殴り愛

音水薫

第1話

 パンパンパァン

 竹刀で叩く音が家中に響く。酔った父は私を叱るとき、いつも竹刀を使う。そして、酔いがさめた父は泣きながら私を抱きしめ、何度も謝った。ごめんなごめんな、と言い続ける父の背中をさすって慰めた。父は子どものころ、父親から体罰を受けていたという。彼は自分が受けた躾を嫌っていながら、それ以外の叱りかたを知らなかった。

「だから、しかたがないのよ。その痛みは愛なのよ、姫子」

 母は言う。父は私が憎いから叩くのではなく、愛しているからこそ叩くのだと。父を嫌いになってはいけないと。

 使いすぎたせいか、竹をまとめている糸が切れて、竹刀がばらばらに壊れてしまったことがあった。私は裁縫道具を駆使してそれを修理し、父に渡していたのだから、当時の私は痛みこそ愛だと本気で信じていたのだろう。

 パンパンパァン

 私が中学生になってから、父は私を抱きしめなくなった。年ごろの娘の扱いに困っていたのではなく、酔いからさめることがなくなったからだ。このころから折檻などではなく、ただの虐待になる。私は火の着いた煙草を背中に押しつけられるようになった。母の瞼は青く腫れあがり、鼻にはガーゼを医療用テープで留めていた。叩かれる回数は母より私のほうが多かったが、顔を怪我するようなことはされなかった。そのぶん、服で見えないところは傷だらけだった。病院に行くわけにもいかず、シップや絆創膏、軟膏など市販の治療薬はどれが有効なのかもわからなかった。服が擦れるだけでひりひりと痛む傷に音を上げないでいることが、私のささやかな抵抗だった。その抵抗がよりひどいものを招いているとも知らずに。届く範囲にある怪我を舐めていると次第に痛みが引いていく気がして、日がな一日、自分の身体を舐めていることもあった。それからは舐める範囲を広くするために身体を柔らかくしようと、お風呂上がりに柔軟体操を欠かさずにやっている。

 ある日、父はむき出しになった私の背中を撫でた。

「姫子の背中はプラネタリウムみたいだな。痣は流れ星みたいで綺麗だ」

 そう言って煙草を押しつけ、星を一つ増やす。久しぶりだ。父が私のことを綺麗だと褒めてくれたのは。不意に父は後ろを向き、シャツを脱ぐ。袖が手首に引っ掛かり、腕を上下に振って外そうとしていた。結局、最後は反対の手で抜いていたけれど。

「ほら、お揃いだ」

 父の背中にも焼け爛れて隆起したあとが点々とあり、白くなったそのあとが黄色の肌を彩って、背中に卵を孕んだ両生類のようになっていた。なるほど、プラネタリウムに見えなくもないけれど、同じものが私の背中にもあるのだとしたら、なんて醜いのだろう。父はそんな醜い私の背中を綺麗だと言ってくれたのだ。こんなにも嬉しいことはない。父は喜ぶ私の声を聞きながら、背中を見せたまま泣いていた。

 パンパンパァン

 その日を最後に、父が正気を取り戻すことはない。酒がなくなると家の壁を殴ったり、母を突き飛ばしたり、さまざまな手段で脅しては酒を買ってこさせる。私は自室の押し入れの中で、母の甲高く短い悲鳴や殴打されたときの鈍い音、骨の衝突音を聞きながら震えていた。これは愛情表現。これは愛情表現。いくら耳をふさいでも、振動は家を通じて体にも響いてくる。父の前に出た自分は標的にされるとわかっていたのに、殴ったあとは優しくしてくれるのではないかと期待して姿を晒すこともあった。そういうときは母が父の前に立ちはだかって、私が殴られないようにかばっていた。けれど、母がパートに出ているすきに、私は暴力の捌け口にされていた。褒められたくて、卑屈な笑顔を垂れ流しながらそれに耐えた。それを見たイラつきからか、罪悪感を打ち消すためか、父はさらに激しく私を傷つける。

 パンパンパァン

 ある日、私が学校から帰ってくると、玄関で父は胸から血を流して倒れていた。溢れだした血は敷居にせき止められていて、置かれていたスニーカーは血を吸って赤くなっていた。母は椅子に座った状態で、喉に包丁を突き立てて死んでいた。きっと無理心中だ。父が私ばかりを愛していたから、酒が関わらないと殴ってもらえない母は嫉妬に狂って父を殺したに違いない。母にとって殺すことこそ、愛の極みなのだろう。私は謝りながら、母の頭を撫でた。

 これから私、姫子は小さなワンルームで独り暮らしを始める。

 パンパンパァン

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