第17節「姉と弟」

 焔と奈由歌が味元さんの家から復興部に戻って来たのと、真雪が復興部を後にしたのは、ちょうど入れ違いになるタイミングであった。


 灯理は「よく聞いてね」と前置いてから、焔に真雪の話の要点を伝えた。


「ちょい、ホムラ」


 話を聞くや否や、復興部の「半分開いたドア」から出て行った焔を、奈由歌が追った。


 駆け出した焔は、双桜そうおう学園の正門を抜け、敷地の外に出ると、眼前を横切る大きな国道の向こう側にその人を見つけた。


「姉ちゃん!」


 横断歩道はあるけれど、信号は赤である。


 振り返った真雪は、焔の姿を見つけると、数年間の断絶なんてなかったかのように、記憶の中と同じ笑顔で、少し背伸びして手を振った。


「身体に、気をつけてね!」


 道を横切る自動車の走行音に半分かき消されながら、昔と同じ姉の声がした。真雪も、声を張り上げている。


「姉ちゃんも!」


 信号が青になってから追うこともできたはずなのに、焔は動けなかった。言葉も、続けられなかった。


(このヒトに)


 やがて、真雪はもう一度手を振ると、身をひるがえし、向こう側へと歩き始めた。



――泣いてイイよって言ってあげられるくらい、俺が強かったらイイのに。



 焔は足を踏み出すことができなかった。


「追わなくて、よいのか?」


 焔を追ってきた奈由歌が後ろから声をかける。


「金がねぇ」


 大事なピースが欠けたまま、表層を取り繕う言葉が漏れてしまう。


「うむ」

「力もねぇ」

「いいじゃん」

「現実だ」

「そうか」


 真雪の姿が見えなくなると、焔は振り返り、再び学園の方に向かって歩き始めた。復興部へ戻るのだ。奈由歌も、それ以上は何も言わずに後ろからついていく。


「焔、君?」


 復興部に戻って来た焔を向い入れた年長組三人の中で、一番気を揉んでいる様子なのは灯理だった。


「心配かけました。でも、いますぐ、どうこうできる問題じゃないです」


 焔は、テーブルの前に座ると、原稿用紙、インク、つけペンと準備を始めた。


「マンガ、描くの?」


 灯理の問いには、姉の件よりも漫画制作を優先するのか? という意味と、乱れた状態の心で技術的に作画が可能なのか? という二つの意味がありそうだが。


「今は、やれることを、やります」


 灯理のネームを元に準備した下描きに、ペンを入れ始める。


「灯理、男には、黙々と一人で筋トレをする、そういう時間が必要な時もあるんだ」

「その例えは、よく分からないけど」


 そんな悠未と灯理のやり取りも、徐々に雑音として彼方に去っていく。


 焔の感覚は研ぎ澄まされていき、今ならこれまで十時間かかった作業が十分でできそうとさえ思い始める。


(灯理さんは、優しいな)


 そんな想念を最後に、焔は完全に「創る者」としてのスイッチがオンになった。


 一方、灯理の方は焔が引いた最初の一本の線を見た瞬間に気づいた。


(焔君はそっちのタイプだったか)


 深い所に縁があったというか。あるいは、魂、感覚のようなものが最初から共鳴していて、それゆえに焔のことが気になっていたのかもしれない。


 灯理自身が本格的に絵を描くことはもうないけれど、焔は創作者としては灯理と同じ系統の人間だったのだ。


(喪失、報われなさ、そういうものを、創作の質に換えるタイプ)


 灯理は祈にそっと目くばせする。


 祈はPCを起動して、作画のアシスタントの準備に入る。


 だったら、応援するから、まずは一緒に作ってみようか。


 焔に向けられた、ちょっとだけ年上の立場からの、この時の灯理の気持ちはこんな感じ。


(逃避から生まれた力でも、誰かを助けることが、できるかもしれないよね)

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