第10話

啓太が着てから10日程が経過した。

誠はまだ目を覚まさない。

そして玉座に座った啓太もまた玉座でどこか遠くを見つめたまま動かない。

リーア達がいくら声を掛けてもうわのそらであった。

無理もなかった。

この数日で彼は全てを失って、そして人一人の命を奪ったのだから。

とても齢7歳の子供が経験することではない。

それでも王としての才覚は十二分にあるとリーアは思う。

まだ幼き王ではあるが年齢的に見ても成長の余地がある。亜人の王ともなれば王の力こそが国の命運を左右し、兵達の士気を高める事につながる。

 啓太が現世で見せた力はリーアに確かな手ごたえを与えた。あの齢で家族の敵とはいえ、人を殺したのだ。あの時リーアは確かに戸惑った。自らが王になろうとしている子供が人を殺そうとしている。

こちらにくれば、王になれば尚更人の命を奪うことなど腐るほどある。

 しかし、それでもリーアにはとても黙ってみていられる光景ではなかった。元気に家屋の屋根を飛び回ってやんちゃをして怒られても笑うような無邪気な7歳の少年がたった一夜で全てを失い今敵を討とうとしている。その目にはもはや無邪気な子供の目ではなく、鬼の目だった。

 先程まで余裕を見せた剣士崩れは亜王の力の前にもはや脅え、震え、命乞いをした。

しかし慈悲などなく、跡形も残らず体内から爆破されたあわれな男。あの男の最期の間抜けな顔が今も忘れられない。

人間は何処までいっても浅はかだから気に入らない。その癖聖剣の恩恵を受け、我々亜人の上に立っている。気に入らない。酷く気にいらない。

 しかしそんな人間を啓太は圧倒し殺した。同属であろう人間を。

頭は酷く混乱し、怒りに燃え、絶望に凍えていたことだろう。しかしその魔力操作は圧巻するほど見事で冷静そのものであった。

まさに今この国に必要な光だった。まだ小さな灯ったばかりの儚い光ではあるけど荒廃しきり、王の座を巡り内乱が勃発するこの国を変えることの出来る希望の光としては十分であった。

 だからこそこの小さな背中に亜人たちは選定の巫女リーアを筆頭に忠誠を誓ったのだ。

悲しむな、とは言わない。まだ7つだ。悲しむなというほうが無理な話だ。だから今のうちに悲しんでおいて欲しいとリーアは思う。

今日もうわのそらの啓太の元に向かう。


大きな木製のドアの前に立つ。深呼吸をして、笑顔を作り、扉をあける


「失礼します。啓太様お食事をお持ちいたしました」


 凛々しい声が広い室内に響く。大きな石の玉座にちょこんとすわり、うわのそらを向いている少年に目をやり、トレイの食事がこぼれないように歩く。

ぼーっとしている啓太にトレイのスープをスプーンですくい冷ましたら口に運ぶ。啓太は特に抵抗するわけでもなく無気力に口にはこばれたものを飲み込む。


「おいしいですか?」


リーアの問いに啓太はやはり答えない。ただただ空を見上げていた。

食事を終え、啓太の口をナプキンで拭きおわるとトレイをおき、足に車のついた机をどこからともなくひっぱってきて啓太の前においた。机の上には地図が広げられた。

「今日はですねこっちの世界のお勉強してもらおうとおもって準備してきました」

とリーアはひとつの島を指差す。


「ここが我々の拠点である島です。そのほかにある四つの島を含めた五つの島を総じて亜之国と人間達は呼びます」


啓太の視線が地図におりた。興味をもってくれているようだ。

リーアは続ける。

 「この中央に陣取る一際大きな大陸が同盟国です。といっても半分は人間達のものですが。この大陸の半分は人間が所有し、何個もの帝国に分かれています」


その一際大きな大陸の中央には海があり、その中央に小さな島がぽつんと描かれていた。それがどうにも目だって啓太の興味を惹きつけた。

それに気づいたリーアは中央の島を指差した。


「この島は竜之国です。竜は神聖な生き物です。なので亜人、人間問わず同盟を結んだ際にここには近づかないという条約が結ばれました。もっとも竜は誰かになついたりすることは基本的にありません。故に戦争の道具として使われることはないでしょうけど万が一という事で締結されました。噂では竜には人の行く末が見えてしまうから人には近づかないとかなんとか」


リーアの説明を聞き流しながら啓太はぼんやりと中央の大陸を見つめた。

もし自分も竜とやらに会っていたら家族や友人を失う未来を回避できたのだろうか。いやそもそも会えるわけもないか。こちらの世界にしかいない生き物だし、あちらでは架空の生き物のひとつに過ぎない。

