第19話 胸まで隠す意味。

 

 重低音の鼻歌が響く地下室。

 シュワネェが部屋に入って来てからしばらくの時間が経っていた。最初は食い殺されるかと思ったけど、これといって何をしてくるでもなく、何を命令されるでもなく……。どうやら俺を今すぐどうこうする気はないようだった。「待ちきれない」なんて言うからストリップでもさせられるかと思ったけど、よく考えたら俺、これ以上脱ぐものパンツしかねーよ。その最後の砦だけはなんとしても守り抜く……ッ


 彼(彼女?)は、さっきからツイッターのタイムラインをご機嫌でチェックしているようだ。この縦穴からは姿は見えないが、猫画像に弱いらしく画面上に猫を見つけては、「やだ可愛いにゃ~ん! ラブッ」と言いながらいいねを量産している模様……。


 俺は放置されているのをいいことに、さっきシュワネェが言っていた言葉を元に状況を分析していた。

 俺を殴ってここへ運び込んだのがこの大男だったならそれは納得だ。あの丸太のような腕があれば俺を担ぐのなんて子供を抱えるくらい楽勝だろう。それなら単独犯の可能性もある。でも「お迎えが来るまで」って言葉が引っかかったんだよなぁ。次郎達が助けに来ることを見越しているのか、それとも他の仲間に引き渡すまでという意味なのか……。うーん……。「何もこんなところに繋がなくても」なんて言ってたしな。この地下の部屋に俺を繋いだのは別人?


 だとしたら、この状況もいつまで続くかわかんないよな。


 仲間が来て、取り囲まれてしまったらどうすることもできない。

 俺はこの状況からなんとか脱出する方法を考えていた。


「はいはーい! ええ、さっき来たところ。大丈夫、子犬パピーちゃんは大人しくいい子にしてるわよ」


 ふいに、シュワネェのスマホに誰かからの着信が入った。

 機嫌よく出て、なんだかんだと受け答えしている。

 やっぱり仲間がいるんだな。


「ええ!? 本気なの!? あの女とアタシの子犬パピーちゃんを一緒にするなんて、絶対反対!」


 ん? 女?

 女って誰のことだ?


「もう! わかったわよ! 好きにすれば!? いいから連れてきなさいよ! その代わりあの女の面倒は絶対みないからね!!」


 仲間が誰かをここに連れてくるらしい。

 シュワネェは「まったくやってられないわ」と言いながら通話を切った。


 そして、椅子が軋んで立ち上がる音がする。

 ゴツゴツと分厚い靴底を鳴らして近づいてくる気配。俺は、壁にもたれたまま顔を上げた。その瞬間――


 パシャッ ―― 

 ………… ペポン。


 眩しいフラッシュが視界を焼いて、俺は思わず目を瞑った。


「ごめんね? 眩しかった?」


 一瞬ホワイトアウトした視界が元に戻って来ると、俺が見上げた先にはスマホを構えたシュワネェが立っていた。今のフラッシュ、そして聞き覚えのある電子音。


「あの…… まさかとは思いますけど今写真撮りました?」

「うん!」

「そして保存しました?」

「うん! もうバッチリ撮れてるわよ! 細い腰ね~掴んだだけで折れちゃいそう!」

「そうじゃなくて。いや腰に注目されてるのも大問題なんですけどあのそれ、なぜ写真を……?」


 俺は無意識のうちに胸と股間を隠しながら、恐る恐る尋ねる。


「邪魔者が来るっていうから、その前に二人で楽しんじゃおうと思ってね?」


 邪魔者……? っていうか楽しむってなにをっっ??


「まだ殺すなとは言われてるんだけど、生かしてさえいれば何をしても誰も文句は言わないはずだし」


 こっころっ!?

 いえいえいえいえ!! あります!! 俺がめちゃくちゃ文句あります!!


「でもやっぱりここからじゃ上手く撮れないわねー。そうだ、どこかに脚立があったはず。ちょっと探してくるわ。アタシが戻って来るまでいい子にしててね?」

「いやぁぁぁああの結構です!! 遠慮しますです!!」


 俺の嘆願虚しくシュワネェはいそいそと立ち上がった。脚立を探しに部屋を出て行く。重い鉄扉の閉まる音がして、部屋はいきなりしんと静まり返った。


 やっっべーーーー!!!!


 これは絶対にマズイ! 俺の全本能が予感している。時は今。逃げるなら今しかない。むしろ今逃げなきゃ命は助かってもいろんな意味で大切な何かを失う気がする……!!

 俺は急いで両手を縛るプラスチックと再び格闘を始めた。方法はさっきと同じだが今度は何しろ意気込みが違う。ここで逃げられなきゃ俺は男の子として生きていけなくなってしまうのだ。目にも止まらぬ超高速で手を動かし続け、両腕に力を入れて思いっきり引っ張った。


 ブチン……ッ


 力を入れた反動で両手が外に弾かれる。結束バンドはついに俺の前に屈服してその拘束力を解放した。


「ぃよぉおおっっしゃあああああ!!!!!」


 俺の雄叫びが部屋中に響き渡る。見たか! 日本の製品力よ! 俺は勝った……!! 自由になった拳を握りしめて天井に向かって突き上げた。だがその時、部屋の外の廊下の向こうで金属扉が開く音と誰かの話声が聴こえてきた。俺は慌てて口を塞ぐ。


 やばい、思いっきり大声出しちゃった……!

 っていうか、シュワネェの言ってた邪魔者ってもう来たのかよ!? 早すぎだろ!!


 話し声は何やら言い争っているようにも聞こえる。近づいてくる足音も不規則で、その中にはカツンカツンと細いヒールが床を叩く甲高い音も混じっていた。


「ほら、さっさと中に入れ!」

「きゃっ……!」


 部屋の扉が開いて誰かが入って来る。シュワネェとは違う声。男は嫌がる女の人を突き飛ばすように部屋に押し込んで地面に座らせた。そしてプラスチックの紐が擦れる鈍い音。


「少しの間ここにいてもらう。一応別々に繋いだが、二人して逃げようなんておかしなことは考えないことだ。いいな」


 男はそれだけ言って出て行った。


 部屋の中では女の人の浅い息遣いが聴こえている。これはもしや俺と同じで監禁されてる被害者なんじゃ……?


「あの…… どなたかいらっしゃるんですか……?」


 俺が問いかようとする前に、女の人が上がる息を整えながらおずおずと声を出した。

 この声……!


「もしかして……! 園田さん……?」


 不安げで頼りない喋り方とは裏腹に柔らかくて少し色っぽい声には聞き覚えがある。声の主は俺の言葉に驚いて答えた。


「え……! その声って、健太郎くん……!?」


 ああ…… そんな……


 園田さんが俺の名前を呼ぶ声がコンクリートの壁に反射する。

 俺はあまりの驚きと、新たに目の前に置かれた問題に頭を抱えた。



 なんてこった…… 園田さんまで拉致られていたなんて……





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