夫だよ。昨日は、葵の背中で気持ちよさそうに眠ってたよ。」


「え?」


葵さんの温かくて大きな背中を思い出し、思わず赤面する。


「それより、昨日は大丈夫だった?家の人に驚かれなかった?」


柊さんは心配そうに私の顔を見る。


「大丈夫でした。父に見つかると、男性を見れば嫁にしてもらえって、うるさいんですけど、兄だったので、大丈夫でした。」


「あはは。そうなんだ。葵はパティシエさんに会えて嬉しそうだったよ。」


「え?」


てっきり面倒をかけて怒っているのかと思っていた。


「まぁな。あのロールケーキを作ってる人に会えるなんてラッキーだったよ。今度店に遊びに来てって言われたしな。」


葵さんは頬を高揚させて、興奮しているようだった。


「そ、そうですか…。」


今までと全く違う葵さんを思わず見つめる。


「なんだよ。さっきからじろじろ見て。俺たちはこれから店の準備で忙しいんだ。早く帰れ。」


葵さんは眉間にシワを寄せたいつもの表情に戻り、私を店から追いやった。


「言われなくても帰りますよーっだ。」


「あはは。2人は仲良しだね。すみれちゃんじゃあね。」


「は、はい。柊さんありがとうございました。」


私は葵さんを睨み付け、柊さんには笑顔で挨拶すると店を後にした。どうやら、葵さんはケーキのことになると表情が緩むようだった。自宅に戻り、自宅の中から直接、店の調理場へ向かうと、父と兄が忙しそうにケーキを作っていた。


「お兄ちゃん、ケーキ渡して来たよ。葵さんに余計なこと言うんだから。今度、店に遊びに来る気らしよ。」


「いいじゃないか。ケーキが大好きみたいじゃないか。熱心にロールケーキのことを語ってくれたぞ。」


「え?あの葵さんが?」


ますます葵さんのキャラが分からなくなる。


「今日は、母さん町内会でいないから、お前が代わりに店番してくれ。」


父がオーブンにケーキの形を入れながら、振り返らずに言った。


「わかったー。」


私は父に向かって返事をすると、制服に着替え、店の表へと出て行った。仕事の契約が切れてからは、母の代わりに店番をしたり、調理場を片付けたりするのが私の日課だった。


「おはようございます。もう開いてます?」


店のドアが開き、男性が顔を覗かせた。


「はい。いらっしゃいませ。ってあなたは!」


「あっ。君は昨日のすみれちゃんだっけ?」


そう言って爽やかな笑顔で店に入ってきたのは、昨日合コンで出会った聖さんだった。


「また逢えるなんてすごい偶然だね。昨日は大丈夫だった?」


「は、はい。途中で帰ってすみませんでした。」


「またこうやって逢えるとはね。ここのアルブルロールの評判を聞いて買いに来た甲斐があったよ。」


「え?」


「えっと、ショーケースのケーキ全種類。1つずつお願いします。」


「ぜ。全種類ですか?」


予想外の注文に思わず聞き返す。


「あれ?変なこと言った?全部食べてみたいから全種類お願いね。」


聖さんは私の反応に逆に驚いた様子だった。


「い、いえ。すぐにご用意しますので、少々お待ち下さい。」


私は手早くケーキを箱詰めし始めた。一度に全種類オーダーされたのは初めてのことだった。知らないうちに、スイーツ男子がちまたで流行っているのかもしれない。そんなことを考えながら、残りの1個を箱に詰める。


「お待たせしました。全部で18000円です。」


「はい。カードで。」


聖さんはカードを取り出し、私に差し出す。カードで全種類ケーキを買う聖さんは一体何者なんだろうか…。


「あれ?このカード使えなかった?」


聖さんは心配そうにこちらを見つめる。


「い、いえ。大丈夫です。」


私は我にかえると、カードをレジに通した。そして、大量の箱を袋に入れて、聖さんに渡す。


「ありがとうございました。あの車まで一緒に運びましょうか?」


「大丈夫だよ。ありがとう。また近いうちにどこかで会うことになると思うよ。じゃあね。」


「え?」


驚いている私に聖さんは爽やかに微笑むと店を出て行った。




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