 竜にあっていればなんて浅はかな期待じみた後悔をするほどに啓太の心は消沈していた。

リーアはそんな啓太の様子に気づいていたようではあったが構わず続けた。


「それでは啓太様問題です!この地図一見普通の地図に見えますが、恐らく啓太様なら見たことがあるはずです。さてこれはなにに見えますか?」


と机から地図を両手で持ち上げ、啓太の前に掲げる。

一瞬わからなかったが、全体をよくみれば見えなくもないけれどと思いつつこう答えた。


「…太陽?」


ひときわ大きな楕円の大陸を取り囲むように10の歪な形の大陸がある。絵本などでみたことのあるデフォルメの太陽によく似ていた。

「ぴんぽーんぴんぽーん!正解です。さすが啓太様!」

と地図の横からぴょこっと顔を出し笑顔ではにかんだ。

その笑顔につられるように啓太も歪ではあるが笑顔が零れた。


「やっと笑ってくれましたね」


思わず笑顔が零れてしまった自分自身に気がつかなかった。思わず顔を背ける。

ふたりの間には沈黙だけが残った。

リーアは地図を机において、机ごとよけて啓太の前にゆっくりとしゃがんだ。

「啓太様」

啓太は俯き、そらした視線をゆっくり上げる。リーアの端整な顔が目に入り互いに目が合う。リーアはとても真剣な眼差しをしていた。

「…すみませんでした」

リーアから漏れた謝罪の言葉。突然の事で何に対しての謝罪かが分からなかった。


「…なんのこと」


リーアの視線が僅かにゆれる。横に、下に。そして啓太の視線に戻り、噤んだ口が言葉を紡ぐ。


「母君と姉君を救えなかった事です。私が不甲斐ないばかりにあなたのたった二人の家族を失わせてしまいました。お詫びでは到底償える事ではありません。私の首ひとつで啓太様の気が納まるのなら喜んで差し出しましょう。しかし…」


「もういいから」


リーアの言葉を切るように啓太の冷たい言葉が広間に響いた。決して大きな声ではなかったがその声には覇気が篭っていた。


「…もうしわけ…申し訳ございません」


ただただ俯いたままリーアは謝罪を重ねる。

啓太は高い天井を仰ぎ、ひとつため息をついた。


「正直さ…おかあさんやねえちゃんが死んだなんて夢だと思っていたんだ。そう、思っていたんだ」


「…はい」


「でも…でも…ここにきて、僕は皆の王様になって、魔法とか竜とか亜人とか、人とか…色々知ってさ。まるで昔よんでもらった夢の世界のようでね…だから全部夢だって…だから…だから、ね。この夢から覚めたら、覚めたらいっぱい、い、い、あれ、おかしいな。アハハ」


啓太の口が篭る。啓太の頬を大粒の涙が伝う。

ポタッ…ポタッ…

まるであの日の雨のように地を静かに濡らす。

啓太の手を握ってリーアが聞く。


「だから、この夢から覚めて、母さんにいっぱい、いっぱい甘えてやるんだって…姉ちゃんにいっぱい遊んでもらうんだって…歌那多に夢の中で僕は王様になったんだっていってさ…笑われて…そんで虐められている誠を剛達から守ってやるんだ、いっつもいじめられてるのみてみぬふりしかできない俺がさ…いや僕がさ…あいつの前にでてやるんだ。誠をいじめるなってさ。歌那多をびっくりさせてやるんだ…それで…それで…」



啓太の言葉は遮られそして続きを聞く事はなかった。リーアが啓太を目いっぱい抱きしめる。

そしてしばらくふたりは静寂の広間の中心で動かなかった。啓太の頭をさすりながらリーアが呟いた。


「啓太様、もう我慢しなくていいのですよ。心配しなくとも周りには私一人だけです」


広間にはすすりなく音だけがこだましていた。

リーアの胸に顔をうずめながら今まで我慢してきたものをすべて吐き出すかのように泣いた。枯れるまで長い長い時間ただただ泣いた。

リーアは長い時間啓太を慰め続けた。

どれだけの時間がたったか、それは酷く曖昧だったが啓太が落ちついた頃、リーアが耳元で呟いた。


「啓太様、啓太様は確かに弱いかもしれません。誰も救えなかったかもしれません。でもそんな弱いと自分を責めることが出来るのならあなたは明日をいきたいと願った人達の分まで未来に生きる人達を救えるはずです。なんたって…」


啓太の顔がリーアの胸から離れる。涙ぐむ視界にはリーアと、その後ろにもうひとり見える。誰かは分からなかった。目を擦りよく見る。


「啓太…くん?」


その声にびくりと体が反応する。

リーアが啓太に微笑む。


「なんたってあなたは…もう一人“も”救っているのですから」


そこには誠の姿があった。

もう駄目かと思った。言いたいことがいっぱいあった。でも言葉には出来なくて気がついたら誠に抱きついていた。


「わっ!?け、啓太くんっ!?」


急に抱きつかれ、誠は顔を真っ赤にしている。

リーアはそんなふたりをみて微笑む。そこにはもう悲しみに絶望に暮れる少年の姿はなかった。

確かに家族、友人を失ってそれを一日、十日ですぐ忘れられる筈はないかもしれない。


しかしそれでも目の前の暗闇を照らしてくれる光があったとき、それを掴んだとき、微かだが希望が見えてくる。


彼女を抱きしめる啓太の顔には涙と共にあの頃の無邪気な笑顔が溢れていた。

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