第20節「告解」
「焔の様子は、どうですか」
「漫画の作画を一心不乱に頑張ってくれてますよ」
「ホムラの絵は、好きじゃ」
ここは、再開発地区に隣接する公園内にある、四方を四本の石柱に囲まれた、屋根付きの休憩スペースである。
外気にさらされるため、冬の利用者は少なく、本日も真ん中のテーブルを挟んでベンチに座る、祈、奈由歌、真雪の姿しかない。
監視カメラから個人のスマートフォンなどなど。録音、撮影からネットにアップするまでが簡易な様々なメディアに普段から囲まれている昨今、秘密の話をする時は、むしろこういう外の開けた場所の方が安全だという祈の判断があった。
「焔は、子供の頃から私の本棚から少女漫画を持ち出しては読んでいて。小学校に上がる前には、もう模写とかやってました」
真雪にとっても、今、焔が再び漫画を描いているというのは、喜ばしいことであるらしい。
思い出しているのは、漫画か、焔か。いずれにしろ、真雪は胸の中に残っている大事なものを慈しみ直すように、目を細めた。その長い睫を見やりながら、祈は改めて綺麗な人だなんて思う。
真雪は、真雪が購入し、焔が模写するくらい没入し、そして震災で流されてしまったその少女漫画作品のタイトルと作者名をあげたが、祈も奈由歌も知らないものだった。
90年代。彼・彼女らが生まれてくる少し前に、文芸と大衆娯楽の狭間で揺れるような人達に好んで読まれたような作品らしい。
「作家のお父さんと、その利発な娘さんとの父子家庭って設定で。街で暮らす二人の何気ない日常が描かれるお話なんですけどね」
「そういえば、焔君の絵柄って、最近の流行とはちょっと違いますね。女の子の絵なんて、デフォルメされた萌え絵っていうより、
「今描いてるヒロイン、お姉ちゃんに、ちょっと似てるよな~」
祈は、幼少期に傾倒したというその少女漫画家の影響と、リアルで近くにいたお姉さん。その二次元と三次元の双方の影響が、現在の焔の絵柄を作り上げたのではないかなんて分析してみた。
「その作品の影響もあって、お恥ずかしながら、私自身も昔は小説を書いていました」
当の目の前にいる、焔に影響を与えた
「焔は私の小説をいつか漫画にしてくれる、なんてことをよく言っていました。ありがちですよね。でも、そのありがちな夢が、私には大事なものだった。夜。本に囲まれて想像の翼で飛んで。CRTディスプレイのデスクトップパソコンに向かって、遠い場所に漂っていたそのままでは儚いものに骨を通し、肉づけしてゆくように言葉を紡ぎ。隣には大切な弟がいて。やがて、夜明け前の窓から、朝焼けに照らされる街の輝きが見えてきたら、ちょっと外の現実にでかけてこの
思わぬほど、
祈はやはり焔と真雪には重なるものがあると
そんな本当は秀麗な人の話は、やがて焔の頭の中にあるようには、綺麗ではいられなかった
「でも、そんな漫画の中のような穏やかさは、続きませんでした。現実は厳しかったです」
その時、寒風が吹き、周囲の温度がさらに少し下がった。
「お二人は、私と焔とが再び一緒に暮らすようになればイイ。そう思って来られたのではないかと思います。しかし、それはもう、できません」
「何故です?」
「もう、資格がないんです」
「資格?」
真雪は冷々たる外気から身を守ろうとするように、首に巻いていたストールを自分でギュっと掴んだ。
「『空気』があるんです。いけないことだとは、関係する者みんな、分かっていながら。建前上は誰も傷つかないという落としどころを探して、そっちに向かっていくような。半分はもう個々の人間の意志を離れた、『流れ』です」
遠回しに語り始めた真雪の事情を、祈なりに読み解こうと、様々な可能性を想定しながら、思考を巡らせる。
「私が働いている場所については、ある程度、お調べになったでしょうか」
「ええ、まあ」
ホステスをしているという既に聞いた事情から、S市の何処のどのお店かまで祈は突き止めていた。それこそ「御曹司」クラスが通う高級店であった。
「私のような劣った人間が、どうして今のようなお店に、ただいられるでしょう?
私は成人していますし、お互い同意の上なので違法にもなりません。そうして頂けるお金は貴重なものです。だから、わたし既に複数の男性と。何回も。何年も」
ようやく真雪が含意する意味に気づいた祈は、そこまで言わせてしまった自分の配慮のなさに失望し、同時に心の底から稲妻のような抑えがたい気持ちが湧いてきて、数瞬、自分でもわけが分からないくらいの激情に至った。
その場に立ち上がり、握り拳を目の前のテーブルに打ち下すと、すわった瞳をして。
「分かった、そういう連中、全員殺してくる」
すぐにでも凶器を持って、一人一人、刺してこようか。そんな危うさと狂暴さを周囲に撒き散らした。
「落ち着け。お前が犯罪者になっても、誰も、何も報われないじゃろ」
一方で、奈由歌は既に祈の頭に時々そういった突発的な狂気が降臨する様を、見たことがあるようで、むしろこの場で一番平静でいる。
「彼、獅子堂光は、そんな私を助けるつもりでもいてくれるんです。過去は問わないから、俺だけの女になれと」
真雪は「苦しい」を通り越して「痛い」と感じているかのよう。
両方から引っぱったら、心なんて簡単に裂けてしまう。
奈由歌は立ち上がって、そんな真雪の横までスタスタと歩いて行くと。
「つらかろう」
と抱きしめた。
「お姉ちゃん。自分に優しくしないとダメじゃ。って、わたしのお母さんが言ってた」
銀のツインテールが、ところどころバラけながら、ふり散る白色の結晶を背景に、冷たい微風に揺れている。
「震災で家が流された後、S市に引っ越してくるまで、わたし、学校にもいかないで仮設住宅でスマホのゲームばっかしてた。そんなわたしにも、お母さん、もう、それでもOKじゃって。生きてるだけで、丸儲けじゃって。そう言ってくれてた」
真雪は奈由歌の胸に顔を埋めたまま、涙を流しているようだった。
そんな二人の様子を見ているうちに、祈は一度激しく荒ぶった心が、徐々に落ち着いてきていた。
平常心に収まる頃に思ったのは、この場に奈由歌がいてくれて良かったということだ。
「いますぐあなたを連れて逃げるとか、そういうことはできません。現実は厳しいですからね」
祈は殊更に誠実な態度で。
「かといって僕は、いや、僕達は。あなたの問題も『しょうがない』で済ませられるほどには、まだ大人になりきれていないのです。この厳しい世界で『自由』になろうと思ったら、それなりのテクニック、そして準備が必要になります」
彼なりの人生の負荷の中で逃避的に身につける事になった、文学的な素養を使った言い回しでこう伝えた。
「もう少し、時間をください。相応のプロセスを踏んで、ちょっとだけ天運が味方してくれれば。解けない『呪い』はない。僕は、そう信じていますので」
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